シラユキヒメ

ヒロ

第1話

 目を覚ます。視界に入ったのは想定していたのより3倍は高い天井だった。一度目を閉じ再度開く。変わらず目前に広がるのは綺羅びやかな装飾が施された天井だった。


 (どこだ、ここ)


 昨夜横になった布団とは明らかに異なるフカフカのベッドの上、ワタシは眠い頭のまま上半身を起こした。周りを見る。ワタシの部屋の10倍はありそうな豪華な部屋。まるでお姫様が住んでいそうな…


 (はっ、ワタシ転生したんじゃない?こういうの最近よくあるじゃん!マンガとかで!)


 テンションが上がる。この状況がひたすら楽しくてしょうがなかった。

 まずは自分のビジュアルをチェック、そう思い鏡を探す。ベッドから下り部屋を歩き回るとお上品なテーブルの上にちょうど良さそうな手鏡を見つけた。顔の前に持ってくる。


 「なに、これ…カワイすぎない!」


 思わず口に出していた。自分の顔を見てこんなふうに思うなんて初めてのことだ。

 17,18歳くらいだろうか、転生前のワタシよりも10は若い。白い肌にぱっちりと大きな二重の漆黒の瞳、唇はプチプラでは出せない天然の赤でうるおっていた。髪は肩には触れないボブで、瞳の色と同じつややかな黒だった。


 「この顔ってもしかして、白雪姫?」


 幼稚園のときに絵本で見た美しいプリンセスを思い出す。


 (いや、白雪姫って…なんか、複雑なんだけど)


 ワタシの転生前に小さい頃付けられたあだ名は"シラユキヒメ”だった。かわいいからとかそういうんじゃない。名前に白と雪という字が入っていたからだ。でも外見は特別かわいいというわけでもなく、地味な平凡顔。つまりバカにしてそう呼ばれ、からかわれていた。


 (こういう顔だったらあんな恥ずかしくなかったのになぁ)


 とはいえ、別に気にしていたというわけでもない。


 (まあ名前の縁もあってか、こんな美人になって若返ったわけだし楽しもう!)


 すでにこの世界を受け入れ、次になにをしようか考え始めていたワタシはふと我に返った。


 (もし、ワタシが本当に白雪姫だったとして、このままだと継母に殺されないか?)


 それはまずい、ということで今の状況を詳しく把握することにした。まずはここの世界観から。

 部屋を出た。そこには長い廊下が広がっていて、お城の中であるらしいことがわかった。ワタシは城の中を歩き回った。そうしてわかったことは以下のとおりだ。

 

 ・ここは白雪姫の世界

 ・白雪姫はワタシ

 ・ワタシの年齢は17歳(来週18になる)

 ・継母、魔法の鏡は実在

 

 城の中にはたくさんの部屋があった。そのうち情報を得られたのは図書室、厨房、そしてある部屋だった。

 図書室ではこの国の歴史や今の情勢を知ることができた。国民の暮らしはあまり豊かではないらしい。でも以外だったのは、それは悪い継母のためではなく、国王が生きていた頃から変わっていないということだ。

 厨房では親切な料理人やメイドがワタシに話しかけてくれた。「来週はいよいよ18の誕生日ですね」という言葉で自分の年齢を知ることができた。それから、継母のことを魔女と呼び恐れていたところから、彼女があまり人々に好かれるタイプの女王ではないということがわかった。これは物語のイメージ通りのように思う。

 最後にワタシは城の外れにある部屋に行った。だけど、中には入っていない。なぜならそこは女王の部屋だからだ。さすがに怖く入ることはできなかった。しかし、外から中の様子をうかがうことはできた。扉が少し開いておりワタシはその隙間から中を盗み見た。

