ガチで百合とかマジやめて~ビジネス百合ップルVTuberのドタバタライフ~

くーくー

第1話ないから、ないから、それはない

 ねーみな葉、実はね、ボク君にマジになってしまったみたいだ」

「えっ?」

「だーかーらー、マジでガチにいわゆるゾッコンっていうのになってしまったようなのだよ!」

「はっ?」


 城ケ崎にいきなりそう切り出されて、私はとぼけるほかはなかった。

 城ケ崎マリローゼ七海。

 なんとも御大層な名前を持つ目の前でちょこんと小首をかしげるコイツは、私の仕事の相棒だ。

 城ケ崎と私はこの業界ではそこそこ大手のプロダクションが運営する養成所の研修生で、声優の卵同士だった。

 本当は卵とすらいえないくらいの底辺でどうでもいい存在だったんだけど、だったら何? って言われてもわかんないし。

 卵の前って何なのかも謎だから、取り合えずここは卵ってことにしとく。

 けれど、そこでは挨拶すらも交わしたこともなく、きちんと会話したのはとあるドラマCDの現場が初めてだった。

 ガヤDとE、それがその場所で私と城ケ崎に与えられた役割。

 個人のセリフなどあるわけもなく、台本ももらえるはずもなく、当日渡されたぺら紙を見ながら同じマイクで笑い、適当なお喋りを繰り広げた。

 その音声は、もちろん一語一語がきちんと聞き取れるようなヴォリュームで収録されたりはしない。

 メインのメンバーの背後の雑踏音声となるだけだ。

 そんなエキストラのような、でも交通費にもならない程度でも一応ギャラがもらえるから仕事と呼べるものの後、そそくさと帰り支度をする私の肩を城ケ崎はいきなりガシッと掴んできた。


「あ、あのさ! ボク城ケ崎マリローゼ七海っていうのだけどね! 君とガヤで一緒になるのはこれが三度目だね、こ、これからご一緒にお茶でもどうだろうか」


 ずいぶん強烈な引き留め方のわりに、目をきょろきょろさせて語尾を震わせる城ケ崎の様子がちょっと面白くて、笑いをこらえながらこっくりとうなずいた。


 そして、録音スタジオのから少し歩いたくねくねと曲がった細い通りにある趣があるといえばあるんだけどちょっとうらびれた様相の看板のしろたえという店名の半分が絡まる蔦で隠れてしまっている喫茶店に入り、日の差さない薄暗い席に着くなり、右手を上げて「おばちゃん、いつもの二つ頼むよ」と告げた後、城ケ崎は満面の笑顔でぺちゃくちゃとしゃべり始めた。


「ねぇ、今日の薔薇色の礼拝堂って百合ものの漫画が原作だったではないか? 君はあれについてどう思ったかい?」

「うーん、ミッション系のお嬢様女子高のちょっと影があってすらりとした中性的な麗しく格好いいお姉さまと小型ワンコ系可愛い無垢な後輩のむくわれない悲恋だよね……古き良き少女漫画っていうか、古典的でよくありがちだけど、描写が繊細でセリフの一言一言がきれいで私はなかなかいいと思ったけど……」

「うんうん、そうだよね! 良き良き!」


 城ケ崎はふんふんと鼻息を荒くしながら、煮しめたような色をしたテーブルの端にあるルーレット式のおみくじ機のセロテープで補強されたレバーをぺこんと引いた。


「あっ! ねぇ、ねぇ、これを見ておくれよ。中吉だって、大吉ではないのかー、でもでも何かをスタートするのに適したときとあるよ! うわー、すごいぞーもしかしてこれって運命ではないのか?」


 そして、出てきた小さな巻紙をつまんで目いっぱい広げて私の目の前に突き出した。


 さっきまで原作の話をしていたはずなのに、いきなりおみくじって……

 そもそもあんなレトロなおみくじ機、懐かしの漫画やアニメでしか観たことないし。

 しかし、さっきの態度といい多分コイツここの常連なんだよね。

 いつものって、いったい何が出てくるんだろ?


