17.俺みたいな会話弱者はすぐ好きになるんだから気を付けろまじで
五日間の馬車の行程で、魔物に襲われたのは二日目の猪型のみ。襲われたときはしんどいことになったが、たったの一回しか襲撃されなかった。。
それだけ魔物が少なかったのには理由がある。
今回馬車が通ったルートは、エイジフット王国軍が西へ進軍する際に利用したルートだ。道は整備され、周辺の魔物は王国軍が安全に進軍するためにある程度狩られている。発展した町が少ないにもかかわらず魔物が少ないのは王国軍の討伐によるものだった。
とはいえ唯一遭遇した猪型の魔物にはそれなりに苦戦させられた。
苦戦と言うとまるで戦った末にギリギリ勝ったような物言いだが、当然戦ってなどいない。逃げ切っただけだ。
この魔物はジャイアントマッドボアという種類で、体重は四百キロを越える大型の猪である。
動物の猪と同様泥浴びを行い、その泥が迷彩となって大型の割に目視では発見しにくい。巨体からの体当たりは凄まじく、奇襲でこいつの突進を食らったら、身体強化されている俺たちでも大ダメージだ。角も生えていて、刺されれば命の保証はない。ただし、縄張りに入らなければ襲ってくることはほとんどない。
また、肉も好まれるためしばしば狩りの対象となっている魔物でもある。
俺たちが野営の準備をしていた場所がちょうどジャイアントマッドボアの縄張り内だった。つまり、俺たちは知らないうちにやつの縄張りを荒らす邪魔者になっていたというわけだ。
改めて思い返せば近くに水場と泥沼があり、ある程度拓けた土地だった。猪にとってみれば泥浴びもできるし視界も良好だし絶好の立地である。
しかし俺はヒカリという仲間を得て気分が高揚していたためか、それとも安心していたためか、こんな簡単なことにすら気付けなかった。
逆だった。
仲間ができたということは、頼る人ができたというだけではなかった。
守るべき人ができたということでもある。決して油断してはいけなかった。
とにかく魔物に最初に気付いたのは御者だった。
「でかい魔物がいます! こっちに近付いてます!」
指差す方向に目を向けると、大きな猪の姿をした魔物が見える。わずか十数メートルの距離まで接近を許していた。
ヒカリは焚火で料理をしていたが、魔物を見ると目を丸くしていた。
「やっば。でっか」
感想それだけかよ。いや、こういう突発的な出来事のときはそんなものかもしれない。俺は即座に二人へ指示を出した。
「ここはすぐ撤収してくれ! 野営地はここからもう少し先の道路の反対側にある岩場に変更! 俺はあの魔物を引き付ける! 移動したら狼煙を頼む!」
リュックを背負い、焚き木を片手に持ち、もう片手で焼いていた肉を持ち上げる。まずは囮になるためにジャイアントマッドボアの注意と興味を引くようにする。
魔物と目が合った瞬間、俺は道路と反対、森の奥の方へ向かって駆けだした。鼻息荒くジャイアントマッドボアが追ってくる。案外早い。だんだん距離を詰められているのがわかる。
まずは肉を捨てたが無視されてしまった。目よりも匂いに頼るジャイアントマッドボアが肉に気付かないはずはない。相当怒っているということだ。
次に網を背後の地面に叩きつけた。大弓蛇を捕らえた網だが、大きなサイズの猪を包み込むことはできず、止めることはできなかった。
ならばと発煙筒を取り出す。以前も使用した煙幕だ。煙が出るまでにタイムラグがあるため、作動させてから前方に放り、煙がでたところで中に突っ込む。
これには効果があったようだ。
魔物が一旦立ち止まった気配を感じる。しかし、それほどの時間ではなかった。単純に迂回すればよいだけだということに気付いたようで、煙幕を避けて再び俺を追ってきた。
「縄張りから追い出すまでは諦めねえつもりか!」
この魔物の縄張りがどこまでかはわからないが、俺が縄張りから抜けるまでは追ってくるだろうということは理解できた。それなら根競べだ。
俺は逃げる。
追いつかれそうになったら発煙筒を投げる。
魔物が減速する。
距離を稼ぐ。
こんなことを繰り返し、四個目の発煙筒を投げたところで背後の気配が消えた。
ようやく諦めたらしい。手持ちの発煙筒を使い切ってしまうかもしれないと思ったが、杞憂に終わったようだ。