 部屋には女王が大きな鏡に向かい、こちらに背を向け座っていた。そして、わたしの目の前であの有名なセリフを口にした。


 「鏡よ鏡、この世で1番美しいのは誰?」


 鏡に映る女王の姿がチラッと見えた。鏡にそんな質問をするだけあって、すごくきれいな人だった。迫力のある美人といった風で、背筋がゾクッと震えるのを感じる。それは怖さによるものだけではない気がした。

 女王を見ることができたのは一瞬で、すぐに鏡には別のものが姿を表した。それはぼんやりとしているが、男の人のシルエットのようだった。その男(?)は低く聞くものを惑わすような声で言った。


 「それは白雪姫です」


 予想通りの言葉だが、自分の名前が呼ばれたわけだから反射で体がビクッとした。


 「どうして…」 


 女王が声を震わせた。


 「あの娘の方が私よりも美しいっていうの?」


 その言葉には怒りよりも別のものがにじんでいるように感じたのはワタシの気のせいだろうか。


 「世界で1番美しいのは白雪姫です」


 鏡の中の男は繰り返した。

 

 今、部屋でベッドに横になり天井を眺めながら、さっき女王の部屋で見たものが頭の中で反芻している。

 あの後、しばらく様子を見ていて、先に挙げた4つ以外にもう一つわかったことがある。


 ・女王は18の誕生日に白雪姫を殺す


 来週ワタシは女王が雇った狩人に森で殺されるらしい。ワタシはどうにかして助かる方法を考えていた。

 物語通りなら、狩人は美しい白雪姫に手をかけることができず、森へ逃がすだろう。だけど、それは決して確実ではない。

 ワタシはベッドの上で数時間ほど考えた末、ある作戦を立てた。

 そのためにはいろいろ知っておく必要があると思い、図書室に行くことにした。いちおう警戒して向かうが、女王は基本自分の部屋がある塔から出ることがないことはわかっている。

 図書室にて、関係のありそうな書物を片っ端から読んでいった。そうして、転生1日目が終わる頃には知りたかったことを全部見つけることができた。それ以外にも、この世界のこと、この国のこと、役に立ちそうなことはすべて頭に叩き込んだ。


 (ふー、つかれた。そういえば今日ほとんど食べてなくない?)


 読んでいたものを片付け終わったところで自分の空腹に気がついた。最初に城を探検したときに、厨房でパンをもらって以来なにも食べていない。


 (もう一度厨房に行くかー。夜食になにかもらおう)


 厨房では食器や調理器具の片付けをしているところだった。


 「すみません、なにかいただけますか?」


 近くにいた年配のメイドに声をかけると、彼女は驚いたようにこっちを見て言った。


 「まぁ姫様!何処に行ってらしたんですか?お夕食の時間になっても姿が見えないから探していたんですよ。なにかあったんじゃないかってみんなで心配していたんです」


 白雪姫は使用人たちと仲がいいらしい。さっき来たときも思ったがすごく気にかけてくれている。


 「ごめんなさい。図書室で本を読んでいたら夢中になってしまって」


 「勉強も大事ですけど食事を忘れてはいけませんよ」


 謝ったら少し叱られてしまった。母親みたいだと思って笑ってしまう。

 そのメイドは「まったくもう」と言いながらも厨房の端にある机に椅子と食事を用意してくれた。

 感謝を伝え遅い夕食を取る。


 (白雪姫はみんなに好かれ、女王はおそれられる…物語どおりだ)


 一つ、ワタシは幼い頃から気になっていたことがあった。どうして女王はあんなにも世界一の美しさにこだわるのだろう。その疑問はこの世界に来てより強まった。

 そもそも、美しさの基準って人それぞれだというではないか。それに女王は人それぞれのその基準の中でも大多数が美しいという美貌を持っている。美しく透き通った肌にきれいな輪郭、長く真っ直ぐな髪。そして何より見る者を引き付ける切れ長の目…


 (なんなら、白雪姫よりもきれいじゃなかった?)


