その三十五 マチルドの威嚇

 翌朝。

 ジゼル様とふたりで下働きに向かう。

 私とジゼル様は仕事場が違うので、それぞれを女性騎士様が護衛してくれる。


 掃除を終えて休憩室へ行くと、メイド仲間たちが護衛の存在に唖然としていた。

 コレットが目を丸くしている。


「一体どうされたのですか?」


 彼女が質問してくれたので幸いとばかりに事情を説明したけど、みんな戸惑っている。


 私だって異常だと思う。

 でも、ウィルが護衛をつけると聞かないんだから仕方ない。

 私とジゼル様は命を狙われたけど、それは王城裏の塀の外に広がる林の中。

 宮殿や王城、休憩室に危険はないと思う。


 心配してくれるのは嬉しいけど、さすがにちょっとやりすぎな気が……。


 職場に女性騎士様がいる異様な雰囲気の中、今日の仕事をいつも通りに終えて、ジゼル様と宮殿のウィルの部屋へ行く。


 今日の様子を伝えて、犯人の手がかりを得る情報交換をするためだ。

 でもそれより彼は元気な私の顔が見たいと言ってくれたのだけど。


 第一王子様であるウィルの部屋に近づいたところで立ち止まる。

 彼の部屋からあの女性が退室したから。


 綺麗なドレスに身を包み、美しい仕草で扉を閉めるその姿は一度見たら忘れない。

 マチルド様だ。


 彼女の後ろには侍女のエバ様と、なんとスザンヌ様も控えている。


 こちらに気づいたマチルド様は私に刺すような視線を向けると、綺麗な顔を醜くゆがめた。


「あなた、しぶといわね」

「それはどういう意味でしょう」

「なかなか殺せない、ゴキブリのようだという意味です」


 マチルド様は閉じた扇子で私を指して微笑んだ。

 貴族階級の差から言い返せないだろうと、タカをくくっているのだ。


 後ろに控えるエバ様はいつもの無表情だが、スザンヌ様がこちらを見てにやにやする。

 最近スザンヌ様がいなくなると思ったら、マチルド様に取り入っていたのだ。


「スザンヌ、あなたマチルド様と一緒にいたのですわね」


 ジゼル様が話しかけるが、スザンヌ様は視線も合わせずに無視した。

 それを見たマチルド様が口のはしを上げる。


「ジゼル。スザンヌはもうあなたがいらないんだそうよ。ですわよね、スザンヌ」

「はい、マチルド様」


 酷すぎる。

 スザンヌ様が態度を変えたとしても、マチルド様だって何もそんな言い方しなくてもいいのに。

 許せない思いでつい口が開く。


「マチルド様、それはあんまりです!」

「ゴキブリは黙ってなさい」


 この態度と言動。

 やはり殺し屋を手配したのはマチルド様の気がする。


 それでもまだその証拠はなく、彼女を追求することはできない。

 犯罪者扱いしてもし間違っていたら、侮辱罪で投獄されてしまう。


「ゴキブリではありません。彼女は命の恩人です!」


 急にとなりにいたジゼル様が声をあげた。

 普段マチルド様に従順なジゼル様が意見をしたのだ。


「ジゼル? まさか私に意見があるのですか?」

「あ、いえ……」


「ジゼルッ! 意見があるのかと聞いています!」

「す、すみませんっ」


 高圧的な態度にジゼル様が屈する。

 それを見て笑ったマチルド様が、持っていた扇子をジゼル様の顔に投げつけた。


「あ、扇子を開こうとして手が滑りました」

「い、痛い」


 侮辱のために投げつけたのが明白なのに、白々しいことを言う。

 扇子の当たったジゼル様の頬が赤くなった。


「拾いなさい」

「え?」


「落ちた扇子を私に渡すのは、お前の役目でしょう!」

「……はい」


 ジゼル様が悔しそうに扇子を渡す。


 マチルド様は扇子を受け取ると、いやらしく口のはしをあげた。

 一緒になってスザンヌ様も笑っている。

 いくらなんでも感じが悪すぎだ。


(マチルド様の性格がこんなにキツイのは一体なぜ? 帝国から人質として嫁いだ姫様の娘だから? 特殊な立場で育ったのが影響しているの?)


