九章 反撃の奇策(5)

 カシオは平野を左手に見ながら、北へと走った。平野では、冒険者、ソルリアム兵、獣人兵、エルフ兵の混成軍が、ヴォスキエロ軍を挟み込むように攻めていた。不意を突かれた敵の陣形は瞬く間に崩れ、そのはるか後方に一陣、ぽつんと黒い群れが見えた。そこを目指してカシオは精鋭を引き連れて走った。


「いたわ!」


 ルーシラが後方の陣営のさらに後ろを示した。少し高くなったところから戦場を眺めている獣魔将の姿があった。そばには腹心の女魔族も控え、彼らを守るように三十ほどの魔族兵が正面に布陣していた。


「ディノンの指示通り、僕とダインで獣魔将を叩く」


 カシオは剣を抜いて仲間を振り返った。


「ジュリは女魔族の相手を頼む。ルーシラは僕とダインに加護を。ほかのみんなは、ジュリとルーシラを守りながら護衛を抑えてくれ」


 カシオの言葉に応じるように、彼らは武器を取った。行くぞ、と叫ぶカシオに続いて獣魔将の陣営に突撃した。


 カシオたちに気づいた魔族兵がいっせいに動いた。盾を構え、槍を突きたて、弓に矢を番えた。しかし、混成軍の奇襲に狼狽えていた彼らの対応は遅く、矢が放たれる前にカシオたちは敵陣に突っ込んだ。突きたてられた槍をはじき、壁のように並んだ盾の上を飛び越えて斬り込んだ。


 カシオはダインと並んで前進した。目の前の敵を斬り倒すと、獣魔将の巨体が目に飛び込んだ。偃月刀と湾刀二刀を持った獣魔将が、駆けてくる。


 その背後にいた女魔族が魔眼を開眼しようとした。それを認めたジュリが、杖を掲げて先端から閃光を放った。


「っ!」


 閃光は女魔族の目の前ではじけ、そのすさまじい光で魔眼は視力を失った。女魔族は臍を噛んで杖を掲げ、魔力を込める。杖の先が光り、黒く光る矢のようなものを無数に飛ばした。


 ジュリは炎をまとった杖を回転させ、炎の壁を生み出し、矢をかき消した。顔をしかめつつ女魔族は、続けて魔法を放つ。ジュリも魔法を放ってそれらを防いでいった。


 カシオとダインは身体の奥から熱いものが湧き上がるのを感じた。ルーシラが至高の加護を二人に与えたのだ。


「勝負!」


 剣を構えたカシオが、駆けてくる獣魔将にむかって叫んだ。咆哮を上げながら振り下ろされた偃月刀を剣で受け、横に流した。脇からダインが駆け出し、槍を突き込んだ。


 獣魔将は左手の湾刀でダインの槍を払い、続けざまに右手の湾刀を振り下ろした。ダインは旋回させた槍の柄で湾刀の鎬を打ち、その勢いに乗せてさらに槍を突き込んだ。


 ダインの突きを獣魔将が躱したところに、カシオが飛び込んで剣を払った。対応できなかった獣魔将は、とっさに掲げた湾刀を持った左腕で斬撃を防いだが、カシオの剣は獣魔将の腕を深く斬り、その手から湾刀を落とした。


 怯んだところに、ダインの連続突きが迫る。獣魔将は偃月刀と残った湾刀で防ぐが、さらにカシオの連撃が加わり次第に押されていく。やがて獣魔将は残った左腕と湾刀を持った右手を身体の前で交差させて二人の攻撃を受けつつ、偃月刀を頭上から叩きつけた。


 二人は後ろに飛んで避けたが、地面をえぐった偃月刀の凄まじい衝撃に軽く吹き飛んだ。しかし、二人の刃で深く貫かれた獣魔将の二本の腕は力なく垂れ、左手に持った湾刀は地面に落ちた。


 ディノンが与えた深手が効いている。獣魔将はかなり弱っていた。表情にも余裕がなく、よく見ると腹に巻いていた包帯が真っ赤に染まり、前脚を伝って血が流れ落ちていた。


 尋常ではない血を流し荒く呼吸する獣魔将は、地面に突き刺さった偃月刀を引き抜いて、カシオにむけて突きつけた。


 彼の目を見て、カシオは息を呑んだ。


 最強の武人と称される獣魔将が、挑むような視線を向けていたのだ。


「ダイン、下がってくれ。ルーシラも、加護の解除を」

「は? なに言って……」


 ルーシラが咎めるように声を上げるが、意を察したダインがそれを抑えた。


 正面に立ったカシオを見て、獣魔将は笑った。


「最後に戦うのが、あの男でないことが無念ではあるが、貴殿も、奴と肩を並べる剣士。貴殿になら、我が命を取られるのも悪くない」


 カシオは眉を寄せた。


「まるで、死ぬために戦っているような言い方だな」


 獣魔将は笑みを深くした。動かぬはずの腕に力を込め、足もとに落ちている湾刀を拾い上げた。


「無論、死ぬために戦っている。戦うことしか能がないゆえ、思う存分戦って死にたいと願っている」


 言いながら、彼は左右に持った湾刀と、右手に持った偃月刀を構えた。カシオが深く斬りつけた左腕の一本は完全に動かなくなっていた。


「あの娘の言う通りだ。俺は王の責務を放棄して、戦に逃げた。ゆえに、戦場以外で死ぬことは、俺には許されない」


 自嘲するように言って、獣魔将は笑みをおさめた。射抜くようにカシオを見つめる。


「我が最後の好敵手よ。貴殿の武に敬意を表して、我に残った最後の力を持って、最上の剣戟を捧げる」


 カシオは深く呼吸して、剣を構えた。


「来い!」


 その目に強い光が宿った。視線が絡み、二人は同時に踏み込んだ。


 左右から湾刀が迫るのを目の端でとらえながら、カシオは正面に突き込まれた偃月刀に自ら飛び込んだ。白刃が煌めき、目の前に迫る一瞬、カシオは顔を反らした。左肩を裂いた刃をすり抜け、獣魔将の首目掛けて剣を払った。


 獣魔将が繰り出した剣戟は大気を震わせた。しかし捕らえた者はなく、白刃は虚空を薙いだ。


 カシオは獣魔将の背後に転げ落ちた。斬られた左肩を押さえながら振り返った。


 獣魔将は飛び出した勢いのまま数歩進み、そこで湾刀を取り落とした。倒れそうになるのを、石突を地面につけた偃月刀を支えに耐え、その場にとどまった。


「み、ごと……」


 どっと血を吐きながら、つぶれたような声で獣魔将は呟いた。それを最後に、獣魔将は立ったまま動かなくなった。


 ジュリと魔法の撃ち合いをしていた女魔族は、いつのまにか攻撃の手を止め、獣魔将の最後を見届けていた。彼女は目に涙をため、黙祷するように顔を伏せた。


 カシオは深く息を吐いた。ふらつきながら立ち上がり、喉を震わせて叫んだ。


「――獣魔将、討ち取った!」

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