十章 決着(2)
「ありがとう、リーヌ殿」
ヴォスキエロ軍との戦闘で受けた腹の傷に治癒の加護を与えていたリーヌに言って、イワンはしわを深くして笑った。
「だいぶ楽になった。さすがは王都の神官。たいした治癒力だ」
リーヌは恐縮するように笑った。
「傷はそれほど深くありませんが、あまり無理はなさらないでください」
頷いて、イワンは周囲を見回した。そばで怪我人を診ていた部下に声をかける。
「ほかの負傷者の具合はどうだ?」
はい、と部下は頷いて微笑を浮かべた。
「レヴァロスが治療具なんかを置いていってくれたおかげで、とりあえず負傷した者たちの治療はすみました。動けぬ者も多いですが、みな命に別状はないようです」
そうか、と安堵の息をついてイワンはあらためて周囲を眺めた。
ここはシュベート城の正殿の北西の位置にある建物の地下。もともとは倉庫だったようで、厚い切石積みの壁に、換気用の格子のついた小さな穴が天井のあちこちに開いている。フィオルーナの王宮の大広間と同じくらい広く、それが三層重なり、それぞれにソルリアム兵と少数の冒険者が捕らえられていた。
シュベート城の地下には、このような空間がいくつもあるようだった。中には大山脈の坑道へ通じる地下通路もあり、そこを通ってレヴァロスはシュベート城を襲撃したらしい。そしてヴォスキエロ軍との戦闘後、レヴァロスは混乱するソルリアム軍にシュベート城襲撃の報を流し、イワンたちを城におびき寄せた。
兵を率いて戻ったイワンだったが、城の様子から罠を警戒して千ほどの兵を参謀に託して外に残した。しかし、凶賊はイワンが思っていたよりも規模が大きく、さらに周到な布陣に抵抗することもできなかった。イワンをはじめ負傷した兵士もいたため、投降を余儀なくされた。
――そして告げられるレミルの裏切り。
シュベート城が襲撃された日の夜、レミルは新たに捕らえたソルリアム兵と冒険者たちを連れてイワンの前に現れ、自分たちの目的などを語った。イワンはレミルを諭そうとしたが、幼馴染であるディノンを守りたいと願う彼女の意思は固かった。
「メイア殿は、無事であろうか……」
イワンの呟きに、リーヌがうつむいた。そばにいたエルフのシェリアと鼠人のウリも同じように沈んだ表情をする。
明け方、レミルは少し話がしたいと言ってメイアを連れていった。それから三、四時間ほど経とうというのに彼女は戻ってくることはなかった。見張りのレヴァロスにメイアはどうしているかたずねたが「知らない」と返答はにべもない。地上でなにか起きているのか、彼らは落ち着かない様子で地上をうかがうようだった。実際、夜が明けてしばらくしたころから、何度も地鳴りがしている。――まるで大きな石が地面に衝突するような。
大丈夫でしょう、と答えたのは怪我人を診ていた部下。彼は若い軍医で、ここに収容されてからメイアとともに怪我人の治療を行っていた。
「メイア殿は聡明な方です。滅多なことがない限り、大丈夫だと思いますよ」
「そうだな。レミルも彼女に危害を加えるようなことはするまい」
「はい……」
と、リーヌたちが微笑んだとき、扉の外が騒がしくなった。怒声が響き、短い呻き声が響いた。扉が開かれ松明の灯りとともに現れた人影を認めて、リーヌたちは目を見開いた。
「ディノン様⁉」
「よう。全員無事か?」
そう言って手を上げて笑う彼の背後にはタルラの姿もあり、数人の冒険者が扉の外を横切っていくのを見た。さらに下の階層に捕らわれた人々を助けに向かったようだ。
「どうして?」
「いま、レヴァロスはヴォスキエロ軍と交戦中だ」
ざわ、と周囲がどよめいた。
「やはりそうか……」
先ほどからする地鳴りは投石機によるもの。そんなことだろうと察していたイワンが呟き、ディノンは頷いた。
