天作乃合 〜仮病の公主と密計の許婚〜

西野 すい

一 出会いは不幸のはじまり

 きらびやかに舞う宮廷歌妓たちを遠く眺めながら、ふぁぁ〜ゎっと、団扇うちわの下で大きな欠伸あくびをした。


「―公主」

「ん」


 チラッと声の主に視線を向けると、渋〜いお顔の侍女と目が合った。


「…お控えを」


 小声でもお怒りのご様子が、ひしひしと伝わる。口をすぼめつつも、小さく頷いた。

 有能な侍女はちょっとした手抜きさえ、見逃してくれない。こっちは朝から着付けだのなんだの、準備でほぼ半日拘束され、始まる前から疲労困憊だというのに。

 が、四面楚歌の宮廷で唯一の味方、侍女の蓬香ほうかは、公主を陰日向に支える忠臣。ご機嫌を損ねちゃイカンのだ。

 といいつつ、さすがにヒマ過ぎて、死にそう―。

 今宵、ここ鳳雛苑では『時には俗世の垣根を越えて若者同士で集い、自由気ままに月を愛でよう』という風流な趣旨の下、豪華絢爛な宴が催されていた。

 参加者は皆、お互い素性を明かさぬというお約束に則り、仮面や面紗ベールで顔を隠し、思い思いに余興を楽しんでいる。

 素顔は見えなくとも、そこは現帝の第二皇子が主催の宴。集まるメンツは皆、それなりの人間ばかり。しかも若手の出会いの場も兼ねた席。男も女も華やかに着飾り、月夜に華を添えている。

 御多分に漏れず、自分も顔の半分を覆う薄紗をつけているが、知り合いなんているはずもない宴会。楽しめるはずもなく。

 あぁ。もう限界。

 盛り盛りの頭が重すぎて、首が折れそう。

 楽隊の演奏が途切れたのを機に、すぐ近くの上座で葡萄酒を片手に談笑する兄に、静々と歩み寄り、いとまをこう。


「兄上―。あちらの簾の奥で、少し休んでもよろしいですか。なんだか胸が重くて」

「あぁ。無理をさせてすまないね。落ちつくまで、外しておくれ」

「恐縮です。では、後程」


 普段から身体が弱いフリをしているお陰か、兄の秦王・仲璇ちゅうせいに疑う気配はない。

 小さく会釈をして、スッと立ち上がり、後方の部屋に移動する。


「ほんと、疲れるわ…」

「公主、お声」

「はぁい」


 付き従う蓬香に注意され、首をすくめる。

 すだれで囲われた部屋からは外の様子がよく見えるが、反対側からは薄っすらと影が透ける程度。

 せっかくなので、本当に休ませてもらおう。


「しばらく外す。あとをお願い」

「はい。では、こちらをお召しに」


 彼女も慣れたもので、控えていた宮女を呼んで羽織を脱がせると、私の絢爛豪華な衣と取り替えさせた。仰々しい髪飾りがついた鬘もはずし、代わりに羽織り一枚受け取って、ひとり宴席を抜け出した。

 都からほど近い、この温泉宮に来て二日目。

 案の定、昨日も今日も、朝から晩までなーんの興味も無い宴席に引っ張り出され、心身ともに疲労は最高潮。

 だからといって、サボれないのがツラいところ。

 宴席の主催者、仲璇兄上は不仲な異母兄姉達の中では唯一、交流がある人物。事実、真っ当に会話が成り立つ兄姉は彼しかいない。

 凛々しく聡明かつ勇敢で、人望も厚い彼は宮廷でも目立つ存在。今宵の席も、彼を支持する若手官僚たちが大勢集まっていると聞く。

 確かに、自信に満ち溢れたその姿は次男でありながら、未来の天子たる覇気を存分に感じさせる。

 それが余計に、事情をややこしくしているのだけど。


「あー、しんど…」


 華やかな宮廷生活は、やっぱり性に合わない。

 どこか静かな場所で、ひと息つきたい。あと一刻2時間で終宴になるはず。それまでに戻ればいい。

 灯籠が並ぶ回廊を、衣擦れも密やかにしずしずと進む。

 宮女は走ったりしない。静まり返った回廊に鳴り響く自分の足音を聞きながら、先を急ぐ。


「おっと、どちらへ?九瑶くよう公主さま―」

(げっ…)


