#34 嫌です







 今日の文化祭準備時間が終わり、今は元山さんと作った投票箱を指定の教室まで運んでいるところである。

 投票用紙を予定よりも早く切り終えたので、明日にやろうと話していた投票箱の組み立ても行ったのだ。

 投票箱を組み立て終えたタイミングでチャイムが鳴り、


「はじめはこの後もどうせ暇でしょ?それじゃあ、任せた!」


 という感じで、投票箱を運ぶという雑用を元山さんに押し付けられたため、僕はこうして一人で廊下を歩いている。

 まぁ二人で運ぶようなものでもなかったので別に構わないのだが…。


 そうして目的の教室にたどり着き、投票箱を置いて、僕は自分のクラスへと戻り始める。

 荷物を教室に残したままだったので、それを取りに行った後、花壇の水やりをする予定だ。

 掃除を終え、ほとんどの生徒が部活動に向かって行った後なので、廊下はさっきまでとは違い、静寂に包まれている。

 廊下には各クラスの出し物に関係する道具や看板が置かれており、いよいよ文化祭が近付いていることを感じさせる。


 そのまま人気のない廊下を歩いていると、目の前に愛野さんの姿があった。


 愛野さんはこっちを見てきているが、僕に話しかけるような素振りは見せていないため、他の誰かを待っているところなのだろうと思った僕は、愛野さんに用事もないのでそのまま横を通り過ぎることにした。

 愛野さんの横を通り過ぎた直後、「…え?ちょ、ちょっと待ってよ川瀬!」と愛野さんが僕を呼び止めた。


「どうしたんですか?僕に何か用でもありましたか?」


 僕がそう尋ねると、愛野さんは俯きながら小さい声で「…どうして無視するの?」と言ったのだが、僕にはどうしてそんなことを言われなければいけないのかさっぱり分からなかった。


「どうしても何も、僕は愛野さんに話しかける用事なんてないからですよ?話す用事がないのに話しかけるなんて変な話ですよね?」


「…っ!そ、そんなこと言わないでっ」


 どんどんと愛野さんの表情が曇っていくが、どうしてそんな顔をするのだろうか?


「愛野さんは僕に何か用があったんですよね?一体何の話でしたか?」


 とりあえず、僕は会話の流れを当初の流れに戻すことにした。


「…その、えっとね、川瀬って律(りつ)と仲良いよね?」


 律というのは元山さんの名前だ。

 実のところ、元山さんと初めて会話をした二週間前まで、元山さんの下の名前は知らなかった。

 愛野さんは、僕と元山さんの仲を気にするような素振りを見せており、


「仲が良いのかは分かりませんが、係の関係で話すことは増えましたね」


 と伝えると、愛野さんは何故かショックを受けたような表情を見せた。

 そして、少しばかり苦しそうにも見える愛野さんは、僕にこう尋ねてきた。


「川瀬は、えと…律と一緒にフォークダンス踊るの?」


「フォークダンス?あぁ、さっきの会話のことですか。愛野さんにも聞こえていたんですね」


 どうやら愛野さんは、元山さんが僕を揶揄ってきたさっきの会話を聞いていたようだった。

 僕と元山さんの仲のことや、フォークダンスのことを気にしている愛野さんの真意が全く分からず、僕は愛野さんがどうしてそんなことばかり尋ねてくるのかについて頭を回転させる。

 そうして、僕は一つの可能性へと思い至った。

 それは、愛野さんは元山さんのことを心配しているのではないか?ということだ。

 元山さんは愛野さんたちのグループの取り巻き的なポジションであり、愛野さんと元山さんが二人で話しているところはあまり見たことはないが、愛野さんはそんな元山さんのことも大事なグループのメンバー、つまり「友人」だと思っているのだろう。

 そして、そんな大事なグループメンバーが、僕のようなブサイクと一緒に踊るなんてことにならないよう心配し、暗に「律とは釣り合っていないから踊らないで」と僕に伝えてきているに違いない。