 ワタシの基準ならそうなるが、あの鏡は何を基準に言っているのだろう。ただ鏡の男が幼い可愛さが好きなだけではないのか。そう考えると女王がかわいそうに思えてきた。


 (あんな鏡にどう見られるかなんて気にしなくていいのに…)


 とはいえ、彼女はワタシの命を狙っている。だから、女王から自分を守らなくてはいけない。

 明日、ワタシはこの城から逃げる。

 そのためにも、今はしっかり食べておこう。そう思ってワタシはさっきのメイドにおかわりを頼んだ。

 


 翌日の早朝、ワタシはまた厨房に来ていた。まだかなり早い時間で、そこには誰もいなかった。


 (よかった、この城がホワイト企業で)


 誰もいないことに安堵し厨房をあさる。いちおう自分の家だが泥棒をしている気分だ。

 数日分の食料と他にもいくつかの食材を用意したカバンに詰める。そのカバンを持ってワタシは城を出た。

 



 ひたすら森を歩き続けた。そうして2日が過ぎ、ワタシはようやく目的地にたどり着いた。もちろんその目的地というのは…


 「コビトのいえ」


 わかりやすくそう表札に書かれているログハウスを目にしワタシはつぶやいた。

 予定よりも早く見つけることができ良かったと胸をなでおろす。図書室で大体の場所は調べていたとはいえ、同じような景色が続く森の中だ。食料が尽きる前にたどり着いたのは運が良かった。森での野宿はもうすでに疲れていた。

 コンコンとノックをしてみる。返事はない。今はお昼にはまだ早いぐらいだから、森で仕事をしているのかもしれない。本物の白雪姫なら勝手にお邪魔するところかもしれないが、ワタシは常識あるオトナとしてそんなことはしない。しばらく家の前で待つことにした。

 ちょうど太陽が一番高くなる頃、明るい歌声とともに7人のコビトが帰ってきた。ワタシはさっそく声をかけ、彼らのもとで居候させてもらうことに成功した。

 


 数日の間、ワタシはごはんを作ったり洗濯をしたりしながらコビトたちと楽しく暮らし、平和な時間を過ごした。

 だけど、それもおそらく今日までだろう。女王はきっと、とっくにワタシを見つけている。そして明日はワタシの18の誕生日だ。

 でもワタシにだって作戦はある。


(うまくいくかは賭けみたいなものだけど…)


 きっと大丈夫だ。




 ワタシの予想通り、女王は翌日ワタシのもとに来た。

 黒いローブのような服を着て、老婆の変装をしている。手にはフルーツの入ったかごを持ち、親切そうな声でワタシを呼んだ。

 ドアを開け、彼女を迎え入れる。


 「こんにちは。美味しそうな果物ですね」


 彼女はにっこり優しく微笑み言う。


 「えぇ、そうでしょう。美しいお嬢さん、ぜひお一つどうぞ」


 そしてリンゴを差し出した。それは真っ赤で、ツヤツヤとあやしく輝いていた。


 「ありがとう」


 感謝を述べ差し出されたリンゴを受け取る。

 両手で持ち、そしてひとかじり。彼女のしわくちゃの顔の中でその目だけがあやしく揺れていた。

 それを見たのを最後に、視界は閉ざされた。

 


 そうして、白雪姫は女王の目の前で、その場に崩れ落ちたのでした…



 