 喉から出かけた音をギリギリで飲み込み、足を止める。


「いやはや、主役が離席とは、貴方を目当てに来た男共が気の毒でならん」

「…」


 不吉な気配に後ろを振り返えるが、続く回廊のどこにも人影はない。

 でも、これは絶対、幻聴なんかじゃない。

 散々聞いたあの声を、私が聞き違えるはずがない。


「…おっしゃる意味が、分かりませぬ―。いかがなさいました?我が老師先生


 誰もいない回廊に向かって声を張ると、見計らった様に白髪交じりの細身の男が、柱からひょいっと姿を現わした。


「バレていたか」

「相変わらず、『隠れ鬼』がお好きのようで」


 ふざけた言い草に、煮えくり返るはらわたをぐっと押し殺す。涼しい顔で団扇を口元に寄せ、優雅に微笑んで見せる。が、影の下の頬はどうにもピクピクしてしまう。


「宝玉の如く麗しきお姿を拝見しに参ったこの老いぼれを『老師』など、畏れ多い。まこと御慈悲溢れるお言葉…、涙で前が見えなくなってしまいますわ」


 見えないのは単に、老眼のせい。

 涙を拭うマネをする人物に、大きなため息しか出すものが無い。


「なんとまあ、相変わらず流れるような美辞麗句を」

「あん?我の言葉が社交辞令だとでも?」


 内心は「お世辞を越えて嫌味だろ!」と罵りたいのだが、若かりし頃の苦い経験から私も多少は学習した。無駄な矢は、射たない方が賢明だ。

 この口笛を吹いておどける爺は、私が今、最も会いたくない人物。

 『国老』と称され、現帝が全幅の信頼を置く重鎮であり、太子の指南役も務める、政界きっての知略家・魏延ぎえん

 そしてなにより、私の『暗黒の三年間』の元凶を作った張本人だ。


「…『甘言に乗らず』。教科書を毎回隠す、何処どこぞの家庭教師の数少ない教えです。お忘れですか?」

「ンハッハハ。相変わらず、キレの良いことよ」


 楽しそうで腹立たしい。殴りたい。


「きっと、師に似たのでしょう」

「あの時の謎かけはさぞ、愉快だったろう」

「思い出したくもございません」


 宮廷人の必須科目、四書五経の講師としてあてがわれたこの男の講義は、毎度どこかに隠された教科書を探すことから始まる。

 妙に手の混んだ悪ふざけに辟易へきえきしながら、汗水たらして殿舎内を探し回った日々を、忘れてなるものか。


「ところで魏老師、こんなところで油を売っていてよろしいのです?」


 このタヌキ爺のいるところ、ロクな事がない。早くどっかに行ってもらわねば。


「なんだ、その追い払おうという気満々の風情は。久方ぶりというのに、薄情だなぁ」

「御身を案じての事でございます。どうぞ、私めにお構いなく」

「ご降嫁こうかの前にお顔を拝見したく、馳せ参じたというのに、つれないお言葉じゃのぅ」


 一番癪に障る単語をあえて口にし、爺は黄色い歯を見せた。


「当分予定はございませんので、ご安心を」

「……だからそなたは、甘いのじゃ」


 彼は急に声を下げると、蕨色の衣の袖を大きく振って、朱色の欄干の上に腰掛けた。


「そなたも、もう十九だ。時間は無いぞ」

「…」


 浅黒い頬に幾重にも皺を重ねた、妖怪のような相貌がじっとこちらを見る。茶色の小さな瞳が灯籠の灯りを映して、金色に揺らめいている。


「…どういう意味、でしょう?」


 残念ながら、この男の真意を読み取れるほど、私は聡い人間でない。


