第9話 閉ざされた希望、それを開く猫




モルトが去ってから、そこまで時間は経っていなかった。

しかしながらアイリスとヤミィの目の前に広がるダンジョンは広がり続け、やがて一つの大きなフロアとなった。


モルトがいたなら、「体育館みたいに広いなぁ」と思っていただろう。

もとい、彼にとっての体育館にはあまりいい思い出など無かったが。


「──なに? モルトの身に何かあったわけ?」


「わからない。けど、今は私達が危ない」


ヤミィは正面を指差す。

アイリスがその方向を見る。彼女は、大きな蛇と目が合った。


ソレは、舌がチロチロと口から出入りして、吊り上がった大きな瞳を有し、穴から出てきているその胴体は、どこまで続いているのか分からない。

無論、モルトが入った穴の数倍も大きな穴から顔を出している。



「──っ!? キング・オブ・ヘヴィ!? なんでこんな所にいるのよ!?」


「しらない。でも、いる」


アイリスやヤミィとて、その大蛇の前では冷静ではいられない。




『キング・オブ・ヘヴィ』


かつてより、人々から『最強』と謳われてきた冒険者達は、寿命で死ぬこと自体が稀であった。

それは確かに、『生涯を冒険に費やすからである』という理由もあるが、もう一つの理由が大部分を占めているということを忘れてはならない。


そう、キング・オブ・ヘヴィの存在である。


ヤツは全ての生物の頂点だ。

攻撃力、スピード、魔法耐性、知略、そして生存能力。

人間やその他モンスターは、何をどう足掻いてもヤツに勝つことができない。


最強などともてはやされた冒険者であってもだ。

全ての生物に共通して、愚かにもキング・オブ・ヘヴィに挑戦する者の末路というものは……死ぬしかないのである。







「ヤミィ! 装填エンチャント魔法ってできる!?」


アイリスは剣を構えた。

それもあの、大蛇に向かって。


「まぁ、なんとか。人並み程度だけど」


「だったら今すぐかけて! 私の剣に!」


アイリスは戦う気だ。


ヤミィは彼女の瞳を見てそう思った。

ただそれと同時に、幾ら争ったとしても、自分たちの末路がより悲惨なものになるだけのような気がして、……少し、虚しかった。


「──火炎ファイア装填エンチャント


「ありがと!」


と、アイリスは笑顔でヤミィに言った。

しかしながらそれがヤミィには、別れの言葉のように聞こえてしまったのだ。


その彼女の嫌な予感は、嫌な方向で的中してしまう。

アイリスは一瞬、覚悟の決まった顔を見せたかと思うと、ヤミィに背を向けた。

彼女は、キング・オブ・ヘヴィをまっすぐ見つめる。


「じゃあ、私がコイツを引きつける。ヤミィはその間に逃げて──」


「やだっ。私も一緒に死ぬっ」


「……馬鹿ね、2人で死ぬ必要ないじゃないの」




シャァァァァァッ!




突然、ヘヴィが噛み付いてきた。


この攻撃はアイリスがギリギリ凌いだのだが、この一撃にして彼女の剣は折れてしまった。

アイリスは俯き「もっと丈夫な剣、買っておけばよかったわ……」と、折れた剣の柄を投げ捨てた。


ヤミィはそんなアイリスの姿を見て、耐えられる気がしなかった。

思わず、覚悟を決めた目の前の少女に、覚悟を揺るがしかねない一言を放ってしまう。


「──じゃあ私が死ぬ。アイリスは生きてっ」


「そんなの、私が耐えられない」


泣きそうなアイリス。

ヤミィだって例外ではなかった。


「……私だって、そう。気持ちは一緒」




シャァァァァァッ!




と、このフロアに鳴り響くヘヴィの鳴き声。

生物の頂点に立つヤツらには威嚇をするという習性などなく、あれはただの、食事を行う前の挨拶のようなモノだった。


『いただきます』と、人間が言うように……。







「──にゃにゃにゃにゃにゃ!」


俺は壁を爪で引っ掻き続ける。

猫の姿であろうとも、人間の精神が死んだわけではないのだから。

アイリスとヤミィに危険が迫っている可能性がある以上、ここから脱出する以外にやれることなどない。


「……無駄だ。そんなこと、1000年前から幾度も試したさ」


「──にゃにゃにゃにゃにゃ!」


「無駄だぁっ! 何度言ったら分かる!」


ドラゴンは怒鳴った。

堪忍袋の尾が切れた……というわけでもない。

寧ろそれは、諦める自分の姿こそが正常であるというような主張の、一方的な押し付けでしかなかった。


「だったら手伝って下さいよ。俺1人だとたしかに無駄な行動ですが、2人だったら脱出の手立てを見つけられるかもしれないのに……」


俺は壁を向き直し、引っ掻くのを再開する。


「──にゃにゃにゃにゃ!」


ドラゴンはドラゴンで、一つ大きなため息をついた。

その後、俺を諭すように続ける。


「いいか? 我は1000年間も此処に閉じ込められている。……それがなんだ、今日入ってきた奴に脱出されてしまったら、我の1000年間はなんだったのだ?」


「……なんですか? 俺に脱出して欲しくないんですか?」


「いや、脱出は不可能だと言っている」


俺はカチンときた。つまり頭に来た。

爪を止め、ドラゴンの方を睨む。


「……ふんっ。師匠の辞書には、ドラゴンは喋らないって書いてありましたよ?」


「だっ、だからなんだ? まさか我が話せるからって──」


「そのまさかですよ。この世に絶対なんて無いんです」


「ふんっ、勝手にせい」


「言われなくてもそうします。──にゃにゃにゃにゃにゃ!」


やはり長く生きてると、頭が硬くなるものだ。

たった60年くらいで頑固な人になるのに、1000年経ったらどうなってしまうんだろうか。


……いや、そういえば、このドラゴンは人間だったってな。


たしか古代魔法が不完全だったって。

だから人間の言葉を理解できるし、猫語の翻訳もできるのか?


