第36話 柔らかくも、鉄の意志


「──ごちそうさま」


正面に座るアイリスは手を合わせて、そう呟いた。

俺は米を口にかっ込む姿勢のまま、彼女の言葉に軽く返す。


「ん? もういいのか? いつもより──」


「──食欲ないの」


「あ、あぁ、了解」


「……もう寝るから」


そう言って寝室に入ってゆくアイリスの足取りを、俺とヤミィ、フロンさんは心配を孕ませた視線で追う。


「アイリスさん、やっぱり変ですよね?」


「……うん。……変」


フロンさんとヤミィのいう通り。

先日、プロテウスという男が現れてからというもの、アイリスの様子がおかしくなった。


ここ数日の彼女、高難易度クエストを探して来ては受注しようとする姿はないし、他の冒険者の連中に売られた喧嘩を買うこともない。

挙げ句の果て、今日は食事の量も減ってしまった。


「──アイツ、今日はおかわり3回しかしてないよな?」


「……うん。……たったの3回」


「こわ」


いつもはどんぶり5杯程度、澄ました顔で完食するくせに。

なのに今日は3杯? 

アイツの仲間になって以来、そんな日は一度たりともなかった。


やはりアイリスは、様子がおかしいようだ。




────翌日




今日の俺たちは、ギルドに来ていた。

アイリスはいない。彼女は今日、フロンさんの家でお留守番だ。


で、今日の分のクエストを見つけたは良いものの、面倒臭いやつまでセットで付いてきてしまった。


「──やぁ、モルトくん」


「……なんでアナタがいるんですか」


フロンさんがクエストを持ってくるその後ろから、ひょっこりと顔を出したのはプロテウスだった。

彼は以前の凍り付くような雰囲気を纏っておらず、寧ろ親しみやすさに傾いた笑顔を浮かべている。

個人的には、逆に不気味だった。


「なんでって? ……君が欲しいという理由以外に、何があるんだい?」


「だから、俺はアナタの仲間には──」


「──なるよ。絶対」


彼は細くて鋭い刃を突きつけられたような視線でそう言った。

しかしそうなるとやはり、俺の背中は凍えてしまう。

なんだか俺は、この人が苦手らしい。


「……モルト。……この人きもい」


どうやらヤミィも俺と同じく、この人が苦手らしい。

彼女は俺の背中を盾にするように、俺の後ろへと隠れてしまった。


「ってか、アナタのおかげで最近のアイリス、様子が変なんですけど。……どうにかしてくれません?」


俺がそう言った途端、プロテウスの笑顔が消える。

そして地雷を踏んだ時特有の妙な間の後、彼は低く口を開く。


「──アイリス?」


その声はアイスドラゴンの吐息を彷彿とさせる程の冷気を纏って……いや、比喩じゃない。

実際にプロテウスは、氷結魔法を無意識に放っていた。


「おい! ビールが凍ってるぞ!」「イテッ! なんでここの床が滑るんだ!?」「……なんか今日、寒くない?」「ハックション!」


ざわつくのはギルド内だけではなく、併設されている酒場も同様。

プロテウス1人の影響の大きさは、どうやら笑えるような規模ではなさそうだ。


「──あんな自己中女に、何をどうしろと?」


「……いやっ、その。……彼女、アナタに会ってから、元気ないんで──」


「──自分の機嫌くらい自分でとれ……そう、言っておけ」


「……うす。了解です」


「返事は『はい』だ。……それ以外は認めない」


「……っ! はい!」


少し、嬉しくもあったのは奇妙な感覚だ。


まぁなんだか、こうやって怒られたのが久しぶりだったからかもな。

前世ではどちらかというと、腫れ物扱いを受けていたというか、なんというか。

教師と名の付く人たちはみんな、俺を見ていないような気がしていた。


だけどこの人は、俺を見つめている。


嬉しい。


「……ふん。その返事が出来るなら最初から──」


「──プロちゃん、もう時間よ。クエストに間に合わないわ」


突如、プロテウスの背後に現れる、大人びた女性。