 森の中を、背に人を乗せた馬が駆け抜けていった。

 その人は、高価な服に身を包み、腰にある剣の美しい装飾は日の光を受け美しく輝いている。

 彼自身もまた、それらの豪華な飾りに負けることなく美しい容姿をしていた。逞しい腕は腰に携えた剣が飾りではないことを物語っており、スラリと伸びた脚が馬の腹をける。

 彼は隣国の王子だった。

 彼が馬に乗り駆ける道、その先には7人のコビトが暮らす一軒の家がある…




 コビトの家の前には、硝子の棺に眠る白雪姫の姿がある。その周りには姫の死を悲しむ7人のコビトがいた。

 コビトたちに普段の陽気な様子はなく、全員がうつむいていた。そんな中で明るい歌声が聞こえるはずもなく、重く苦しい沈黙が流れている。

 ふと、コビトの1人が顔を上げた。彼はなにかの足音を聞いた気がした。

 それはしだいに大きくはっきりとしてくる。他のコビトたちも顔を上げた。

 馬の足音だった。こちらに向かってくるようだ。

 そして、その足音の正体、白馬に乗った王子もコビトたちに気がついた。

 王子はなにかと思い馬を止めた。馬から下り、コビトたちに近づき声をかける。


 「君たちはそこで何をしているの?どうしてそんなに悲しそうなんだい?」


 「姫が…」


 コビトの言葉が届くのよりも先に王子の目に白雪姫の姿が映った。


 「彼女は…この美しい人は死んでいるのか?」


 コビトたちはなにも言わない。王子の目に深い落胆の色が浮かぶ。


 「俺がもう少し早く来ていれば…」


 そうつぶやいて白雪姫の美しい顔を見つめた。

 そして、王子は目をつむり、姫の美しい赤い唇に吸い込まれるように顔を近づけた。


 


 ワタシは目を覚ました。

 そしてすぐに、自分が間一髪間に合ったことを理解した。

 素早く身を反らし、目の前に迫る美しい顔を押し返す。

 美しい顔のその男は驚いて目を見開いている。


 (白雪姫の白馬の王子。たしかにあまい顔をしてるけど…)


 「眠っている人にいきなりキスをするのは失礼ではないですか?」


 ワタシの声にコビトたちもハッと顔を上げた。


 「姫、目が覚めたのですね!」


 「心配かけてごめんなさい。せっかくきれいな棺まで用意してもらったけど、ワタシ、眠ってただけなの」


 王子はまだ呆然としている。


 「とりあえず、お茶にしない?」


 ワタシの言葉をきっかけに、その場にいたみんなでコビトの家に入り紅茶を飲むことにした。

 王子はワタシに無礼を詫び、そして、自分の妻になってほしいと言った。

 もちろん、ワタシはそれを丁重に断らせてもらった。彼は納得できないという顔をしたがそんな顔をされてもどうしようもない。

 7人のコビトと白雪姫、それから失恋したての王子、という奇妙な組み合わせのお茶会は、コビトの質問にワタシが答えるという形になった。その質問も尽きると、お茶会は終わった。

 王子は名残惜しそうにコビトの家を後にしていった。

 ワタシはというと、今後どうすればいいかを悩んでいた。とりあえず、今日はまだコビトの家にお世話になることにしたが、これから先もずっとというわけにはいかない。

 白雪姫の絵本は姫が目覚め話が終わるが、ここはそうではない。この先どうなるのかワタシにはわからないのだ。

 一番の問題は女王のこと。コビトたちによると、ワタシは3日間眠っていたらしい。彼女は今どうしているのだろう。


 (絵本にその後の女王のことって描かれてたっけ?)


 魔法は失敗すると使った人に還るとか、そういうものだったりするのだろうか。それともそれは藁人形みたいな呪いにしか起こらないのか。


 (そもそも、呪いって魔法と違うの?)


 そこら辺のことをワタシはなにも知らない。


 (勉強、もっとしておくんだった…)


 毒リンゴをどうやって回避したのか、それは図書室で見つけたある書物にあった。

 “蘇りの薬”とそこには書かれていた。それは魔法ではない。人を仮死状態にする、毒に近いものだ。

 ワタシはうまいこと自分を一度死んだように見せられないかと考えていた。そこで見つけたのがそれだったのだ。ワタシに魔法は使えないが、その薬の材料なら簡単に集められそうだったから賭けてみることにした。