「連中のほとんどが外の敵に集中してる。俺たちはその隙に地下通路から城に侵入した。地下通路については、メイアが残してくれたフォンエイムの資料で知った。理由は分からんが、この城とよく似た見取り図があって……あ?」
ディノンは、この場にメイアがいないことに気づいて、説明を途切れさせた。
「メイアはどうした?」
「レミル様とご一緒です」
沈痛な面持ちでリーヌが答えた。
「メイア様とお話がしたいと言って、レミル様がお連れになりました」
ディノンは舌打ちして顔をしかめた。
「まぁ、ちょうどいいか。どうせ俺もあいつんとこに行こうと思ってたし。――それで、レミルはどこに?」
分からない、と首を振ると、タルラが天井を見上げて呟いた。彼女の視線の先は、正殿がある方角。
「正殿の最上階にいるようです」
「謁見の間か」
「はい。ご主人様の魔力を感じます」
「よし。シェリア、それとリーヌ、一緒に来い。タルラとウリはここに残れ」
「ボクも行きます」
意気込むウリの頭を、ディノンはやんわりとなでた。
「心強いが、お前にはここにいてもらいたい。見たところ、かなりの怪我人がいるみてぇだし、彼らを上に運んで休ませる必要がある。力のあるお前とタルラに任せたい。襲撃があったら、お前らが彼らを守れ。――イワン軍団長は、戦える者を連れてレヴァロスとヴォスキエロ軍を叩いてください。双方の戦力が削れたタイミングで、こちらも打って出ることになってます」
「しかし、残った兵力は千ほどしかいなかったはずだが……」
ディノンは笑みを浮かべ、ウリとシェリアの肩に手を置いた。
「獣人族の冒険者とエルフの援軍が来てくれてます。数の上では今少し及びませんが、意表を突けばレヴァロスとヴォスキエロ軍を追い払うには十分な戦力です」
二人は大きく目を見開き、周囲からも歓声が上がった。
「上の階で仲間が武器を確保してあります」
「分かった。外は我々に任せてもらおう」
イワンはディノンの肩を叩いた。
「レミルをよろしく頼む」
ディノンは硬い表情で頷いて、リーヌとシェリアを連れて表へと出ていった。それを見送り、イワンは周囲の者たちを見回す。
「聞いての通りだ。まずは城内を制圧し、外のヴォスキエロ軍を追い払う。できるだけ体力は温存しておけよ」
は、と応えた部下と冒険者たちを率いてイワンは出ていった。
「では、こちらも怪我人を運びましょう」
「はい」
頷いたウリは動ける負傷者と協力して重傷者を地上へと運んでいった。最後の一人を運び出し、折り畳んだ布を枕に寝かせたとき、遠くの建物の陰から何者かが駆けていくのが目に入った。その者が駆けていった先は城の中央にそびえる正殿。ほんの一瞬だけ見えた姿に、ウリは緊張した。
「まさか……」
ウリは槍斧と盾を持ってその者のあとを追いかけた。やがて認めたその姿に、ウリは表情を険しくして加速した。一気に飛び込み、槍斧を振るう。
振り返った相手は、手に持った大太刀を軽く振るってウリの攻撃をはじいた。ウリを認めて微苦笑を浮かべた。
犬人のリバルは、ウリがやって来たほうを見て、片眉を上げた。
「地下に閉じ込めておいたはずだが……」
「ディノンさんが助けに来てくれたんです」
「やはり、あの男か……」
それで、とリバルは大太刀を肩にかつぎ、ウリに視線を戻した。
「俺になにか用か?」
槍斧と盾を構えたウリは、ちらっと正殿のほうを見た。ウリの視線に気づいて、リバルは微笑を浮かべたまま大太刀をひと振りして構えた。
「愚問だったな。いいだろう。かかってこい」
「――行きます!」
盾を正面に構えたままウリは踏み込んだ。鋭く槍斧を突き込む。リバルは大太刀を前に振り下ろす動作だけで槍斧の穂先をはじき落とした。たったそれだけのことなのに手に伝わる衝撃はすさまじく、ウリは槍斧を取り落としそうになった。
