第24話 それぞれの進み方⑬

 しばらくして落ち着きを取り戻した彼女は、今日の収穫と向き合っていた。

 獲物の傷口からは、血液がじわりじわりと染み出る様に出ている。

 これは問題だった。リリィは、彼女の大切なローブが汚れてしまうと考えたのだ。

 既に様々な汚れと、数か所の破れでボロボロではあったが、それでもこれはこの世界で唯一の彼女の所有物であり、大切なものなのだ。血で汚れると分かって、それを容認する事などできない。

 ではローブを脱げばよい、とも考えたのだが、それを実行しようとすると、恥ずかしいという気持ちが湧いてくる。

 これは転生前には無かった感情だ。転生の前は、ローブを貰うまでは何もまとっておらず、それでも平気だった。けれど、今の彼女は、骨の肢体を人目に晒す事が恥ずかしいと感じる気持ちが存在している。

 だから、どうしようと躊躇って動けないでいるのだ。

 そうして悩んでいる内にも、時間は経過してしまう。どんどんと日は落ち、獣の鳴き声が遠くで聞こえた。

 風なのか獣の移動によるものなのか、近くの茂みがガサリと音を立てた様な気がして、リリィは体をビクリと震わせる。


 彼女は決心した。ローブを脱ぎ、左の小脇に抱え、獲物のブラックドックは右で抱え、家に向かって全力疾走する事にした。


 森を抜け、獣の恐怖から解放されると、今度は別の不安が頭をもたげてくる。

 殆ど一日中家を空ける事になってしまったが、彼は大丈夫だろうか。何か起きてないだろうか。そう思うと、彼女は他に何も考えられないほどに不安になった。

 早くかえらなきゃという言葉を心の中でまるで呪詛のように呟き続け、右足と左足の前後運動に全力を傾ける。

 不安と焦りでいっぱいになった彼女の心のつぶやきは、やがて泣き声に近いほど悲愴に満ちてゆくのだった。


〇〇〇


 ようやっと家に到着した彼女は、獲物を玄関先に置き、急いでローブを着て、小走りに彼の部屋へと向かう。

 そして彼の部屋の前に着いたリリィは、まるで機嫌の悪い親に怯えた子供が様子を伺うかのようにそっと扉を開けて、その隙間から姿を見た。

 彼は、朝見た時と変わらず、静かに寝ていた。

 ほっと胸をなでおろした彼女は、緊張から解放され、体中の力が抜けてその場に崩れ落ちてしまう。

 だが、それも一瞬だった。別の喜びが彼女の全身を駆け巡った。

 彼女は急いで獲物を玄関に取りに行き、地下の実験施設に運び込む。

 薄暗い地下実験施設は、様々な機器が取り揃えられており、この獲物を解体するのに最適だと思われたのだ。

 ただ、彼女は移植の為に切断する事は出来ても、皮を剥ぐ方法などは全く分からなかった。

 再度ローブを脱ぎ、ナイフを片手に手探りで作業を始める。

 勿論、彼女は血抜きの存在など知る由もない。食糧庫にある肉のブロックを作るというイメージだけでの作業だ。

 だから、彼女は獲物の足を切除し、それをブロックの形になるように切ってから、皮の部分をナイフで切り取った。

 イメージでは簡単そうだと感じていた彼女だが、やってみると非常に困難で、根気の居る作業だった。

 また、彼女の骨の手は、魔力によって摩擦力を変えてナイフを持っている状態なのだが、それでも血と油で滑って思ったように作業が進まず、疲労感が募るのである。

 だけれど、彼女の心はその疲労を上回る程の期待と希望と喜びに満ちていた。

 もし彼女に呼吸する器官がったなら、鼻歌でも歌っていたかもしれない。

 喋る事ができる喉があったなら、明るい歌でも歌いだしたかもしれなかった。

 それほどに彼女の心は、希望に満ちている。

 それもこれも、彼の為の行動だからだ。

 今までは暴れるから抑える、空腹だから食べさせるという理由だったが、今行っているのは、「より良い食事を提供する」という前向きな作業なのだ。

 それが彼女には嬉しかった。彼と一緒に前を向いて進んでいる、そんな気がして思わず作業を止めて喜びを噛みしめたくなる。

 そうして作業を進めて、肉は食糧庫に、使えなかった部分は畑にある肥料載積場に大急ぎで運んだ。

 