「―」


 スッと目を細めた彼はしばらく黙っていたが、突然、「ンハッ」という奇っ怪な笑い声を上げ、ニヤニヤし始めた。

 気色悪いったらない。


「そなた、この宴に何の意味があるか、知っているか?」

「若手の交流の場―、といいつつ、いつもの基盤固め、でしょう?」


 御多分に漏れず、3人の兄同士そろって険悪な関係にあった。

 長男で太子の伯枢はくすうと次男の秦王・仲璇ちゅうせいはバチバチの勢力争い中。

 今夜も各々が宴席を催し、派閥の結束に力を注いでいるのは周知の事実だ。


「そうだな、間違いない。現状、どちらの勢力も均衡を保っているが、命運を左右する程の人材は、水面下で熾烈な争奪戦の真っ只中だ」


 立ち上がると、私の周りをゆっくりと歩いて講釈をたれる。


「治世者が求めるのは王佐の才。その人物を、違えること無くなく見定めるのは可能か?あぁ、簡単ではない。そして官吏にとっても、主を選ぶ事は運命の選択と同義…」


 年寄りの話は回りくどい。早くして。


「太子と秦王、どちらに女神が微笑むかー。官僚どもも仮面の下で潮目を読もうと、必死に様子を窺っている。この難局に、態度を決めかねる者もいる。しかし―」


 思わせぶりに、チラとこちらに流し目を寄こす。


「秦王が勝負に出た。今宵の宴で」

「ん…」

「最強の手駒を、披露した」


 タヌキの言わんとする事に、団扇の陰で唇をキュッと噛む。


「末妹公主の婿選び―。今宵の宴の本題」


 ピクッと肩が揺れたのを、彼が見逃すはずもない。


「不本意か。だがな、まつりごととはそういうものだ―。公主の婿は次期皇帝の義弟。宮廷での地位は確固たるものとなる。…こんなに確実で、美味しい話は滅多に無かろう」

「…まだ、その時ではありませんよ」


 今は嫁入りなんて、考えてる場合じゃない。


「期限は刻々と、迫っておる」


 じっとこちらを見るその目は鷹のように鋭く、魑魅魍魎が跋扈する宮廷を悠然と渡り歩く者の狡賢ずるがしこさが透けて見えるようだ。


「…私はどなたとも、縁を結ぶ気はございません」

「今更なにを。知ってるだろう?そなたに権限など無い事くらい」

「そうは思いません」


 こちらにも考えはある。のらりくらり、時間いっぱい逃げ回って、どうにか持ちこたえてみせる。


「面白い事を。さすが我の謎かけを解くだけはあるな―。しかし、甘く見るでない。そなたは権力闘争の渦中にいる。望まなくとも、だ」


 聞きたくもない。

 興味も関係もない争いに巻き込まれるなんて、迷惑でしかないのに。


「婿ならば、私が逆指名でもいたしましょうか」

「相手にも選ぶ権利があるだろう。特に、我のように有能な男は」

「戸籍真っ白なくせに」

「美女がみな寄ってくるから、ひとりに選べんのだ。罪な男だ、我ながら」

「単なるカネ目当てでしょうに」


 どこの美女が好き好んで、こんな奇怪な爺にすり寄るというのか。無駄に自己評価の高い奴は嫌いだ。


「今日も舌鋒が冴えとるな。我の指導の賜物だな」

「お陰様で」


 満足げな爺に、ついイラッとしてしまう。


「どうせ選ぶなら、我のように目元凛々しい美男子にするんだな」

「ご自宅に鏡をお送りしますわ」

「見惚れてしまうだろう」

「老眼ですね」


 このジジイの神経は一体、何で出来ているんだろう?

