飛び火と人々

小狸

短編

 飛んで火にいる夏の虫、という言葉がある。


 燃え盛るところに自ら飛んで行くとは、一体どういう神経なのだろうか。


 というかそもそも虫に神経はあるのだろうか。


 何でも調べてみると、太陽の光の無い夜で、虫は紫外線を認識することができるらしい。紫外線を放出するのは電灯など、そしてそこに集まる習性があるのだそうだ。

 

 習性という言葉で簡単に片づけられてしまった。


 より深くまで調べればもっと理解できるのだろうが、面倒臭くなって途中でやめた。


 どちらかというと人間の方が、それに近いのではないだろうか。


 私の友人に、「嫌いな人間のSNSを見に行く」という趣味のある人間がいる。


 その人間のツイートでの面倒で不幸そうな発言や「いいね欄」や「フォロー欄」を見て、思想が過激になっていることを確認して、安心するのだそうだ。


 安心。


 その言葉が、私にはどうしても理解できなかった。


 何が安心するのだろう。

 

 理解ができなかった。


 それは、わざわざ火に向かって飛んでいくどころか、眼前の火に手を突っ込むようなものである。


 勿論もちろん、人の趣味にあれこれ言う権利は私には無いので、その時は、そうなんだ、すごいね、とだけ言った。


 しかし、この話を職場ですると、案外同意が得られたのである。


 意外な同意であった。


「私も見に行くわ」

 

 という意見が、かなりあった。


 ここまで来ると、意外というか、なんというか、私の方が間違っているのだろうかと思わざるを得ない。


 私は、嫌いなものは極力目に入れたくない、という派である。

 

 ブロック機能やミュート機能をふんだんに使うし、極力そういうものを視界に捉えて自分が不快になりたくないからである。


 どうして――。

 

 どうしてだろう。


 少し、考えてみた。


 安心という言葉から、辿ってみた。


 安心。


 安寧。


 安全。


 そうか。


 これは憶測でしかないけれど、そして堂々巡りになってしまうけれど、人はしたいのではないかと思う。


 


 その人間が、世にある基準、所謂いわゆる「普通」から外れていることを認識し、こう思うのだ。


 ――ああ、この人はちゃんとできていないんだ。


 ――私とは違って。


 


 でも、誰も不快にさせていない。


 誰にも迷惑を掛けていない。


 ただ、己の中での上位下位を、他人を見ることによって定めているだけに過ぎない。

 

 そういう生き方もあるよね、と、目を逸らす私と。


 いつかそうして誰かを見下していると、痛い目を見るぞ、と。

 

 警告する私がいた。


 まあ、誰にも言いもしないし、伝えるつもりもない。


 なのでここで、告白することにした。


 怖い、恐ろしい、酷いと思うと同時に。


 どこかその気持ちが分かるような気がしたのが、とても嫌だった。


 私も。


 その人達と同じ、人間なのだ。




《Like a person to a flame》 is the END.

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飛び火と人々 小狸 @segen_gen

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