 材料は厨房と森で揃え、コビトたちがいない間に調合した。そしていざ、女王からリンゴを受け取ったとき、ワタシはそれをかじって飲み込んだフリをして薬を飲んだのだ。

 毒リンゴを食べても王子のキスで目覚めるチャンスがあったから、どっちも危険性では同じぐらいだった。ワタシは自分の力で助かる方法を取ったというわけだ。

 結果、ワタシは見事賭けに勝ち今ここにいる。幸運なことに、どこの誰かも知らない人とのキスも間一髪逃れることができた。

 でも、自分では使えないからといって魔法をあんまり調べておかなかったのは失敗だった。女王の今の状況が全くわからない。 


 (まぁこうなったら仕方がない)


 一度、お城に戻ってみることにした。


 (女王に会いに!)




 城へはやはり2日ほどかかってたどり着いた。

 その分の食料をコビトたちにもらい、これまでの感謝をしっかりと伝え家を出た。すべてがうまく片付いたら必ずもう一度お礼をしに訪ねるという約束もしてある。

 ワタシは今城の中で一番人気のない塔の端にある部屋、女王の部屋の前に立っていた。

 まだ朝も早く、城の使用人たちは活動している様子はない。おかげでめんどうくさい説明をすることなくここまでたどり着くことができた。

 前に来たときと同じように中の様子をうかがう。女王はベッドの上で横になっている。寝ているらしい。

 ワタシは少し考えた末、部屋の中に入ることにした。女王は怖いが、確かめたいことがある。

 意を決してドアを押し開け一歩中に入った。女王が動く気配はない。そっと胸をなでおろす。

 女王の部屋は白雪姫の部屋と比べると控えめな装飾だがやはり広く、きれいに片付けられていた。


 (彼女らしい)


 たいして知りもしないのに思う。頭に浮かぶのは女王の美しい瞳。

 ワタシは引き寄せられるように彼女のベッドの元へ行った。

 女王は眠っているように見える。だけどどこか様子がおかしい気がした。もともと透き通るような肌だったが、今は本当に消えてしまいそうに見える。

 それを見た瞬間、ワタシは言いようのない不安に襲われた。嫌な予感がする。それを確かめる方法を一つだけ思いつく。

 ワタシはすぐ近くにある鏡に向き合った。


 「鏡よ鏡、ワタシの質問に答えなさい」


 自然と語尾がきつくなる。

 すぐにぼやっとしたシルエットの男が現れた。


 「これは白雪姫、はじめまして。わたしに質問とはなんでしょう?」


 どこか胡散臭い言い方だった。それに、淡々と質問に答えるのではなく会話をするような言い方に違和感をおぼえる。前に見たときもこんな感じだっただろうか。


 「女王のことよ。彼女、ワタシを殺そうとして失敗したでしょ。その魔法は使った者に還ったりするの?」


 「あなたは勘違いしているようだ。彼女が使ったのは魔法ではなく黒魔術です。なので失敗すれば当然自身に戻ってくる」


 男はチラリと女王を見た。

 ワタシの悪い予感は当たっていたのかもしれない。


 「じゃあ、女王は死んでいるの?」


 ワタシは鏡を睨むように尋ねた。

 鏡はワタシの質問に答えない。かわりにこう言った。


 「彼女はとても愚かな人間だ。あなたが眠っている間、女王がわたしと交わした会話をお見せしましょう」


 そして、鏡が波紋が広がるように揺らいだかと思うと、次の瞬間には女王の顔が映っていた。


 「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」


 女王は言った。

 前に一度聞いた言葉だ。だけどあのときとは少し違う。彼女の声はこころなしか震え、何よりその表情には以前のような迫力がない。精気が奪われたようにやつれているように見える。


 「それは白雪姫です」


 感情のない声が聞こえる。鏡の返事だった。

 女王の肩が震えだした。そして、その目から涙が溢れた。


 「どうして?」


 女王はこちらに手を伸ばし叫ぶように言った後、もう一度同じ言葉を小さく繰り返した。

 鏡に映るその光景を見て、ワタシは自分の目の前で女王が泣いているようで、なんとも言えない気持ちになった。


 (ワタシは、女王を救いたい。彼女を苦しめるものから)


 初めて女王を見たときから漠然と感じていた思いが確固たる決意に変わる。


 「たとえ死んだとして、白雪姫の美しさは変わりません。むしろ死ぬことで、永遠の美しさを手に入れたのです」


 男の声が鏡の中の女王に言っているのが聞こえる。

 女王の目が怪しく揺れた。それは、ワタシがリンゴを手にしながら見たものと同じだった。


 「私は、どうしたらいいの…」


 女王はそうつぶやいて鏡の前に崩れた。


 「簡単です、女王陛下。どうすべきか、あなたにはもうわかっているはず…」


 淡々とした言葉を最後に、再び鏡には男が現れた。その姿はすでに影ではなくなり、はっきりと男の顔立ちになっている。白銀に輝く髪に同じ色の瞳をした、彫刻のような顔は胡散臭い笑みを浮かべていた。

 ワタシは思わずその顔に掴みかかっていた。


 (女王を苦しめていたもの、それは他でもないこの鏡だ!)


 「どうしたら魔術が解けるのか教えて!」


 女王はきっと生きている。だから、黒魔術さえ解くことができれば目を覚ますはずだ。


 「なぜ女王を助けようとするのですか?あの女はあなたを殺そうとした。あんな醜い人間なんて放っておけばいい」


 鏡は笑顔で言った。

 ワタシはこの世界に来て一番の感情の高ぶりを感じた。自分が殺されそうなときですらこんなにも強い思いはなかった。


 「鏡よ鏡、答えなさい!黒魔術はどうやったら解けるの」


 さっきよりも強い怒りを込めて問う。


 「その聞き方はずるい。答えないわけにはいかなくなってしまった。悪い魔術の解き方など昔から決まっている。どんな物語も最後は決まってどう終わる?思い出してみるといい」


 相変わらずの笑顔のまま答える。その遠回しな言い方にも腹がたった。


 (だけど、わかった)


 もうお前に用はない、とワタシは鏡から手を離し女王の方へ向き直った。

 彼女の枕元に立つ。

 眠っているような彼女はピクリとも動かない。そっとその髪に触れる。そして彼女の腕の横に腰を下ろし、美しい顔を見下ろした。


 (この人はキレイだ。誰よりも)


 女王が美しさに歪んだ執着を持つようになったのは、鏡のせいだったのではないだろうか。鏡が自分で言っていた黒魔術、それに女王もかかっていたとしたら全て説明がつく。

 まず一つに、女王の目は白雪姫を手にかけようとするとき、異様な光を持っていた。なにかに心奪われ操られているように。

 それから、白雪姫のほうが美しいと言われた女王の様子に怒りだけではないものがあった。あれはたぶん、恐怖だ。

 そしてやつれた女王の姿と、それに伴って人の姿が明確になっていった鏡。まるで鏡に力を奪われているようだった。

 黒魔術が個人の強い欲望のために使われるものだったとしたら、女王は最初に鏡にその力をかけられていたのだ。そのために歪み始め、自身も黒魔術に手を出し、そして失敗した。結果、弱る女王から精気を奪った鏡が願いを叶えた。


 (すべては鏡の策略…)


 鏡の本当の目的がどこにあるのかはわからない。姿を得ることなのか、それとも別にあるのか。だけどそれはどうだっていい。


 (ワタシが止めてみせる)


 ワタシは女王の頬に手を当てた。

 物語の結末は決まっている… 


 (王子のこと言えないな…)


 しばらく彼女の美しい顔を眺めた後、目をつむり静かに顔を寄せる。

 女王の上品な紅色と、白雪姫のリンゴのように赤い唇が触れた。

 短く長い”くちづけ”は女王の口からもれた小さな吐息によって終わった。

 ワタシはそっと唇を離し彼女の様子を見守った。

 まぶたがピクリと動く。頬に添えていた手をなでるように動かしてみる。もう一度まぶたが小さく揺れた後、彼女はゆっくりと目を開いた。透けるように真っ白だった肌に少し血色が戻ったように見える。

 ワタシはほっと息をついた。


 「女王陛下、無礼をお許しください」


 言いたいことはたくさんあるが、まずは謝罪が先だ。

 女王はゆっくりと大きくまばたきをした。開いたその目には涙が溜まっている。それを拭わず彼女はワタシに手を伸ばし上半身を起こした。


 (?)


 ワタシはよくわからずとりあえずその手を握った。


 「あなたはやっぱり美しいわね…」


 女王はそうつぶやきハラハラと泣き出した。


 「私にはないものを持つあなたがうらやましい。それに憎いわ」


 そう言って涙を流したままワタシを睨んだ。

 その言葉と目は思った以上にワタシを傷つけた。そんな風に言われたらワタシはもうなにも言えなくなってしまう。

 黙ってしまったワタシを見て女王は続けた。


 「あなたなんて死んでしまえばよかったのに。それで、私も、消えてしまっていれば…」


 女王の言葉は最後まで続かなかった。さっきの鏡に対する怒りがよみがえり、嫌われている事実がどうでも良くなったワタシは女王を抱きしめていた。


 「あなたに憎まれるほど嫌われているワタシは、あなたのことが愛しくて仕方がない」


 気づいたら口にしていた。もうどうでも良くなって敬語ですらなくなってしまった。


 (もういい、開き直ってやる!)


 「ワタシは、あなたを誰よりもキレイだと思う。あなたのことを一番わかってるのはワタシよ。あの鏡じゃない!」


 抱きしめていた腕を解き、女王の反応をうかがう。


 「は、あなた何言って…」


 驚いたようにそう言う彼女の顔は、思いがけず赤く染まっていた。


 (あぁ、だめだかわいい…)


 鏡に対する怒りだけで動いていたが、いつのまにかワタシは女王に心奪われていたらしい。それとも、初めてこの人を見たときにはもう好きになっていたのだろうか。

 ワタシはもう一度女王を強く抱きしめた。


 「もういいです。あなたになんて言われても、ワタシはあなたのそばから離れるつもりはないので」


 女王は鏡よりも面倒なものに目を付けられてしまったのかもしれない。


 (ごめんなさい。でも…)


 「いいでしょう、陛下。ワタシが一生言ってさしあげますよ」


 抱きしめた体を離し、女王の手を取る。その手に口づけて言った。


 「世界で一番美しいのはあなたです。ワタシの女王陛下」






 真実の愛に出会った女王と白雪姫の姿を見る影があった。

 白雪姫がすっかり忘れているらしいそれは、鏡の中にいる。その姿に白銀に輝く髪や瞳はない。ただなんの形も成さない黒いモヤがあるのみだ。

 白雪姫の推察は半分は当たっていた。モヤは女王の精気を奪おうとしていた。ただし、それは人の姿を得るためではない。

 モヤが欲しかったものはただ一つ、女王自身だった。

 女王に強い執着を持ちながら、それが歪んでいるために女王の質問に対して嘘をつき続けた。


 「世界一美しいのはあなたではない」


 そうすることで彼女の心がいつしか壊れ、自分と同じところまで落ちてくるように。美しさに歪んだ執着を持った彼女が、自分と同じ、呪いという存在になることを願って。

 しかし、白雪姫が女王を目覚めさせた。

 すべては失敗に終わり、そしてそれは自身に還る。結果、美しい人の姿は消え、やがてその黒いモヤも消えようとしている。

 



 こうして、この世界の呪いは愛によって消え、白雪姫は愛する人と幸せに暮らしました。

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

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