23.タラサンは働きたくない
「速度を落とせ。そろそろ馬を休ませる必要がある」
トリダンシアを脱出してから3時間ほど街道を進んだところで、ティコとタラサンに声をかけた。
「そうですね。僕たちも休息が必要です」
ティコがうなずいた。「もうここは王領なので、シャコガイ家の兵士は追って来ないと思います。夜が明けるまでどこかで休みましょう」
「賛成です。今日は久しぶりに働いたので疲れました。野宿ではなく、屋根のあるところで休みたいです。それと寝る前に一杯やりたい気分です」
タラサンは俺の前でも遠慮がないな。
だが嫌な気はしない。俺はこの風変わりな女のことを気に入っているようだ。
「わかった。もう少し進めば宿駅があるはずだ」
街道沿いには一定間隔ごとに、宿泊や馬の交換ができる施設がある。
しばらくして宿駅にたどり着いた俺たちは、身分を隠して一般人用の宿屋に泊まることにした。
今日はさすがに疲れた。
シャコガイ家の謀反について対処せねばならないが、それを考えるのは夜が明けてからでもいいだろう。
厩舎で馬を預けてから、年季の入った扉を開けて宿屋に入った。
「男2人と女1人ですが、部屋は1つでいいです」
ティコがカウンターにいる親父に声をかけた。
「あいよ。食事はどうする?」
「お酒とつまみを用意してほしいんですが――」
受付を終えると、ティコが親父から鍵を受け取る。
それから階段で3階に移動し、指定された客室に入った。
意外に大きな部屋だ。3つあるベッドはどれもきれいに整えられている。地下牢の
「私と殿下は同じベッドで構いません」
「3つベッドがあるのに、なんで一緒に寝る必要があるんだ」
「そうですか、残念です」
タラサンは表情が変わらないので、本気か冗談かわからない。
酒とつまみは部屋に運んでもらった。
俺とタラサンは白ワイン、ティコは薄めたエールだ。タラサンは俺より2つ年上の19歳らしい。
3人で丸いテーブルを囲んで座った。乾杯をしようと思ったが、タラサンは既に飲み始めていた。俺も手酌で飲むことにしよう。
「タラサンさんはこれからどうするつもりですか? 家族が心配してるでしょう」
チーズの盛り合わせの皿に手をのばしながら、ティコがたずねた。
「私は勘当されたので、帰る家はありません」
「勘当された?」
「勉強もせず働きもせず家でごろごろしていたら、父に『たまには人の役に立ってこい』と言われて追い出されました。
その時は言われた通りに働いたので許してもらえたのですが、また家に帰って遊び暮らす生活に戻ると、今度は勘当されてしまったのです。ひどい話ですよね」
「はあ」
「家を出た私は、ずっと憧れていた隠者になることにしました」
「ああ、それは素晴らしいですね」
「隠者になると宣言すれば、敬虔なドロン教信者が支援者になってくれます。支援者たちは私のために、人里離れた山奥に小屋を建ててくれました。食料も届けてくれることになりました。これで一生働かずに暮らせると思ったのですが、ぼんやりとした人恋しさに悩まされて、結局2か月で隠者をやめました」
なかなかおもしろい人生を送っているな。
「それで人里に下りてきたのですが、そうなると自分で食い扶持を稼ぐ必要があります。楽な仕事はないかと探していたら、シャコガイ家が若い女を募集していることを知りました」
「10人の女を並べて、客に対してどの女が好みかと聞いてくるやつだな。君はその10人の中に入ったのか」
「はい」
「実につまらない仕事ですね」
ティコは呆れている。
「でも条件はよかったのです。住み込みで3食付きで、きれいな服まで用意してもらえました。見てください、このドレスを」
タラサンは立ち上がり、その場でくるっと回って見せた。ドレスは青を基調としたデザインで、白い花柄の刺繍がちりばめられている。
「だが、血がついてるぞ」
外にいた時は暗いので気付かなかったが、ドレスは兵士を刺し殺した返り血で赤く染まっていた。
「ああ、なんということでしょう」
タラサンは大仰に嘆いた。表情が豊かでよくしゃべるようになったのは、酒のせいかもしれない。
「この血はきっと洗っても取れません。お気に入りの服だったのに。というよりこの服しか持ってないのに」
「服なら後で買ってやる。助けてもらったお礼もしないとならないしな」
「ありがとうございます。私はこう見えて、かわいい服が好きです」
「あ、そう」
「話を戻しますと、私はその仕事に不満はありませんでした。仕事の内容は客の酌をして、客がその気になれば寝所を共にすることでした。でも私を選ぶ客なんていないので、実質何もしなくてよかったのです」
「でもアクセル様が選んじゃったんですね」
「驚きましたが、殿下は私好みの男性だったので、嬉しくて叫びそうになりました」
まったく嬉しそうには見えなかったが。
「でも残念ながら、殿下は私に手をつけずに帰ってしまいました」
「そんな発想はなかったんだ」
「それでタラサンさんは楽な仕事を失ったわけですが、これからどうするつもりなんですか?」
ティコが再び問いかけた。
「これからは働かずに暮らしたいものです」
「そういうわけにはいかないでしょう。隠者ならともかく、人と交わりながら暮らすなら働かなきゃなりません」
「なぜですか?」
「なぜって……社会の恩恵を受けて生活するなら、働くのが義務ですよ」
「昔はそんな義務はありませんでした。古代の哲学者は働かずに、ずっとこの世の真理について考えていましたが、人々からは尊敬されていたのですよ」
「古代の哲学者が働かずに思索にふけっていられたのは、奴隷が代わりに働いてくれたからだ。今は奴隷制度がなくなったから、そういうわけにはいかない」
俺がそう指摘すると、タラサンはうっすらと笑みを浮かべた。彼女の笑顔を見たのは初めてだ。
「たしかに奴隷はいなくなりました。ですが現在は家畜がいます。労働は家畜に任せておけばいいのです」
「家畜? 馬や牛のことか?」
「違います。働いている人間のことです」
人間を家畜呼ばわりとはひどい。
「人間は自分の意志で自分のために働いてるんだ。家畜のわけがないだろう」
「殿下は奴隷と家畜の違いは何か、お分かりですか?」
「奴隷は人間で、家畜は動物だ」
「実はそうとも限りません。人間も動物の一種であるからには、家畜になり得るのです。奴隷と家畜は、自由を奪われて主人のために働いていることでは同じですが、決定的な違いがあります」
「なんだ?」
「奴隷は自分が奴隷であることを自覚していますが、家畜は自分が家畜であることに気付いていないのです。
労働が義務などというのは、為政者にとって都合のいい理屈です。それを疑いもなく受け入れ、働いて税を納め続けている人間は、従順な馬や牛と変わりません。彼らは自分が国家の家畜であることに気付いていないのです」
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