自分の記憶からジャイアントマッドボアの情報を引き出す。たしか縄張りは大きな円形に近いものだったはずだ。俺は移動しながら何度もジグザクに歩いて、ジャイアントマッドボアがこちらに向かってくる位置を確認した。そうして奴が近付いて来た場所を合計三点、特定した。
円周上の三点がわかれば円の中心がわかる。中学生の数学でやったことだ。どこまで走ったかも正確な距離もわからないが、縄張りは意外に広く、ざっくりと半径一キロ近い円が西方に広がっていることは理解できた。
俺の現在位置はその円の東端辺りといったところか。まっすぐ南へ向かえば、ジャイアントマッドボアに襲われることなく先程の道に出ることができるだろう。もう少しすれば狼煙も上がるだろうから、合流も問題なさそうだ。
携帯していた水を飲みながら進む。
危なかった。野営の場所は気を付けねば。自分に言い聞かせながら歩く。
しばらく歩くと予想通り、馬車で通った道に戻る。それから程なくしてヒカリたちと合流することができた。ヒカリが尊敬の眼差しを向けてくれたのがとても嬉しかったのは内緒だ。
五日間の旅路の末、国境に近い小さな町で御者と別れた俺たちは一泊してから国境を越えることに決めた。
「そういえばさ、エイジフット王国の隣って、北はジェミラ帝国、南はムシラ王国と接してるよね」
国境越えについて酒と食事を楽しみながら話し合っているとき、ヒカリが疑問を口にした。
「そうだけど」
「何で南のムシラ王国の方を通ろうと思ったの? ジェミラ帝国の方が戦争は落ち着いてるんじゃなかったっけ」
「まあそうらしいね。ムシラ王国とエイジフット王国は絶賛戦争中みたいだしな」
「じゃあジェミラ帝国から北周りで進んだ方が良くない?」
「最初はそう思ったんだけど」
俺はヒカリに説明する。
国境付近の警備はどうやらジェミラ帝国の方が厳しいらしい。
ジェミラ帝国は何らかの実績を示せる冒険者や商売の許可証を持っている商人なら簡単に通行できるが、大した実績もない冒険者や一般旅行者、亡命者なんかは足止めを食らうことが多いようだ。通過するのに二ヶ月以上待たされた人もいると聞いた。
対してムシラ王国は兵士こそ激しく戦っているようだが、一般人の通行は緩い。
そもそも戦争しているとは言いながらも、両国の貿易は継続中だ。エイジフット王国は豊富な綿や絹の産地だ。それらをムシラに輸出している。ムシラはムシラで鉱山地帯が多く、銀や銅などをエイジフットに輸出している。他にも互いの国になくてはならない多くの商品が商人によって取引されており、危険人物扱いでない限り国境越えは容易いとのことだった。
「へー、戦争中なのに貿易してるなんて変な感じ」
「お互いのお国事情ってやつなんだろうな。おかげで簡単に通れるんだから感謝だけどな」
「たしかにねーー。でも大丈夫かな、危険人物にならない?」
「え。なんで?」
「だってここにいるのは『卑怯逃げのハクヤ』でしょ。名前だけ聞いたらヤバい匂いがぷんぷんするわ」
「そんな二つ名を国境で言わねえよ! 言ったところで馬鹿にされるだけだわ」
からかってきたヒカリに突っ込む。とはいえ冗談も飛ばせるくらいの仲になってきてほっとしているのも事実だ。
ヒカリのコミュニケーション能力の高さに感謝する。ガンガン話しかけるのも大切かもしれないけど、相手が喋りやすくなるのが一番のコミュニケーション能力だと思う。
「あと理由って程ではないけど、ディムヤットの町からムシラの国境の方が近かったからかな。なるべく早く魔王の城に着きたいって考えると、距離が近い方がいいって単純な理由だ」
「まあ近いってのは大事だよねえ」
「地理や魔物の生態もムシラ王国の方を重点的に調べたし」
「ハクヤってそういうのスゴイよねえ。頼りになるーー!」
「それほどでもねえって」
ヒカリは笑顔で褒めてくれる。
まずい! 好きになってしまう! 俺みたいな会話弱者はすぐ好きになるんだから気を付けろまじで。
「ひょっとしてムシラ王国越えたらすぐ魔王の領地ってのも大きい?」
酒を飲みながらヒカリが尋ねてきた。酒に強いらしく表情は全く変わらない。
「ん?」
「この大陸ってさ、大きく北と南に分けられるじゃん。南は右からエイジフット王国、ムシラ王国で、次はもう魔王の国だよね。でも北は右からエイジフット王国、ジェミラ帝国、ココナさんたちが復興したイナメナス共和国、魔王の国の順だからさ」
