意外な話

 リストランテでの食事も終わったのだけど、問題はこの次だ。綺麗に終わるのならこれでお別れだけど、


「あのね、高校生じゃないのだから」


 もう少し飲みたいか。どこに行くかだけどスナックは論外だよな。カラオケも好きじゃない。音痴までいかないけど聞かせるような歌じゃない。いつものところで良いか。


「ここなの?」


 見た目は古いビルだけど怪しい店じゃないぞ、


「色気なし、カラオケなし、美味い酒ありって?」


 そういうこと。


『カランカラン』


 木製の扉を開けるとカウベルが鳴る仕組みなんだけど、


「こんな店まで知ってるんだ。この女たらし」


 どこがだよ。ここは正統派のオーセンティクバーで神戸でも屈指の名店の一つになる。


「ヘミングウェイにこだわりが強い店なの」


 こだわりまでないけど因んでるぐらいかな。少なくともヘミングウェイ好きがスノブな話題で盛り上がる店じゃない。そうだな、ヘミングウェイゆかりのカクテルを得意としてるぐらい。


「そうなんだ。それだったらフーロズンダイキリ」


 ボクはモヒートにして今日二度目の、


「カンパ~イ」


 ここまで来ちゃったって感じだな。別にここに来たからって何が起こる訳じゃないにしても、もう誰が見てもデートだろう。


「このフローズンダイキリ、チサの好みだ。モヒートも飲ませて」


 良いけどストローをそのまま咥えたりしたら、


「モヒートもさすがだ。こだわってるだけあるよ」


 ここのモヒートは神戸一だと思ってるけど、そんな事より、


「こういうバーも来たかったんだ。そんなお年頃になっちゃったもの」


 それはある。ボクも若い時からバーには憧れがあって、


「カウンターでマティーニの世界でしょ」


 バレたか。チサさんは、


「高層ビルのバーでマンハッタンの世界だよ」


 それもあるあるだ。イイ女が高層ビルからの夜景を眺めながらグラスを静かに傾けるだろ。


「結婚したのが割と早かったでしょ。それに居酒屋旦那だったから、ビールと酎ハイばっかりだったもの。ちょっとした夢が叶った気分」


 チサさんはかなりのロマンティストだものな。それはそうと気になっていたことが。ボクが高校時代にチサさんを助けたってなんだったの。


「ウソでしょ、ホントに覚えてないの!」


 覚えてないんだよな。まさか暴漢に襲われそうになったチサさんを助けたとか。なわけないよな。あの頃のボクだったらぶっ飛ばされて終わりだもの。


「近いよそれ」


 はぁ、そんな武勇伝は記憶の端にもないぞ。


「イワケンを覚えてるでしょ」


 数学の教師だろ。たしか岩永健三郎だっけ。


「そのイワケン。チサはね数学が苦手だったのよね。あの頃って高三で文系と理系にコースが分かれたけど、高二の数学なんか必要ないと思ったらますます苦手になって追試の常連だったのよ」


 そうだったのか。まあイワケンの数学はやたらと追試組が多かったから、


「追試どころか追々試まで受けさせられたけど、それでも足りないってイワケンに言われたのよ」


 足りないって、それってもしかして、


「落第させるって脅かされてた」


 ちょっと待った。ちょっと待った。あの高校でも留年はあったけど、それは長期欠席とかの話で試験の成績だけで留年は聞いたことがないぞ。


「わかんないかな。イワケンに目を付けられていたってこと」


 えぇ、えぇ、それってセクハラ教師。


「そうだよ、学年末試験も悪かったら数学は落第にするって。それもだよ、八十点が合格ラインって言い放ちやがった」


 八十点だって! イワケンの試験は難しくて、平均点が下手したら四十点を切るぐらいだったはず。だから追試組がゴッソリ出たのだけど、あれで八十点を取れはムチャクチャだ。


