その二十四 パワハラとセクハラ
「司書官のジルベール・バローです。書籍の返却をお願いします!」
ふたりで人事部署へ訪れると、ジルベール様が室内に向けて声を発した。
仕事中の官僚たちがいっせいにこちらを向く。
ジルベール様に対する彼らの視線は、嘲笑するものでも卑下するものでもない。
ただ、心配そうに彼を見やっていた。
そこへ腹の出た中年事務官がやってくる。
「ふん、バローか。もう人事部署とは何の関係もないはずだ。貴様にお似合いの司書官に推薦してやっただろうが!」
「そ、それがその……。今日は貸し出し本の返却をお願いに参りまして……」
「何だと? 貴様、まさかこの俺に要求がある訳じゃないよな?」
「いや、要求というか、本の返却を……」
ただ自分たちが本を返却しないだけ。なのに、この中年事務官の態度はなんなのか。
「いいか、バロー。本を本棚ごと借りているのも、すぐ返せないのも、全部お前が悪いんだよ」
「な、なぜです?」
「どの本がどこにあるか、探しにくいからだ」
「そんな理由って……」
筋の通らない主張だが、中年事務官は得意げな顔をしてチッチッチと指を振った。
「返却要請書まで送りつけて正当性を主張するつもりだろうが、そもそも本が探しにくいから本棚ごと借りるハメになっている」
「確かに探しにくいですが……」
「そして、必要な本かどうかは中身を確認しないと分からない。いちいち中身を確認するから時間がかかる」
「本棚全部の本ですし、時間はかかると思います」
「だから返却が遅れているんだ! お前は返せ返せと自分の正当性を主張するばかりで、利用者に配慮していない。書庫や本を利用しやすくする努力をしておらんな」
やはりこの元上司の主張はおかしい。
本の探しやすさや書庫の利便性が悪いからと言って、返却期限を過ぎてもいいとはならない。
もっともらしいことを言って、単にこじつけを通そうとしている。
それでも相手は職責、年齢ともに上。
貴族位は不明だけど、この態度と役職からしてジルベール様より上の貴族かもしれない。
過去にジルベール様とは因縁もあったし……。
なら返却の要求は、理不尽といえるこのこじつけを解決してからにすべきだろう。
「で、では私はこれで……」
ジルベール様があっさり引き下がろうとしたので、私が前へ出る。
こんな理不尽にひるむものですか!
私は下位貴族の孫娘でおまけにメイド。
出世も関係ないから引き下がりはしない!
「私はバロー様の下で働く司書官手伝い、マリー・シュバリエです」
「ん? 格好からして、ただのメイドだろう?」
「メイドですけど、いまは司書官手伝いです!」
私が名乗ると、中年事務官は私の体を上から下までじろじろ見てにやりと笑った。
「さては男を漁るため、バローについてきたか?」
気持ちの悪い下種な笑みを浮かべた。
「違いますっ! では早速利用し易くするので本を返却してください!」
身震いしながらも訴えると、男は首を横に振る。
「だめだ。本はいまも使っている。だが、お嬢ちゃんがここで作業するのは許してやるぞ?」
「私がここで、作業すればいいんですね?」
確認すると中年事務官がゲラゲラと笑った。
「ちょうど職場に女っ気が欲しかったんだ。まずは、お茶でも淹れてもらおうか」
要はこの職場でメイドとして働けということだ。
気色悪い人だけど、仕事をやり遂げるためにはそのくらい大したことじゃない。
「お茶を淹れるくらいかまいません。ジルベール様、やりましょう!」
「ええ⁉ あの、本気ですか⁉ ここで給仕するとか、絶対に嫌な思いをしますよ?」
「大丈夫! 仕事のためです!」
「マリー様がよろしいのでしたら……。では、本の中身を分かり易くするため、内容をざっと確認して、本に要約を付けましょう」
「それではまず、この場で本の中身の確認ですね?」
「貸し出し本は二百冊を超えます。毎日ふたりで作業しても十日はかかるでしょう。ですが、マリー様の任期は今日も入れてもあと五日しかありません」
忘れていた。司書官手伝いは今週末までの期間限定だった。
(こうなったら、仕方がないわ。本気を出すしかないようね!)
