第30話 没落

フロンさんの家での一件から落ち着いて、ようやく俺たちは街に出た。

カケダーシ王国の活気あふれる市場や、なんか怪しいポーション屋の前を通り過ぎてゆく。

するとちょうど、アイリスとなんやかんやあった銭湯が見えてきた。

別にここにも用はないから、通り過ぎてしまうのだが。


俺はヤミィに抱えられて。

アイリスは地面をトコトコ歩いている。

おそらく、フロンさんの腰トントンがトラウマになったのだろう。




「──あっ! モルちゃん!?」


そんな声と共に目の前から駆けてくるのは、軽装のクインだった。

彼女、普通に銭湯から出てきたのだが……王族では?

片手には牛乳の瓶が握られている。


「よかったぁぁ。生きて、いたんですね……」


「にゃゃ……」


クインは俺の喉を優しく撫でながら、心底ホッとしている様子だった。

しかし、そんな彼女を恨めしげに見つめるヤミィ。


「……クインさんは、怪我とか……大丈夫ですか?」


単純な嫉妬心はあるのだろうが、彼女が口に出す言葉には反映されていないようだった。

至極真っ当な心配を、クインに投げかける。


「えぇ、アイリスさんのおかげで──あら? でも彼女とは、一緒ではないのですね?」


「……アイリスは今日、体調不良」


「それは……心配ですね。よかったら、お見舞いにでも──」


「それはいけません!」


ヤミィとクインの間に、フロンさんが割って入る。


「アイリスさんの風邪が、王族の方々にも蔓延してしまいます! ただでさえご迷惑をおかけしましたのに……」


「うん。私もそう思う」


フロンさんとヤミィの、ものすごくそれっぽい嘘。

いいな、そういうの、カッコいいな。

なんて、機転のきく2人に関心していると、クインの表情が少し曇っている事に気がついた。


「……お気遣い、感謝します」


ここまではお嬢様らしい、丁寧な返事だ。

しかしながら、それに続く言葉が問題だった。


「……ですが、ご遠慮なさらず。……私はもう、王族ではないので」


クインのカミングアウトに、場が凍りつく。

まるで俺の魔法のようだ……なんて、馬鹿な事を言ってられないほどに。


「──私、お父様とは縁を切りましたから。今はお母様と城下の街で、慎ましく暮らしております」


「…………」


「そそっ、それってやっぱり、私たちが原因で……」


ヤミィはダンマリを決め込む。

フロンさんは慌てふためき、クインに問う。

当の本人であるクインが1番、平常心であった。

彼女は掌をヒラヒラと振り、柔らかい笑顔で続ける。


「いえいえ、原因は皆さんではございませんよ。……ね? モルちゃん?」


クインの突き刺すような視線は、俺の背筋をゾクっとさせるには十分だった。


もちろん俺は、クインと父親が縁を切るような理由を知っている。

実の父が、自分自身を魔王軍との政略結婚に使うだなんて……縁を切るのに十分過ぎる理由を。


「……モルト、知ってるの?」


「にゃ? ……にゃゃ」


「……そう、なの? ……聞かせて」


そうやって俺に問うヤミィの声には、真面目な色が宿っていた。

彼女は文字通り耳を傾けて、俺の声に耳を澄ます。

クインはそれを見て、堪えきれなかったように笑う。


「あははっ! 猫語、ご存知なんですかっ!? ……こほん、すみません、少し意地悪でした」


と、砕けた雰囲気を纏った彼女はそのまま続ける。


「──皆さんにはいつか、私の心の準備ができた時にお話しします。それまではどうか、無闇な詮索は控えていただけると嬉しいです……」


尻すぼみな調子でそう話すクイン。

これ以上深く、話に切り込めるような雰囲気ではなくなった。


「──クイン様っ!」


「──おいっ! 見つけたぞっ!」


そうやって、しんみりした雰囲気をぶち壊したのは、クインのそこそこ後方から走ってくる数名の兵隊達だ。

彼らは必死の形相で、こちらに一直線に向かってくる。


「……すみませんっ! 私はこれでっ──」


「にゃっ!」


「……ん、わかった」


そう言って俺たちの間を抜けて、逃げるクイン。

追ってくる兵隊達とはもちろん反対方向だ。


俺はそんな彼女の背中を見つめるヤミィに「俺を上にぶん投げてくれ」と言って、思考を巡らした。


銭湯前のこの道は、人通りの割に広く出来ている。

クインがそのまま走って逃げてもおそらく、捕まるのは時間の問題だ。

だったら、足止めは何がなんでも行う必要がある。


「……それっ」


ヤミィは俺をぶん投げた。

空中から道を見下ろして、魔力を口から吐き出す。


「──氷点下フリーズ


詠唱の時間を省いたおかげで、丁度いい広さの氷が地面に張られた。

俺はそのまま重力に引っ張られ、地面に着地。

やや遠くにあるクインの背中に向かって走る。




「ねぇ! なんでクインが騎士団に終われてるわけ!? 縁は切ったのよね!?」


途中、アイリスが並走してきた。

彼女は俺に猫語で話しかけるが、俺も猫なので、意思疎通に障害は生じなかった。


「縁は切ったと言っても、……おそらく、事実上の絶縁だ。王様の方は認めていないんだと思う」


「だからって──またクインに酷い事するんでしょ!?」


「うん」


「そんなのっ──」


「そんなのダメだから、俺たちで守るんだろ?」


「そっ、そうよね! そうよね!」


やはり、クインの走る速度は遅かった。

俺たちがそんな会話を繰り返しているうちに、彼女と並走をする形になった。


「──モルちゃん!? ……と、お友達? ……助けてくれるの?」


「にゃ!」


「……ありがと」


クインの表情は軽く歪み、嬉しさが絞り出されていた。

やっぱり、気丈に振る舞っていても、心細い一面もあるのだ。


「──モルちゃん、知ってる? 私がギルドにクエスト出してたの」


「にゃ!」


俺は首を縦に振った。

その振り幅は猫だから小さく見えるかもしれないが、力強さで説得力を持たせる。


「……だから助けてくれるの?」


「にゃにゃ!」


今度は横に振った。


だって、俺はクインをクエストの依頼主として見てはいない。

ただ1人の少女として、仕事ではなく人間として、俺の行動はそうやって行なっているから。


「……ありがと。……嬉しい」


クインは銭湯から続く道の途中で直角に曲がり、路地に入ってゆく。

そこは薄暗い、ジメジメとした空間だった。


「もうすぐ着くからね、私たちの家」


……王族だった彼女が、こんな場所に住んでいる。

華やかなシャンデリアも、召使いもいないこんな空間に。

俺の心に溜まったのは、王に対する怒りよりも呆れだった。


「ほらっ、見えてきた──」


クインはそう言っているが、彼女の家が何処にあるのかわからない。

右にも左にも、あるのはじめっとした家屋の壁。

地面は薄汚い土で満たされていて、時折転がっているゴミ箱。


「──はい、到着」


クインは足を止めた。

それに釣られて、俺とアイリスも立ち止まる。


「ただいまーっ!」


そう言ってクインが入り込んで行くのは、木の板を立てて、上に布をかけただけの家……いや、空間。

真ん中には小さな机と、壁にかけてあるのは服とスカート。


俺はこの時、日本でホームレスが作る、段ボールとビニールシートの家のことを思い出した。

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