十章 決着(5)

 レミルはいままでディノンに負けたことがなかった。周囲はレミルの剣の才能を評価したが、実際はディノンが手を抜いていたからだと、あとになってレミル自身が気づいた。


 ディノンが軍学校に通うため師範(ディノンの祖父)の試練を受けるとき、最後の相手にレミルは自分を推した。さすがにディノンも本気になってくれると思ったからだ。しかし、このときもディノンは本気で戦わなかった。――いや、本人は本気で戦ったつもりだろう。しかし、ディノンは無意識に太刀筋を鈍らせていた。これに気づいたのはレミルと師範だけだった。


 そのディノンが、いまは本気でレミルに斬りかかっている。それは、いままで見せたことのない剣圧だった。斬撃は重く、刃で受ければ手が痺れるほど。最小限の動きで躱し、反撃に出ても容易くはじき返されてしまう。


「あの人が刺されたこと、そんなに怒ってるの?」


 距離を取って、レミルはたずねた。ディノンの背後に横たわるメイアを、ちらっと見る。そのそばでリーヌが回復の加護を施していた。


「仲間を刺されて、なんとも思わねぇ奴がいるか」


 ディノンは吐き捨てるように答えた。


「なにより、それを、お前がやったってのに一番腹がたってる。自分の大切な奴が、仲間を刺したのを見て、正気でいられるかよ」


 レミルは目を見開いた。


 ――ああ、そうか……。


 と、心の中で笑った。ディノンが本気になる理由に、自分も含まれていることが嬉しかった。


 だからこそ決心がついた。やはりディノンに魔王を討たせてはいけない。予言の通りに、彼を犠牲にしてはいけない。彼をここで倒し、戦えなくする。


 そう思うと同時に、自らの考えに自嘲した。彼を失わずに済むなら、どんなことだってしたい。どんな姿になっても構わない。手足を斬り落としてでも、彼を戦場から遠ざける。――本当に、私は狂ってしまった……。


 レミルは下唇を噛んだ。決心したように表情を引き締め、右手で構えた霊剣に意識を集中した。青白く光った刃に左手をかざすと、そこから氷の剣を生み出した。


 身構えるディノンに、レミルは鋭く言い放った。


「もう、容赦しないから……」


 二人は再び斬り結んだ。霊剣と氷の剣を扱うレミルに、はじめは翻弄されていたディノンだったが、次第にその動きについていき、やがて氷の剣を砕いた。


 いったん距離を取ったレミルは、再度、光る霊剣の刃に手をかざした。今度は先ほどよりずっと細い剣を生み出した。霊剣に続いて氷の細剣を思いっきり振るった。刃がぶつかれば砕ける。しかし、レミルは砕けた氷から手斧を生み出し、斬撃を喰らわせた。辛うじて避けたディノンが体勢を立て直す前に、霊剣を突いた。


 刺突を太刀で受け流せば、火花が散った。払いのけて反撃するが、氷の手斧で防がれた。だが、一度砕けた氷から生み出された手斧は脆い。あっさり砕け散って、レミルは後ろに勢いよく跳ねて避けた。ディノンの追撃を目の前にしながら、今度は氷の槍を生み出し、迫るディノンにむけて突き込んだ。


 ディノンは氷の槍をはじいて、さらに踏み込んだ。脇に構えた太刀を横に払うが、レミルの霊剣によって防がれてしまう。はじかれたところに、氷の槍が振るわれた。太刀を身体に引き戻してそれを受け、はねあげた動作からレミルの頭上に振り下ろした。


 重い斬撃を霊剣で受けたレミルは、軽く顔をしかめた。


(おかしい……)


 斬撃を防いで距離を取りながら、レミルは違和感を覚えた。少しずつだが、ディノンの攻撃が鋭くなっているのだ。力も、速度も、技の切れも増している。その変化は著しく、レミルは徐々に対応しきれなくなっていた。


 ふと、ディノンの顔を見てレミルは訝しんだ。真っ白な髪の奥、見えたその容貌は先ほどよりも大人びていた。それはディノンの身体に起きている変異――レミルがディノンにかけた〈老衰の呪い〉が、メイアが与えた〈若返りの薬〉の作用によって変質したことで発症した病で、一日で赤ん坊から老人の姿になるという〈終生回帰症〉の症状によるもの。


