第19話 日本からハイリゲンシュタットへ
親愛なるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン様
こんな手紙を出しても貴方に届くわけがないし、もう亡くなっている貴方が僕の叫びをその記憶に
しかし貴方が曲を作らざるを得ないように、僕も手紙を書かざるを得ないのです。それは自然的な力のせいなのか、人間の持つ感情のせいなのか、どんな人にでも備わっている力のせいなのかはわかりません。
貴方に託します、ベートーヴェン様。貴方の紡ぐ調べは純粋で一点の曇りもない。僕の吐く真実を貴方になら任せられる。そう思ったので手紙を書いております。
僕は
僕は日本に生まれました。日本国がピアノの鍵盤だとすれば僕はドとドの#の間のような存在です。1億2000万の音の1つ。ピアノの1オクターブが7つの白鍵と5つの黒鍵で成り立っているのならば、それに成り損ねた音が僕という人間です。現代のフルサイズのピアノの鍵盤数は7オクターブ+3鍵であり、僕はそこにも入ることができません。
しかし貴方の手にかかれば、僕のようなでき損ないの音でも美しい旋律の一部として活かし、素晴らしい曲を作ることができるでしょう。
現代の日本には貴方のような素晴らしい作曲家はおりません。未来に悲観されるかもしれませんが、僕のように時を越えて貴方の曲に救われている人が何人もおります。作曲をしてくださって本当にありがとうございます。
現代の日本において僕のような音は社会のつま弾きにされ、蔑ろにされ、存在していないように扱われます。
もし運さえあれば、見せつけてやりたい。世の権力者、ディープステートに、思い知らせてやりたい。出来損ないの音を侮るなかれ。生涯忘れることのできない音をお前達の汚れきった鼓膜に刻んでやる。
時々僕は、孤独を感じることがあるんです。でもそれは我々国民を、歪んだ音達を孤立させて弱体化させる奴等の計画なんです。
だけどそんな奴等の計画に盲目的な人達にもわかってほしい。僕は単にコミュニケーションが苦手で、常に他者の目を気にしている、自意識過剰な人間なんです。そこは僕も認めている。だけどそんな僕が敵対心に溢れ、頑固な人間嫌いという烙印を押した人達に言いたい。
僕がそうなった原因を知らないだろう?
僕の心、僕の精神性は子供の頃から変わらずに優しさに満ちています。そして僕は将来、社会へ出て大きな功績を残し、人々の役に立つべきだと考えていました。だけど中学、高校と卒業して僕は気付いてしまったんだ。僕は誰かに必要とされない人物なんじゃないかってことに。そしてとある1人の、1度しか会ったことのない兄弟の死を目の当たりにして、完全に悟ってしまったんです。今まで言葉にするのを恐れて、隠していた言葉。僕は意味のない存在なんです。そしてその想いと焦燥感は日に日に増していくばかりでした。
僕のこの状態は貴方の曲で善くなると思っておりました。しかしこの状態は善くなることはないのです。何故ならディープステートという悪の組織が僕らを支配しているからです。この状態は、社会は、決して善くはならない。僕は貴方の曲をまるでお医者様から処方される薬のようにして貪り尽くすこととなるでしょう。これは健全な音楽との向き合い方ではないのです。寧ろその事がさらに僕を苦しめてくるのです。
人生100年と言われる昨今、僕はその5分の1程度で孤独を味わいながら生きていかなければならなくなりました。
時には、その孤独を乗り越え、外へ出て行きたいと思いましたが、その都度、他者との距離感と劣等感が押し寄せ、内に引きこもる辛さよりも、更に痛い想いをしなければならなくなるのです。
僕はその人々に対して、煌めく音達に対して言いたかった。僕はコミュニケーションがよくわからないんです、どうしたら貴方達が喜んでくれるのか、それが本当にわからないんです等と、主張することができませんでした。
皆と同じ音でいたい。その音を輝かせる音になりたい。そう主張することこそが皆と僕が明確に違うと告白しているような気持ちになります。だから僕は言うことができなかった。これは僕のせいなのでしょうか?僕の自意識のせいなのでしょうか?
これが僕の本当の気持ちなんです。だからもし僕が皆を避けている姿を目にしてもどうか許してほしい。本当は皆の輪に加わりたい。本当は元気を与え合い、相談をしたり、お互いが心に思っていることを話し合いたいんです。だけどそれができません。仕事として必要最低限のコミュニケーションしかとることしかできない。僕にはそれしか許されていないのです。
そんなことを思いながらも、僕が本当はこういうことを思っていると他者に悟られることもなんだか不安なんです。どうしてなのかわかりません。
この世の全てが不安なんです。現在が、過去が、未来が、不安なのです。
僕がこの不安から来る吐き気に発狂しかけた時、貴方の曲が、芸術が、芸術だけが僕に寄り添ってくれた。
ベートーヴェン様、貴方がいなければ僕はとっくに命を絶っていました。ほんの些細な出来事で最高の状態から最悪な状態へと落ちてしまう。そんな不安定な身体を僕は引きずりながら生きております。
そしてここで貴方に問いたい。貴方は聴力が衰え、絶望の縁に立たされたことは知っております。そして生きることを決断しましたね。何故生きる決断をしたのか、それは貴方が持つ芸術性のおかげです。芸術と向き合い、その天才的なセンスを神から与えられ、その使命を果たすことで生きてこれた。
じゃあ芸術的才能のない人間だったら、貴方はどうしますか?芸術の才能がない人が貴方と同じように絶望の縁に立たされたら?一体どうすれば良いのでしょうか?
その答えを僕は示すつもりです。
この世界は、正しいとされた1オクターブ達が富を独占し、弱者を虐げ、人々の結び付きを薄弱にしております。
教えてください。ベートーヴェン様。ほんの一瞬でも誰かとふれ合っていたい。そんなことは高望みでしょうか?日本には善良な人がたくさんいる筈なんです。でも今の時代、善良とはなんのことでしょうか?正しい音に成ること、正しい音が鳴ることが善良なのでしょうか?
そうして正しい音がわからぬまま、叶わぬ夢を見て一生を終える人たちがいます。
小心者は覇者になり得ない。勝者は決まってインチキでいつも貪欲で暴力的なごろつきどもです。
正直者は馬鹿を見るんです。
それが今の僕です。
ただ嘘のない、優しい社会を望んだだけなんです。高い志を以て。
ディープステートを倒せば、世の中も変わる。僕が変える。
人は功績でのみ名を残す。だからこうせざるを得ないのです。
僕は正しくない音ではない。正しくないのはこの世の中であり、社会であり、正しいと嘘をつく者達なんです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます