第19話

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「……冬の国、か」


 放課後の教室で自分の席に座り、窓の外へと視線を送りながら、誰に言うでもなく独り言ちる。

 夕日が眩しい。キャロルはきっと今頃、自宅への帰路へ着いていることだろう。

 俺もそろそろ学園の用意した留学生用の男子寮へ帰らなければならないのだが、そんな気分になれなかった。

 意味が無いことは理解しているが、それでも、なぜだか体が重い。


 その原因は、明らかに俺自身のワガママだ。


 秋の国の王妃になる可能性が高い令嬢が、他国に留学へ行かないということは許されない。それは分かっている。

 歴史書の悲劇を繰り返さないためにも、推奨されていることを拒否するというのは、政治的不安を煽るのだから。


 理解はしているのだ。だがそれでも、キャロルに母国を拒否されてしまったような感覚が拭い切れない。彼女には全くそんなつもりなど無いだろうに。


「殿下、大丈夫ですか?」


 側近のカインの声に顔を上げる。心配そうに俺を見るカインについ、苦笑してしまった。


「あぁ、すまん。大丈夫だ」

「それが大丈夫な顔ですか」

「……俺は今、どんな顔をしている?」

「なんか死にそうな顔ですかね」


 歯に衣着せぬ物言いながら、それが不快ではない。それはカインが昔馴染みだからだ。

 乳兄弟ではないが、幼い頃から共に育った。だからこそ、公の場ではないこういったプライベートでは気安い態度を許している。

 かしこまった態度のコイツは、なんかわざとらしくてイライラするから、というのが主な理由だ。


「それで、一体なにがあったんですか? まあ、どうせリンドブルム子爵令嬢が原因なんでしょうけど」

「キャロルを悪く言うな。彼女に原因などない」

「あー、はいはい、そんで? なにがあったんです?」


 面倒くさそうながらそれでもこちらの話を聞いてくれようとしているのは、カイン自身がなんだかんだで面倒見がいいからなのだろう。


「……秋の国ではなく、冬の国へ行きたいと言われてしまったことはお前も知っているだろう」

「は? え? まさかそれが理由ですか?」


 驚きに目を見開くカイン。

 ただ、なぜだか地味に腹が立つのは、コイツの生来からのものだからだろうか。耐性の無い者では憤怒で顔を真っ赤にしてしまいそうな言動だが、俺は慣れているので気にならない。