 ころころと話題が変わり、いったい何を言っているのか理解不能で、その自由過ぎる会話や行動にどうにもついて行けず面食らった私は、あいまいな微笑みを張り付けたまま小首をかしげて固まってしまった。


「あっ、あっ! これでは何のことかわからないだろうね。 ぶうぇっへっへっ、ボクとしたことがつい先走ってしまったよ! 君と一緒でちょっぴり興奮してしまったせいなのかもしれないな」


 さっきまでのガヤ収録では「うふふふっ」とお嬢様学校の生徒らしく可憐な笑い声を出していた城ケ崎の素のそれは、硬直を吹き飛ばすほどに意外なほどブッサイクだった。


 私はもうどうにもこらえきれず、盛大に吹き出してしまった。

 さすがに同期生相手とはいえさっき初めて知り合ったのと同然のような相手に「笑い声がブッサイク」だなんて本音はとてもじゃないけど言えやしなくて、笑い声に笑い声をぶつけて相殺するようにただひたすらに思いのままに吐き出すようにして笑った。


 ぶへっへっへっ、プークスクス。

 顔を真っ赤にして会話の続きもそっちのけで笑い合う私たちの目の前に、ひっつめ髪に紺地に白のショートエプロンという昔ながらの制服姿の不愛想なおばさんウェイトレスが、運んできたグラスを無言でコトンと置いた。


 背が高くフリルのようなひらひらした飲み口のグラスに注がれていたのはしゅわしゅわとぷちぷちと小さな泡がはじける緑色の液体、そして大きな丸いアイスの横にはぽってりてらてらした小粒のチェリー。

 城ケ崎のいつものとは、クリームソーダのことだったのだ。


「ね、これ、ボクのおごりなのだよ。ここのクリームソーダは完璧なんだ」

「えっ、いいよ、自分の分は払うよ」

「いいのいいの、今からボクは君に大事なオファーをするんだから!」

「はっ、何それ」

「あっ、アイスがちょこっと溶けている! 今が飲み時なのだよ、さぁさぁ」


 気になりすぎる話の途中で城ケ崎に急かされ、のどが渇いていたこともあり、私は言われるがままに緑色のソーダの中に突き刺さった薄桃色の硝子のストローに吸い付いた。


 少しピリピリとしてでも決して強すぎない刺激、アイスがほんのりと溶けた少しだけクリーミーでコクのある透明な甘み、そして白くきめ細かい肌の一部を薄緑にほんのり染めメロンの香りをまとったアイスのシャリシャリとしっとりの絶妙なハーモニー。

 そして、缶詰産であろう濃い赤色をしたチェリーのちょっとくたっとした歯ごたえや酸味もここにはバッチリハマってる。

 こんなクリームソーダを飲んだのは初めてで、夢中になって飲み終えた。

 最後に口の中でちょっとぬるくなったチェリーの種を紙ナプキンにそっと吐き出した後、顔を上げた私の目の前にあったのは、何かを企んでいるように右の唇だけを上げて微笑む城ケ崎の顔だった。


「園原みな葉君、君はボクからの賄賂を受け取ってしまったね! ふっふっふつ、どうだいこのクリームソーダは天にも昇るような格別の味がしたろう」

「はっ、そりゃ美味しかったけどさ、賄賂って何? ちょっとメニュー見せてよ、これいくらなの!」


 城ケ崎が手前に引き寄せていた年季が入り黄色っぽくなったメニュー表をひったくって筆ペンのような筆致で荒々しく書かれたメロンソーダの文字の横には、850円と表示されている。

 いや、ちょっと高いな……せいぜい500円くらいかと思ってたのに……

 こういう喫茶店初めて入ったけど、こんなもんなのかな。

 今月生活費かなりキツいのに、でもこんなことで賄賂とか言われたくないよ!

 今度のオーディション降りろとか言われても無理だし。


「は、払うよ! 払うから! 850円でしょ!」

「ふっふっふっ、君は消費税というものを忘れている! 下のテープの上に税込み価格も表示されているだろう」


 うわーそうだった!


「来月バイト代入ったら返すよ。だからちょっとだけ貸しといて」

「いやいやいや、君はただボクのオファーを受けてくれればいいのだよ」

「だから、オファーって何!?」


 腕を組んでふんふんと頷きながら芝居がかった態度でこちらを見据えていた城ケ崎は、私のおろおろする様子を見て、またあのブッサイクな笑い声を噴出した。


「ぶうぇっへっへっ、君困りすぎだよ~ごめんごめんつい楽しくなっていじめ過ぎてしまった。ボクは君に決して損はさせないつもりだよ! ただ一緒に仕事をしてほしいんだ。今度の仕事にも偏見はないようだしね」


 それから城ケ崎が説明し始めたのは、私にとっては意外過ぎる仕事のオファーだった。

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