第17話

 


 春の国ア・レルピア。そこは、草木が年中花をつける、常春の楽園である。つまり。


「花粉症には地獄なんよこの国」


 プラチナブロンドと同じ色をした瞳を、かゆみから守るために出た涙で濡らしながら、ぐすぐすと鼻をすする。

 皆様ご存知、キャロル・リンドブルム子爵令嬢、通称『鈴蘭の君』。そんな通り名を付けられるほどに可憐で天使のような彼女だが、そんな儚い外見に反して中身は粗野で適当、そして儚さとは真逆の図太過ぎる神経を有した、花粉症のご令嬢、ア・レルピアーノ学園二年生の、御歳16である。


「うん、キャロルは頑張ってるよね。猫もちゃんとかぶれてるし」

「むしろなんで兄者は花粉症じゃないん。腹立つんじゃが」


 そんな彼女から理不尽な怒りを向けられながらも、慣れているのか全く気にせず、よしよしと優しく笑って彼女の頭を撫でるのは、実の兄、ローランド・リンドブルム子爵令息である。


「うーん。その、かふんしょー、って免疫力が高過ぎてなるものなんだろう? じゃあ僕は免疫力がキャロルよりも低いんじゃないかなぁ」


 はんなりと微笑む兄は、父譲りのミルクティーブロンドの癒し系美青年だ。瞳の色は母譲りのエメラルドグリーンだが、それを見た者は少ない。

 昔からおっとりしていた彼は、小さな頃から幽霊が見えたり妖精が見えたりしているらしいので、現在、妹とは全く違う理由で常に目を細めて生活していた。だって怖いもん、とは彼の切実な言である。


 ちなみに、そんな兄を持つ妹、キャロルの感想としては『総受けっぽいなこの兄』である。ちなみにこの『総受け』が何かはあんまり分かっていないが、なんとなく雰囲気でどういうものなのかは理解出来てしまっているらしい。誰だこいつをこんな令嬢にしたのは。

 なお、キャロルと同じ白金色の瞳を持つ父は、瞳の色素が薄すぎるせいか紫外線とか太陽光に耐えられず、花粉関係なく薄目で生活していたりするので、リンドブルム子爵家は四人中三人が薄目で生活している事になる。が、今はこのくらいで割愛しておこう。


「解せぬ……つーかなんで仲間が誰も居ねーんよこの国……何が嬉しくて花粉と受粉させられそうになってんの……やだこれ……受粉はワシと同じ人間族でお願いします」

「キャロル。僕の前だからって猫脱ぎすぎだよ。ちゃんと着て。あと色々言い方とか考えて。お願いだから」

「え?」


 え? じゃねぇよ、と兄は思ったが、それでも口に出さなかったのは彼が優しいのではなく、実は面倒臭がりだから、というのが主な理由であったりする。だが、その主な原因はこの妹だからなのかもしれない。


「まあいいや、……色々と調べたけど、過去にはキャロルと同じ病気の人居たみたいだよ?」

「え、そうなん?」

「うん、全員が狂死したみたい」

「あー……うん、そっかぁ」


 今になって知らされた悲惨すぎる事実に、キャロルはついなんとも言えない表情をしてしまった。さすがにこれは仕方ないと言えよう。


「原因も分からないし、何をやっても治らないから、不治の病だと伝わってるみたい」

「かわいそうに」


 いやその病気お前もそうなんだけど。と口に出さなかった兄は本当に出来た兄である。


「だからキャロルは凄いんだよ」

「やったぜ。もっと褒めろください」

「うん、キャロルすごーい」


 本当に出来た兄である。大事なことなので二回言いました。


「えへへぇっべそん!」

「あー、ほら鼻水」

「うぇぇい」


 照れ笑いする妹がそのまま鼻水を噴出させたのを見て、優しい兄はハンカチでそれを拭う。ちなみにそのハンカチは後ほどゴミ箱へ捨てられる予定である。


「はー、もーまじ花粉しね」

「ほらもう、また猫脱げてる」


 そんな二人は、傍目から見るととても仲睦まじい恋人同士に見えてしまいそうだ。が、正真正銘血の繋がった実の兄妹である。髪と目の色以外はほとんどそっくりなのだが、それに気付く者は少ない。色彩と性別の印象というものは不可思議である。

 なお、二人がこうして共に居るのは、キャロルの婚約者。秋の国ルピフィーンの王子、セレスタイン・ポラ・ルピフィーンが、溺愛している『病弱なキャロル』を一人で放置したくないとキャロルの実家、リンドブルム子爵家に相談した結果だ。

 年齢も近く、同じ学園に通う面倒見のいい兄が駆り出されてしまったのは仕方ないと言えよう。


 この世界での婚約とは、政略結婚が当たり前だったりもするのだが、それでも建前は『運命の香り』をお互いに感じたからこそ結ぶもの、というのが通説である。つまり、ゆくゆくは結婚するのが当たり前であり、それが覆ることはほぼ無い。

