第10話 ギルベルトの安堵


「そうか」

「はい、ギルベルト王太子殿下」


 騎士団つきの魔術師からの報告に、ギルベルトは執務室で、指を組み執務机の上に置いた。今の魔術師もまた、始祖王の魔法陣について知る限られた者の一人だ。


 ギルベルトが王宮に戻ってきてから、二週間が経過した。

 秘宝を定められた位置に置き、魔法陣を起動させる事になる〝星叡の日〟まで、一ヶ月を切っている。


「秘宝の入手が間に合ったのは僥倖だったが」


 一人になった執務室で、ぽつりとギルベルトは呟く。

 次期国王であるギルベルトが自ら秘宝の捜索に行く事には、制止の声が本当に多かったが、王宮の古文書がある禁書庫自体が、王族と王族の許しを得た者しか入出できない決まりの上、精霊達に動きを気づかれないようにするためには、どうしてもごく少数で動かなければならず、なにより星叡の日になんとしても間に合わせなければならないという強い想いから、ギルベルトはキースにしか出立の日を知らせず、強引に旅立ったという事実がある。


 帰還した時の、両親――国王と王妃のほっとした顔と、同時に激怒していた姿には、ギルベルトは心配されていると心から実感し、申し訳なさを感じたものである。まだ五歳の歳の離れた弟の第二王子には泣きながら抱きつかれた。確かに、王族としては、その意識が欠けた行為だったかもしれないが、後悔はない。


 ここ最近、精霊による被害が多くなり、既に民草に精霊の存在を隠しておくことが困難なほどになってきている。理由は、精霊王の封印が解けかかっているからだ。それを強固にかけ直すためには、現状の王族の力では困難を極める。だから誰かが、始祖王と同等の、浄化の力を得る必要がある。なによりも、精霊を討伐するための武器もまた必要だ。剣や魔法だけでは負傷者無くしては討伐できないのが現状であり、錬金術師が作る回復薬は常に不足している。


「それが、いにしえの昔には日常だったとはな」


 創造神とはいうが、その日常がいかに大変だったのかを想像すれば、ギルベルトは祖先に尊敬の念を抱く。だが、始祖王には仲間の術士達がいたとされる。それが今は、いない。何処は行ったのか、それもまた禁書庫の古文書に記されているはずだとして、限られた者が読み込んでいる最中だ。膨大な古文書は、まだ全てを確認できてはいない。


 理由は一つで、禁書庫自体が、危機的状況になるまで扉を開けてはならないとされていたからだ。それを知らせるのは、王冠に嵌められた宝玉で、その色が黒く染まったら、扉を開くよう伝わっていた。最初、それに気づいた周囲は半信半疑だった。だが嫌な予感がして禁書庫へと、キースを伴い踏み入ったギルベルトが、『扉』と『番人の一族』について初めて知ったのである。


 魔法陣自体が王宮の地下にあるのは、王族ならば誰でも知っていたが、その用途と起動方法を知ったのも、その日だった。次の星叡の日は、鷹の月の三日だ。それを逃せば、次は十年後まで、星叡の日は訪れない。危機は今だと記されている以上、急ぐほかなかった。


 ――宝玉の火を消せば、魔法陣は起動しない。

 そもそも、宝玉を指定の位置に置くのも、メリルにやってもらうしかない。


 ギルベルトはじっくりと瞼を伏せる。


 道中で何も知らせずに危険に遭わせた事が気に掛かっていたから、今度は彼女に事実を伝えた。誠実でいようと考えた結果だ。彼女に対してではない。己の心にだ。利己的な理由である。


「……」


 だが、と、最近思い悩むことがある。

 本当にそれでいいのか? と。


 脳裏に浮かぶのは、純真爛漫なメリルの笑顔だ。ぱっちりとした紫色をした目で、長い睫毛を瞬かせ、自分を見て両頬を持ち上げる彼女の姿。キラキラとした眼差しで自分を見上げられる度、最近では僅かな罪悪感と、不思議な感覚で胸が疼く。


