第25話 それぞれの進み方⑭

 何も見えない真っ暗な世界の中で、女性の声が聞こえる。


『まったくあなたは。しょうがない人ですね』


 その声は俺の耳に心地よく染みわたっていく。ずっと聞きたくてしょうがなかった声だ。だけれど、だからこそこれは夢なのだと認識する。

 彼女は、もう居ないはずの存在なのだから。


『決して引き返す事の出来ない道を選びましたね。あなたらしい選択、と言えるでしょうか。その道は苦難が続きますし、不幸な最後を迎える事になるでしょう』


 彼女のその言葉は、責めている様にも聞こえるし、諦めているという風にも聞こえるが、実はどちらでもないのが正解だ。単に、事実を面白がっているのだ。

 彼女はなんでも楽しむ事ができる。それが他人の幸福でも、不幸でも。

 俺にはよくわかっていた。だから何か言い返そうと思ったが、不思議と声が出なかった。


『果たして、不幸になるのはあなた一人なのでしょうか』


 どういう意味だろうか、ヨハンとシモンに何かが起こるという事だろうか。


『そろそろ目覚めの時のようですね。果たしてあなたがどこに辿り着くのか。その道を楽しみにしていますね』


 まて、ヨハンとシモンの話だけでもさせてくれ、そう言いたかったが、俺の意識は暗闇に落ちていった。


〇〇〇


 体が痒い。いや、痛痒いと称した方がいいのだろうか。

 特に左目と左脚、右腕が酷い。

 そんな事を思いながら、俺は目を覚ました。

 なんだか長い間眠っていたような気がするし、眠る前の記憶が曖昧だ。俺は自問自答をして意識が正常か確認をする事にした。


 俺の名前は。ペトロ・トリスメギストス。

 最愛の人物は。ヨハンとシモン。

 ここはどこだ。

 その自問に答える為に、辺りを見回すが、一瞬本当にそこがどこだか分らなかった。


(俺の、部屋?)


 そこは確かに自分の部屋のようだが、不思議な事にまるでここに嵐でも発生したかのように荒れていた。

 壁や床には破壊された跡があり、扉の中央には大穴が開いている。

 愛用していた机は真ん中から真っ二つになっていた。

 確か、左目と右腕を移植する手術をしていた、という所までは記憶にあるのだが、そこから先が思い出せない。俺は術中に気絶してしまったのだろうか。だとしたら、移植は失敗してしまった可能性がある。

 そう思い、恐る恐る自分の右腕を見やる。

 一応、成功していたようだ。

 不思議な事に、明らかに魔王の腕は極端に太く、自分に取り付けると不自然になるだろうと思ったのだが、過去の自分の腕とあまり変わらないぐらいの太さに落ち着いている。

 黒く硬質な肌が二の腕辺りまで覆い、そこから青白く、太い血管が見えるが、これは長袖を着て手袋をしていればわからないだろう。

 ふと、左脚に違和感を感じ、シーツをめくって視線を向け、驚愕する。

 左脚も右腕と同じように、足の付け根まで硬質な黒い肌の足が伸びているのだ。

 記憶にないが、もしかするとこちらも移植したのかもしれない。

 後は左目か。

 確認したいが、姿見が無かった。ベッドの近くに置いていたはずだが、見当たらない。どこかにしまったのだろうか。

 だが、外見の確認以前に、今後慣れなくてはならないだろう問題点が見つかる。

 左側の視界がぼやけていて、遠くがにじんでしまっているのだ。恐らく、左目だけ視力が低いのかもしれない。

 ともあれ、外見も気になるところだ。1階にある姿見で確認するとしよう。


 俺の家は2階建てとなっていて、寝室は2階となっている。したがって、今俺の居る部屋は2階なのだ。

 1階にはキッチンやリビングがあるのだが、リビングに姿見があるはずだ。

 早速向かおうと立ち上がり、歩き出す際に違和感で足を止める。

 右足と左足のバランスが悪いのである。長さもそうなのだろうが、左足の力加減が難しい。

 今度は自分の状態を知ろうと、注意深く歩き出す。分かったのは、左の推進力が強すぎて、毎回つんのめるような形で右足を着いている。続けていると、右足を痛めてしまいそうだった。

 皮肉な事だ。満足に歩けるように移植したのだろうが、これでは結局杖を使わないと不便だ。

 自嘲気味な笑みを顔に貼り付けて、1階に降り、姿見を見た時に、思わず口が開いた。

 移植した左目だけではない、右目にも変化があるのだ。

 俺の目の色は黒だったはずなのだが、俺の両目の色が黄色、というより金色になっている。

 そして、よくよく見てみると、右目の瞳孔は普通だが、左目の瞳孔がまるで猫のそれのように、縦長でスリット状になっているのだ。

 開いた口が塞がらない、という状態は、何も呆れた時だけに起こるのではなくて、驚いたとき全般に起こるのだな、と身をもって痛感する。

 現に、俺の口はさっきからずっと開いたままだ。

 一応、目の変化に驚いてしまって中々気付けなかったが、その他にも変化があった。

 俺の頭髪と、だらしなく生えている無精ひげが真っ白になっている。

 移植手術前は白髪など一本もなかったのに、今は黒い毛を探す方が難しいほどだ。

 これは移植に伴うストレスでそうなったのか、それとも別の原因なのか判断はつかなかった。

 だが、眼球の色が変化したという事から、色素細胞、もしくはメラニンそのものに何かが起きていると考えられる。

 鏡の前でうんうん唸っている俺だが、ふと、美味しそうな食べ物の匂いに気付く。

 それはどうやらキッチンの方から匂ってくるようだった。

 そういえば移植前に野菜炒めを作っていて、その残りがあったろうか、と、活発に活動しだした胃のあたりをさすってキッチンに向かった。


 だが、そこで俺は信じられないものを見る。

 白い髪を腰まで伸ばした人物が、何かを作っているのだ。

 後ろ姿しか見えないが、背丈や肩幅から、女性だろうか。

 いや、性別などは関係ない。誰かが俺の家にいるのだ。もしかすると、俺の部屋を荒らしたのも目の前の人物かもしれない。

 だから俺は、警戒を込めた声を上げた。


「何者だ!」


 その誰何の声に、その人物はビクリと体を震わせ、何か信じられない事が起こったとでもいうように、恐る恐るこちらを振り向いた。


 その顔は、骸骨だった。


────────────────


【Tips】

『アイテムボックスを所持していると死刑』

 この世界では、過去にアイテムボックスという物を開発した天才的な人物がいました。

 それは一般相対性理論を活用した魔法によって、小さな箱の空間を歪ませ、膨らませ、縮める技術を実現したもので、拳よりも小さな箱の中に、家一軒分ほどの物質を収納できるという画期的なものでした。

 

※(この時、物質は入る際に引き延ばされた後圧縮される。理論上生物を入れた場合は死亡するとされている)


 それはとても便利なものなので、瞬く間に世間に流通しましたが、その結果、犯罪が横行しました。

 泥棒は簡単に家財一式を盗み、スリは証拠を簡単に隠せてしまい、殺人犯は死体をアイテムボックスに隠してしまいました。

 国家間でも問題がありました。

 関税は意味を無くし、入国の検問も意味を成さなくなったのです。

 アイテムボックスを使って禁止薬物を簡単に他国に持ち込み、大量の危険物を持ち込んでテロや国際犯罪も容易になり、しかも事前に摘発するのも難しいという状況でした。

 その過去を踏まえて、人間、エルフ、ドワーフなどの各国は、アイテムボックスを所持しているもの、またはその開発を行った痕跡のあるものは死刑と定める国際条約に合意したのです。

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