短い旅を終える。

lager

第1話

 昔から親父が嫌いだった。

 最初にそうと自覚したのは、俺が弟に怪我をさせて泣かせたときだった。


 黄色く擦り切れた畳の上。

 黄色い裸電球と、スイッチの紐に括り付けられた小さな紙風船。

 俺と弟は相撲を取った。

 真剣だった。少なくとも二人にとって、それは真剣勝負だった。

 見よう見まねでがっぷり四つに組み合い、押し合った。

 俺のズボンを掴んで精一杯力む弟の鼻息と、汗ばんだ髪の匂い。

 裸足で踏みしめる畳は固く、痛い。

 俺は渾身の力で弟の体を押し返した。


 弟は負けじと下から俺の体を持ち上げようとするものだから、俺は踏ん張って斜めに力を入れ替え、弟の重心をずらした。

 大きな音がした。

 弟がうずくまって、額を抑えていた。


 すぐにお袋が駆け付け、俺を怒鳴りつけた。

 弟は顔をくしゃくしゃに歪め、真っ赤になって涙を零していた。

 お袋の目がぎょろりと大きく剥かれ、俺の顔に唾が降ってきた。

 俺は真剣だった。

 弟も真剣だった。

 俺はズルをして勝ったんじゃない。

 俺は弟を虐めたんじゃない。

 弟は俺に酷いことをされたから泣いてるんじゃない。

 柱にぶつけた額の痛みと、真剣勝負に負けた悔しさで泣いてるんだ。


 お袋は分かってない。

 何も分かってない。

 俺は親父の助けを期待した。

 だって、親父は相撲が好きだったから。

 毎日相撲の取り組みを録画でチェックしていたから。

 お気に入りの大関が土をつけられ、本気で悔しがっていたから。

 だから、きっと分かってくれる。

 そう、思っていたのに。


 親父は何もしてくれない。

 ただおろおろと、普段のむっつりと押し黙った怖い顔とはかけ離れた情けない表情で、居間のソファからこちらの様子を窺っている。


 なんだ、この格好悪い男は。

 これが俺の親父なのか。

 俺の両目から涙が零れた。


 俺は親父のことが嫌いになった。

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