第20話 それぞれの進み方⑨


『もう目覚めたのかね』


 何者かに声を掛けられて、彼女は起き上がった。

 きょろきょろと辺りを見回してみるが、彼の姿が見当たらない。

 それどころか、見た事もない場所にいるようだった。

 そこは洋館のエントランスのような場所で、所々に燭台が設置されているが決して明るいとは言えない様子だった。

 彼女は自分の体を確認する。骨の手に、彼から貰ったローブ。彼女の全てがそこにはあった。

 ふと、声の主が気になって注意深くあたりを見渡すが、どこにも声の主と思われる存在はいなかった。

 それを見て、だろうか。声の主は続けてくる。


『入ってくるといい』


 同時に、ドアの一つがカチャリと音を立てて半開きになる。その扉をくぐれという事だろうか。

 今がどういう状況なのか判断ができなかったが、彼女は従う事にした。


 そこには異形の存在が、高級そうなソファに座していた。


『ようこそ。何もない所だが、まずは掛けるといい』


 恐らくこの部屋の主と思われるその存在は、頭が山羊で、体が人間の異形だった。

 側頭部から生える左右合わせて二本の角とは別に、頭頂部のあたりから延びる角の先には、小さな炎が揺らめいている。首から下は上質そうな黒い生地に、これも高級そうな金の刺繍が随所に施されたローブを羽織っている様子だった。

 その右手には、二匹の蛇が絡み合ったような杖が握られており、笑っているのか怒っているのかもわからない山羊の顔で、口からは中性的で穏やな声を発している。


『掛けないのかい?』


 言われて、じっと立ったまま凝視していたことに気付いた彼女は、慌ててその異形の向かいに用意された椅子に腰かけた。


『さて、まずは名乗らせてもらおうか。私の名はバフォメットという。君たちからすると、父親、もしくは神という存在に近いかな』


 そう言って異形、バフォメットは口元をゆがませた。恐らく、笑ったのではないだろうか。


『色々聞きたい事もあるだろう。これでも錬金術と知性には自信があってね』


 確かに聞きたい事があった。けれど、彼女にとって聞きたい事はそう多くない。

 たった一つの事だった。声の無い自分に、それをどうやって質問しようかと悩んでいると、バフォメットが苦笑したような雰囲気で話し出す。


『なるほど、彼が心配かね』


 彼女は頷いた。


『彼はヘルメスの選んだ子だね。彼はまだ生きているから安心するといい。まあ、少し無理をし過ぎたみたいだね。気にすることはない、彼ならなんとかやっていけるさ。……今はまだね』


 何かを含んだ物言いに、彼女の不安は大きくなる。

 その様子が面白かったのか、バフォメットはくつくつと笑って彼女に指を向ける。


『話せないのは不便だろう。どれ、話せるようにしてやるからじっとしているがいい』


 言うと、バフォメットの指先に不思議な模様の光が輝き、パチッという音がしたかと思うと消えてしまった。


『どうだい? 少し話してみなさい』


『わた、し、は、リリィ』


『そうか、今はそう名乗っているのか。よろしく、リリィ』


『教え、て、ください、彼、は、どうなります、か』


 そう問いかけると、バフォメットは面白いものを見るような目で彼女を見つめ、やがて口を開いた。


『私も未来が見えるわけではないのだよ。それに、先ほども言ったが、彼はヘルメスが選んだ子だ。助けるとしたら私ではなく彼女だ。ヘルメスとは今、意見の相違で争っていてね、あまり勝手な事はできないのだよ。すまないね』


 言いながら、バフォメットは手にしている杖の先を撫でるようにし、続けた。


『今話したいのは、君の話なんだよ、リリィ。君は少し特別な存在でね。このままヘルメスに委ねるよりは、私の方が君の力になれると思ってここに連れてきたのさ』


『私、は。死んだ、の、ですか?』


『そうだね。といって、君はもう随分昔に死んでいる。そして彼が君の欠片に魔法をかけた。興味深いのは、彼が行ったそれは、不完全だが転生に近いものだったのだ。だから君には知性と自我があり、ここに来ることができた。とはいっても、元のメリア・ランスロットのままではなく、不完全な形で転生した、つまり今は、リリィと名乗る存在なのだけれどね』


 彼女には、言っている事があまり理解できなかった。話の中で人名が出てきたが、それが自分と何の関係があるのかもわからない。

 彼女が脳内で疑問符の山を築いていると、バフォメットは身を乗り出し、こう囁いた。


『君、転生してみないかい?』

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