愛にあふれし家の表裏

第16話 某園移転と里子の成長

 1981年の5月下旬、ついに某園は移転しました。移転先は岡山市東部の丘の上。移動したのは、土曜日でした。

 あの日は朝学校に行ってお別れ会、それから戻って昼食をとって、あとはひたすら公用車を使って子どもたちを新しい場所に送って、それから荷物もその前後にひたすら送り倒して、何とか、土日で移転しました。

 移転するのはいいが、その後も、子どもらを集めてはひたすらひたすら集会よろしく注意事項を延々と、ときたものです。泣けてくるわ。


 泣けてきただけならいいが、この後がもう無茶苦茶。学校に行けば、私のいた学年だけ、某園の子を同じクラスにまとめて入れてくれました。5クラスのうち3クラスは中堅2人と若手1人の女性、もう1クラスは新婚の若手の男性、それからもう一クラスが、年配の男性の教師が担任。そのうちの、ベテランの男性のクラスに私らは全部回されました。その後、男子児童がもう一人某園に来てね、その子も私らと同じクラスに回されました。前の学校ではもちろんそんなことはなかったし、その他の学年もそんなことはないし、中学校でもそんなことはなかった。だけどあの年のあの学年だけ、そんな形で受け入れられました。


 今思えば、あれから10カ月は黒歴史ですよ、私にとって。だからもう、その時期のことは話しません。

 もっと言えば、あれから7年弱、正確にはおおむね6年10か月少々のあの時期に過ごしたあの地域だけは、死んでも住みたくないね。

 そらあんた、そうでしょう。あの連中の与えようとしたものに良いものなどあるはずもない。坊主憎けりゃ袈裟まで、みたいではあるが、その地域自体とも私は結局馴染むことなく、大学合格と同時に去っていきましたからね。


 なぜ私がそこまで怒ったのか。あの無能職員には今もってわかりやすまいと思っている。その職員さんは、某園の近くに家を買って今もお住まいだが、ああいう人物には、さぞかし地上の楽園、自らの人生が開ける新天地と思えたのでしょうよ。まあおめでたいこっちゃなとだけ、申し上げておきますわ。

 丘の上と言ったら聞こえはいいが小高い山の上なんか、およそ人間の住むところじゃねえと今さらながら毒づきたくもなりますけど、そこまで言う私、当時の経験のトラウマがよほど今に至るまで染みついているのでしょう。


 それはともかく、その年の夏と冬には、やはり4泊5日で増本さん宅に泊りに行くことができました。

 これは、私には大いに助かりました。

 それまでは有象無象の集団の中で暮らさせられていたものの、一歩外に出れば実に環境の良い文教地区でしたからね。まだよかった。それが一転、郊外の田舎っ気が抜けきらない場所に強制移住させられてね。たまったものじゃなかった。一歩外に出るも、丘の上という美名の下の山の中だぜ。外に出るのも一苦労だ。

 まあ、郊外生活なんてそんなものではないかという方もおいででしょうけど、あれでわし、鉄道もバスもない郊外、まして丘の上なんか死んでも住むものじゃねえと思った。それは今も一緒や。


 それでも、増本さん宅に行けばそれまでいた地域に戻って来られることになるでしょうが。あれは、助かった。

 これまでは駆け込み寺なんて感覚はなかったけど、あの移転以降の夏と冬は、この駆け込み寺ともいうべき家に逃がしてもらえるってことに相成った。

 裏の子だけじゃなく、その気になれば前の学校の友人とも会えなくはない場所だ。もっとも、夏と冬の盆正月の時期だから、そうたやすく遊びに行けるなんてことはなかったけどね。無論、裏の住職さんのお孫さんたちとはそれまで通り、あの善明寺のお寺の横の広場で遊んでいたよ。


 言うならあの移転以降、私にとっては増本さん宅という場所は有象無象の集団に加えて住み心地の良くない地域から抜け出せる「駆け込み寺」の様相を呈したと言えるでしょう。その駆け込み寺の恩恵は、確かにありました。


 そうこうしているうちに、中学に上がりました。

 今度は自転車で7キロも先の学校に通うのよ。それまで自転車に乗れなかった私、卒業式後に某園から公道に出るまでの少し緩い坂を利用してバランスをとる練習を繰り返して、それでさほど苦なく乗れるようになりました。

 この自転車というツールは、私にとってまたとないチャンスをくれました。

 これさえあれば、街中まで出られます。前いたあの地域なら、30分程度もあれば行けます。世にもありがたいツールだ。ついでにこれに乗って走り回れば、体力も維持増強できます。運動部にいやいや入って詰まらん練習なんぞしておるヒマなどないわ。これでひたすら、自らのためになすべきことを、自らの足を使って確実に得ていける。

