その九   大量の皿

 朝の掃除を終えて休憩室へ戻ると、不意にジゼル様から手首のことを聞かれる。


「マリー、手首はどうなりましたか?」

「はい、ジゼル様。綺麗に治りました」

「そう。治ったのならいいですけど」


 彼女は少しバツが悪そうに目線をそらす。

 でも答えた声にいく分か、ほっとしたような穏やかさが含まれていた。

 もしかしたら、ジゼル様なりに心配したのかもしれない。


「ありがとうございます。心配してくださって」

「バ、バカなこと言わないで。私は別に……」


 礼を言われてジゼル様が照れたのが分かった。

 その様子を横で見ていたスザンヌ様が、つまらなそうに口元をゆがめる。


「治っているなら、ちょうど仕事があります!」

「スザンヌ、今日の仕事をマリーにさせるのはやめません? その……手首が治ったばかりですし……」


 引け目があるからか、ジゼル様が珍しく優しい。

 いつもは強気なだけに少し意外だ。


「ジゼル様! 彼女は自分で勝手にコレットとの間に入ったのです。何も気にする必要はありません。それに本人が治ったと言っています。ねえ、マリー! 治ったんですよね?」

「はい、スザンヌ様。もう大丈夫です」


「ほら! もう平気なんですよ。では、マリー。午後は私の代わりに食器洗いをしなさい」

「洗い物ですか?」


「知っていると思いますけど、今日は王城で帝国の大使と我が国の大臣たちの昼食会があります。大量の洗い物がでるのでコレットだけでは終わりません。いつもは私がヘルプで洗い物をしていますけど、今日からあなたに任せます。私はジゼル様を手伝って会場の給仕をします」

「承知しました」


 スザンヌ様は洗い物を私に任せて、昼食会で給仕をしたいのだろう。

 たぶん狙いは自国の大臣……ではなく帝国の大使。

 若くて高い地位があり、しかも美男子らしいとジゼル様が話していた。

 帝国との関係は良好だし、大使はこの国に滞在しているので結婚相手として申し分ない。

 給仕として参加して、大使の目に留まりたいのだろう。


(スザンヌ様ったら婚約者がいるのに。私にはウィルがいるから、とても結婚相手を探す気にはなれないし、コレットとお皿洗いでいいです)


 朝の休憩が終わると、昼食会の準備でメイドたちは大忙しになった。


 お皿洗いのためコレットと厨房に入ったが、コックたちがあわただしく動き回り、指示や指図の怒声が飛び交っていた。

 王族の昼食はいつも通りに作るので、昼食会の料理と合わさって大変な忙しさだ。

 すでにいくつかの料理がお皿に盛られ、調理器具の洗い物が溜まり始めていた。


 普通の貴族令嬢なら、急に洗い物をしろと言われたら困るだろうけど、私は貧乏貴族出身なので平気。

 メイドを雇えないので、家にいるときは私が洗い物をしているのだ。


 コレットと溜まった調理器具を洗ったところで、大量の汚れたお皿が運ばれてきた。

 それに加えて、青年コックが混ぜ合わせに使ったボウルを私に渡してくる。


「コレットは分かってると思うけど、調理の手を止めないために、器具の洗浄を優先でお願いします」

「分かりました!」


 私はスザンヌ様の代わりなので、コレットが洗った食器の水分を布でふき取って片づける。

 役割は洗い物の補助である。

 説明を受けて問題なし、そう思ったが違った。


 完全に想像を超えた忙しさ。

 まさに洗い場は戦場だった。

 コレットとふたりで洗っても洗っても、汚れたお皿が届く。

 というか、合間に渡される調理器具の洗浄が優先なので、どんどんどんどんお皿が溜まっていく。


 コレットはさすがお皿洗いのベテランという感じで、もの凄いスピードだ。

 私も食器の水分拭きを頑張るが、コレットの食器洗いはどうしても時間がかかるので、運ばれる汚れたお皿がみるみる増えていく。

 とうとう目の前がお皿で山のようになってしまった。


「コレット! 洗浄は私がやるから代わって!」

「え、でも大変ですよ……」


「まかせて。洗い物は家でやっていたから。それにね、ちょっと魔法を使ってみようと思うの」

「なるほどです。でも、手荒れしますよ?」

「いいのいいの。そんなの気にしないから」


 心配するコレットと強引に交代して、私が洗浄、彼女が水分の拭き取りにまわる。


「いくわよ。アート!」


 胸に手を当てて「時間よ、早くなれ」と念じる。

 すると、私の体が緋色の光を放った。

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