第41話 やはり、思い通りにはいかない人生
「──っ!」
バキッ……!
頭に血が登って、一瞬だけ平衡感覚を失った。
その直後、何かが壊れる時に聞こえるような典型的な音に続いて、強烈な違和感が手のひらに走る。
「……あっ!」
視線を落として、状況を確認。
何が起こったのかは、一目見ただけで理解できた。
「バクバク・バクソードがっ!」
私の握力が剣の耐久力に勝った結果、強敵との激戦を乗り越えてきた愛剣、バクバク・バクソードの束の部分に、ヒビが入ってしまっていた。
「……そんなっ」
初めて使ったのはもちろん、バクバク・バクとの一戦。
モルトが魔力を振り絞って放った火球を囮にして、上空から一撃で仕留めた。
だけど、真っ二つになって倒れるバクバク・バクの姿は、私だけじゃ見られなかったはずだ。
仲間の力と……そして何よりも、このバクバク・バクソード……。
そう、これはもう、武器屋に売ってるただの剣じゃない。
お金を払って買うような、そんなモノじゃない。
「友達……だったのに……」
それを、アイツに壊された。
アイツは、私が我を忘れるような行動をとった。
そして私に、この手で、愛する剣を壊させた。
許さない、許さない、許さない……。
あの、忌々しい──
「──プロテウスっ! ぜっっっったい許さない!」
いつもより優しくバクバク・バクソードを握った私は、そう宣言した──
──意識は、どこからか帰ってきた。
「──ここは?」
見知らぬ、そしてなんの脈絡もないような空間。
いや、そういえば私はたしか、『何か』が原因で殺されて……ここにいる。
ただその『何か』を思い出そうとしても、浮かばない。
まぁ、死人が死因を思い出そうとすること方が稀有で、不幸せなのだろう。
だからこそ、思い出せない。
これらの事から改めて考えると、ここが死後の所謂『世界の大樹の土の中』というヤツなのか。
あの『語呂は悪いけど、悪い所じゃない』と皆が信じている世界の大樹の土の中。
……そうか、これが。
ネチョネチョ……ネチョーン……。
地面も壁もネチョネチョしているし……それに、少し臭う。
……やはり、死後の世界というのも幻想に満ち溢れていたのだな。
現実はいつだって、これくらいの絶望を与えて──
──ズキンッ!
「……っ!? あぐっ!?」
私は、ほんの少し足を動かしただけだ。
現実に絶望して、もう一度眠ってしまおうと考えただけだ。
なのに、どうして痛みが走るんだ……死して尸と化してもなお、人間は……私は苦しまなくてはいけないのか?
そんな事を考えながら、私の視線はゆっくりと脚の方に流れる。
「……くそっ。……見たくなかったな」
激痛の所在地である太腿には、大きな切り傷が生々しく残っていた。
深々と肉まで到達しているであろうソレには、追い討ちをかけるように火傷の跡もあって、自分の『死』が多大なる苦しみの末に訪れたのだと、容易に想像できた。
さらにおそらく、回復魔法をかけようとしたのだろう。
中途半端なところだけ傷口が治療されており、火傷の跡とも相まって、私の太腿には奇妙な模様が出来上がっていた。
──まるで、なんらかの意味のある、文字列のような。
……いや、本当に文字列なのかもしれない。
「……K……2。8……6……1……1」
──そこは、楽園ではない。
「──プロテウスさぁん、言われた通りにしましたよぉ」
大木の影に隠れて、アイリスとライオネルの死闘を静かに見守るメディクは、そう呟いた。
彼は負傷しているプロテウスがライオネルに喰われる直前、彼の足に中途半端な回復魔法を施し、彼の太腿にとあるメッセージを刻み込んだ。
そのメッセージこそが『K2・8611』。
意味としては、『そこは、楽園ではない』。
『K2』という魔導書の8611ページ……最終ページで記述されている魔法の名称。
プロテウスが、知らないはずがない。
だって『K2』は、彼の愛読書なのだから。
「──それにしてもプロテウスさん、回りくどい作戦を立てますね」
メディクが身を隠す大木の影には先客がいた。フロンである。
彼女はプロテウスの作戦の全容を把握していないのにも関わらず、あっさりとそんな事を言い放った。
まぁ要するに、今回のプロテウスの作戦は一部分を切り取ったとしても、複雑怪奇を極めるモノなのである。
……と、ここでようやく、最初のフロンの言葉に対する返答が返ってきた。
もちろん声の主はメディクである。
「ここまで苦戦したのは初めてだしねぇ。いつもよりも多く、保険があるって感じかなぁ」
「たしかにプロテウスさんのパーティ、強力な冒険者さんが揃ってますからね」
「まぁ、それもそうなんだけどぉ……」
メディクはここまで言って、その先を言わない。
何かしら、言いたくない言葉がその後に続くからである。
おそらくそのままにしていても、フロンは言葉の続きを追求はしないだろう。
そのまま奇妙な居心地の時間が2人の間を流れた。
するとメディク自ら、自身に課した口枷を破壊した。
「……プロテウスさぁん、アイリスさぁんと再開してから、焦ってるように見えるねぇ」
