【短編】悪役令嬢は義弟を叩きのめす(つもりが溺愛される)
未知香
短編
「はじめまして、ミシェルです。……お姉さま、と呼んでもいいでしょうか」
おずおずと父の横で、可愛らしい男の子が上目遣いで私の事を見ている。
黒髪に黒目の、まだ小さいと言ってもいい男の子。
初めて見る子だけれど、私は彼をよく知っていた。
ついに来た。
私は強張りそうになる顔を、気合で笑顔の形にした。
「ええ。もちろんよ。弟ができるだなんて嬉しいわ! ミシェル、これからもよろしくね」
目の前に居るのは、ミシェル・グリドファー。
つややかな黒髪に、瞳は黒曜石のように深く神秘的な瞳で、彼に見つめられたらそれだけで好きになると評判な青年となる。
彼は十歳で魔術の力を買われ、侯爵家へ養子になった。
悪役令嬢の弟であり、主人公を貶めようとした彼女を破滅に追い込む黒幕。
それが、私の大好きなゲーム『星月夜の誓い~恋に落ちたPrinceたち~』での設定だ。
『恋プリ』は王道だけれど、それぞれ丁寧に描かれるイベントがとてもときめく乙女ゲームだ。
その攻略対象であるミシェル。
色気があり、紳士的なのに黒い部分もある。才能にあふれた分傲慢な部分もあり、それが魅力的でもあった。
しかし、主人公に会い優しさを知り、人を見下したことを恥じる。
そして取るに足りない相手として義姉であるシェリーミアを野放しにしたことを悔い、報復に走る。
ちょっとヤンデレで、執着心があって、でも変に素直でとてもいいルートで、ミシェルは私の推しだった。
問題はそのミシェルの姉である、悪役令嬢シェリーミア・グリドファーに、私が転生しているって事だ!
「私も嬉しいです。お姉さま」
にこりと笑ったミシェルは、あどけなくて可愛かった。
十歳である彼はきっとまだ素直に違いない。
まだ、乙女ゲームが始まるまで、五年ある。私はまずはこの日の為に、準備はしてきた。
「握手しましょ! 魔術が凄いって聞いたわ」
「ええ、魔術に関しては自信があります」
はにかんだように笑ったミシェルの瞳には、魔術への自信が見えた。
ぎゅっとにぎると、十二歳の私の手よりもずっと小さいその手は温かい。
身長も私よりも少し小さく、完璧だと思っていた彼の頭にはつむじがあって、それがとても可愛かった。
「私も、魔術に関しては頑張っているのよ」
「そうなんですね! 楽しみです」
にっこり笑いつつ、私は決意を新たにした。
私が生き延びるためには、仕方がない。
これから私はこの子を圧倒的な力で叩きのめして、私を尊敬するよう育てるつもりだ。
**********
魔術の練習をしようと誘って来たシェリーミアに、弟としてはついていかないわけにはいかない。
新しく父になった侯爵は、意外にもほほえましそうに私達を見ている。
「こっちが魔術の訓練場なの! 広くはないけれど、魔術を使っても安全なのよ」
「それは凄いですね」
「一緒に行きましょう! 迷子にならないでね」
ぎゅっと手を握ってこっちだと誘う彼女に、仕方がないという気持ちで手を引かれた。
事前に聞いた話では、シェリーミアは愛されている我儘令嬢という事だった。
特に秀でたものもなく、しかし何でも欲しがる典型的な貴族のお嬢様。
なるべく表面上の関わりでいたかったのに、とため息をつく。それに気が付いた様子もなく、訓練場でくるりと私に向き合い、にこりと笑いかけてきた。
「あなた、魔術が得意なのよね。一勝負しましょう!」
「……危ないかもしれませんよ」
「いいのよ」
お嬢様だと思っていたけれど、意外と好戦的なのだろうか。正直気がのらない。
今のところ魔術師団に所属する大人以外で自分より強い人を見たことがない。
……変に恨まれたりしないといいけど。
せっかく肩身の狭い子爵家から侯爵家に来て、魔術に専念できるような環境となったのだ。面倒ごとは勘弁してほしい。
子爵家では強い魔術師である自分を持て余していた。父と母は魔術師である自分を怖がり、教師は嫉妬の目を向けてきた。
この力で、ずっと遠巻きにされるか妙に近づかれるかのどちらかだった。
侯爵家では、魔術師としての力を期待されて養子となった。
その事が気楽だった。
誰にも関わる気はなかった。
なのに、こんなお嬢様が自分を気にするなんて。
しかし断るのも面倒そうだ。そんな気持ちを隠し、戸惑った顔で頷いて見せる。
「わかりました。よろしくお願いしますお姉さま」
「そうね……申し訳ないけれど、ミシェルには負けないわ」
何かを決意したようにギッとこちらを見る彼女は、弱い動物が必死に威嚇しているようで思わず笑いそうになってしまう。
可愛い。
……可愛い?
