その十九 追加任務
「掃除に行ってきます」
宮殿でウィルと話した私は、ホウキを持って王城と宮殿の渡り廊下へ向かった。
渡り廊下は屋根と壁で囲まれているが、庭へも出られるように壁のない箇所がいくつかあって、そこから風に乗って砂が入り込んで廊下の壁の隅に溜まる。
私はその砂をホウキで掻き出しながら、これまで起きたことに思いを巡らせた。
ウィルの素性が明らかになり、なんと第一王子様だと判明したこと。
王族への接し方に変えようとしたら、彼にこれまで通りにして欲しいと頼まれて、頬やひたいにキスをされてしまったこと。
私の魔力が持つ時空の特性が、二百年前の王妃様と同じで、そのことが書かれた王族の本が王城の書庫で読めること。
仕事仕事の毎日から、急に変わった出来事ばかりが起こってちっとも現実感がない。
その分だけ冷静に考えられて、高揚する気持ちとは裏腹に、少しずつリアルな現状に考えがおよび始める。
ウィルは第一王子様なのだ。
下位貴族の出身である私からすれば、あまりに身分の離れた縁遠い相手。
でも、そんな凄い身分だと判明しても、これまで通りに接して欲しいと言ってきた。
だから彼とふたりのときはこれまで通り、幼馴染みとして親しく話すつもりでいる。
それでも彼が、第一王子様なのには変わりない。
私と彼には決して縮めることのできない距離、飛び越えることのできない深い谷があるのだ。
私は第一王子様であるウィリアム様に惹かれたのではない。
幼いころから優しく接してくれる、私の気持ちに寄り添って癒してくれる、そんなウィルに心惹かれた。
彼を大切に想う気持ちでいっぱいなのだ。
でも彼は、決して私の手の届く人ではなかった。
それは諦めていたことのはず。
なのに、どうして涙が出てくるの?
彼には、幼いころから婚約者候補がいると聞かされていた。
ウィルは長男で、成人までに婚約して結婚に備えなければならない。
家督を継ぐ者として、義務を果たさなければならない。
でも彼は言っていた。
「家柄や財力で決められた相手との婚約は、望むものではない」と。
「それでは互いに幸せにはなれない」と。
「大好きな人がいる」と。
だから、
「婚約者候補がいても婚約せずにいる」と。
もしもウィルの好きな人が私で、彼と結婚できたなら、私は何度もそう願った。
だけど彼は……第一王子様だった。
もしウィルが私を好きになってくれても、どうしようもないのだ。
身分差があまりにもありすぎて、私の願いは決して成就しないのだと思い知った。
いままで彼のことを諦めずにいたけど、さすがにこれは絶望的だ。
私は周りに誰もいないのをいいことに、遠慮しないで思い切り泣いた。
◇
夕方になり休憩室に戻ると、コレットが明るく笑顔で挨拶してくる。
「マリー様、行ってきますね!」
「灯りを点けに行くのね。頑張って」
なんだか休憩室の雰囲気がいい。
これはジゼル様の機嫌がいいからだろう。
「マリーの仕事に司書官の手伝いも追加します。第一王子様の執事、ロラン・ギャフシャ様から要請がありましたわっ」
「え、私が司書官の手伝いですか⁉」
私へ仕事を指示しているのがジゼル様なので、ロラン様から呼び出されたらしい。
美男子のロラン様と会えたからか彼女の機嫌はかなりよく、この場でくるりとダンスのターンをしそうなほどだ。
「期間限定で明日から来週末まで。毎日午前だけ、マリーに王城の書庫へ行って司書官に従って欲しい、とのことでしたわ」
「はい、承知しました」
私は慎重に、司書官手伝いの話を初めて聞くそぶりでジゼル様へ返事をしたのだけど、首をかしげたのはスザンヌ様の方だった。
「おかしいですわ、ジゼル様」
「何がです? スザンヌ」
ジゼル様は何の疑問も抱いていないようだ。
眉を寄せたスザンヌ様は、上機嫌のジゼル様へ疑問を告げる。
「どうしてマリーが司書官の手伝いなのですか?」
「なんでも、仕事が早いと聞いたとか。ロラン様がおっしゃっていましたわ」
スザンヌ様が不思議に思うのも当然だ。
事情を知らなければ、指名された私だって疑問の人選である。
ところがジゼル様は、私の指名の不思議よりもロラン様の名前を口に出して顔を赤くして照れている。
どうやらロラン様の色香にあてられたようだ。
独身のロラン様は、メイドたちにとって婚約候補として一番人気がある。
裏ではみんなが勝手に下の名前で呼んでいるほどだ。
そんなロラン様に呼び出されて直接話ができたのだから、ジゼル様の浮かれようも納得である。
スザンヌ様は理由を聞いても納得できないのか首をかしげる。
「一体どこからマリーの話が伝わったのでしょうか」
「それよりも、スザンヌ。ロラン様と長くお話しましたのよ。本当に素敵な方でしたわ。彼って独身でしたよね。いまも婚約者はいないのかしら?」
「…………。さあ?」
「凄く気になりますわ! マリー、追加任務です! 書庫の司書官にロラン様のことを聞いてもらえるかしら」
目を細めて冷たく答えるスザンヌ様とは対照的に、ジゼル様は口の前で両手を握って可愛く私にお願いする。
女性の私が見てもキュンとなる態度をとられては、さすがに断れない。
「はい、承知しました」
「頼みましたよ! ロラン様がマリーに司書官の手伝いを頼んだのですもの。司書官はロラン様と繋がりがあるはず。何か知っているかもしれないわ」
実は私、いまもロラン様には婚約者がいないと知っている。
彼は、ウィルが婚約者を決めるまで、自分のことは後回しにすると決めているらしい。
ウィルが「自分の我がままでロランに迷惑をかけている」と言っていた。
「では明日から、午前は王城の書庫へ直行します」
「分かりましたわ。マリー、ロラン様の情報を頼みますわよ」
念押しされた。
普通なら無茶ぶりに頭を悩ますところだけど、裏ルートから情報が入るので、ジゼル様の期待に応えることができる。
金髪で顔立ちの整ったジゼル様は、性格も可愛いのできっとチャンスがあると思う。
私は無理でも彼女には幸せになってもらいたい。
だって、こんなに乙女な目をしているのだから。
ロラン様の情報をジゼル様へ伝えるにしても、書庫の司書官から聞いたことにしないとつじつまが合わない。
まずは明日、司書官と会話して仲良くなろう。
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