……ん?


俺はまたまた、爪を止めた。

ドラゴンの方を振り向く。今回は優しい目線で。




「──ドラゴンさんって、なんで死なないんですかね」


「我がドラゴンだからだ」


「……いや、その理屈はおかしいんですよ。そもそも古代魔法に、寿命を引き延ばすことなんてできません」


もしもそんな事が出来てしまったら、古代魔法が忘れ去られるような魔法になるわけがない。


古代魔法はそもそも、しょーもなさ過ぎて忘れ去られたのだから。

例えば声を高くする魔法とか、透明になる魔法とか、ゲップが沢山出る魔法とか。

古代魔法なんてそういう、しょーもない魔法ばっかりだ。



「だったらなんだ? 我はすでに死んでいるとでも?」


ドラゴンはやはり、ため息をつく。

それがあの人の癖なのだろう。俺は理解した。


「全く、……つくづく失礼な猫だな──」


「いえ、おそらくその逆です。……ドラゴンさんは元々、ドラゴンだったんですよ」


「……は?」


顎が外れるという表現があったり、目から鱗という表現があったりする。

どちらも、ひどく驚いた時に使う表現である。


……なぜこの二つが思い浮かんだかは、察してほしい。




「師匠が集めていた古い文献に、『龍人族』の話が載っていました──」



龍人族。


その名の通り、龍であり人間でもある部族のこと。

生まれた時は人間の姿をしていて、そして人間の肉体が死ぬ時、龍の姿へと変貌し、何処かへ飛んでいくと言われている。


この世界に点々と生きている『ドラゴン』も辿っていけば彼らをルーツとしており、その肉体は数千年という長い年月をかけて、ゆっくりと朽ちてゆく。

無論、長い生涯を生きる過程で争いに巻き込まれ、死亡する場合もある。




「──そして、龍人族の多くは、自身が龍であると自覚できないらしいのです。本来、龍になった時点で人間の人格は消え去ってしまうものですから」


俺の話を静かに聞いていたドラゴンは、ひとつ、大きくうなづいた。

そして言葉を続ける。


「……なるほど、なるほど。……たしかにその、龍人族という話はよく分かった。だが、だからと言ってこの部屋からは出られんぞ?」


「いえ、あなたが正式な龍であるのだとしたら、そしてそれを自覚できるのなら、この壁は簡単に破れます」


「ほう? で、どうして?」


「龍のパワーって、もの凄いですから」


「……?」





「おぉ、ちょっと様になってきました!」


「そうか? 全然変わってないように思えるぞ?」


「いえいえ! 最初と比べると見違えるほどです! すごいです!」


現在、俺はドラゴンに『龍の力』の使い方を教えている。

とは言っても物理攻撃の話だ。魔法に関しては苦手だから分からない。


ドラゴンが長年この部屋を脱出できなかったのは、どうしても人間の名残が残ってしまって、人間の体の使い方をしてしまっていたからである。

だから本来の力が引き出せず、壁に傷すらつけられなかったのだ。




ズヮヮヮン!




ドラゴンの爪が空を切る。

その風圧は、俺の方にも飛んできた。


「……こうか?」


「はいっ! どんどん近づいて行ってます!」


特訓はすこぶる順調だった。

トレーナーが動きを覚えるのが得意な俺だったし、トレーニーも1000年間龍の姿で過ごしたこの人だ。

ものの数分で、本来の九割程度の力なら引き出すことができた。


これならこの壁に挑戦できる、或いは……破壊すら?



「──いっかい、挑戦してみます?」


「師匠……、我にはまだ……」


「大丈夫です。自分を龍だと信じて、思いっきり──」




ズヮヮヮ……ガキンッ!



ドラゴンの放った攻撃は、壁にめり込んだ。

パラパラと崩れる破片を見ると、もう一息であることは一目瞭然だった。


「師匠、もう少しだが……これ以上の力を出せるようなイメージが湧かない」


「──いや。正直、これは想像以上ですよ」


「そう、ですか?」


「はい。これなら、……よっと」


と、鱗に爪を引っ掛けてドラゴンの体を上り、頭に飛び乗る。

そしてあぐらをかくように座ったのち、魔力をドラゴンの全身に流した。


「── 装填エンチャント


「……師匠?」


「これで全てのピースは揃いました」


俺は目の前の壁を見つめる。

ドラゴンも俺に釣られて、壁へと意識を集中させた。


「──さぁ! 1000年の集大成! ここで決めなきゃ一生後悔しますよっ!」


「──了解だ師匠! 特等席でしっかりと見ていてくれっ! 我の力!」




ガルァァァァァァ!




にゃぁぁぁぁぁ!




と、ドラゴンと猫は咆哮を上げる。

人間の耳には、そう聞こえているのであった。




ブワァァァァァンッ──ゴシャア!




ドラゴンの放った攻撃により、1000年間閉ざされていた壁は崩壊した。

壁に開いた大きな穴は、ドラゴンの体を悠々と通せるくらい、大きなものだった。そして、そこから漏れ出るのは、アイリスとヤミィの声だった。


だが、それともう一つ、絶望の雄叫びも混じっていたが。




シャァァァァァッ!




ガルァァァァァァ!




にゃぁぁぁぁぁ!




激突する、生物の頂点。

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