長いブロンドの髪、真っ赤でプリッとした唇、豊満ではち切れんばかりの胸を納める、薄い下着のような上着。

そして真っ黒な皮のジャケットを羽織り、下にはジーンズ生地のパンツ。

この世界にある物をことごとく身につけているくせに、見た目は異世界人だ。


それに、ものすごく美人だ。


「──あら?」


そんな彼女は、色っぽい声と視線で俺の方を見つめる。


「貴方がウワサのモルトくん? ……へぇ?」


彼女は目にも止まらぬ速さで俺の目の前まできて、払拭するような視線を向けてきた。


「──けっこういい男じゃない? ……どう? 貴方となら私、今晩にでも──」


「……だめ」


美女の俺にめがけて伸ばされた手は、ヤミィによってはたき落とされた。

俺にはヤミィノ背中しか見えていないのだが、彼女が小動物のような鋭い目線を、目の前の美人にむけていることはわかる。


「……モルトは渡さない」


「──ふふっ。可愛いわね」


美女のヤミィを見る目は、どこか挑発的だった。

そして案の定、彼女が次に発する言葉には棘が含まれていたのである。


「でもね、女は可愛いだけじゃ飽きられるのよ? 時にはこうやって──」


美女はすでに、俺の手を取っていた。

そして徐に、彼女の胸へと誘導するのである。

そして俺は無抵抗に、導かれるのである。


「──エロくなきゃ」


「うわ、デカ」


「んふっ、……ありがと」


「……離れて。……モルト、離して」


この行為はちょうど、ヤミィの頭上にて行われていた。

そう、それほどまでに彼女は背が低く、そして無力なのである。




「──帰るぞ」


プロテウスがそう言うと、美女の手が一瞬止まる。


「もうっ、今イイトコなのにっ。プロちゃんお願い、あとちょっと──」


「──クエストに間に合わないらしいじゃないか?」


「あっ! そうじゃん!」


そう言って美女は、俺の手を文字通り手放す。

すぐさま踵を返して、先に酒場を出たプロテウスの後を追った。


「──全く、嵐のような人たちですね」


どこかしらで気配を消していたフロンさんが、ようやく呆れたように言い放った。

彼女は腕を組み、ため息すらついている。


「……私の胸触って?」


で、ヤミィは変な影響を受けたらしい。

俺の手をグイグイと、彼女の胸へと誘導する。


「やめてっ、死んじゃう。俺、社会的に死んじゃう」


「……触って。……揉んで。……私も、お願い」


今日、分かったことがある。


半泣きになりながら、自身の胸を触らせようとするロリっ子というのは、人を殺すことが出来るのかもしれない。




──同刻・ギルドの外にて




「──なぁに? プロちゃん嫉妬してんの?」


ギルドを出ても未だに不機嫌なプロテウスを揶揄うのは、テイラー。

彼女はもちろん、プロテウスと同じパーティに所属している魔法使い。


得意な魔法は、特にない。


彼女は気ままに、使いたい魔法を高水準で繰り出すのだ。


「──嫉妬? するはずないだろう?」


「でも、なんか不機嫌じゃん。なにかあったかー?」


「──別に」


プイッとそっぽを向くプロテウス。

テイラーはニヤニヤしながら、追撃を行う。


彼女はプロテウスの耳元にそっと唇をもってゆく。


「そんな時は、……私で忘れない?」


「──結構だ」


「そーんな硬いコト言わずにさ」


「──結構だ」


プロテウスはどうやら、迷っている様子すらない。

仲間とはいえ、かなりの美女からの夜のお誘いである。

男としては、断るのにもかなりの精神力を要しそうであるが。


「……やっぱり釣れないなぁー」


呆れてプロテウスから離れるテイラー。

その後、彼は軽く空を見上げながらいうのだ。


「──私には、婚約者がいる」


そして、もう一言。


「──幼友達との、約束だ」

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