 彼女の生い立ちを考えて、行動を理解しようとしていると、マチルド様はまたもジゼル様の顔に扇子を投げつけたのだ。


「あらあら、また手が滑りました」

「う、うぅ……」


 顔を抑えたジゼル様の瞳に涙がたまる。

 それでも彼女は健気に扇子を拾って、マチルド様へ渡す。

 受け取ったマチルド様は楽しそうにスザンヌ様へ視線を送る。


「ね、愚か者って面白いでしょう」

「はい、とっても」


 人の気持ちを考えない傍若無人な振る舞い。

 純粋なジゼル様は耐えられても、私には到底耐えられなかった。


 片手を胸に当てる。

 時間よ早まれ、と念じて「アート」とつぶやいた。


 私の体が緋色に輝くが、ちょうど廊下の窓から夕日が差し込んで目立たなくなった。


「マチルド様。投げるのならどうぞ私に」

「かばったつもり? じゃあ、お望み通りに!」


 最初から狙いは私だったのか、マチルド様が微笑む。


「マチルド様、この女には手加減無用です」


 スザンヌ様が焚きつけたせいで、マチルド様がさっきよりも大きなフォームで私に扇子を投げつけた。


 時間加速の効果で、私にはゆっくり扇子が飛んでくるように見える。

 余裕で胸に向かって飛んだ扇子を片手で掴めた。

 この近距離で扇子を掴むとは思っていなかったのか、マチルド様とスザンヌ様が口を開けて面食らっている。


 私の後ろにいる女性騎士様ふたりがざわついた。

 横で驚くジゼル様に丁寧に扇子を渡す。


「どうぞ、ジゼル様」

「凄いわ……マリー」


 マチルド様はジゼル様から扇子を受け取ると、私を睨みつけてから一歩近づいてまた扇子を投げた。


 酷い人。

 こんな至近距離で顔に扇子を投げつけるんですから。


 今度は顔に飛んできたが、また片手で扇子を掴む。

 後ろの女性騎士様たちが歓声をあげた。


「凄っ!」

「あれが掴めるなんて!」


 扇子を丁寧にジゼル様に渡してから、にこりとマチルド様へ微笑んでやった。


「こ、この女ッ!」


 声を荒げた彼女は、向きを変える。

 今度はとなりのジゼル様に扇子を投げつけたのだ。


 私は腕をジゼル様の方に伸ばして、顔に当たる寸前で扇子を掴む。

 掴んだ扇子はジゼル様に渡したけど、もうマチルド様はジゼル様から扇子を受け取ろうとしなかった。


「凄い! 凄すぎます! シュバリエ様!」

「さすが、元王国騎士団長のお孫様!」


「抜刀した男ふたりをホウキで撃退したのって、本当なのですね⁉」

「素敵です! 憧れます!」


 女性騎士様たちが、きゃっきゃと歓声をあげた。

 マチルド様は体を震わせて私を睨む。


 ダンッッ!


 床が大きな音を立てた。

 マチルド様がまた、足を上げずにヒールだけ上げて勢いよく踏んだようだ。

 騒いでいた女性騎士様たちが静かになる。


「マリー・シュバリエ! あなたさえ……あなたさえ邪魔しなければ、こんなことにはならなかった!」

「邪魔? 邪魔などした覚えはありませんが」


「とうとうウィリアム様のお気持ちは変わらなかった。すべてあなたのせい。もう待ってもらえない。最悪の手段しか残されていないのよ」

「最悪な手段? それはなんの話ですか?」


 悔しそうなマチルド様がさらに何か言いかけたところで、後ろに控えていたエバ様が急に声を張る。


「マチルド! それは言うな」

「あ、は、はい」


 マチルド様はキツすぎるエバ様の制止に動揺すると、変に丁寧な返事をしてから歩き出した。

 しかし、私たちとすれ違ったところで立ち止まる。


「あなたたち全員、覚えておきなさい。もしもこの国の王都が災厄に見舞われるとしたら、それはすべてマリー・シュバリエのせいですからね」


 彼女は負け惜しみとは思えない物騒なセリフをはくと、エバ様とスザンヌ様を連れて去っていった。

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