 その図太い構造と構成には疑問しかない。


「では我は、袖の内から探り合う彼奴等を冷やかしに行くとするか」

「どうぞ、夜道にはくれぐれも、お気を付けくださいね」

「この爺に返り討ちに合いたい者がいるといいがな」


 またしても「ンハッ」と奇っ怪な笑い声を上げた。本当に妖怪なのかもしれない。


「忘れるなよ、我が舎弟!」

 

 誰が舎弟だ、誰が。

 嬉しくない言葉を残し、高笑いを響かせながら妖怪は回廊の奥に消えていった。



 ◇


「はぁぁ~」


 深いため息を落とし、朱色の手すりにぐったりとなだれかかる。

 宴席から遠く離れた、沈丁花の香りが漂う湖畔の四阿あずまや

 星空が蓋をした箱庭は流れる風に楽器の音がかすかに聞こえるだけで、ひっそりと静まりかえっている。

 灯籠が揺らめく水面に視線を落とすと、無気力顔した自分と目があった。


「疲れちゃった…」


 水鏡に映った自分の顔は、まるで亡霊。風が吹けば、消えてなくなりそうで。

 って、消えたら楽なんだけど、現実はそう甘くない。

『そなたに権限など無い』

 どうしてか、さっきの爺の台詞が、ぐるぐると頭の中をかけめぐる。


「…知っとるわ。言われなくても」


 もう子供というよわいでもない。

 立場とか事情とか都合とか、頭では理解はしてるつもり。

 だから、自分の力で、どうにかしようと必死にもがいてるのに。

 シビアな現実が、どこまでも追いかけてくる。


「だけどね」


 あちこちの岩間から湧き出す湯気が、徐々に濃さを増して庭を包んでいく。


「黙って従うだけの、操り人形にはならない」


 そう。言いなりなんて、まっぴら御免だ。


「私の人生、これ以上、他人に左右されたくない」


 男だけが、人生賭けて生きてるわけじゃない。


「これでも毎日、汗水たらして駆け回って、怒られてもめげずに頑張ってるんだから」


 言葉に出すと、徐々に気持ちも昂ぶってくる。


「なのに父君も兄上達も、何でも勝手に決めてさ。私はどこまで振り回されないといけないの?」


 思いあふれて、怒りが腹の奥底から湧き上がる。


「だいたい身内を駒にしてまで、権力手にして、みんなそれで満足なの?こんな金冠や宝玉なんて、重たいだけじゃない。何の役に立つのよ。肩凝るだけのお仕着せの見せ物なんて莫迦ばかみたいで笑えてくるわ。やってらんない、冗談じゃない。私は自分の力で生きていく。今に見てろよ。こんな家、絶対に、出てってやるんだからな―っ!」


