異世界の魔王に惚れられた男の娘、美少女になる ~身近には結構ファンタジーがあったみたいです?~
九十九一
プロローグ 異世界の魔王、美少女(に見える男の娘)に助けられる
『はぁっ、はぁっ……。くっ、なんとか、致命傷は避けた、か……ぐっ』
どさっ、と音を立てながら暗い路地裏に背を預ける人影があった。
人影は黒いローブのようなものを身に着け、よくわからない言語を口にしており、やや霞む視界で周囲を見回す。
『ここは、一体……』
路地裏には、ほんのわずかの月の光しか差し込まないため、何が何だかわからない。
しかし、その人影は暗い場所でも体質故か、問題なく周囲を認識することができた。
見れば、何やらゴウンゴウンと音を立てる、円形らしき交互に穴が空いた白い箱に、鉄とは違うもので構成されたパイプのようなものや、生ゴミが捨ててあるのか、少々不快な臭いを放つ大きな容器が目に入る。
その先に目を向ければ、見たことがない光が建物と建物の間の入り口に差し込んでおり、その先からは、聞いたことが内容な言葉や、喧騒が耳に入る。
『無我夢中で……目の前の穴を、通ったが…………ここは、どこ、だ……? うぐっ』
体中、特に脇腹辺りに走る、強烈な痛みに喘ぐ。
見たところかなりボロボロなようだ。
フードから覗く頬には、赤い血が流れ、ところどころ破けたローブの下からも、切り傷や擦り傷のような怪我が見て取れる。
最も酷いのは、胴体であり、深々と切り裂かれた脇腹が目に付き、見ていてなんとも痛々しい姿をしていた。
『ともかく、急ぎここをっ、離れ……怪我を、治さなく、てはっ……! 奴の、気配が、近いっ……』
ローブの人物は追手が来る気配を感じ取り、強烈な痛みで今にも意識が途絶えてしまいそうなほどの体に鞭を打ち、その場を離れようと、よろよろと壁伝いに歩き出す。
しかし――
『こーんな薄汚いところに逃げ込むなんて……アハハッ! 落ちぶれたものだねぇ~?』
背後から、どこか見下したような、底意地の悪い声が聞こえてきた。
ローブの人物はハッとし、後ろを振り向く。
そこには、やたらと顔の整った男が立っていた。
『きさまァっ……!』
『あー、いいねいいねぇ。やっぱり、これから死ぬ直前の、その怒りに満ちた表情。素晴らしいよ~。今すぐに殺したくなるくらいだ』
気持ちの悪い笑みと声で、赤い血が滴る剣を下げる男。
整った顔立ちのせいで、かなり狂気的に映る。
ローブの人物は逃げなければ、そう思っているが、体が思うように動かない。
(くっ……妾はここまで、か……)
『ん~? 諦めるの? なーんだ、最初っからそうすりゃいいのにさぁ!』
ドゴンッ! と男が思いっきり人影の腹部を殴り、吹っ飛ばす。
『あっ、ぐっ……かはっ……ぐ、うぁっ……!』
切り裂かれた脇腹の近くを殴られたことで、体中に思わず叫びたくなるような痛みが走り、口からは血を吐いた。
『アハハッ! いやぁ、やっぱりいいねぇ、その表情。勇者になった甲斐があるってもんだよねぇ。アイツら、この僕をこき使ってさぁ。腹が立つったらありゃしないよねぇ』
男はやや苛立たし気に愚痴に近い言葉を話す。
『正直さぁ、勇者なんてどーでもよかったんだー、僕。だって、面倒じゃない? 人間のためにー、なんて言ってさ、人を助けるとか』
『……』
『でもさでもさー、勇者になれば、色々と特典があってね? まああれあれ。殺してもお咎めなーし。むしろ英雄だー。なーんて、ちやほやされる……これほど素晴らしい肩書もないよねぇ。特に……君ら魔族を一方的に殺せるし、ね』
『くっ……そう、やって……我が同胞、たちを、殺し、たのかっ……』
ふざけた口調で話す男に、ローブの人物はフードの奥に覗く紫の瞳を鋭くさせ、睨みつけながら問いかける。
『まあね。どうせ魔族は悪だしぃ? 殺されても悲しむ奴らなんていないじゃん? むしろ清々する奴しかいないって』
『このっ、下衆がァっ……!』
話していく内に、男の狂気がどんどん膨れ上がるかのように言葉に現れ始める。
顔は狂気を伴った笑みで歪み、その不気味な表情からは、快楽のような喜の感情ばかりが窺える。
『そうそう、その表情! 素晴らしいよ、キミィ! あぁ、もっと遊びたいけどさ……急がないと帰れなくなりそうでねぇ。未知の場所ほど、危険なこともないしー。だから君……もう死んでよ』