魔術の才能と侯爵への養子入りによって、また自分の見た目によって声をかけてくる女子は多い。
しかし、今までどんなに見た目が整っている子を見ても、可愛いだなんて思った事なかったのに。
自分の気持ちに驚いていると、何を勘違いしたのかシェリーミアは語気を強めた。
「流石に怯えているかもしれないわね。でも、申し訳ないけれど私はあなたに勝つって決めているのよ。……今しかないのだから」
「ええと、頑張ります」
「この年の二歳差は大きいわ。残念ね」
「……そうですね」
意味はわからなかったけれど、その言葉には強い決意が見え私は真面目な顔で頷いた。
結果は、圧倒的だった。彼女は頑張っていたけれど凡庸だった。
けれど、練習を重ねていた事だけは感じ取れた。
「私、六歳で悪役令嬢だって気が付いてからずっと魔術の練習をしていたのよ……欠かさずやってきたのに、何で負けちゃうの……?」
私の魔術の糸にぐるぐると巻きつかれて身動きが取れなくなったシェリーミアは、呆然としたように呟いた。
「……私も欠かさずに、魔術の訓練はしていました」
糸をとる為に近付き、何の慰めにもならない言葉をかける。それなのに、シェリーミアは俯いて苦しそうにつぶやいた。
「ミシェル……やさしい」
「私は優しくなんてないですよ」
よく言われた。才能があるやつは傲慢だと。
……シェリーミアに圧勝し、今もうまく言葉が出てこない。彼女がぼろぼろなのに対し、こちらは息ひとつ乱れない。
彼女にもきっと、嫌われただろう。
もう乱れることのないと思っていた心が、少し痛んだ気がした。今更気のせいだ。
「優しいのに、倒そうとしたりしてごめんね」
「倒れませんでしたけどね」
謝るシェリーミアの顔を見るのが怖くて目を逸らした。また何故か憎まれ口を言ってしまった。
「……まだ、これぐらいなら叩きのめせるかと思ったのに」
「叩きのめすとは物騒ですね」
可愛い声で酷い事言うので思わず笑ってしまうと、彼女の目からは大きな涙がこぼれた。
「二歳差は大きいと思ったのよ! ミシェルの天才! それなのに努力もしてるなんて!」
泣きながら、褒めているのか怒っているのか。笑いをこらえ、謝る事にする。
「……ごめんなさい! 泣かないで」
「ひっく……や、やっぱり悪役令嬢になってしまうわ……。わたし、学園に入ったら、破滅させられちゃうのよ……」
本当に悲しそうに言うので、慌てて魔術の糸を取り去る。自由になったはずなのに、シェリーミアは涙もぬぐわず私を見たまま、ぼろぼろと大粒の涙を流す。
そのまっすぐにきらきらとした瞳が、綺麗だと思った。
ハンカチを持っていて良かった。そっと涙を拭う。
柔らかな頬の感触がハンカチを通して伝わってくる。
「破滅なんてしないですよ」
「するわ……悪役令嬢なんだもの……。ミシェルには負けちゃうし……」
シェリーミアの言っていることはわからないが、安心してほしくて彼女の背中をそっと撫でる。
自分より大きいはずの、その身体が小さく見える。
「大丈夫ですよ。……私が護りますから」
知らず自分の口から出てきた言葉に驚く。
誰を護りたいだなんて考えたこともなかったのに。
でも、同時に納得する。
もう、シェリーミアに泣いて欲しくないと。彼女は良くわからないけれど、怯えている。自分が居るからと安心して欲しい。
「ミシェルのお姉さんだから、私も多少は魔術の才能があって、今なら勝てると思ったのに……」
「血は繋がってませんよ」
私が突っ込むと、彼女は虚を突かれたように目を見開いた。
「きょうだい……」
気が付いていなかったのか。血は繋がっていない、重要だ。
これは今後シェリーミアにもちゃんと意識してもらいたい。
「そうです。義理の兄弟は結婚だってできるんですよ」
そうゆっくりと耳元で囁けば、シェリーミアは耳を押さえて顔を真っ赤にした。可愛い。
「やだ! ミシェルったらもう色気がある! 『恋プリ』のミシェルになりかかってる!」
ずっと言っていることは全く意味がわからないが、彼女が色気を感じたのなら今後も頑張ろうと思った。
**********
「計画を変更したわ。叩きのめすには魔術である必要はないって気が付いたの!」
シェリーミアがにこにことしながら、クッキー籠を持って得意げに宣言する。
「どう叩きのめすんですか?」
