給食物語
@mais0n5
第1話 ちょっと多めに
藤木聡太は小学4年生。今年は同じクラスになれなかったが、仲の良い友達は3人いる。この日は5月の晴れた日で、新しいクラスにもすっかり慣れてくるころだった。
4時間目が終わり、給食の時間になった。クラス全員が各々の班で島を作るため机を動かす。聡太は他のクラスメートに続いて、教室後方にある給食セット−ランチョンマットやエプロン、三角巾など−を取りに行った。この給食セットは一つの袋にまとまって、出席番号順に教室の後ろに下げられているのだが、4年生になってからしばらくは、3年生の時とフックの位置が微妙に変わったことを思い出すたびに、聡太はまごついていた。
三角巾、エプロン、マスクを身につけた聡太は、廊下で他の班員たちと並び、給食当番全員が揃うのを待っていた。聡太はその間、4年生になって初めて知り合った出羽優と話していた。
「でね、そしたらイルカが妹に向かってハローって言ったの!」
クラスのませた女子グループにはあまり混ざらないからか、少し大人しい雰囲気がある優は、聡太と話している時には決まって、他の人と接する時より元気に話す。このことは聡太も意識していた。聡太も優を楽しませたいと、そこまで考えていたかはわからないが、優の好きな動物の動画をYouTubeで見ることが増えた。
こうして聡太と優が話していると、二人と同じ班で、クラスの中心的な女子の久本里香が、不満を大きな声で漏らし始めた。彼女が不満を漏らすまで聡太は気付いていなかったが、他のクラスの給食当番たちはみな既に出発した後だった。里香はそのままぶつぶつ言いながら、声をさらに大きくして、まだ教室に残っている給食当番たちに早く来るよう呼び掛けた。これは里香が真面目だったからではなく、単にこの時間分昼休みが短くなることに対してイライラしていたからだろう。
里香が呼びかけると、教室にいた給食当番たちは急いで列に加わったが、いつも通り、最後に列に並んだのは、聡太や里香と同じ班の、並河颯斗だった。颯斗の場合、教室にいたのではなく、他クラスの男子たちと、エプロンを着けたまま少し離れた廊下で遊んでいたのだが、里香の声は大きいのでそこまで届いていた。
颯斗も聡太と同じく、仲が良い仲間たちとはクラスがバラバラになってしまったために、休み時間になるとすぐに教室から出ていって他クラスの友達と遊ぶという状態が、4年生始まって以来ずっと続いていた。颯斗のグループは学年の中でも目立つ方で、しかも聡太のクラスは他のクラスよりも比較的静かな人が多かったので、聡太たちクラスメートも、口には出さないものの、颯斗がこのクラスで新しい友達を作ろうとしないこ現状は、仕方がないという感じだった。聡太は颯斗と特に話したことはないが、いつも周りの友達を笑わせている颯斗と仲良くなりたいと、密かにずっと思っていた。今年颯斗と同じクラスになれたことでチャンスが生まれたと思っていただけに、颯斗が教室にいようとしないこの状態は、一層聡太にとって残念であり、寂しかった。
給食棟から牛乳やご飯、スープなどを教室に運び、早速給食当番たちは各々の役割についた。聡太はこの日スープをよそう係で、颯斗は配膳係だった。聡太はこのスープをよそう仕事が給食係の中で最も嫌だった。というのも、3年生の時、クラスメートの一人が自分のスープが少なすぎると主張し、スープをよそったのは誰だということで、聡太にクラス中の注目が集まったからだ。聡太は、今度はそんなことのないよう注意しながら、お玉いっぱいにとったスープを均等にお椀によそっていた。しばらくの間、聡太は順調にスープをよそっていたが、それまでだらだらと配膳していた颯斗が聡太の前にやってきて、次のスープをちょっと多めにしてほしいと、聡太から一椀のスープを受け取りながら、彼の友達に見せるのと同じ無邪気な笑顔で言ってきた。
この一瞬の出来事は、聡太と颯斗が仲良くなるきっかけに思えるが、聡太にとっては全く違った意味合いを持っていた。と言うのも、聡太の胸には去年のスープの苦い思い出が変わらず居座っていたが、もしその思い出のために颯斗の申し出に躊躇った様子を見せてしまうと、颯斗と仲良くなるチャンスを逃すばかりか、面白くないやつというレッテルを貼られてしまう可能性が出てくるのだ。そこで、小学生に備わっている本能をもってして、聡太は怯んだ様子など全く見せず、半ば無意識的に、チラと颯斗に目配せと笑みを見せ、迷わず少し多めのスープをよそったのだった。
サンキュ、と颯斗は短く言い、スープを満足そうに自分の班の元へ運んで行った。聡太も、我ながら上手くやれたことにかなり満足していた。その後も引き続き注意しながらスープをよそい、無事全てのお皿をよそい終わることが出来た。他の配膳も完了し、給食係たちが各々席について、いただきますの合図を待とうとしたその時、里香が信じられないといった様子でこう言った。
「里香のスープがない!!」
教室が一瞬凍りつく。里香と同じ班の聡太は慌てて隣の里香の机を見るが、スープが少「ない」のではという、聡太の悪い予感は幸いにも外れ、スープの皿自体が里香の机の上に見当たらなかった。こんな出来事は聡太にとって初めてのことだったが、担任は慣れた様子で、教室にいる全員に自分の机を確認するよう呼び掛けた。生徒たちが自分の机の上にスープが2碗ないことを確認している間に、担任は給食の容器などが載った長机に行き、そこで、食器を入れて運んできたバスケットに余ったお椀がないこと、そして、スープが入った容器に余ったスープはないということも知った。
