五章 罪業を司る女神(5)

 ディノンが目を覚ましたのは、金銀財宝に囲まれた豪華な広いベッドの上だった。大理石の天蓋があり、繊細な刺繍がされた布団がかけられていた。


 起き上がろうとして身体のあちこちが痛み、軽く呻いた。それに反応する者があって、そばにいた人が近寄って来た。覗き込んだ顔は、無機質だが整った顔立ちの女。


「タルラ……」

「お気づきになられましたか」

「動けねぇんだけど」

「全身骨折しておりましたので」

「骨折? なんで?」


 と、聞くと同時に、人の姿になった蛇竜の尾に引っ叩かれて、財宝の山に叩きつけられたことを思い出す。


「ご主人様のお薬で、いちおう骨折は治せましたが、しばらくは安静とのことです」

「メイアたちは?」

「隣の部屋におります。ほかの皆様は別室でお休みになられました」

「いま何時だ?」

「――あと二時間ほどで日付が変わる」


 と、少女の声がして、ディノンは動かない身体をそのままに首をわずかに傾けて視線を動かすと、人の姿の蛇竜とともに十六、七歳ほどのメイアがやって来た。ちなみに、ディノンは六十過ぎの姿だった。


 蛇竜は財宝が散らかった床を素足でひたひたと歩きながら枕元に近づいた。


「無事だったね。人間にしては頑丈」

「全身骨折してんだけど」

「君が無神経なことを言おうとしたのがいけない」


 鋭い目つきで見下ろしてくる蛇竜だが、さっきまでの威圧感は消えている。慣れて感じなくなった、と言うより、彼女が抑えているようだった。


 蛇竜の反対側からメイアが顔を覗かせた。


「気分が悪かったり、どこか変な気がしたりしないか?」

「特には。ちょっと、頭がぼうっとするか……」

「少々強力な魔法薬を使ったからな。例の病に影響はないと思うが、少しでも変な気がしたら言ってくれ」

「分かった。――あー、強いて言うなら、この趣味の悪いベッドが気持ち悪い。あんたの寝床か?」


 蛇竜は首を振った。


「一緒に暮らしてる妹の寝床」

「妹がいんのか?」

「姉もいる。七姉妹なの」

「七、姉妹……」


 ディノンはメイアを見た。メイアは複雑な表情をする。


「さて、どこから説明しようか。――そうだな。まずは彼女がどのような存在なのか語るべきか」


 不思議そうにするディノンに、メイアは言った。


「彼女のもともとの名前はエリュヒ。神帝アストゥーヌの姉であり、妻であり、罪業を司るもと女神だ」


 目を見開いたディノンは、蛇竜に視線を戻した。


「つうことは、あんた、エルフの里に封印されてる眈鬼と同じ存在なのか?」

「正確には、その妹……」


 蛇竜は無表情で答えた。


「もう一万年以上前の話。神々の中で最も力があり高慢だったエリュヒは、弟が神々の長の座についたことが気に食わず、玉座を奪おうと神々に戦いを挑んだ。結局戦いに負けて、身体を七つに引き裂かれて地上に落とされ、封印された。それから数千年経ったころ、神々と巨人族の間で戦争が起こり、その凄まじい力の影響で封印が綻び、さらになんらかの影響を受けて解放された」

「なんらかの影響?」

「私の場合は、氷の精霊がいたずらをして封印が解けた。君たちが眈鬼と呼んでいる姉は、愚かなエルフたちによって封印から解放された」

「ほかの姉妹も、あんたみたいな蛇の姿なのか?」

「さあ。会ったことないから分からない。一緒に暮らしてる妹も、いろいろ姿を変えられるから、本当の姿を知らない」

「会ったことない? 姉妹なんだろ?」

「会ったことなくたって、もとは一つの身体から生まれたんだから、姉妹でしょ」


 当然でしょう、というような顔で言うのでディノンは仕方なく頷いた。


「ちなみに私は三女で、一緒に暮らしてる妹は五女」

「五女はどこにいるんだ?」

「知らない。いつもどこかに行っちゃう。たぶん財宝集め。あの子、財宝に目がないから」

「もしかして、ここの財宝って、そいつの?」

「うん。ここにもともと住んでたドワーフから、別の地に移りたいっていう願いを叶える代わりにもらってた。私はここを守る代わりに居候させてもらってる」

「会ったことないってことは、ほかの姉妹がどこにいるかも知らないのか?」

「一番上と一番下は知らない。エルフの里で封印されてるのは次女。四女は封印が解けた後も眠り続けてる。六女は、北の大地の食物を食い荒らしたとかで、戦いの神によって再封印されてた」


 ディノンは呆れたように笑った。


「あんたら、まともな奴がいねぇな」


 蛇竜は、むっと頬を膨らませた。はじめのころは無機質だったが、少しずつ表情を変えられるようになっていた。


「ほんと、失礼な奴」

「封印が解けたことに対して、神々はあんたらになにも言ってこねぇのか?」

「条件付きで黙認されてる」

「条件?」

「巨人族との戦いが終わったあと、神々はいろいろなルールを決めた。その最たるものが、神々は地上の諸事に直接干渉しないこと。これを守れるなら、ある程度は自由にしていいって」

「あんた、俺たちを襲っただろ」

「分身を使ったからセーフ」

「そんなルールの隙をつくような……」

「それでも許される。事実、神々も同じことをして、何度も地上に手を加えてきた。たとえば、六女の封印。これも神々が定めたルールに抵触していたけど、戦いの女神は現地の人々に知恵と技を伝えて、間接的に六女を封印させた。六女は、力は強いけど間抜けだったから、人の力だけでも封印できたっぽい。ほかにも指導者として人々を使って地上の世界に干渉した神もいた」