「あっ。笑ったわね。……甘いもので蹂躙するのよ! これを食べればすぐに姉のすばらしさを感じるはずだわ」
「甘いものはあまり好きではないのですが」
正直に告白すると、シェリーミアが驚きショックを受けた顔をする。
「そんな! 一週間練習したのに……!」
「いただきます」
最近忙しそうにしていると思ったら、お菓子の練習をしていたとは。
それも、私の為に。
ちょっとだけ形の悪いクッキーを食べる。甘い。
「苦手なんでしょう!? 食べなくていいわ。次は料理にするから好きなものを教えてちょうだい」
「このクッキー、余ったらどうするつもりなんですか?」
「庭師のグレッグにあげるわ。甘いものが好きみたい。練習の時上げたら喜んでいたから大丈夫よ!」
必死で気にしないでと手を振るシェリーミアから、かごを取り上げる。
「今好きになりました。でも練習するならそれもください」
「えっ。……どうして?」
「上達の過程がある方が感動するからです」
「ええ、ミシェルはちょっと変わってるわね。……じゃあ、好きなものを教えて」
私の為に作られたものを、誰にも渡す気はない。
その言葉は飲み込んで、なるべく難しそうな料理を考える事にした。
**********
「学園は全寮制よ」
「信じられない。魔術で寮を壊しましょう」
「ふふ、二年後に困る事になるわよ。あなたも通うんだから」
私の言葉が冗談だと思ったようで、シェリーミアが笑う。
二年後はシェリーミアと一緒に寮で学園生活。
確かにそれがなくなるのは困る。
「それにあなたにも運命の出会いがあるわ」
シェリーミアは時々予言じみた事を言う。自分は破滅してしまうとか、私に運命の出会いがあるとか。
あるはずがない。
シェリーミアはどんどん可愛くなる。少し釣り目で気が強そうで、赤い服が良く似合う。そして、いつだって小動物のように挑戦的で素直で泣き虫だ。
「……シェリーミアが一人で行くなんて心配なんだ」
「一人じゃないわよ! メイドのマリーが一緒なんだから」
「私も行きたい」
「二年後にね。……楽しみにしているわ」
全然楽しそうにしないで言うから、つい悔しくてぐっとシェリーミアの手を握る。
どんなに感情を伝えても、シェリーミアは姉だという姿勢を崩さない。
こっちは姉だという視線は捨てているのに。
「すぐだから」
「そうね。私も品行方正に生きるから、ちゃんと見ていてちょうだい!」
「なんでそんなに」
力を込めて言うんだ、と思ったけれど品行方正明るい男女交際でお願いしたいので頷いておく。
貴族は在学中に婚約する事は多い。学園で交流が深まり、両親との話がまとまればそのまま婚約となる。
自分のいない二年間。気が気じゃない。
どうしていいかわからずにシェリーミアを見つめると、彼女は優しく微笑んで私の頬を撫でた。
「あなたは意外と心配性よね、ミシェル」
彼女以外しない評価で、何故か寂しそうに笑った。
「すぐに追いつきます」
「ええ、お願いね。……後はあなたがお姉さまと呼んでくれて私を好きになってくれれば完璧だったのだけれど……」
「名前で呼びたいんです」
「ううう、そこだけでもゲームと変わってほしかった……蹂躙計画はすべて失敗だったから……仕方ないけど」
「それに、私はシェリーミアのことが好きです」
私がそういうと、彼女は楽しそうにくすくすと笑った。
やっぱり冗談だと思ったらしい。
「ありがとう! ミシェルはいつも優しいわね」
私が優しいのは、シェリーミアだからだ。
**********
「……これは本当なのか」
「諦めろ。本当だ」
シェリーミアの入った年は、王太子殿下、その護衛、臨時教師、庶民の天才と驚くような美形がそろっていた。
将来性も問題ない。
「夢であってくれ」
侯爵がつけてくれた従者であるグリードは優秀だ。彼が渡した資料に間違いはないはずだとわかっていても言わずにはいられなかった。
「現実だ。……でも、女性にとっては夢のような年ではあるな」
にやにやとしながらグリードも資料を覗く。
ここに来た時から従僕となったグリードは、二人の時は砕けた喋り方で気の置けない友人でもある。
……こうして、シェリーミアの相談が出来るぐらいには信用している。
「どうしたらいいと思う?」
「……とっておきを教えようか?」
にやりと笑ったグリードは、悪い誘いのように手招きしてきた。