少し面倒くさいことになったなという風に頭をかく担任を尻目に、すでに里香の友達数人が給食棟からお椀を一つ持ってきた。あとはスープを入れるだけだが...スープの容器にもはやスープがほとんど残っていないことは、クラスみんなが薄々気づいていることだった。それでも、積極的に自分のスープを減らして里香にあげるという声が上がらなかった。なぜなら、今日のスープは、アルファベットの形をしたマカロニ入りのミネストローネだからだ。4年生にもなったので、以前ほどこのマカロニには惹かれなくなったが、やはりワクワクするもので、そもそもスープ自体も美味しいから、みんなこのスープが大好きだった。里香も例に漏れずこのスープが好きなようで、容器にかろうじて残ったスープに甘んじるしかない口惜しさが、里香の顔を歪ませていた。
その時、聡太のすぐ目の前、同じ班の優が、スープの容器まで歩いて行き、自分のスープの半分ぐらいを戻し始めた。授業でもあまり発表などしたがらない優が、一人でそんなことをするなんてと、教室全体が優を讃えるように見つめた。
席に戻ってきた優は、なぜスープを戻したのか問いただすように優を見つめていた聡太と颯斗に向かって一言、
「ちょっと、痩せたくて」
と言った。
スープを分け与えたことに加えて、その理由もなんだか大人のようだったので、聡太と颯斗は目を見合わせて少し笑った。
この時、聡太は初めて颯斗と目を合わせられたような気がして、嬉しかった。それに、この時聡太は颯斗の目の中に後ろめたさを見てとったので、今自分は隼人と同じ気持ちなのだという感触がミネストローネスープの匂いと共に脳をふるわせていた。
いただきますをした後、すぐに教室のあちこちから楽しそうな声が聞こえてきた。しかし、聡太の班はと言うと、お世辞にも楽しそうとは言えなかった。里香や颯斗は決して静かな方ではなかったが、それはあくまでも友達に囲まれている時であり、特に話したくない相手と無理に話そうとは決してしなかった。それに加えて、聡太と一緒の時はおしゃべりな優も、こうして班で集まっている給食中では黙々と食べ続けるばかりである。この4人の他にもう二人男子がいるが、彼らは自分たちが持っているゲームの話ばかりしていて、聡太含め他の4人が入り込む余地はない。
こうした状況で、ゲームをしている二人組以外の4人には、楽しく給食をとるということに対してすでに諦めの念が強く心に張り出していた。すぐ隣の班で楽しげに話す友達が羨ましいのか、里香は助けを乞うような目で時々そちらを見るのであった。
給食を食べ終わるまでこの状況が続くかと思われたが、痺れを切らしたのか里香が突然、
「ねえ、優ちゃんって藤木のこと好きなの?」
と言い出した。
聡太は一瞬里香が何を言ったのか理解できず、最近流行りの歌手や俳優の苗字のことかとさえ思った。しかし、聡太の知る限り、テレビでもYouTubeでも今話題に上るような人物はいないので、やはりこの藤木は自分のことだろうと聡太が考えている間、優は非常な困り顔で否定の言葉を早口に繰り返していた。
側からみると、里香が放った爆弾発言に呆然としてしまっている聡太と優を見かねた颯斗が、ここで口で開いた。まず颯斗は、里香とも共通の男友達であるクラスメートの恋バナへと巧みに話題をすり替え、里香の注意を完璧にそちらへ逸らした。その後もクラスの人気者の二人は、共通の友だちも多いからか話が合い、それぞれが知っている噂について楽しそうに話すのだった。
続いて颯斗は給食について語り出した。多くの例に漏れず、颯斗のややぽっちゃりとした体型から食へのこだわりはひしと感じられていたが、颯斗がここまで給食に入れ込んでいるとは聡太にも驚きだった。
まず颯斗は本日のメインディッシュであるミネストローネスープについて、その名前の所以を語り始めた。とは言ってもミネストローネとはなんなのかという話ではなく、なぜこの小学校では「ABCスープ」のことをミネストローネスープと呼ぶのかということについての自論を展開し始めたのである。聡太はまさか自分の好物でもあるこのスープにそのような名前がついているとは知らなかったのでそれだけでも驚きだったが、それ以上に他地域の給食の名前も知っているという颯斗の知識に一種尊敬の念を抱いたのである。
自分の住んでいる地域のことしか目に入っていなかった聡太は、自分と颯斗を引き比べてつくづく自分の子供っぽさが恥ずかしかった。10歳を2分の1成人だと言ってわざわざ学校が式典を用意するのは大袈裟だと思っていたが、先の大人っぽい優の対応や颯斗の見聞などを合わせて考えると、急激に聡太の頭には自分が半分大人なのだという漠然とした自覚とはっきりと存在感のある焦りが同時に沸き起こってきたのである。
聡太がこんな風にちぎったパンを口に押し込みながら自分のこれからを考えている間も、颯斗の給食談は続く。それに続いて里香も楽しそうに相槌を打ったりしているうちに、先ほどの里香の発言によって緊張した班の空気が元に戻っていくのを聡太は感じていた。
上手く颯斗が対処してくれたことに聡太が安心したのも束の間、突然優が里香に低い声で
「里香ちゃんには関係ないし」
と言った。
聡太はこの一言が再び、いや先ほどよりも一層班内の空気を急激に凍りつかせたことを、背筋が凍る感覚を味わいながら感じていた。
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