 次は、料理である。

 当然ながら彼女に味覚はない。でも、彼に美味しいものを食べて欲しいと思うから、調味料は使っている。

 それでも、どのくらい入れればどのような味がするのかわからないから、雰囲気でいれているのだ。野生の動物は特に調味料などは使用しないから、問題ないだろうと彼女は考えている。

 次に焼き加減についてだが、これは殺菌の為でもあると彼から聞いた事があった。

 だから、よく焼くようにもしている。

 彼女にはスケルトンとして作られる前の知識も朧気にではあったが存在し、混濁している部分もあったが、何よりも彼から学んだ事を優先して実践するようにしているのである。

 そして彼女は、肉のブロックをまな板に載せて、体をくねらせて悩んでいた。

 悩んでいる内容は、いつものように細切れにしてスープで流し込めるようにするのか、それとも一口大に切って噛み応えを感じて貰うのかという部分である。

 折角だから味わって欲しい、でも安全を考えると、でもやっぱり頑張ったんだし、とナイフを片手に悩んでる。

 といって、苦悩しているわけではない。彼女の周りにはまるで花畑でも現れそうなほど、幸せそうな雰囲気が漂っているのだ。

 

 そうしてしばらく悩んだ末に、彼女は、細切れにしてスープに入れる事を選んだ。

 噛み応えは今でなくても、もう少し後に安全が確認できてからもいいと考えたのだ。

 考えがまとまった彼女は、一つ頷くと、手早く調理に取り掛かる。

 肉を細切れにして焼き、作り置いていたスープを木の椀によそい、その中に焼いた肉を入れる。後はそこに塩をこのくらいかなと思う量入れる。

 出来上がったそれは、いつもの食事と変わらない外見のはずだが、彼女には輝いて見えた。

 そしてスープとスプーンを盆に載せ、踊りだすように彼の部屋に向かう。

 外は既に、白んできてる。随分遅くなったな、お腹空いてるかな、と考えながら彼女は彼の部屋にそっと入る。

 彼は苦しそうな表情で寝ていた。寝ているのに申し訳ないとは思うが、栄養は生命活動に必要不可欠だ。起きて食べて貰おうと考えて、彼の傍まで寄った。


 その瞬間、彼女の視界は衝撃で揺れ、真っ白になった。

 

(な、に? なに、が、あった、の?)


 混乱する彼女の白い視界は、ゆっくりと戻っていく。

 すると、現状が見えてきた。

 彼は、ベッドに腰かけ、手を振り払った姿勢で居た。

 彼女は、壁に叩きつけられたのか、壁を背に足を投げ出して座り込んでいる。

 恐らく、彼が起き上がり様にこちらを薙ぎ払い、あまりの力に飛ばされて壁まで吹き飛んでしまったのだろう。

 彼が、いつものように絶叫する。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 リリィは、ベッドの足元に転がるスープの入っていた椀に視線を落とした。それはころころと転がっており、中身は床を伝い、その面積を広げている。

 その染みの広がりが、彼女の心に伝染したかのように、さっきまで明るかった彼女の心の中が、じわじわと黒く染まっているのを感じた。

 それはゆっくりなようでいて、止める暇がない程度には早く心を染めてゆく。


 ここまで来て、彼女は初めて、心が折れそうになるのを感じた。目があったなら泣きたかった。喉があったなら叫びたかった。

 けれど実際は、泣くことも叫ぶ事も出来ず、彼に視線を向ける。

 何がそんなに憎いのか。何がそんなに悲しいのか。

 彼女は、そんな彼に向けて手を伸ばした。

 いくら望んでも、手を伸ばしても決して手が届かない、そんな気がして、虚しい気持ちで一杯になる。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 リリィは、叫び続ける彼を、呆っと見ていたのだった。

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