グリードは、顔は普通よりちょっといいぐらいなのに、驚くほどモテるのだ。女性のあしらいもうまく、悪い話はまったく聞かないのが凄い。
悪魔に甘言のように、私は彼の手招きに誘われてしまう。
彼の顔に耳を寄せれば、驚くような言葉が待っていた。
「!!」
「これで間違いない。後はミシェル自身の価値をきっちり上げろ。誰にも文句を言わせないぐらいに」
「……わかった」
**********
「シェリーミア、おかえり」
「久しぶり! お出迎えありがとう。忙しいって聞いたけど大丈夫だったの?」
夏休みを利用して、久しぶりにシェリーミアが帰ってきた。半年ぶりだ。
少しだけ髪の毛が長くなって、更に大人びた雰囲気になっている。
「魔術師団の事ですか? 問題ありません」
「学園入学前に魔術師団の訓練には入れるなんて、凄い事よ! さらに師団長にもかなり有望視されているって、学園でも噂だったのよ」
「悪い噂じゃなくて良かったです」
「……背も高くなったわね」
口調はいつものように優しいのに、時折見せる寂しそうな笑顔で私を見た。
手を伸ばして、私の髪をそっと撫でた。
「あなたにも運命の相手が出来てしまうのね」
シェリーミアが呟いた言葉に、私はカッとなった。髪を撫でる手を、ぐっと握る。細くて、か弱い。
護ってあげたいと、ずっと思っていた。
その為の力も、ずっと欠かさず培ってきた。
「運命の相手には、もう出会ったんだ」
私が言うと、シェリーミアの顔はぐしゃっと崩れた。
「『恋プリ』とはちょっと違うけれど、始まってしまうのね」
「シェリーミア」
俯いてしまったシェリーミアの両手を掴み、こちらを向いてもらう。
強引な仕草に驚いたのか私の事を見上げ、目をぱちぱちとした。
「えっ。どうしたの急に? 破滅にはまだ早いはずなのに」
「シェリーミアはずっと破滅するって言っているね」
「……運命なの。私は何も変えられなかった。」
「私がシェリーミアの言う破滅から護るから大丈夫です」
「……嬉しいわ。覚えておいてね、弟のあなたの事は大好きよ」
全く信じていないように、シェリーミアは笑った。
弟として大好きだと。
それが嫌で、私はシェリーミアに強引に口付けた。
「え……みしぇる……?」
呆然としたように呟いた後、シェリーミアは顔を赤くした。
嫌そうではない反応に気を良くして、今度は頬に口づける。
「シェリーミア、ずっと、あなたが好きでした」
「わ……私はあなたの姉なのよ!」
「義理の姉です。血は繋がっていない。……結婚だってできる。初めて会った日にも言ったよね」
「えっ。えっ。これ、なんでなの? あなたはミーアが好きだから……だから、私はずっと、あなたを好きだけど、姉として……えっ」
顔を赤くしながら、わたわたと慌てている姿は小動物のようで可愛い。
「良かった。やっと私の事を意識してくれたみたいで」
グリードが言った『強引に男として見てもらう』というのが頭の片隅にあったのは事実だった。でも、何もかも失う可能性もあって、覚悟を決められず魔術に今まで以上に打ち込んだ。
その結果、侯爵の許可は得られていた。
あとはシェリーミアだけだったのだ。
でも、今日あんな風に言われたらもう弟としていられなかった。誰かに取られるのは絶対に嫌だった。
赤くなるなんて可愛い反応されたら、弟でなんて居られるはずがない。
「意識、しないようにしてたのに……! こんな格好良くなるなんて反則なんだから! ずるい! 天才!」
初めて会った日みたいに、褒めながら怒っている彼女を抱きしめる。
それに、今のは告白では?
嬉しすぎて笑いがこみあげてくるのを止められない。もっと意識してほしくて、シェリーミアをぎゅうぎゅうと抱きしめ耳元でささやいた。
「残念、そんな反応をするシェリーミアに逃げるような道は用意していないよ。覚悟しておいてね」
「叩きのめすのも失敗だったのに……どうして……」
まだ呆然と呟くシェリーミアが愛おしい。
「すっかり叩きのめされているよ。あの日からずっと」
__________
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【短編】悪役令嬢は義弟を叩きのめす(つもりが溺愛される) 未知香 @michika_michi
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