 変化の速度は、およそ一時間で四歳ほどらしいが、戦いがはじまってから一時間も経っていないのに、開始時は十五、六歳ほどだったのが、いまは二十半ばほどの姿になっていた。


 驚いたのはレミルだけではなかった。ディノンも自身の変化に困惑していた。身体が妙に熱く、全身の骨と筋肉が震えている。わずかに遠く感じていた間合いは、少しずつ慣れたあたりにまで届くようになり、太刀を振るえば狙い通りの斬撃を与えられた。その威力も、やはり少しずつ上がっているように思えた。


 変化に気づいてしばらく経ってから原因が分かった。蛇竜から授かった漆黒の太刀――魔剣だ。


 しかし、たしかこの魔剣には、たいした能力は宿っていなかったはずだ。


 魔剣には大きく二種類に別けられ、魔法の剣と魔法で鍛えられた剣がある。蛇竜から授かった魔剣は後者で、大昔の魔法使いが己の杖を打って剣の形に鍛えたものだと蛇竜は語っていた。杖には魔法使いの魔力が宿っていたようだが、魔法の能力は宿っていない。これまでも、そのような能力が発動したことはなかった。なのに……。


 握った柄が熱く、燃えるようななにかが身体の中に流れ込んでいるようだった。それがディノンの身体に変化を与えている。――急速に身体が成長しているのだ。


 戦ううちにディノンの身体は、体力も精神力も成熟した年頃のものになっており、これによってディノンの太刀筋は、本人ですら驚嘆するほどの鋭さになっていた。


 やがて、レミルはディノンの攻撃を防ぎきれなくなった。霊剣によって生み出された氷の武器はことごとく砕かれ、逆に反撃はまったく通らない。ひと振りひと振りが鋭く重く、防戦一方となっていった。


(これが、ディノン君の実力……)


 そのあまりの強さに、本能的に勝てないと悟った。ディノンの代わりに魔王を討つ、というレミルの意気地が砕けようとしていた。


 ところが、圧倒していたはずのディノンが、突然、倒れた。


「え……?」

「くっそ。なんだ、急にっ」


 ディノンはうつぶせになった身体を起こそうと床に手を突くが、力が入らないのか、その体勢のまま起き上がることができない。


 レミルはチャンスだと思った。ディノンの手から太刀をもぎ取り、強いてはこれ以上戦えないよう、最小限の深手を負わせる。ためらう意思を意志で制し、霊剣を構えて近づこうとした。


 そのとき、ぞっとするような威圧感を覚えて、レミルはとっさに後ろに跳ねた。跳ねた直後に、渦巻く炎が襲う。霊剣を振るってそれを払った。


「――急な変化のせいで身体が驚いたのだろう」


 静かな声に、レミルもディノンも目を見開いた。


「同時に、〈老衰の呪い〉が強く現れ、君の身体を徐々に蝕んでいる。どうやら、その魔剣に宿った魔法使いの魔力が、呪いに作用してしまったようだ」


 声の主はディノンのそばまで来ると、彼の身体を抱え起こした。見上げた彼女は苦笑するようにディノンを見返す。


「メイア……。お前、無事だったのか?」

「無事もなにも、もともと急所を外されていたからな」


 は? とディノンはレミルに視線を移した。彼女は気まずそうに額に手を当てていた。


「で、でも、お前、倒れて……」

「胸を刺されれば気を失うこともあるだろう。それと、おそらく彼女は、霊剣の力で私の心臓を凍結させ、仮死状態にしたようだな。リーヌがそれに気づいて回復してくれた」


 振り返ると、力尽きたように床にすわり込んだリーヌが、ほっとした様子で笑っていた。



 レミルは深くため息をついた。


「気づいたからって、そんなに早く回復できるものでもないと思うんだけど。仮にも精霊の氷を解くなんて……」

「どうやら、うちの神官は、ただの幼児趣味の変態ではなかったようだな」

「聞こえてますよ」


 と、リーヌが口をはさんだ。


「なんにせよ、君のその症状は止めなければならない」


 言いながら、メイアは小刀を取り出し、顔をしかめながら切っ先を左の人差し指に押し当てた。鮮血があふれ出たその指を、ディノンの口もとに持っていく。


「なんだよ」

「飲め」

「は?」


 これにはその場の全員が唖然とした。待て、と言うディノンの口に、メイアは指を突っ込んだ。


「魔剣の魔力を、私の魔力で相殺する」

「だ、だからって、そんなやり方でなくても」


 リーヌの声にメイアは笑う。


「血に込められた魔力を直接流し込む。これが一番手っ取り早い。これで症状はおさまるはずだ。急激に成長した身体も、少しずつ戻るだろう」


 実際、ディノンは先ほどまで身体を襲っていた熱が治まっているのを感じていた。震えていた骨や筋肉も、少しずつ落ち着きはじめている。しかし、まだ身体を動かすことができず、脱力感が残った。