 それで、自転車だけど、私の場合もう消耗品でね、最初の自転車は2年でつぶしました。それからいくつも代えていって今に至ります。大学を出てもしばらくの間はかなり長距離の自転車通勤をしていましたが、自営に入ってからは早朝距離を乗らなくても済むようにだんだんなっていきましてね。

 今でもある程度距離を走ることはありますけど、今はできる限り乗らないで済むようにシフトチェンジをしつつあるところです。

 大体、酒も飲みますからね(苦笑)。


 自転車という手段を得て自らの道をさらに効率良く得ていけるようになった私ですが、自己が確立し始めると、増本さんとの関係性も微妙に、しかし明らかに引き返せないところへと進み始めたのです。

 小学生の頃ならまだかわいらしいボクチャンで、まあ今でもかわいらしいボクチャンだと自分では思っておりますけれども(爆笑)、


~ 「自称かわいらしいボクチャン発見、実はいい年のおっさん」~メルさん談


ま、冗談はそこまでで、だんだんと自らのために必死に生きる少年へとなっていくにしたがってね、明らかな変化が起き始めました。


 春先はもう、仕方ない。学校のある地域まであまりの距離があるから通学なんて無理だし、春のサプライズなんてやっていられなくなりました。別にぼくも、そんなことで残念がったりもしませんでしたね。

 なんせ、自分のやりたいこと、やるべきことがね、もうはっきりとできてきたわけですから。何もお仕着せなんかされなくてもやれるだけの力は日を追うごとについてきた時期ですから、それも無理はないでしょう。

 帰るときに寂しがるなんてことも、すでに過去のものになりました。


 中学生になっても、夏と冬には、増本さん宅に行っていました。ここから先は短縮も延長もなく、行くとなれば4泊5日が定番でした。


 裏の子たちと最後に遊んだのは、いつだろう。

 中1の冬か、もしくは中2の夏くらいまでじゃなかったかな。中学生にもなってくれば、自分のやりたいことをやれるようになるでしょ。

 夏はともかくとして冬についてはね、中1と中2のあの時期は、まだ大晦日と正月を挟んでの短期里親でした。

 その家で最後に正月を迎えたのは私が中2の年ですね。1984年、昭和59年でした。その後、私はその家に泊って正月を迎えたことはありません。

 高校生の3年間は、夏はまあともかくとして、冬は正月を越したあたりから4泊5日で泊りに行っていました。なぜそうなったかはわからんが、先方にもいろいろあったのでしょう。私のほうも、別に正月にそちらに行きたいというほどの気持ちもなくなりこそしないが、かなり冷めてきていましたから。

 中学生になった頃からのあの家の記憶は、楽しい我が家的な感じではなくなっていきました。悪い意味ばかりじゃないよ。いい意味でもそうなっていった。

 この泊り期間でどうのこうのという記憶は、そこから先はもうあまりない。

 ただし、いつだったかはともかくとして、こんなことがあったという断片的なエピソードはあります。


 この後しばらく、時系列から少し離れた形で話していきますね。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 そこまで話して、作家氏は目の前の珈琲を飲んだ。

「せーくんの話が、昨日と明らかに変わったわね。夕方までの昼過ぎではなくて朝早いうちだからというだけでは説明のつかない何かを感じる」

「そうかぁ。メル姉も何か感じるって?」

 少し間を置いて、作家氏が述べる。

「うん。今一言この後のことを言うとね、ぼくには、この増本さん宅のような場所には死んでも住みたくないという気持ちが、成長するにしたがって頭をもたげてきたように思えてならんの。その主たる原因がどこにあるかは、今もって明白だ。あの家の母親に、その元凶があったと総括せねばならん。それはぼくだけじゃなく、あの家の息子さんや娘さん、さらには裏に住む辻田さん宅の人たちも、何かぼくと同じようなものを彼女に対して感じていたのかもしれない」

「その何か、っていうのが何なのかしらね?」

「そこを明らかにしていきたいが、それにはまず、あの頃のぼくと母親の関係性について、そこにまつわるエピソードを丁寧に検証してみる必要がある。明らかにぼくは中学入学を境に彼女から「親離れ」しつつあった。これだけは言える」


 青い目の女性は、目の前の珈琲をすすった後、パソコンの動画ボタンをクリックした。作家氏のほうも、珈琲をすすっている。

「じゃあ、せーくん、辛いと思うけど頑張って」

 彼女にしては意外な言葉が、作家氏にかけられた。

「わかった。メル姉。何とか頑張ってみるよ」

 実はこのやり取り、なぜか録画されている。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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