 心を鬼にしてでも、とにかく利用し、ここへと同行させる。

 それが当初からの一貫した目的であり、実行した結果だ。

 今だって優しく接しているのは、魔法陣の起動のため、それだけのはずだ。


 意識的にはそう考えているのに、ふとした時に、どうしているのかと気になってばかりいる。彼女の笑顔が脳裏に浮かんでくる。


 目を伏せたままでギルベルトは腕を組む。

 きっかけは、やはり旅路だ。必死で歩く、頑張って進む彼女を見ていると、正直己もまた励まされていた。宿屋で自分より先に眠った彼女のあどけない寝顔を見ていると、きちんと守り抜き、王都にたどり着かなければならないと、決意を新たにした。いつしか、隣を歩くのが自然になっていたのだろう。


 それが、今はない。

 その必要も無い。

 あとは時折顔を出し、彼女が帰ると言い出さないように仕向けるだけだ。


 なのに――『もっと会いたい』。

 この一言が尋常ではなく嬉しかった。メリル『が』そう望んでいるからと、内心で言い訳し、ギルベルトは今では可能な限り、日に一度は顔を出すようになった。多忙な王太子としての執務の合間、不在の最中に溜まった仕事の合間を縫ってまで。


 同時に、王族は即位するまでは、騎士団に所属し、率先して精霊討伐に当たるため、その例に漏れず戦っているギルベルトには、その仕事もある。本来、討伐のあとなど、疲れきっている。それなのに、彼女『が』望んでいるのだからと部屋に向かって、笑顔を見ると、疲れが溶けていくように感じる自分がいた。


 それに気づいて、ギルベルトは思わず息を呑み、目を開いて、片手で唇を覆った。


「僕は一体何を考えているんだ」


 慌てて頭を振ると、ギルベルトの艶やかな髪が揺れた。それから彼は立ち上がり、窓の前に立った。そこから見える、広がっている、平穏にしか感じられない王都の街並みは、景観がよく、歩く者達には活気がある。ごく近くの、王宮の裏手の森に、悪しき精霊と、その王の封印があるとも知らずに。今は、王宮が防衛の砦の役目も果たしている。だが、旅路で襲ってきた時のように、例外だってある。最近では街中でる事もあるから、王国全土に騎士を派遣している状態だ。


「平和ぼけしている場合じゃない」


 気合いを入れ直して――……本日もギルベルトは、メリル『が』望んでいるから、彼女の部屋へと向かう事にした。ノックをすると、扉を開けた笑顔のキースが、入れ違いに外へと出た。扉越しに、楽しそうに話している声が聞こえた事実に、何故なのかギルベルトはキースに笑顔を返す事が出来なかった。王族として、上辺の作り笑いはお手のもののはずなのに。尤もキースの前では自然体でいる事が多いから、彼が不審に思った様子はない。それに安心する。


 キースは、奨学金で王国学園に通っている際に、ギルベルトと友人になった。

 平民出自だが、学園の主席であり、文武両道で、性格も明るい。

 ギルベルトにとっては数少ない、心を開ける友人だ。


「ギルベルト!」


 室内に入ると、非常に嬉しそうにメリルが両頬を持ち上げた。ワインレッドの服がとてもよく似合っている。扉の前で、ギルベルトは以前、「ワインレッドが好きだ」と話した事がある。それは事実だった。理由は、王家に伝わる聖剣に嵌まる宝玉の色が深い赤だからだ。すると翌日から、露骨にメリルの服はこの色が増えた。それもまた、彼女の好意を実感した瞬間である。今も、それを彼女が律儀に覚えている事実に、気分が一瞬で浮上し、ギルベルトは明るい気持ちになった。


「あのね――」


 メリルが雑談を始める。その肉厚な淡いピンクの唇を眺めながら、対面する席に座し、ギルベルトはミルクティーを入れた。そしてカップを傾けながら、囀るように話をしながら楽しそうに、嬉しそうに笑っている彼女を見る。そしてメリルの瞳が自分に向き、相変わらず恋情を滲ませキラキラしている事に――無性に安堵していた。


 どうしてこのように安心しているのかと、ギルベルトは一瞬あとに困惑した。

 だが笑顔を崩さず、メリルの話に相槌を打つ。

 いつからなのか、彼女を前にすると、作り笑いではなく、心から笑っていることが増えた。いいや、日に日に増えていく。ギルベルトは、それが不思議でたまらなかった。




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