「なんつう治し方だ……」


 指を引き抜かれて開いた口で、ディノンは悪態をついた。メイアは薄く笑い、まだ血が流れ出ている指を眺め、おもむろに、それを自分の口もとに持っていった。


「ちょっ!」


 レミルとリーヌが声を上げた。メイアは口に含む寸前で指を止め、いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「冗談だ」

「あなたのほうが変態ですよ!」


 リーヌが叫んで、レミルは安堵したようにため息をついた。そして、あらためてメイアを見つめる。その目には、警戒する色があった。


「さて、これからどうしようか?」


 ふむ、とメイアはレミルを見つめ返した。


「やられっぱなしは癪だ」


 そう言った直後、笑みを浮かべたまま瞳に鋭いものが宿った。


「君を捕らえるためにも、やり返させてもらう」


 ぞわっ、とした気配がメイアから放たれた。正確には彼女の両耳につけられた耳飾りから。周囲の大気が震え、メイアの髪と衣をなびかせた。


「――目覚めよ、精霊たち」


 澄んだ声がこだました。耳飾りがそれぞれ、赤、青、緑、黄と光を放った。


「君たちの世界を凍結させた仇が、いま、目の前にいるぞ」


 気配の正体を察したレミルが、引きつった笑みを浮かべた。


「ちょ……嘘、でしょ……」


 さて、とメイアは小首をかしげた。


「実は、その霊剣に反応して、君と出会ったときからずっと耳飾りがざわついていてね」


 と、レミルが手に持った霊剣を見た。それで思い出す。かつて、いたずら好きだった氷の精霊は、精霊たちの世界を氷漬けにしてしまったという。


「どうやら、この子たちも仕返しがしたいらしい」


 メイアを中心に、周囲の空気が変わった。異様なまでに明るくなり、とたん、天地がひっくり返ったように世界が変質した。


 その光景に、ディノンたちは震撼した。


 真珠のような色をした巨大な雲に抱えられた天は薄い紫。陸地が宙を漂い、地の底には空の色を反射した水が湛えていた。はるか後方に天地を貫いた巨大な樹がそびえ、虹色の花が樹冠を彩っていた。石の輪がその周りを囲い、そこからレースのカーテンのように広く滝が流れ落ちていた。


 そこでは、たくさんの命が生きていた。姿は見えないが、いたるところから強い気配を感じた。


「こ、こは……」

「精霊の世界だよ」


 ディノンの呟きに、メイアは答えた。


「そして私たちがいるこの場所が、四大精霊の庭園……」


 ばっ、と風が吹いた。濃厚な花の香りとともに、たくさんの花弁が舞い上がった。ディノンたちは、四つの巨大な柱に囲まれた花畑の中にいた。柱には奇妙な模様が刻まれ、頂にはそれぞれ赤、青、緑、黄の灯りがともっていた。