「じゃあ、俺は? あんた、俺のこと殴り飛ばしただろ」

「もちろん罰は受けたよ。ほら」


 と、蛇竜は自分の尻尾を見せる。よく見てみると、尻尾の先だけが妙に色が薄い。


「君を殴った部分は腐り落ちて、新しく生えた」

蜥蜴とかげか」

「蛇だよ」


 ディノンはため息をついた。


「そのルールに従うんなら、眈鬼の再封印は難しいか……」

「それは心配ない。ここにある財宝の中に、封印を補強するものがある。それを君たちに渡す。それならルールに抵触しない」

「ずいぶん協力的だな」

「うん。私、次女嫌いだから。怒りっぽいし……」


 蛇竜は不快そうに顔をしかめ、語気を強めた。


「なにより、私より力があるから憎らしい」


 そうか、とディノンは言葉を濁した。どうやら彼女は嫉妬深い性格のようだ。


「ただ、それは封印が解けるのを先延ばしにする程度の力しかないから、あとでちゃんと霊剣を戻して」

「それを使うと、封印はどれくらいもつんだ?」

「百年ほどはもつ」

「けっこうもつな。それまでなら、なんとかなるか……」


 それまでにレヴァロスの居所を突き止め、彼らから霊剣を奪い返さなければならないが、そこは国に戻り、軍に助力を願ってなんとかするしかない。レンデインとも話し合ってエルフと協力し、できることならレヴァロスを壊滅させる。あの組織は放置するには危険すぎる。


「一つ、聞いてもいい?」


 ディノンが今後のことを思案していると、蛇竜がたずねてきた。


「なんだ?」

「君の身体から、私の知ってる魔力を感じるんだけど、それはなに?」


 ディノンは怪訝そうに眉を寄せた。見るとメイアも不思議そうにしている。


「知ってる魔力、というのは?」

「そのままの意味。この人の身体から、私の妹の魔力を感じる」

「妹? 五女のか?」

「違う。一番下――末の妹」


 ディノンとメイアは顔を見合わせた。ふと、ディノンが思い出したように目を見開いた。


「〈老衰の呪い〉……」


 メイアは目を細め、首を振った。


「それはおかしい。彼女たちは神々が定めえたルールで、人に直接危害を加えられないはずだ……。いや、呪いなら許されるのか?」


 蛇竜は首を振った。


「呪いも許されない。でも、人を介して呪いをかけることはできる。どうやらその呪いは、盟約によってかけられてるみたいだから」


 そういうことか、とメイアがため息をついた。不思議そうにするディノンに、メイアは説明した。


「自分の望みを叶える代わりに、相手に力を貸し与える契約だ。おそらく、君に呪いをかけた実行犯が別にいて、末の妹とやらは、自分の望みを叶えることを条件に、その者に呪いの力を貸したのだろう。契約は魔術的な拘束力があって、崇高な魔法使いでも干渉することができない。しかも相手はもと神。犯人が彼女の望みを叶えない限り、君の呪いは解くことはできないだろう」


 そんな、とディノンは一瞬絶望したが、すぐにあることを思い出した。


「〈万有の水銀〉は? あれを使えば……」

「〈万有の水銀〉? テフィが作ったやつ?」


 と、言った蛇竜を二人は驚いたように見た。


「テフィ? テフィアボ・フォンエイムのことか? 彼を知っているのか?」

「うん。ここに来て、私の権能を使ってあれを生み出した」

「あんたの権能?」

「〈不滅の肉体〉。私の身体は綻びても再生できる。この尻尾みたいに。テフィは私と盟約を結び、その権能を反映させた物質を生み出した。それが〈万有の水銀〉」

「再生? 伝承では、水銀は石ころを金や宝石に変えるって……」


 ああ、と蛇竜は呆れたように目を細めた。


「それは五女のせい。せっかくなら金銀財宝も生み出せるようにしよう、とか言って、自分の権能まで織り交ぜた。あの子の権能は、物質を変異させることで、その力で金や宝石を生み出すことができる」


 それを聞いて、メイアは軽く頭を抱えた。


「まさか、フォンエイムが錬金術を編み出したきっかけは、それか……」

「どういうことだ?」

「彼が錬金術を編み出したのは〈万有の水銀〉を生み出した直後とされている。錬金術はその名の通り貴金属を錬成する術だ。おそらく五女の権能から術の着想を得たのだろう」

「たぶん、そう。テフィ、五女の権能を見て感心してたみたいだったから」


 そう言った蛇竜は、少し考え込んだ。


「君の言う通り〈万有の水銀〉なら君を治せるかもしれない。あれの力は、明らかに神々の領域に達していたし」

「ありかは分かるか?」


 蛇竜は首を振り、ヒステリックに爪を噛みはじめた。


「テフィはあれ以来、一度もここに来てくれない。また来てね、って言ったのに……」

「そ、そうか……」

「でも、五女なら年中あちこち旅してるから、なにか知ってるかもしれない」

「五女は、いつ帰ってくるんだ?」

「知らない。いつもふらりと帰って来て、ふらりと旅立つから」


 メイアはディノンを見た。


「どうする。少し待ってみるか?」


 少し考え、ディノンは首を振った。


「いや。明日にはここを発つ。レンデインを待たせてるからな。レヴァロスも放置できねぇ。〈万有の水銀〉を探すのは、そっちを片付けてからだ」

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