第35話 またもや始まる嫌な予感

今はまたもや、鐘の上。

クインと約束をしてから、2回の夜が去っていった。


……カリカリカリ


耳を澄まさないと分からない程の小さな音が、この場所と鐘の内部とを隔てる扉から聞こえてきた。

俺は待ってましたとばかりに扉を開け、視線をほぼ真下に持って行く。


「にゃん」


真っ白な猫が、そこにいた。




「──それでも、前には進めてるよ。人間関係なんて、一朝一夕で修復されるようなもんじゃないって。……知ってるだろ?」


「にゃ」


猫は、あぐらをかく俺の足の間でくるまっている。

彼女の背中を撫でる、俺の掌を堪能しながら。


「にゃ……。……にゃあ?」


「……もちろん。いつでも気軽に、相談していいからな」


「にゃ」


彼女はそう言って軽くうなづくと、ゆっくり瞳を閉じた。

魔法が解けるまで、あと1時間ちょっと……。


天気は良い。


今日は、日向ぼっこ日和なんだよな。







──そして数日後。また何か、始まるらしい。






バァンッッッ!




やけに荒々しく扉が開け放たれたせいで、ギルド内の人間の注目は一斉にそこに向かう。

無論、俺とアイリス、ヤミィ、フロンさんを含めて。


そして皆の視線の向かった先には、ひどい逆光より起因して、シルエットのみがそこにはあった。


「──モルトという男を探している」


落ち着き払ったその男の声は、ギルド内を凍てつかせた。

まるで氷魔法が籠っているかのようにその氷結は広がり、俺のところまで届く。


「誰だ?」


「……プロテウスよ」


俺の純粋な疑問に、アイリスがゴニョゴニョと答える。

するとその瞬間、そのプロテウスとやらの視線は俺たちを貫いた。


「──呼び捨てか?」


「おい、なんか怒ってるぞ」


「……ふんっ」


「──アイリス、私を呼び捨てか?」


「ほら、やっぱり怒ってるぞ」


「……キモいから無視していいわよ」


「──ほう?」


プロテウスは眉間に青筋を立てており、ご立腹の様子。

彼は俺たちのいる席までスタスタと歩いてきて、アイリスの前で立ち止まる。


やはり、かなり怒っている。


しかしながら彼の表情に変化はなく、依然、凛然とした公爵のような雰囲気を纏っている。

それはやはり、彼の背が高いからだろうか。はたまた、そのスーツのようなピッシリとした格好だからだろうか。


ともかく、プロテウスは高貴さを孕んでいた。


「友人と共にいようとも、私への態度は取り繕ってはいけない」


「……は? ゆう……じん?」


アイリスの表情はプロテウスとは対照的に、臨戦態勢へと移行した。

彼女は瞳孔をカッ開き、噛み付くように反論する。


「みんなパーティの仲間よ! それにっ! アンタはもう、私の──」


「──くっはっはっはっ!」


腹を抱えて、心の底から笑うプロテウス。

どこか不気味ささえ感じるその所作に、俺の背筋は凍りつく。


「パーティ? 仲間? お前が? ……くっ、くくっ……はっはっはっ!」


「……何がおかしいんだ?」


「え? あぁ……そうか、キミは知らないのか」


そう、俺を憐れむような瞳で見つめるプロテウス。

そして何かを悟ったのか、アイリスの表情が青ざめる。


「……っ! 待って! その話は私からっ──」


「コイツは仲間を殺しても、なにも感じられない女だ。……強さも、人情も何もかも……狂っている」


「ちがうのモルトっ! いやっ、違わないんだけど……そのっ──」


アイリスは慌てふためき、言葉すら定まってはいない。

ただそんな彼女の姿で1番ショックだったのは、彼女自身がその、仲間殺し疑惑を否定しなかった事だ。


仲間を……殺した? 


アイリスが?


そんなわけ……あ、でも俺も初対面の時、殺されかけたっけ。

いやでもアレは、俺が覗いてはいけないモノを覗いちゃったからだし……?

ありえるようで、ありえない話だ。


俺がそんな事を考えていると、ふと、プロテウスと視線が重なった。

俺のことを物色するような目で見ていた彼だが、やがてため息混じりの声で話し出すのだった。


「そうか、キミがモルトくんか。アイリスの友人とは……宝の持ち腐れだな」


「……?」


いつのまにかプロテウスの足のつま先は、俺の方を真っ直ぐ向いている。

それと同時に、彼の冷たい視線が俺を襲った。


「──モルトくん」


彼の普通の語り口調さえ、恐ろしく聞こえてくるのは何故だろう。

俺の足はすくみ、額には冷や汗、喉はカラカラだった。

だが、彼はそんな蛇に睨まれたカエルのような状態の俺など意に返さず、続ける。


「私のパーティに歓迎しよう」


「……は? ……嫌ですけど?」


「拒否権の行使はしない方が、長生きできるだろう」


そう言ってプロテウスは、俺の方に手を伸ばす。

俺はただ、そんな光景を眺めることしかできなかった。


そして、肩を掴まれる──その直前、俺は後方に引き込まれた。

どうやらフロンさんとヤミィが俺を、俺の両腕にしがみつくように引っ張って、プロテウスから引き剥がしたらしい。


彼女たちの声がギルドに響く。


「だめですっ! モルトさんは私達の仲間なんですっ!」


「……渡さない」


「──仲良しごっこに付き合っている暇はないのだがな。……まぁ、許すとしよう。……そういう時期も、大切だ」


そう言うとプロテウスはくるりと踵を返す。

案外、あっさりと身を引いてくれるようだ。

まさか冒険者の世界にも、ヘッドハンティングがあるなんて思わなかったな。


「──また来るよ、モルトくん」


その言葉と共に、プロテウスはギルドの扉を開き、出て行ってしまった。

すると、彼が纏っていたその独特の空気も合わせて外に消えたのか、ギルド内の活気は徐々に戻ってゆく。


……アイリスを、除いて。

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