「後はお決まりよ。落第したくなかったら『わかるだろ』だよ」


 イワケンがそこまでのセクハラ教師だったなんて知らなかった。あっ、ちょっと思い出したぞ。あれは冬休み前だったはずだけどチサさんが相談に来てたよな。


「呆れた、やっとなの。どれだけ必死の覚悟でお願いに行ったと思ってるの。それなのにコウタったらニコリともせずに、


『冬休みの間に考えとく』


 それだけ言って帰っちゃったじゃない」


 そうだったっけ。それは悪かった。だってだよ、イワケンの学年末試験で八十点を取らせてくれと頼まれたって、そんなもの右から左に出来るものじゃないだろうが。ましてや追試どころか追々試の常連だって言うのだもの。


 正攻法で行っても絶対に無理だと思ったから裏技を使うことにしたんだ。イワケンは一年から数学の受け持ちだったから、どんな問題を出してくるかのパターンはだいたい読めてた。これでも灘中、灘高を落ちてるからな。


 いわゆるヤマを張る作戦だけど、さすがに出題をズバリと当てるのは無理じゃない。だからイワケンが出すだろう問題のタイプの予想と、イワケンが仕組みそうな解答の罠の見抜き方を、冬休みの間にノートにまとめたんだった。


「やっと思い出してくれた。でもさぁ、あの時だってぶっきら棒に、


『期末試験までに暗記しとけ』


 これだけだったじゃない。殴ったろかと思ったぐらいだったよ。でもさぁ、あのノートってなんなのよ。まるでゲーム攻略本だと思ったもの」


 結構な力作だったはず。結果はどうだったの、


「ああもう、それも覚えてないの。ちゃんと八十点をクリアできたよ。そのままみたいに出てきたからビックリしたもの」


 それは良かった。あんなことでも感謝されるんだな。


「するに決まってるじゃないの! それにもう一回助けてくれたじゃない」


 はて、まだなんかあったっけ。


「試験を返してもらった時にイワケンがカンニングだって騒いだのを覚えてないの」


 そんな事もあったような。


「そしたらコウキがのっそり立ち上がってさ、それはカンニングじゃない。イワケンにノートを見せろって言ったでしょ」


 言われてみれば、


「カンニングは違法行為だけどヤマを張るのは合法だって。そこに予想問題と解答法がすべて書いてあるって」


 それで話が終わったはず。


「そうなんだけど、あれで話が終われたのはコウキが作ったノートだったからなのよ」


 誰が作っても同じだろ。そしたらチサさんは呆れかえったように、


「イワケンはね、一年かけてチサを狙ってたのよ。もう逃げようのない窮地にまで追い込まれてたの。コウキのノートで合格点は取れたけど、あれってヤマ張りじゃない」


 そうだけど、


「コウキじゃなかったら、グルでカンニングだって絶対にイワケンは騒ぎ立てたはず。コウキだからイワケンはぐうの音も出せなかったのよ。コウキのあの時の点数を言ってみなさいよ」


 たぶん満点だったはず。


「そうだよ。コウキはイワケンの試験を一年からずっと満点だったじゃない。それだけじゃないよ。あのイワケンの嫌味な『これを解いてみろ』だってアッサリだったじゃない」


 数学は得意だったものな。


「そんなコウキが立てた出題予想だったから、イワケンもケチが付けようがなかったのよ。だって職員会議になってもコウキがカンニングしたって言っても誰が信じるものか」


 一応ガリ勉の優等生だったからな。そういう意味での信用はあったかも。


「チサは絶体絶命の窮地に追い込まれてたの」


 ボクじゃなくても、


「あんな作戦を思いつけるのはコウキしかいないし、コウキだからイワケンは引っ込まぜるを得なくなった。コウキはチサのピンチに現れた救世主なのよ。どれだけ感謝してることか。なのに、なのに、お礼をしようとしても知らんぷりだったじゃない」


 だったっけ。あの頃はそう見られたのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る