第4話 倒しても倒しても終わらないもの


 ――倒しても、倒しても終わらない。


 マリアローズは、泣きたくなる気分を通り越し、最早無心で万年筆を走らせている。右の山がマリアローズが終えた仕事の山。左の山がマリアローズに与えられた仕事の山だ。


「おい、まだ終わらないのか? そろそろ打ち合わせに入るぞ!」

「どうして私が!」

「筆記係が欲しいんだ!」

「文官に頼んでくださいませ!」

「王家の機密事項を一般の文官に聞かせるわけには行かないだろうが!」

「だったらご自分でメモをなさってはいかが!?」

「そうする暇がないから言っているに決まっているだろう。そんな事も理解出来ないのか?」

「はぁ!? それが人にものを頼む態度なの!?」

「――これは失礼した。麗しき皇太后陛下。その白魚のような手で書きとめて下さいませんか?」


 嫌みったらしく言い直されて、マリアローズは尖らせた唇に限界まで力を込めた。苛立ちから右の頬がピクピクと動く。眉間に皺を寄せたマリアローズは、万年筆で今しがた文字を綴っていた書類を終えると立ち上がった。


「わかりましたわ。私のこの美しい手を酷使致しますわ!」

「ペンだこが目立つから、もう少し労りつつ、持ち方に気をつけたらどうだ?」

「うるさいわね! 貴方がやらせているんじゃなくて?」

「行くぞ」


 こうして二人は、ハロルド陛下の執務室を、二人で並んで後にした。


 向かった先は、王宮の上部にある塔の一つで、ここには王族と限られた政務官しか入る事は許されない。その筆頭は、宰相閣下だ。本日の会談相手もまた、シュテルネン宰相閣下である。宰相にしては非常に若く、まだ四十代半ばだ。ハロルド陛下ほどではないが美丈夫なので、マリアローズは眺めている分には好感を持つ。だが、何故なのかマリアローズの周囲の男性陣は、顔は良いのに中身が最悪だ。


「遅くなったな、宰相閣下」


 扉を開けるなり、ハロルド陛下がそう告げた。王宮における政敵の一掃と混乱の制圧以来、二人は盟友のようで、ハロルド陛下はマリアローズの前と同じように、宰相閣下には本音で話をする。確かに、こんな姿は、一般の文官には見せられないだろう。評判ががた落ちするのは明らかだ。人格者という上辺、性格が良いという噂が、全部法螺話だと露見してしまうのだから。国民の前で手を振るときに、笑顔の信憑性が下落する事は間違いない。


「ああ、非常に待った。だが書類が進んだ」


 さて、会談相手の宰相閣下は、ここでも仕事をしていた。仮にも仕える主の国王陛下が入室してきたというのに、座ったまま書類から一切顔を上げない。


「陛下、先に別件を話してもよいですかな?」

「なんだ? 手短に頼むぞ」

「魔石の産出状況なのですが、我輩の試算によると、次の冬の暖を取るための魔石が足りないのです」

「理由は? 昨年までは、問題が無かったはずだが?」

「それがまだ分からないのです。至急調査が必要だと考えられます」

「そうか。では、よきように取り計らってくれ」

「ええ。ハロルド陛下、お願い致します。いやぁ民のために御自ら調査に当たられるとは、なんと心優しき模範たる国王だ。お仕えできて感無量でございます」


 やっと顔をあげてにこやかに笑った宰相閣下を見て、ハロルド陛下が派手に咽せた。それから彼は、マリアローズをチラリと見る。マリアローズは知らんぷりをした。


「さて、本題でございますが」

「……ああ。確か、俺達人間以外の種族からの、他種族からの嘆願書があったのだったな?」


 ハロルド陛下がつかつかと歩いて、宰相閣下の正面にある長椅子に、窓際につめて座る。

 マリアローズはハロルド陛下の隣の、扉側の位置に腰を下ろした。


「ええ、由々しき自体です。現在は隣国や属国との関係は落ち着いておりますし、王宮内も今は我輩が統制しているとはいえ、国内の全てに目が行き届いているとは言いがたい状況下です。そんな中での、嘆願書となります」