 いくら優しい愛野さんと言えども、友人である元山さんと、いつも一人で可哀想だから話し掛けている僕を天秤にかけたら、当然元山さんの肩を持つはずだ。

 元山さんとの会話を引きずっている感は否めないが、「釣り合っていない」というこの仮説が正しいような気もしているため、僕はそのまま愛野さんに伝えることにした。


「さっきの会話が聞こえていたなら分かるかもしれませんが、僕は閉会式の後にすぐ帰るつもりなので、元山さんと踊る気はありませんよ。ですので、愛野さんの友人が僕のような『ブサイク』と一緒に踊るなんていうことはないので安心して下さい」


 それを聞いた愛野さんは一瞬ホッとしたような表情を見せたが、すぐに目を鋭くさせた。


「…ブサイクじゃない」


「何か言いましたか?」


「川瀬はブサイクじゃないって言ってるの!」


 愛野さんは何故か僕の自虐ブサイク発言に怒りを見せていた。


(なんで愛野さんが怒っているんだ?)


 愛野さんの怒る理由が分からず、


「いや、でも僕自身が自分をブサイクだと思っているので…」


 と繰り返すと、愛野さんは僕に一歩近付き、


「川瀬はブサイクじゃない!そんなこと川瀬が自分で思ってたとしても、私の前では絶対に言わないでっ!」


 というように、大きな声でブサイク発言を否定されてしまった。

 理由はよく分からないが、恐らく愛野さんは「ブサイク」という言葉が嫌いなのだろう。

 確かに「ブサイク」なんて言葉は、愛野さんにとっては縁のない言葉であろうし、聞き馴染みのない言葉だからこそ、抵抗感も強いのかもしれない。


「分かりました、以後気を付けます」


 僕がそう言って頭を下げると、愛野さんは「ふんっ」と顔を横に向けたが、その次は顔を両手で覆い隠して、何故か耳を真っ赤にさせていた。

 そのまま変な空気になってしまったので、この空気を打破するべく、僕は話を続けることにした。


「愛野さんは、フォークダンスの相手は決まっているんですか?」


 僕の言葉に対し、「…えっ!?」と愛野さんは顔も真っ赤にさせた。


「ま、まだ、相手はいないけど…」


 愛野さんはちらちらと僕の方を上目遣いで見ながら、恥ずかしそうにそう答えた。

 「まだ」ということは、愛野さんにはフォークダンスを一緒に踊りたい「特定の相手」がいるかもしれないということだ。

 その特定の相手に確実な目星は付かないものの、元山さんが話していた内容を思い出した僕は、愛野さんにこう話し掛けた。


「さっき話していたんですが、水上くんの相手は愛野さんにしか務まらないんじゃないかと元山さんが褒めていましたよ?」


 さっきまで揶揄ってきたことに対するちょっとした罰として、元山さんが言っていたというように、この話題に元山さんも巻き込むことにしてあげた。


「僕も確かに良い感じだなと思いました。水上くんは優しくてイケメンな王子だと言われてますし、愛野さんとのダンスペアは『お似合い』ですね」


 ブサイクという言葉に敏感な愛野さんのことだ、きっと周囲からイケメンと言われている水上くんのことは多少なりとも意識しているに違いない。

 それに、愛野さんが一緒にフォークダンスを踊りたい相手の可能性として一番高いのが水上くんだ。

 二人がお似合いなのは事実であるため、これは中々良いフォローにもなったのではないだろうか?