 最後はほぼ、絶叫。

 怒りに任せて全てをぶちまけると、身体からストンと緊張が抜け落ちた。

 使い古した布団のように、手すりにダランと垂れ下がる。興奮の残滓で、肩が大きく上下した。


「なんでよ…」


 伏せた顔に夜風が冷たい。視界がじんわりと曇る。


「もう、やだ…」


 こぼれ落ちた、何か。

 それはうつむいた視線の先の水面に、音もなく消えていった。

 もう、いっそのこと、何もかも全部、この音のない夜に溶けてしまえばいいのに―。


「演説は、終わりですか?」

「ほあっ!?」


 不意に響いた声に吹っ飛ぶくらい驚いて、慌てて辺りを見回した。

 欄干から身を乗り出して、広がる宵闇に気配を探すも、濃紺の世界に人影はない。


「だ、誰ですっ!?」


 裏返った声が水面にこだますると、沈丁花の香りと共にクスクスと笑い声が広がった。


「貴女の名を私はたずねません。その方が、お互いによいのでは?お疲れの宮女・・殿」


 暗闇の中、四阿のすぐ横に咲く薄黄色の蝋梅を背に佇む男がひとり。

 目元を覆う仮面で表情はわからないが、話す声は落ち着いて品がある。どうやら不審者ではないようだ。


「…えぇ、そうですね―。お心遣い、痛み入ります」


 面紗も時には役に立つらしい。衣を変えていたのも功を奏した。恥はかいたけど、正体がバレなかった事は、 不幸中の幸いだ。


「月夜に美女の嘆き、胸中お察し致します」

「まぁ。使い古しの常套句で」


 口の上手い男、好みじゃないんで。

 絡まれても面倒。露骨に不機嫌な声で言い返してやる。


「本心にございます。この月に誓って」

「軽口は無用です。どうぞお構いなく」

「信じては、いただけませんか?」


 ゆったりと語る低音が、耳に心地いい。

 普段なら耳を傾ける美声だけど、ここで取り合う理由もない。まして、この宴に来るヤツなんて。


「まともに姿も見せない人の言葉など、誰が信じましょうか」

「それでしたら」


 そう言うと、彼はスッと前に歩み出た。

 四阿の軒先に下がる灯籠が風に揺らいで、朧げながらもその姿を照らし出す。

 銀糸の刺繍に縁取られた藍色の衣。地味でも華美でもない、控え目ながら品のある衣を纏った男は、思ったよりも軽やかな風情を醸していた。


「お目にかかれて、光栄です」


 石段をあがり私の前までやって来ると、恭しく跪いて頭を下げた。

 舞うような優雅な仕草。それだけで、それ相応の出自の者だと分かる。


「…お顔を、上げて下さいませ」

「恐縮です」


 身を起こした彼に、思わず息を飲む。

 仮面の奥にひそむ、意志の強さを秘めた茶色の瞳。

 森の泉のような深々とした静けさの中に、くっきりと私の輪郭を映し出す。

 その瞳から真っ直ぐ注がれる視線に、不覚にも頬が熱くなった。


「月夜に現れた天女よ、どうぞお見知りおきを」

「…その必要は無いでしょう」

「何故?」


 男はすくっと立ち上がると歩み寄り、視線をそらした顔を横から覗き込んだ。

 気配とともに、涼し気な香が鼻先をくすぐる。

 月の下で咲く白い花のような、控え目で、でもどこか心に残る香り。


「次にお会いすることは無いので」

「機会を下さい。次は名を名乗りましょう」


 彼は流れるような自然な動きで、私の手を取った。

 初対面の相手に、この馴れ馴れしさ。こういう人種、好きじゃない。


「…今宵の事はお忘れ下さい。今後、貴方と会うこともありませんから」

「私は諦めが悪いのですよ。狭い宮廷、必ず貴女を見つけ出します」

「無駄なことを」

「何故です?」

「貴殿には関係のないこと。口外も無用です」


 目の前の人間が、仮病使って裏工作してる公主だとは思いもしないだろうに。

 くだらない恋愛ごっこに、興味は無い。

 冷たく言い放つと、男は小さなため息をついた。


「仕方ないですね…。ではここで、口止めして下さい。―貴女の唇で」


 最後の言葉を聞き返す猶予は無かった。首元に冷たい指が触れた。


「なに―」


 強く引き寄せられて、耳に掛けた面紗が揺れ落ちる。突如として目の前が漆黒に染まると、唇に柔らかな温度が被さった。

 もう一方の腕が腰に絡みつき、ふたつの身体がきつく重なる。


「―」


 長い沈黙が、時間を奪う。

 心臓が早鐘を打つ感覚に身をよじるも、硬い腕がそれを阻む。

 侵食する熱気に飲み込まれ、無防備な身体が足元から震える。


「―ふ、あ、はぁ…っ」


 限界まで奪われた呼吸が解放されると、視界に光が差し込み、途切れていた時間が再び動き始めた。

 それと同じくして、足元からわなわなと怒りが立ち上り、熱い血が全身を駆け巡った。


「ふざっ、け―っ!」


 末語まで言い終わらないうちに、ドンッと両手で相手を押しのけて、四阿を飛び出した。

 回廊を走りながら、唇に残る余韻を袖で払い捨てる。


「なんなのっ―!」


 信じられない。

 あんなこと、初対面の相手にするなんて―!


「絶対に、こんなトコ、出てってやる―っ!」


 最悪な日は、更に悪夢を送りつけてきた。

 新春の風が白い花びらを巻き上げる夜に、悔しさに破裂しそうな感情を、ぼんやり昇った月にぶつけた。

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