「焦って、いるんですか?」
「……そうだねぇ。多分、ショックだったんだろうねぇ」
メディクはそう言った後、やんわりとフロンの方に視線を落とす。
そんな彼のジェスチャーと、言葉の意味が重なって、彼女は深く考えずともある一定の結論に達することはできた。
……その結論の正誤は別として。
「もしかしてプロテウスさんは、アイリスさんの事が──」
「……んー?」
「──好きだから?」
「──全て、思い出した」
私の太腿に刻まれているこの文字列…… K2・8611。
そこは楽園ではない……つまり、ここは死後の世界ではない。
これこそ、メディクから「ライオネルの体内にいるとぉ、自分が死んだって錯覚してしまうんですよぉ」と聞いて、保険として用意しておいた策なのだ。
よかった、上手くいった。……が、問題もある。
「腕輪が──」
そう、魔力を抑制する『青いブレスレット』は、ライオネルによって破壊されてしまった。
本来の作戦では、ライオネルの『捕食した対象の能力を模倣する』という性質を利用して、件のブレスレットをつけた私がライオネルに食われて、ライオネルの魔法を制限しようとしていたのだが……。
これでは本末転倒。
私はただただ喰われただけで、外のアイリスへの援護ができない。
まさか、ブレスレットを的確に破壊してから捕食するなんて……そこまでの知能を持ち合わせていたとは……。
「……残りの作戦は、……二つか」
なんらかの不都合が生じ、青いブレスレットが破壊された場合の作戦。
その一。
懐に忍ばせておいた『赤いブレスレット』即ち、着用者の魔法の威力を最大限に高めてくれるコレを着けて、渾身の火炎魔法を放つ。
……無論、私は私の火炎魔法によって死ぬ。
その二。
赤いブレスレットをつけるところは『その一』と同じ。
だが、つけた後は何もせず、強制的に最高威力の魔法をライオネルに放たせる。
アイリスがその一撃さえ耐えれば、我々の勝ち。
……つまり自分で決めるか、アイリスに頼るか。
「……名誉の自決、か」
考える間もなく、恐怖を押し殺し、私は両腕に魔力を込める。
どんどん規則性を失っていく呼吸音が、この静かで暗い空間に満たされる。
外にいるアイリスが危ない目に遭うくらいなら、私がこの手で……。
「……くそっ、くそっ」
結局私は、アイリスに一度たりとも勝てなかった。
幼き日に彼女と出会ってから、もう幾度となく季節が過ぎたというのに。
私の成長を遥かに凌駕してくる彼女には、人生で……一度も……。
「悔しいさ! 悔しいに決まってる!」
彼女に剣術で勝てないから、魔法を使い始めた。
彼女に人望で勝てないから、変な噂をカケダーシの街に広めた。
彼女に何もかもで負けるから、いつしか彼女を拒絶した。
「──昔からアイツは! アイリスはっ!」
追いかけても追いかけても、遠のく背中。
命をかけた戦闘中だって、彼女はキラキラと輝いて見える。
強く洗練された心と、人を惹きつける生き方。
「……アイリスはっ……私の、憧れだった……」
憧れは、いつしか嫉妬となり、そしていつしか憎悪となった。
子供の頃に抱いていたような綺麗な感情は、なくなってしまった。
せめて……最後くらいは……。
「……ヘラ。私も、君の元へ──」
「──
──数日後・ギルド裏の、治療専門の宿にて
「……モルト、おはよう」
「おはよう、ヤミィ」
部屋に入るなり、モルトのいるベッドへ直行するヤミィ。
そんな彼女の後ろから、アイリスとフロンが慣れた様子で入ってくる。
「肝臓の調子、どうですか?」
「んー、よく分からないですね」
「まぁ、悪くはないんでしょ? ならよし」
などという会話から始まる、4人の会話。
いつも通りなんやかんや話しているうちに、クエストの話だったり、ご飯の話だったり、話に彩が加わっていく。
「……全く、朝から賑やかな連中だ」
モルトのベッドの向かい側、分厚い魔導書を読み耽る人物は、そう呟いた。
彼の人生は、誤算ばかりだ。
つい数日前のライオネルとの戦いだって、最後にとった選択が、結果として思い描いていたようにはならなかったのだから。
彼が放った魔法は残念ながら、ライオネルの体内に全て吸収されてしまった。
がしかし、彼が放ったのは火炎魔法。
そしてライオネルが次に放とうとしていたのは、氷結魔法。
互いに相反する性質を持つ二つの魔法は、ライオネルの体内で相殺。
結果、怒りに燃えるアイリスの斬撃に対して、なんの防御手段も行使できなかったライオネルが、そのまま首を切り落とされる形で決着。
だから彼はこうして今も、アイリス達の賑やかな会話を聞き流しながら、本のページを捲るのだった。
「……そこは、楽園ではない」
彼はその後に続く一文も、小さく読み上げた。
「……が、地獄でもない」
田舎で師匠にボコされ続けた結果、気づいたら世界最強になっていました 七星点灯 @Ne-roi
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