「だったらなんだ」

「え? 心狭すぎません?」

「ぅぐ……!」


 なにか、刃のような物が突き刺さって来たような錯覚を受けるほどの言葉だった。心の底から不思議そうな、純粋な疑問だというのに。


「え、だって彼女、次期王妃なんでしょ? だったら秋の国行くより先に他の国見ておきたいのなんて当たり前じゃないですか」

「ぐうぅ……!」


 正論というものが、ここまで心を突き刺すような言葉に感じるとは思っていなかった。

 なるほど、これが『正論も時には暴力となる』という、過去の偉人、サトシ・ヤマダの遺した言葉の真髄か。

 幻痛を感じた胸を軽く擦りながら、少し落ち込む。

 仕方ないとはいえ、苦しい。


「……それに、秋の国に留学するには、今はちょっと時期が悪いと思います」

「……なにかあったか?」


 こちらには思い当たるものが特になく、つい問うと、カインは右斜め上あたりに視線を送りながら、口を開いた。


「なにか、ってほどじゃないですが、今ルピフィーンには、姫様が居ますから」

「……あぁ、リリィか」

「いくら王族と言っても、あんなにワガママだと周りの人も大変そうですよね」


 愛称『リリィ』、秋の国ルピフィーンの王女であり、ルピフィーン王家の末娘、クラリリーティア・ノア・ルピフィーン。


 末っ子として生まれたせいか、皆が甘やかした結果随分とワガママに育ってしまった、自他ともに認める『お姫さま』。

 カインがそう文句のようなものを言ってしまうほどには、問題のある姫だ。俺とは腹違いであるため、なぜか結婚出来ると思い込んでいる、祖国に置いてきた一番の頭痛の種。

 周りの人間がどれだけ『血が濃すぎて無理』だとか真っ当な説明をしても、根本の頭が悪いのか理解しようともしない。


 上の姉が稀代の天才だと言われているだけに、どうしてあそこまで能天気になってしまったのか、誰にも分からなかった。

 子供の夢を壊すのも気が引けるのか、それともただの傀儡が作りたかったのか、どの思考も理解したくないが、あの子の為にならないことは出来るだけしたくないものだ。

 ……とはいえ、それでも王族で、俺の妹だ。無下にすることも難しいのは、確かにあるのだろう。


「悪意は無いのだがな……」

「まわりの奴らがクズなのかもしれませんよ」


 カインの言葉はどこか剣呑だ。それはつまり、国を裏切っている者の存在を示唆しているのだから、それはそうだろう。


「……もしもそうなのだとしたら、厄介だな」

「探ってもらいますか?」

「そうだな。キャロルが憂いなく嫁いでこられるようにしておきたい」

「かしこまりました。ほんじゃ、うちの姉にも連絡とっときます」

「頼んだ」


 カインに指示を出し、去って行く後ろ姿を見送ってから窓の外を見る。

 眩しいほどの夕日がじわじわと山間やまあいに沈んでゆくのを見つめながら、小さく息を吐き出したのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 セレスタイン殿下がそんな風に色々考えながら色んな手配をしている中、キャロルは何をしているのかというと。


「ヘイヨーマイブラザー、冬の国って何が要ると思うー?」


 授業で出された課題と戦っていた兄もといブラザーの部屋に突撃していた。


「いや、待ってなにそれ」

「やぁ兄弟って意味らしい」

「え、どこの言葉?」

「しらん」


 紛うことなき真顔である。どうして彼女は、知らんことをそんなにも曇りなきまなこで断言出来るのだろうか。

 そんな妹、否、シスターに、ブラザーはスンとしたなんとも言えない顔で頷いた。


「……うん、そっか。それよりもノックくらいしようねキャロル」

「ほんでさー、もっかい聞くけど冬の国って何が要るかな」

「聞いて。まあいいけどさ……、んー、そうだなぁ……やっぱり防寒具じゃない?」


 ブラザーのお説教を華麗にスルーしたキャロル。そんなシスターのご様子にブラザーはツッコミを入れたものの、すぐ諦めた。キャロルはそういう子なのだから仕方ない。

 結果として導き出されたのは至極当然な答えだった。

 常春の国から常冬の国へと行くのだから、むしろそれは必須だと言えよう。だがしかし、当のキャロルは真顔で堂々と反論した。


「それは買いに行かなきゃ無いんじゃよ」

「いや、それ知ってるなら買いに行かなきゃでしょ」


 正論である。


「えー、でも冬の国がどんだけ寒いか分からんもん」

「あー、まぁ、うん、それはそうだね」


 困ったように眉を下げ、唇を尖らせるキャロルに、ブラザーもまた困ったように眉を下げた。

 春の国にだって旅行用の防寒着が売られている。とはいえ、春の国ゆえに冬の国の寒さに対する知識は、一般の服屋には存在していない。つまり兄妹は、冬の国と交流があるような服屋を探さねばならなかった。しかし、キャロルは何故か誇らしげに胸を張って、言い放った。


「だから着いてから買うしか無いと思うんじゃよ!」


 ドヤ顔である。


「……それだと凍死しない?」

「そんな寒いの!?」

「まぁ、冬の国だし……」


 冷静なブラザーの言葉に愕然とするキャロル。その顔は地球で有名な絵画、ムンクの『叫び』に酷似していた。なお『叫び』に描かれている中央の人物は、どこからか聞こえる叫びを聞いてあの顔をしている、というのはそれなりに有名な逸話である。

 だが今回キャロルがその顔をしているのは、まあ、その、アレだ。きっとそういう気分だったのだろう。知らんけど。


「まじかぁ……うーん……ほならどーしょうかね……、ブラザーは何持ってくん?」

「え、待ってその呼び方定着しちゃうの? なんか地味に嫌なんだけど」

「えー? でもこれ兄者よりかっこよくない?」

「あー、うん、僕にはその感覚わかんないや」


 本気でそう思っているらしいキャロルは、不思議そうに首を傾げている。

 そしてブラザーはというと慣れた様子で答えた。何がどうなってそうなのか分からないままである。


「ほんで何持ってくんー?」

「僕は冬の国でしか学べない温熱系の魔道具の材料だよ」

「ワシにゃぜったい要らんやつやん」


 キャロルにとっては全く参考にならないブラザーの答えに、彼女は頭を抱えた。


「そうだね。ごめんね、参考にならなくて。でも、冬の国でも魔道具の勉強が出来るみたいだから、ちょっと頑張ってみる予定だよ」


 柔らかく微笑み謝罪するブラザーを放置して、キャロルはというと眉間へシワを寄せながら唸る。


「うむむむむむ、どーしたもんかなぁ」


 そして、そのままブラザーの部屋から出て行った。ドアの閉まる音だけがブラザーの部屋中に響き渡る。


「なんだったんだ……?」


 残されたブラザーは、不思議そうに首を傾げて呟いてから、再度課題に取り掛かったのだった。


 

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