私が気合を入れて拳を握ると、中年事務官はそれを見てバカにするような含み笑いを浮かべた。
この男を見ると腹が立つので、視界に入らないようにする。
ジルベール様と使われていない本を集めて、空いている机に積んだ。
「マリー様。目次のある本は多少中身を見れば、すぐ要約を書けそうです」
「ジルベール様。すみませんが、本の内容を把握したらメモを書きますので、それを要約にまとめていただけますか? 私は分かりやすい要約を書ける自信がなくて……」
自分の日記で頭をひねる私に、官僚向けの要約を書くのは難しい。
でも、私にだって読むくらいはできる。
読む方に徹すれば少しは役に立てるはず。
「分かりました。要約は私が書きましょう! そうですね、二部作って一部を本に貼り付け、もう一部を台帳に綴じれば、台帳からも探せるようになります!」
「ジルベール様、それはいいですね! あ、実は私、読むだけならスピードに自信があります。ですから、ジルベール様は、目次のある本だけ担当してください。私は目次のない本の見出しをメモします」
今日はまだ昼まで数時間ある。
早速、全力全開でぶっ飛ばしてやるわ!
私は机に向かうと、目をつむり胸に手を当てる。
「時間よ早まれ。アート!」
たちまち私の体は緋色に輝いて、となりのジルベール様の動きが遅くなった。
少し遅れて彼の驚く様子が見えたが「後で説明します」と伝えて本を手に取る。
全神経を集中してページをめくり、章立てと小見出しを順にメモしていく。
ジルベール様に文章で内容を上手く伝える自信がないので、目次を作って最後に本の結論だけ書いた。
彼がそのメモを見て笑顔でOKサインを出す。
フフフ。
いかに少ない労力で結果を出すか、文章は不得意でも効率的な仕事には自信がある。
「さあ、調子が出てきたわ! あっという間に終わらせてやるんだから!」
意気込んだところで肩に手を掛けられた。
「きゃっ」
触り方に撫でるような気味の悪さを感じて振り返ると、あの中年事務官が後ろに立ってニヤニヤしている。
「さあ、お嬢ちゃん。お茶を淹れておくれ」
そうだった。
こいつの要望にもこたえなきゃダメなんだった。
胸に手を当てて魔法を解除すると、机から離れて急いで茶器を準備する。
幸いにも部屋の薪ストーブで湯を沸かせるので、厨房から湯を持ってこなくていい。
やかんをストーブに載せたところで、お尻に不自然な感触があった。
「きゃあ!」
「ふむ。見た目も結構イイが、尻はさらにイイな!」
あごに手を当てたあの中年事務官が、唇をまくり上げて歯ぐきを見せた。
(いまの何! どういうこと⁉ さ、最悪! お尻を触られたわ! でも、せっかく仕事をこなせるこの状況で、この人の機嫌を損ねて追い出されては困るし……)
恥ずかしさと悔しさで奴をにらむと「恥ずかしがるところがイイ」と言われた。
屈辱でどうにかなりそうになったところで、ジルベール様が立ち上がる。
「マリー様に手を出すのは、おやめください!」
「マリー様? お前ずいぶんこのメイドに馴れ馴れしいな。婚約解消になったと聞いたが、なるほど、もうメイドに手を出したのか」
「違います! そんなことはしません」
「なら、誰が手を出してもいいではないか」
「ダメです! その人に手を出しては! だってその人は――」
「ジルベール様ッ!」
私は貴族子女にはそぐわない大声で彼を制した。
ジルベール様に視線を合わせて首を横に振る。
こいつの機嫌を損ねて私たちがここから追い出されれば、本棚ごと借りられた二百冊を超える本の返却が叶わなくなる。
それにジルベール様が言おうとしたのは、きっと「殿下の特別な人」だと思う。
でも本当はただの幼馴染み。
第一王子様の幼馴染みはそれなりに凄いことだけど、私自身に爵位がある訳でもなんでもない。
ばかな貴族が「私は王様と懇意にしている」と自分からアピールするのと変わらない。
「ほうほう、威勢がいいな。この娘は世の中の仕組みを分かっているようだ。ほれ」
「きゃあ」
直後、またも中年事務官にお尻を触られた。
(もう! どうしてお尻を触るの? みんなの前で恥ずかしすぎるよ。ウィルにすら触られたことはないのに……)
もう触られないように、大急ぎでジルベール様の横に戻って椅子に座る。奴を横目でひとにらみしてから、自分に魔法をかけて作業を再開した。
時間が無いので一分も無駄にできない。お尻の件は悔しいけど気にする余裕なんていないのだ。
それからは連日、お茶の準備やあと片付けで立ち上がるたびにお尻を触られるという、私史上最悪な職場体験をして最後の五日目を迎えた。
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