純血のカノン

智依四羽

純血の魔王と異世界人

第1話 勇者、敗北

 糸のように細く、弓のように撓る月が、幾多もの星々と共に勇者を見守る。夜空の灯りを遮るような灰色の雲は見えないが、勇者は煌びやかな夜空ではなく、灰色の屋敷を静かに睨む。

 屋敷の扉と門は既に開いており、暗闇から1人の細身な男が姿を現した。男の出現に勇者は怯むことなく、背負っていた銀色の大剣を握った。

 恐らくは屋敷の中から現れたその男は、暗闇でも分かる程に美しい純白の髪を生やし、鎧も纏わず、剣も持たず、一切の戦意を漏らすことなくゆるりと歩む。

 対する勇者は、暗闇に溶ける程の黒髪を生やし、重厚な鎧を纏い、銀一色の大剣を握り、戦意さえ凌駕する殺意を漏らす。

 外見が大きく異なる2人だが、その年齢は殆ど変わらないようで、10代後半か、20代前半くらいだろう。


「その露骨な装いと物騒な大剣……人間の勇者とお見受けする」


 白髪の男は落ち着いた様子で、勇者の目を見つめて言った。


「貴様は魔王の従者か? それとも……魔王軍の幹部か?」


 武器も鎧も装備しない、ただグレーのコートを羽織っただけの白髪に、勇者が尋ねる。


「いや、魔王本人だ」


 白髪の予期せぬ答えに、勇者はその鋭い目を丸くした。しかしその刹那、勇者は歯軋りを起こす程に奥歯を強く噛み締め、前髪の隙間から覗く眉間に深い皺を寄せた。


「貴様のような細身の男が魔王……貴様のような男が、俺達の仲間を殺しているのか……!」

「お前達人間も、そんなに着飾ってまで俺達魔族を殺したいのか?」

「っ! 貴様等魔族が、貴様等魔王軍が! 俺達の仲間を殺したんだろ!」

「勇者にしては無知蒙昧だな。お前達人間が魔族の始祖を殺めたのが全ての始まりだ。お前達人間がが俺達魔族を迫害し、挙句は殺した……故に俺達はお前達人間と敵対している」


 声を荒らげる勇者と、冷静沈着な白髪。改め、魔王。

 装備も、髪色も、立場も、温度も対を成す2人。決して分かり合えない、という考えだけが2人に共通し、2人は論争を終了した。


「会話の時間が勿体無い。幹部の手を穢す前に、俺が直々にお前を殺してやる」


 発言を終えた魔王の背に、突如、身の丈程の純白しろい翼が生えた。神々しささえ感じられるその姿は、最早、この男が魔王ということさえ忘れてしまいそうだった。


「翼……!?」


 勇者は、酷く困惑した。

 抱いた殺意の程度は変わらない。勇者として魔王を殺す為に赴いた事実は変わらない。魔王の住むこの屋敷に辿り着くまでに、共に行動していた仲間が死んでいった現実は変わらない。魔王という巨悪が、魔族という敵が存在するが故に、人類が血にまみれた歴史は変わらない。神に祈りを捧げ、加護を望んだ日々は変わらない。

 しかし、いざ忌々しい魔王と対峙すれば、その姿は祈りを捧げた神の使い、即ち天使に酷似していた。

 決して天使などではない。そのはずなのだが、魔王の姿は人間よりも圧倒的に美しく、伝記や話の中で登場する魔王の印象とは大きく異なっている。


「お前達に殺された部下の無念は、お前の死を以て晴らすものとする。お前を殺し、死なせてしまった部下達への僅かな償いとする」

「……だったら、俺は貴様等に殺された仲間達の意志を背負い、全力を以て貴様を叩き潰す! 今日こそ、雪辱を果たす!」


 勇者は銀色の大剣を両手で構え、改めて魔王を睨む。数多の戦いを生き抜いてきた勇者に、今更敗北するつもりは無い。が、しかし、構えた大剣は僅かに震え、いつの間にか勇者の額には汗が滲んでいた。

 雪辱を果たす。勇者はその言葉で自らを鼓舞するが、魔王は、その言葉の裏に隠れた真の感情を読んだ。

 旅を始めた頃に捨てた筈の、本能的な恐怖。脳は頑なに認めないが、体を形作る細胞の一つ一つが、魔王の放つ神聖な威圧に恐怖を抱いているのだ。


「恐れるくらいなら挑まなければいいものを……相変わらず、人間というものは愚かだな」



 その夜を以て、魔王討伐及び魔王軍殲滅の任務に赴いた勇者一行は全員死亡。任務は失敗に終わった。尚、最低条件であった「魔王軍幹部の1名以上を殺害」さえ達成できず、一行を率いた勇者は絶望のまま死亡した。

 そして勇者の訃報を聞いた人間達は、想定を超える魔王の力を実感すると共に、新たな勇者の育成に尽力した。

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