 しかしそれは、絶対に無いという訳ではない。


 学園に通うことによって、婚約していても『運命の香り』を見付けてしまうということだってあるのだから。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「アデライン・ストローム! お前の度重なる蛮行は許されるものではない! この場を借りて、貴様とこの僕、ラインハルト・フィラキシスの婚約は破棄させてもらう!」


 なんかすぐ近くで大きな声がして、びっくりした。

 えええ、なにいきなり。と思った次の瞬間、誰かに抱きしめられた。


「そして僕は、キャロルと婚約する!」

「は?」


 なんでやねん。


「…………な、なんてこと……!」


 いや誰だか知らんけど止めてよこの人。なんてこと! ってショック受けてる場合ちゃうやろ。お嬢様か。あ、お嬢様しかおらんかったわこの学校。


「お前が彼女と僕の仲に嫉妬して、キャロルに嫌がらせしている事など、周知の事実!」

「そんなの、事実無根ですわ!」


 色々とツッコミどころしか無いねんけどなにこれ。

 あと嫌がらせってなに。ワシしらんけど。


「彼女の机に虫を入れたり、制服のポケットに土を入れたりしていたと聞くが、心当たりがない、と?」

「そんなこと知りません!」


 それはワシが捕まえたりしてたやつですのでその人どころか誰もなんも知らんと思うよ。

 なお土はカブトムシの幼虫と一緒に入ってたやつですね。

 クラスの皆に見付かって大騒動になりそうになったやつ。どんだけ説明しても誰も信じてくれなかったのでワシはもう知りません。

 ちなみに虫捕まえて何したかったかというと、冬虫夏草を作りたかった。ただ無意味に命が消えていっただけだった。かなしみ。

 ほんで冬虫夏草は蛾だったってあとから気付いたよね。結局ここが春の国だからどの道無理だったけど。


 もちろんオカンにはバチクソにキレ散らかされました。てへ。


「ふん、口ではどうとでも言える。往生際が悪いなアデライン」

「どうして……、わたくしは、あなたの為に生きてきたのに……!」


 涙ながらに訴える女子の姿は、なんだかとても痛々しい。毎日細目で生きてるからイマイチ見えんけど。

 うーん、まぁそりゃそうか。婚約してるんだからお互いに運命の何とやらだと思って色々して来たやろうしな。それを反古にするんやったらもうちょいなんかやっとかんとやろ。甲斐性なしか。


「僕の為、だと……!? 学園で僕よりも目立つ事がか!? お前の影に隠されてばかりで、どれだけ努力しようともそれが誰にも認められない、そんな僕に、彼女だけは言ってくれた! 『そのままでいて』と!」


 なにそれしらん。言うたっけそんなん。全く覚えとらんが。


「貴族として、男性として、パートナーとして。お前が言うのはそればかりだった。そこに僕の意思など存在していないかのように!」

「ですが、それは生きていく為に必要な……」

「うるさい!」


 いやそういうの良いからはよ離してくれんかなコイツ。セクハラやぞこれ。


「そうやってお前は僕の心を殺し続けていたのだ!」

「…………」


 マジで何の話これ。また変な状況に巻き込まれたなワシ。すげえ帰りてえ。なんなの。


「っこの、泥棒猫! わたくしが知らないとでも思ってるのかもしれないけど、フィラキシス様以外の男と密会してる所を見た人が、何人もいるのよ!」


 いや多分それ兄者。あと泥棒猫て何よ。確かにめっちゃでけぇ猫は被っとるけども。


「ふん、キャロルは人気者だからな。その程度普通さ」


 ほんで何言ってんのかなコイツは。


「えっと、あの……」

「どうしたんだいキャロル。大丈夫だよ。あの女はすぐに居なくなるからね」

「いえ、そうではなく」

「怖がらせてしまってすまない。だが、これだけはやっておかなくてはならないんだ」


 そういうのええから離してくれんかなぁ。セクハラまじでやめてください。ほんで話聞けし。

 反抗期の子供がたまになってる、獲れたてピチピチの魚のように暴れたい衝動を無理矢理におさえる。うおおおおがんばれワシ!

 ワシは令嬢ワシは令嬢美人で病弱な超絶可愛い令嬢がんばれがんばれワシがんばれ!


「アデライン。僕はお前の思い通りにはならない。キャロルと、結婚する!」

「それを俺が許すと本気で思っているのなら、その頭をかち割って、中身を確認しても構わないととるが?」


 誇らしげに言い放ったアホの言葉を、斬って捨てるみたいなスッパリとした冷静な話口で問い掛けるのは、とても聞き覚えのある声だった。


「セレスタインさま!」


 うおおおおおおおおおおお! これぞ天の助け! 今じゃあ!


 驚きに緩んだ手から脱出し、目の前に現れた婚約者の腕の中に飛び込む。

 ふおおおお! やっぱりここ落ち着くわぁー。めっちゃいい匂いする気がするしな。素晴らしいね。

 とか呑気に考えてたらそのままギュッときつく抱き締められた。

 お? え? あ? 待ってなにどしたの?



 

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