「一体、どの種族が?」

「ドワーフですな」

「それで、なんと?」

「こちらの嘆願書をご覧頂きたい」


 宰相閣下は、ハロルド陛下の前に羊皮紙を差し出した。マリアローズも覗き込む。


 ――『これ以上、パラセレネ王国に留まる事は困難だと述べる者が多い』という内容、書かれている。ハロルド陛下を一瞥したマリアローズは、彼の険しい表情を見て取る。


「こちらの理由はなんだ?」

「それが……ドワーフは元々仲間同士の絆が非常に固い種族だと我輩は浅薄ながら認識しておるのですが、二派閥に分裂しているとの事で、今回は片側からの嘆願書でした」

「何故分裂など?」

「仔細は全く分かりません」

「そうか。では調査を頼む」

「ええ。これに関しては、宰相府でも全力を挙げて、調査に当たります。その方策としてまずは――」


 そこから宰相閣下が語りだし、ハロルド陛下と激論を交わしはじめた。確かにこの速度で話し合っていれば、メモを取る時間は無いだろうと判断し、マリアローズは必死に万年筆を動かしてメモを取る。彼女の特技の一つは、達筆である事かもしれない。


 本来、本当にこれらは、マリアローズの仕事ではない。

 だが、今の王宮はまだ、唐突な即位による混乱と人手不足が深刻である以上、仕事が山積みで誰かがやらなければならないので、己も尽力しなければならないと、根が真面目な彼女は、結局は自発的に手伝っている。


 それが一段落した時の事だった。


「ああ、それとハロルド陛下。お耳に入れたいことがございます。ハロルド陛下だけに」


 宰相閣下が、マリアローズに視線を流す。こういう事はままある。

 心得たとばかりに、素直にマリアローズは立ち上がる。


「扉の外で待っていろ」

「……ええ」


 ハロルド陛下に命令されて心の中ではイラッとしたが、話の腰を折っても悪いと考えて、嘆息してからマリアローズは部屋を出た。


 扉の前から少し離れた位置へと移動し、マリアローズは窓の前に立つ。

 白い鳥が飛んでいた。マリアローズは白い鳥が好きだ。とてもとても小さな頃にも見た覚えがある。別の鳥だったかもしれないが、色だけは覚えている。故郷の鳥と同じ色だ。


 それを眺めていると、少ししてハロルド陛下が部屋から出てきた。


「もうよいのですか?」

「ああ。行くぞ」

「命令しないでくださる?」

「人が折角、護衛の一人もつけない皇太后陛下に伴ってやると言っているのに」

「はぁ? 貴方だって近衛騎士を置いてきているじゃないの」

「あのなぁ。俺は腕に自信がある」

「……ああ、そうでしたね」


 マリアローズは、歩き出したハロルド陛下の隣を進みながら思い出した。ハロルド陛下は、王都で毎年開催される剣術大会で過去に三度、体術大会で過去に二度、優勝した事があるそうだ。後宮にいた頃に、前国王陛下が自慢げに語っていた事を思い出す。本当に武力には自信がある様子だ。


 こうしてこの日の午前中の仕事は終えた。

 しかしマリアローズには、午後に予定がある。

 執務室の前まで行ったところで、マリアローズはハロルド陛下を見上げた。ハロルド陛下は長身なので、どうしても見おろされる形になる。マリアローズも女性にしては高い方なのだが、埋められない身長差なのは確かだ。


「ありがとうございました、護衛をしていただき。私、午後はお茶会を主催しますので、これにて失礼致します」

「そうか。あの姦しい貴族令嬢や貴族夫人を招いての馬鹿げた蜚語を流すくだらない場の主催か、大変だな。何時からだ?」

「三時からですけれど。あの……これも皇太后としての、大切なお仕事ですの。貴族女性との人脈作りは、後宮の妃の務め! 何故お分かりにならないの?」

「知りたくもない。廃止してもいいんじゃないか?」

「……できるものならそうするわよ。もういいです。行って参ります」


 そう告げて、マリアローズはその場を後にした。




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