バジリスク
虫太
バジリスク
海水浴客でにぎわうイングランド南東部のある浜辺からバスで15分ほどの場所に、その記念館はあるはずだった。バス停で降りたのは私と夫の2人だけ。両側から伸びた夏の木々の枝に埋もれそうな車一台通れるくらいの細い道をしばらく上ると、石積みの壁に囲まれた石積みの家があった。
受付の小窓の向こうにスマホを見ている若者がいて片手で入場券を売ってくれた。中には猫車とピッケル、部屋の中央の大きな机、説明書と展示品の入ったガラスケースが並ぶ。私たちの他にもう一組、探索していて迷い込んだような観光客カップルがいて、展示物を前に小声で話していた。困惑気味の声だ。それもそうだろう。私はもっていた籠をどこかに預けられないかしばらく見渡したが、けっきょく夫が抱えたまま観覧することにした。
エドワード・ドーマンは19世紀初頭の技師で化石採掘員だった。彼の採掘した化石はすべてこの近辺の石灰岩と頁岩から掘り出したままの形であり、当時物議を醸した高名な採掘員のように石膏で補ったり着色したりはしていない。しかし彼は捏造を糾弾され、ロンドン地質学会を除名されている。
彼の妻バーバラの日記の抜粋がパネルに引用されて展示されていた。私はすでに郷土史料館と図書館で同じもののコピーをとっていた。
「…E(エドワード)は仕事から戻るとしばらく暖炉で体を乾かして、また浜辺へと出かけて行った。
先週も新しい化石を見つけたと言って帰ってきたけれど、5年前に魚竜の骨格を見つけたときのようには喜んでいなかった。
最近見つけた物があれとはまったく違っていることに、本人も気づいているのかもしれない。精力的だけれど、どこか心ここにあらずというふうだ。」
ドーマンは、教会の鐘を造る鋳物職人で、この辺りの鐘はほとんどが彼の手になるものだった。彼の同業者の多くは当時、もっと実入りの良い蒸気機関製造の仕事を求めて都会に行ってしまったのに対して、ここに残ったのは彼だけだったのだ。ひとつには教会への信仰心のためだが、化石への執着もあっただろう。学者からの評価は落ち、古生物学資料としては化石を売れなくなっても彼は採掘を続けていた。
「ここまでは本物だね。」
夫が展示物のひとつを指した。それは群生したウミユリの化石で、羽枝の一本一本が海底の水流にそよいでいる様子まで残っている。展示物の端のほうは暗銅色で、そこは
「でも、本当に細かい。」
崩れやすい石灰岩や泥灰岩を、本物の化石と遜色なく彫刻して、たなびくウミユリの群生がなす波をそのまま先へと伝えていた。そしてその構造物の中央にいるのは、爬虫類とも魚類とも似ていない何かの骨格だった。誰も名前を知らない、ドーマンの世界にだけ存在した古生物だ。
学会を追われる前、ドーマンはいちど一般向けの地質学雑誌に取材を受けていた。まだ捏造を疑われる前だ。
「…ですので、魚竜はよく言われているような魚とクロコダイルの間の欠けた輪ではないと私は考えています」と彼はインタビューに答えている。「種が時代を経るごとに変移していくというラマルク氏の説が間違いなのは言うまでもありませんし、あらゆる種間に系統だった中間物が用意されていると期待する理由もありません。魚竜は間違いなく爬虫目とは呼べますが、神の創造は人間の想定するカテゴリーには収まらないものです。その計画の全容は今の人間の先入観では測れません。」
奥の化石展示室には、さらに大きな骨格があった。陸上動物で哺乳類のように見えるが脚が4対ある。これも彼が「発掘」したものだ。技術者ではあるが解剖学の素養がない彼がどうしてここまで真に迫った骨格の形態を再現しえたのか。その独創性とリアリティは称賛に値するが、彼はただ元からあったものを忠実に掘り起こしているつもりだった。彼にとって創造は神の仕事なのだ。
彼のよく通っていた教会の牧師が、彼との対話を手記に残している。
「ドーマン氏は今日も鹿革のズボン、白いシャツに紺のウェストコートだった。昨晩はずっと私の貸した中世の哲学者の本を読みふけっていたらしい。私の出した茶を飲み干すとガーデンテーブルに手をついて、血走った眼で力説した。
『やはり、種というカテゴリーは人間が仮に与えたものに過ぎないんだ。すべては予め神の計画にあったと考えるのが妥当でしょう。』
彼は当代の異端の説には反対らしいが、それに惹かれているような危うさもあった。
『神が創造にあたって未来に現れるすべての種を計画したと言うことだね』と私は促した。何にせよ、興奮を吐き出させてしまうほうがよいと思った。
『すべての種ではなく、すべての個体ですよ。あそこの樺の木も、私も、あなたも。同じ種といってもつがいや子孫になれる程度に似ているだけです。』
『では人間の概念は?神は人間を救うのではないのか?』
『人間であろうとする者が人間なのです。』
その考えは私の気に入った。
『ライエル博士は、神による大地の変革を信じておられないようですが、魚竜がまた現れるかもしれないという彼の考えには賛成です。諸個体はすべてがそれぞれに完成されており、未来に向かって発展していくというのは人間の価値観に過ぎません。現生のトカゲがノアの洪水以前の怪物たちより劣っていると、どうして言えましょうか。しかし、新しい生物はどこからともなく現れるのではなく、現生の生物から産まれるのです』と、彼はさらに持論を展開した。それはもはや異端の変移説と変わらないように思えたので、私はそう指摘した。
『少しずつ変移するのではなく、まったく新しい生物が産まれるのです。そして古い生物は役目を終えます』それはやはり、私には異端に思えた。『ニワトリの卵からバジリスクが産まれるように、ある日突然クジラが新しい巨大イカを産み、獅子が4枚の羽の鳥を産み、アルマジロが燃えるような魚を産むのです。』
私は十字を切った。彼はそれらの新しい生き物を実際に見たことがあるとまで言った。それを産んだ生物は間もなく姿を消すだろう、とも。彼の言うことを信じる者がいなくなったのはもっともだった。」
私はドーマンのスケッチをプリントした本を捲った。
「これだ。」
夫が籠をおいてその写真を撮り、私たちは浜辺に戻った。
子どもたちがすっぽり浮き輪に入って、はしゃぎながら私たちを追い抜いていく。土手には横倒しにした古い書物のような頁岩が露出していて、海のずっと向こうには太古の巨人のような入道雲が林立していた。
私たちは流木に腰かけて、さっき撮った写真を見た。ドーマンが化石から復元して描いた、私の知っている言葉では表現できない生き物のスケッチだ。
「やっぱり、そっくりだね」と夫が言う。
「どうしよっか。」
私は揺り籠にかけた花柄の布をそっとめくって中を覗いた。
「どうもしないよ。君が産んだ子は僕たちの子だ。育てるだけだよ。」
バジリスク 虫太 @Ottimomisita
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