リバルは槍斧をはじいた動作から、さらに前に踏み込んだ。正面に構えられた盾からわずかに覗くウリの頭を狙って大太刀を振り下ろした。
はっと目を見開いたウリは、慌てて盾を掲げて大太刀を防いだ。同時に握り直した槍斧を連続で突き込む。リバルは初手を躱し、続いて突き込まれた槍斧を大太刀で受け、はじき上げた。さらに殴るように振るわれた盾を躱して、大太刀を突いた。眼前に迫った大太刀をウリは槍斧で受け、後ろに飛び退った。
「さすがに鼠人族は腕力が桁違いだな。素早く技の切れもいい。だが、動きに迷いがある。胆力はそこそこあるようだから、これは経験によるものか。惜しいな」
「まだ学んでる途中なんです」
リバルは軽く頷いた。大太刀を構え直す。
「では、その学びに付き合ってやろう」
ウリは軽く息をつき、再度踏み込んだ。目にも止まらぬ速さで槍斧を突き、唸りを上げるように振るった。盾を前に押し出し、縁を叩きつける。リバルはそれらを受け、はじき、隙を見つけて反撃した。激しい攻防の末、リバルの大太刀がウリの頭上に迫った。
これは避けられないとウリは悟った。目を閉じようとしたとき、突然迫っていた白刃が硬い音とともに頭上から消失した。誰かがウリの背後から大太刀をはじいたのだ。
振り仰いだ背後には、タルラの姿があった。彼女は大太刀の鎬に回し蹴りを叩き込んで、間一髪のところでウリを守った。続けざまに振るった手から投剣が打たれた。リバルは後ろに飛びながら、はじかれた大太刀を回転させるようにして投剣をはじき落とした。
「申し訳ございません」
感情のうかがえない声でタルラはリバルに謝罪した。
「水を差すつもりはなかったのですが、あのままではウリ様が斬られると思ったもので、手を出させていただきました」
リバルは苦笑した。
「いや、止めてもらってよかった。少し高ぶりすぎて、危うくそいつを斬るところだった。ずっと様子をうかがっていたのは、あんたか?」
え、と驚いて振り返ると、タルラは無言で頷いた。
「見てたんですか?」
「はい。なにやらお稽古をしているようでしたので」
「け、稽古って……」
リバルは噴き出した。
「まぁ、間違っちゃいない」
「ぼ、ボクは本気でやってました」
分かっている、とリバルは手を振り、大太刀を鞘におさめて背負った。
「娘、名をなんという?」
たずねられた瞬間、ウリは目を見開き、すねたように軽くリバルを睨み上げた。
「ウリ。男です」
「男?」
リバルは瞬いた。タルラに視線を移して、わずかに頷くのを見てウリに目を戻した。
「すまん」
「いえ。慣れてるので……」
リバルは複雑な表情で笑う。
「いずれまた会うこともあるだろう。それまで、あの男のもとで経験を積み、また挑んで来い」
ウリは顔を上げた。
「ま、待ってください! ボクは、あなたを足止めに……!」
「お前じゃ足止めにならんだろ」
ウリは詰まったように口をつぐんだ。
「とは言っても、俺たちは負けた。だが、お前らに捕まるつもりはない。俺たちの首領を回収して逃げさせてもらう。邪魔はするなよ」
いいな、とタルラにも目を向けると、彼女はウリの肩に手を乗せて頷いた。
「さらばだ」
短く言って、リバルは正殿へ向けて駆け去った。
「い、いいんですか?」
「あの方が本気になれば、わたくしたちでは太刀打ちできません。ウリ様も、いまの立ち合いで痛感なさったでしょう」
ウリはうなだれるように細長い尾をたらした。その小さな背を押して、タルラは引き返した。
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