 それらの灯り一つひとつに、強大な気配が宿っていた。


「まさか、あれが?」

「四大精霊だ」


 四つの灯りを見回して、メイアは苦笑した。


「マズいな……」


 呟いて、メイアはリーヌを振り返った。


「リーヌ。レミルに防御の加護を与えてあげてくれ」


 え、と困惑するリーヌにメイアは言った。


「精霊たちが思ったよりやる気だ。これではレミルが死ぬかもしれない。最大出力で頼む」


 はっと目を見張ってリーヌは頷いた。レミルに向かって杖を掲げ、口早に詠唱する。


「レミル」


 呼ばれたレミルは引きつった笑みを浮かべていた。彼女も精霊たちのやる気に気づいたようだ。


「あー、その……」


 メイアはなにか言葉をかけてやろうとするが、なにも浮かばず、目を伏せた。ただ一言……。


「がんばれ」


 と、短く声援を送った。


 レミルは顔をしかめ、霊剣を身体の正面に構えた。


「あー、もう! 霊剣――氷の精霊!」


 慌てたように霊剣に呼びかけ、刃に意識を集中させた。


「消えたくなかったら、力を貸して!」


 レミルの呼びかけに応えるように、霊剣の刃が強く光りはじめた。氷の壁がレミルの周囲に生み出され、堅牢な防御壁を形づくった。


 やがて、世界は光に包まれた。視界は白く覆われ、キーン、という耳鳴りだけが響いた。


 次の瞬間、肌がはじけるほどの爆風と鼓膜が破れるほどの爆音が全身を打った。辛うじてその影響を受けなかったのは、精霊たちが主であるメイアと仲間を守ったから。


 光がおさまると、世界はもとに戻っていた。ただ、謁見の間の壁と天井は周囲の塔もろとも吹き飛び、空を厚く覆っていた雲は、上空だけぽっかりと穴が開いていた。


 ボロボロになった床の中央に、レミルは倒れていた。


「お、おい……」


 その姿を見て、ディノンは胸の奥がぎゅっとなるのを感じた。そんな彼の肩にメイアは手を置いた。


「大丈夫。まだ生きているようだ。かなり危険な状態ではあるが……」


 そう言ってメイアはレミルのそばに近寄った。懐から小瓶を取り出し、中身を口に含むと、意識のないレミルへ口移しで飲ませた。


 はっと目を見開いたレミルは、せわしなく瞬いて周囲を見回した。自分を抱えているメイアを見て、不思議そうな表情をする。


「あ、え?」

「無事だったな」


 はぁ、とレミルはため息をついた。


「絶対死んだと思った……」


 起き上がろうと身体に力を込めるが、右腕を少し動かせた程度でほかはまったく動かなかった。その右腕に握られた霊剣を見つめて、レミルはまたため息をついた。あれだけの攻撃を受けたにも関わらず、霊剣は刃こぼれ一つなく白々とした様子でその手に握られていた。


「これ、返す……」

「いいのか? 魔王を討つために必要なものなのだろう」


 うん、と頷いた彼女は、しかし、首を振った。


「たぶん、この霊剣じゃ魔王は倒せないと思う」

「では、あきらめるということか?」


 メイアはディノンに聞こえない程度の声量でたずねた。レミルはメイアを見つめ返した。


「……あきらめない。どんな手を使っても、ディノン君を犠牲にする運命を防いでみせる」


 そうか、と呟いてメイアは目を伏せた。


「――うわ、なんだこりゃ」


 そのとき、広間の最奥にあった椅子の背後――隠し扉からリバルが現れた。彼は気絶したシェリアを肩にかつぎ、跡形もなく消えうせた広間を見回した。


「ものすごい衝撃があったから、何事かと思ったが、お前ら、なにやってたんだ?」


 リバルはディノンたちを眺めてたずねた。レミルは苦笑を浮かべた。


「負けちゃった」


 リバルは顔をしかめた。

「知ってる。ゼルディアも、このエルフの嬢ちゃんに負けた。俺も負けた。おそらくその男の策略だろうが、城はソルリアム軍に制圧された。仲間はみんな地下通路を通って撤退した。あとは俺たちだけだ」


 では、とメイアは彼を見て言った。


「レミルを連れてさっさと逃げることだ。いまの爆発で仲間がこちらに気づいただろうから」


 おい、とディノンが咎めるように声を上げた。


「彼と戦う力は、私たちには残っていない。シェリアも彼の手の中だ」


 リバルは笑った。


「話が早くて助かる。そんじゃあ、レミルとこの嬢ちゃんを交換だ」


 メイアが頷くと、リバルはシェリアをそっと床に寝かせ、代わりにレミルを背負った。ディノンのほうを見て彼は微笑を浮かべた。


「今回は負けたが、次は必ず勝つ。そのときこそ果たし合おう」

「私も次は負けないからね」


 と、リバルに抱えられながらレミルも声を上げた。そしてディノンをまっすぐ見つめて、静かな口調で言った。


「……あきらめないから」


 ディノンは、肩を落とすように息をついた。


「俺もだ。次は絶対に逃がさねぇ」


 しばらく視線を交わすディノンとレミル。やがて、リバルは踵を返して隠し扉の中に消えていった。


 ちょうどそのとき、遠く城壁の外から野太い角笛の音が響いた。ヴォスキエロ軍が撤退する合図だ。直後、城の内外から歓声が響いた。

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