なるほど。魔王の領地に辿り着くまでに経由する国の話か。エイジフット王国から魔王のところまでは南側を通ればムシラのみ、北側を通るなら二国通過しなきゃいけない。
「つまり国をひとつ余計に通るから大変なんじゃないかってことか」
「うんうん」
「たしかに経由する国はなるべく減らしたいってのはあるけど、それ以上に大きな判断材料がある。魔王の城の場所が関係している話だ」
「魔王の城? でも魔王メックエイルのいる場所ってわからないはず」
「まあ正確な情報はないけど推測はできる」
酒でのどを潤して続ける。
「魔王メックエイルが人間の土地に侵攻してきたのは、北側からが三回、南側からが八回で、圧倒的に南に来ている回数が多いんだよ。
さらに、だ。魔王軍が引き上げたコースを調べると北側から撤退するときは南西方向へ、南側から撤退するときはそのまま西へ移動していることがわかっているんだ。
このことから魔王の城は領地の南側にある可能性が高い」
「なるほどねーー。あったまいい!」
「確定じゃないからな。実際には魔王の幹部が軍を率いていて、そいつの拠点が南にあるとか、本拠地を偽装しているとかだってありえる。
とはいえ人間を甘く見ていた魔物たちのことだ。わざわざ本拠地を誤魔化す真似をしないだろうから、南側が確率高いだろうなって話だよ」
「魔王の城がたぶん近い。それが理由ってことね。でもさ、ハクヤは何でそんなに急いで行こうとしてるの?」
ヒカリが不思議そうにしている。
そういえば言ってなかったか。
俺は魔王の城にある宝物庫を目指していること、そこに納められている『渡り石』というものを探していること、その石は元の世界に帰る力があるということ、魔王が討伐されたら宝物庫の宝も倒した人のものになるため、それより前に『渡り石』を手に入れたいこと、だから急いでいるんだということを伝えた。
「元の世界に帰るために旅してるってのは聞いてたけど、そんな石があるんだねーー」
ヒカリが腕を組みながらうんうんと頷いている。
「ヒカリも帰りたい?」
俺は真面目な顔をして真っ直ぐにヒカリを見ながら尋ねる。いい加減に訊いてはいけないような気がしたからだ。
「うーーん、最初のころは帰りたかったけど今はどうだろ。でも帰れるなら帰りたいかな。その石ってひとりだけしか帰れないのかな」
「わからない。そもそもそんな石があるというのも怪しいくらいだな。最近ぽっと出てきたような噂話だからさ。ただ」
「ただ?」
「もし本当に『渡り石』があるなら、ひとりしか帰れないってことはないと思う。魔晶の場合、エネルギーは放射状に広がる。『渡り石』も原理は同じはずだから、百人とかは不可能だとしても周囲にいる数人は帰れると俺は予想している」
「じゃあもしあったら一緒に帰ろうね!」
屈託のない笑顔でヒカリが言う。こうやって人は人を好きになっていくのか。
「今私に惚れたでしょ」
「そんなわけないだろ、何かあったらココナさんやマツヒデさんに殺されるし」
必死に取り繕う。人を好きになるとか緊張感がなくなるから避けなければ。
これからはさらに過酷な旅が続くんだ、しっかりしろ自分!
「と、とにかく、明日はいよいよ国境越えだ。商人や冒険者専用のルートを通るから何も問題ないだろうけど、ムシラ王国に入るわけだからな。俺たち冒険者にとっては友好的じゃない可能性もある。さらに魔物の生態も変わってくる。気を引き締めて行かなきゃだぞ」
「わかってるって! それより国境越えの前に戦争に巻き込まれたりしないよね」
「それはないだろ。戦場になっているのはここよりもっと南の方だし」
「でも奇襲するために別動隊がこっちに来るとかは?」
「考えすぎだって。明日は早朝暗いうちに出発だし、備えて休むぞ」
「はいはーい」
テーブルにあった酒や食事を平らげると、俺たちは宿のそれぞれの部屋に戻った。
ついに国境越えだ。
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TIPS
魔法について③
転移者の使う魔法はエル・ファテハの住人より数十倍から数百倍の威力があります。女神の加護によって蓄積できる魔気の量が桁違いに多いことと、雷魔法など限定的な魔法しか使えないことによる一点集中効果で威力が上がっています。
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