瞳の奥が

@KiBno

 

僕たちの世界ではね、瞳の奥の色を見れば人となりが解るんだよ。

君たちの間でもそういう言葉があると思うんだけど、僕たちが言う瞳の奥の色は君たちのそれとは根本から違う。

今、こうやってお互いに顔を合わせていて、目もあっているけど、もっと注意深く僕の目を見てほしい。そう、もっと、もっとだ、何か見えないかな?

正解、虹色に光っている。僕たちは君たち地球人とほとんど同じ外見、内臓を持っているけど、当然いくつかの違いがある。その最たる例がこの目の奥の器官、正確には脳の一部だね。


僕たちはこれを「みなび」と呼んでいる。見学の「見」に火曜日の「火」、おしゃれでいい名前だね。じゃあこれは生物学的にどのような器官なのかというと、脳に記憶されたいくつかの記憶が抽象化されたのが、たまたま瞳の奥から漏れ出ているというだけなんだ。言ってしまえば偶然の産物で、特に使い道もない、たまたま目の奥の穴が脳につながっていて、たまたまそこの脳が記憶を司っていたというだけなんだ。


昔の人は見火に何も感じていなかったし、そもそも認識していなかった。なんでかっていうと見火に多様性がなかったから、この秘密が解明されるのは近代化を待つことになるんだ。つまり、近代になると情報化が進んで他人との人生を知ってしまったり、記憶媒体が進化して昔の自分を簡単に思い出したりできるようになった。


すると見火に変化が起きた。具体的にはお金持ちだったり、高学歴だったり、いわゆる成功者と言われる人達の見火は鮮やかに、反対に貧しかったり教育水準が低い人たちの見火は黒くくすんで色あせて見えてしまう。


そこから数世紀は研究が進められたが、同時に差別が広がってしまった。就職するのにも、クレジットカードの審査にも、目の奥の写真を要求して、黒い色をしていたらろくな人生を送ることができなくて、見火はさらに黒くなっていった。


事態が急変したのは見火の発見から500年ほど経った時、見火の色を変える方法が見つかったんだ。でも夢はなくて外科的な方法だよ、目の奥に特定の周波数のレーザーを当てるだけで周波数に応じて自在に色を変えることに成功した。手術も簡単なもので値段もそんなに高くなかったから、これまでの遺恨を晴らすように貧困層で見火を鮮やかにする人が続出したし、それに呼応するように単におしゃれだからという理由で富裕層が見火を黒にしたんだ。


いまでは目の奥の色で何かを判断することは無くなったよ。外見で人を判断することのない素敵な世界さ。



そういえば君たちの世界には「黒歴史」という言葉があるよね、面白い言葉だ。実は私たちの世界にも同じ言葉があるんだよ。もちろん同じ意味で。


さっき言った見火の研究には実は続きがあってね、見火の色が学歴や富の量で変わるのは大人になってからなんだ。じゃあ子供たちは何で見火の色が変わるのか、それはね、創作活動の数なんだ。絵だろうと、小説だろうと、歌だろうと、何かを成して発表したりそれで誰かから評価されることで、少年少女の目は輝いたんだ。


ところがね、見火の色を変える方法が見つかってから、大学生から20代中盤の人たち、つまり大人になるちょっと前くらいの年代の人たちの間で、虹色の見火を黒に変える、いや、塗りつぶす人が続出したんだ。その流れは今も続いている。


どうして塗りつぶすのか、恥ずかしいんだ。プロでもアーティストでもないのに一丁前に作品を作って、まるで自分が文化の中心に居たかのような錯覚に陥っていたあの日々が、今見ればサルでもできるような稚拙な作品を、世界を揺るがす1ピースだと信じ込んだあの夜が。


だからみんな「黒歴史」なんて言って塗りつぶすんだ。

本当は虹色に輝いているのにね。

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