先生。
森猫この葉
第1話 夏。
蝉の声が響き渡る夏のこと。
大きな街からごとごとと、電車に揺られて小一時間。駅前にはのどかな田んぼが広がり、視界を遮るのは遠くの山なみ。夜になると街灯もなく真っ暗で、虫の声が響く田舎まち。
てくてくと、しばらく歩くとぽつぽつと小さな商店や、顔馴染みしか来ないような食堂があって。
ごとり。小夜は町内にひとつだけある自動販売機で、ミルクティーを買った。ミルクティーのボトルは汗をかいていて、照りつける暑さに小夜は勢いよく飲む。
本当は、市販の甘すぎるミルクティーはすこし苦手で。喫茶店で入れた、しっかりとミルクの風味のするミルクティが飲みたいのだけど。
(今日は喫茶黒猫はお休みだし)
小夜は図書館の横にある本格的な喫茶店を思い起こした。
そうだ、図書館、行かなきゃ。
読みたい本があるのだ。
昨日読んでいた本に紹介されていた、ちょっと古い本。スマホで検索したら図書館に所蔵があるようだった。書店で取り寄せると数週間かかるだろうし。今、読みたいのだ。
学生鞄を持ち直して、小夜は行き先を変えてまた歩き始めた。
小夜の通う高校は、ここから電車で数十分ほど行った街にある。朝5時に起きてお弁当を作って駅まで歩き、日が暮れる頃に家に着く。そんな生活を送っていた。
今日は久しぶりの午前授業で、日中に帰ることができたのだ。
てくてくと、歩く。
(なんにもない、まちだなぁ)
しみじみと穏やかなまちなみを眺めた。
図書館は、山際にあった。まるで山の木にのまれそうな建物の壁は蔦が這い、庭は緑に覆われ、屋根の上には木の葉が落ちていた。
ぎぃ、と音を立てる大きな扉を開け、木造の廊下を歩く。風情のある時計がかちこちと音を立てていた。図書館の閲覧室は学校の教室くらいの大きさだ。
さらさらと、図書館の横を流れる小川の音が聞こえた。
大きく開いた窓から風が吹き込む。ざざ、と木々の葉が鳴った。
受付の女性のところで何冊か本を返す手続きをして、それから目的の書棚は小夜は向かった。
(ええと、このあたり……あ、あった!)
手を伸ばす。
と、同時に同じ棚の前に立っていた人がその背表紙に手をかけた。
「あ」
(え、ちょっと待って)
「あれ?」
その青年も、気づいたように小夜を振り返る。
「困ったな、この本借りたい?」
小夜は恥ずかしさを忘れてこくんと頷いた。
この本のために暑い中歩いてきたのだ。涙目になっていたかもしれない。
「そっか。うーん、僕も読みたいんだけど……困ったなー」
青年は頭をかいて宙を見上げた。
「うん。じゃあ、君が先に読めばいいよ。僕は予約する」
「え、でも」
小夜は焦った。
「本との出会いは一期一会だよ。その本はいま君に読まれたがっているんだ。僕は近くに住んでいるから、いつでもここにこれるからね」
青年はにっこり笑った。他意はなさそうで、甘えてもいいのだろうか。
「……ありがとうございます!」
小夜はおそるおそる本を手に取った。
「急いで読みますね。予約、しててくださいね」
「うん。じゃあ、楽しんでね」
小夜は巡ってきた本を抱えて感動で頷いた。
ページをめくる手ももどかしく、小夜は夢中で読んだ。
こんなに読書に集中したことはなかったかもしれない。そのおかげか、これまで読んだどんな本より濃く面白く感じた。
この想いを、語りたい。
衝動が小夜を突き動かす。
小夜は勢いのままに手紙をしたため、封をした。
でも。
どうやって渡そうか。
本をぱらぱらめくる。
本の裏表紙に、かつては目録か貸出管理カードが入っていたのであろう紙製のポケットがあった。中身は空だ。
本当はよくないことだけど。
ここに、入れたら次に借りるであろう彼は気づいてくれるだろうか。図書館員さんに気づかれて捨てられるかも。それでもいい。でも。
小夜はぐっと拳を握りしめた。
あの人に、お礼を言いたい。
どきどきしながら、手紙をそのポケットに忍ばせた。閉じた時に違和感を感じないように、よく見たら見えるように、細心の気を遣った。
次の日、全く勉強していなかったテストの記憶を忘れるように小夜は図書館へ向かい、本を返却した。
そのまま、1週間がすぎた。
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