 きっと愛野さんも満更ではない顔をしているだろうと思って愛野さんを見てみると、愛野さんは今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「…なんでそんなこと言うの?私、川瀬から水上くんと『お似合い』だなんてこと聞きたくない…」


 反応を見る感じ、どうやら僕が愛野さんのプライベートなところにまで踏み込み過ぎてしまったようだ。

 確かに、いきなりただのクラスメイトから「あなたとあの人はお似合いですよ」なんて言われたら気味が悪いだろう。

 泣き出しそうなほどの話題だとは思わなかったため、コミュニケーションはやはり難しいと実感した。

 今の発言は僕の方に落ち度があったので、素直に謝罪をしておいた。


「すみません、出過ぎたことを言いました」


 僕がそう言った後も、愛野さんは顔を俯かせるばかりであり、こんな雰囲気にしてしまったのは自分に責任があるとはいえ、僕は居心地が悪くなってきた。

 なので、僕はさっさとこの場を後にしようと決めた。


「それじゃあ愛野さん、僕はこの辺で失礼しますね」


 そう言って歩き出すと、愛野さんが僕の制服を掴んできた。


「…ねぇ、律って川瀬のこと、下の名前で呼んでる…よね?」


 制服を掴んだまま、愛野さんはまたしても元山さんとのことを聞いてきた。

 今日の愛野さんはどこか様子がおかしい。

 どうして僕と元山さんのことがそんなに気になるのだろうか?


「えぇ、元山さんがフッ軽過ぎるせいで呼ばれていますね」


 そう答えると、制服を掴んだ手とは反対の手を胸の前でぎゅっと握りしめ、意を決した様子で愛野さんはこう言ってきた。


「じゃ、じゃあさ、私も川瀬のこと…下の名前で呼んでも良い?」


 突然愛野さんから下の名前で呼んでも良いかと聞かれたが、今回の僕は冷静だった。

 前回の出来事からこういう場合の対応を想定していたので、僕は用意していた回答を愛野さんに返した。


「え、嫌ですよ?」


「…えっ?」


 愛野さんは驚きで表情が固まっているが、僕は更に言葉を重ねる。


「元山さんが聞く耳を持ってくれないから渋々了承しているだけで、呼んでも良いかと聞かれたら普通に嫌ですね」


 そう伝え終えると、愛野さんは魂が抜けたかのようにぺたりとその場に崩れ落ちた。


 それに、愛野さんから下の名前で呼ばれたりなどしたら、もうこの学校に僕の居場所がなくなるのは目に見えている。

 嫉妬の視線を受け続けるのは避けたいし、かなり気疲れもするので、ここは断る一択だろう。

 どうして愛野さんが僕の名前呼びを求めてきたのかは分からないが、これは僕のためにも、いや愛野さんのためにも必要な拒絶なのだ。

 学校の人気者である愛野さんが、僕のような男子の名前を呼んでいるとなれば、愛野さん自身の評判にも関わってくるかもしれない。


「それに、愛野さんだって親しくもない相手、例えば僕のような男子からいきなり下の名前で呼ばれたらキモいと思いますよね?あっ、誤解がないように言っておくと、愛野さんが『下の名前で呼んで良いかと尋ねてきたこと』に対して、僕はキモいと言ったわけではありません。あくまでも、愛野さんの立場からしたら…という仮定です」


 そして、本当に伝えたいことも伝えておくことにする。


「愛野さんは学校の人気者で、色んな人から注目も浴びていますし、僕のようなヤツにはもう関わらない方が良いと思いますよ?」


「…っ」


 愛野さんは一瞬ビクッと肩を動かしたが、何かを言ってくる様子はなかった。

「失礼します」と最後にもう一度声を掛け、僕は改めて教室に荷物を取りに行くため、歩みを進め始めたのだった。










☆☆☆










『水上くんは優しくてイケメンな王子だと言われてますし、愛野さんとのダンスペアはお似合いですね』


『嫌ですよ?』


『呼んでも良いかと聞かれたら普通に嫌ですね』


『親しくもない相手、例えば僕のような男子』


『僕のようなヤツにはもう関わらない方が良いと思いますよ?』




 どうして川瀬はそんなこと言うの?


 どうして川瀬は私と距離を取ろうとするの?


 どうして川瀬と仲良くできないの?


 私は地面に座り込んだまま、大粒の涙を流して袖を濡らしている。

 流れる涙も止まりそうにない。




 どうして、どうして…と、私は痛む胸を抑えながら蹲ることしかできなかった___。






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