まるで今にも歌い出しそうな、場違いなテンションと共に、血が滴る剣を振り上げる。
『じゃ、さよなら? また来世で会えるといいねぇ!』
鋭い剣の形をした死が迫ってくる。
周りの光景がやけに遅く感じ、どうしようもないと悟る。
ローブの人物は、もはやここまで、と諦念の感情がこもった表情を浮かべ、自分が死ぬ、その瞬間を持った。
ところが、いつまで経っても死はやってこなかった。
痛みはなく、かといって、切られた感触もなく……ただひたすらに、今までに与えられてきた傷の痛みだけがあった。
なぜだ、そんな疑問の言葉が頭の中に浮かび、霞む視界で目の前の状況を見た。
『なっ――!』
「―――――!」
そこには、やや後退しつつ驚愕に染まった男の表情と、見知らぬ人影が両手を広げ、自分を庇うかのように立つ謎の人物がいた。
突然割り込んできた謎の人物に、男と人影は同じ感情をもって反応した。
その直後、ズバンッ! と、男が振り下ろした剣に切り裂かれた。
数舜遅れて血が勢いよく噴き出し、その血は謎の人物の背後にいた人影に僅かにかかる。
そうして、事切れたかのように、人物がローブの人物の方に倒れ掛かった。
『――ッ!』
その瞬間、今まで霞んでいた視界やら、激痛が走る体やら、さらには目の前の男の存在やらが吹き飛ぶほどに、ローブの人物は息を飲んだ。
そして、
(な、ななななっ―――! か、可愛いではないかっ!)
自らを庇った人物に対し、現在のことなど忘れて心の中でそう叫んでいた。
そう、可愛かったのだ。
それも、ローブの人物が思わず一目惚れしてしまうほどに。
『な、なんだ。こっちの世界の住人? ははっ! 何も知らないくせによくやるよ。きっと、助けた君のことを知ったら、恐怖で逃げるに決まってるって』
とか煽るような発言をする男に目もくれず、ローブの人物はひたすら自分を庇った人物を見つめていた。
新雪のように、真っ白なさらさらの髪。
顔立ちはあまりにも可愛らしく、見ているだけで癒されるような優しさがあった。
眼を閉じ、前髪でやや顔が隠れているため、全体ははっきりとしないが、それでも直感でものすごく可愛いらしい少女であることが窺える。
次に、ローブの人物はその少女の体を見る。
思いっきり切られたためか、左肩から右腹部にまで大きな傷があり、そこからは今も真っ赤な鮮血が零れ落ちる命を表すかのように、どくどくと流れ出ていた。
が、よく見れば、その人物は幸運だったのか、奇跡的に即死するような致命傷を避けていた。
一応すぐに治療しなければ危険な状態ではあるものの、今もか細いながらも呼吸をし、弱弱しくはあるが脈もある。
一目惚れでやや硬直していたローブの人物は、ほっと息を吐く。
すると、
(む、なんじゃ。力が漲ってくるような……)
ふと、ボロボロな体の奥から、強く、そして熱い力が漲ってくるのを感じた。
(もしや、先ほど妾の口に入った、この者の血、か? ……ふむ。たしかにこれは、上質……もっと欲しくなるような、そんな味じゃ。しかし、今はそれどころではない、か)
『チッ、邪魔が入ったけど……まあいいや。未知の世界の奴も殺せたし、これで君も殺せば一石二鳥。それも息があるみたいだし、一緒に殺してあげるよ』
『……殺す? 今、この者を殺す、そう言ったか?』
『なんだ、切られ過ぎて耳も聞こえなくなっちゃったのー? アハハ! やっぱり、残念だねぇ! これだから魔族は……当然、殺すでしょ。証拠は残したくないし、何より未知の存在を殺すことほど、楽しい物はな――』
『――消えるがよい』
底冷えするような声音で、ローブの人物は死にかけだったとは思えない、機敏な動きで男に肉薄すると、うすぼんやりと紫色に光る拳を意趣返しとばかりに、男の腹部に叩き込んだ。
『は? うごはぁっ!? お、お前ぇぇぇぇぇぇぇ――!』
ローブの人物に殴り飛ばされた男は、その先にあった空間に存在する謎の穴のようなものに吸い込まれて消えて行った。
『ふんっ。力があれば、こんなものよ。……っと、その前にこの者の手当てが先か。このままでは危ない。……少し、環境が悪いような気もするが……ふむ。とりあえず、この者の住処に連れて行くとしようかのう』
そう決めて、ローブの人物は少女をお姫様抱っこすると、その場を飛び立ち高速で去って行った。
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