河田さんの秘密のお茶会
@yamashitamikihiro
第1話
第一章「出会い」
穏やかな天気の昼下がりに樹木や花などが多く植わっている広い公園を歩いていると、木漏れ日や時折吹いてくる風がとても心地よかった。
南野京一の趣味はウォーキングである。運動であるので健康のために良くて金も掛からないとても良い趣味であると思っている。
割と健脚で歩くことが苦にならない京一としては、このような良い環境の公園まで自宅から歩いてきて、公園内を時々休みながらゆっくり散歩することが何よりもの楽しみであり今とてもハマっている趣味なのである。
唯一の趣味というわけではないのだが、幾つかある趣味の中では一番の趣味であろう。
京一は歩くのは一日に一万歩でも二万歩でも平気で歩けるのであるが、ランニングは好きではなかった。ウォーキングは運動であるという一面は当然あるのだが、体に負担がなくて気持ちがいいところが良いのだ。一方、ランニングまでいってしまうと本気の運動の部類に入ってしまい明らかにやっていて苦しくなってしまう。
走り続けてランナーズハイの状態になれば気持ちいいのかもしれないが、まずその状態にたどり着くまでが一苦労であるし、体のほうは走ることで疲れてしまうので、その疲労がたまった状態で次の日を迎えてしまうと仕事にも影響しかねない。
そういうわけで、ランニングはウォーキングに比べると手軽にやれるものでもないし、また毎日のように続けるとなるとさらにハードルが上がってしまうので、京一としてはウォーキング一択なのである。
ということで、今日みたいな天気の良い日にこうやって公園などを散歩するときが京一にとって至福の時間なのであるが、雨の日や炎天下や凍えるような日でも毎日ウォーキングすることは欠かしていない。そのモチベーションの一つにはスマホの歩数管理アプリの存在があった。
そのアプリでは日付が変わると自動的に歩数計がリセットされて、毎日の歩数が記録され続けるため京一が毎日の目標としている一日一万歩以上歩くということが達成されたか否かが分かるようになっている。しかも自分が設定した歩数を毎日続けてクリアできているのかもカレンダーに表示されて一目で分かってしまうようになっている。
そうなれば目標連続達成記録が一日でも途切れるのがなんだか気持ち悪くなってしまって、もし夕方くらいで九千歩とか八千歩であれば、夕食を済ませた後にまた少し歩いて必ず一万歩をクリアするようになってしまった。
面倒くさいことをしているようだが、仮に二千歩くらい足すために歩いても時間的には三十分弱くらいしか掛からないので、それくらいの労力で済むのならば少しばかり頑張って歩いて一万歩という目標をクリアしておくほうが精神衛生上良いのである。
ウォーキング中は歩きながら自然と色々なことを考えてしまうが、不思議と仕事などの煩わしいことや嫌なことを考えてしまうことはほとんど無かった。京一の性格によるものなのかもしれないが、過去の楽しかったことや「この先こういうことが出来れば楽しいであろうな」などといったことを考えることが多いのだ。そして、そういうことを色々と考えた後は頭の中がクリアになりリフレッシュできるのだ。
音楽を聴きながら歩くこともあるのだが、公園内を歩く時は小鳥のさえずりや風が木の葉を揺らす音などを聞いて心地よくなりたいので音楽プレイヤーはしまっておいて周りの色々な音を聴けるようにして歩くようにしている。
ウォーキングといっても服装については別にトレーニングウェアとか上下ともに運動用のジャージとかではなくて、ごくごく普通の外出着で歩いている。
基本Tシャツにジーパン姿で、その上に季節に合わせたアウターなどを羽織って、靴のほうも特にウォーキング用ではないスニーカーといった感じのスタイルである。
実は上着のほうはわりとよくジャージを着るのであるが、運動用の上下セットになっているものではなくて、「おしゃれジャージ」というかファッション性重視タイプの上着のほうだけのジャージなので、傍から見てもいかにも「運動でウォーキングをしている人」には見えないような服装である。
「今日はほんとに過ごしやすい天気でまさに散歩日和だな・・・」
京一は公園をただ普通に一回り歩くだけではもったいないと思った。休日で時間もあるので、こんな気持ちのいい天気の日にはこの公園に少し長居しても良いかなという気分になっていたのだ。
「今日はあまり行かない場所にも行こうかな」
そう呟いて少し細めの脇道に入っていった。この公園はかなり広いため、散歩やジョギングなどで公園内をぐるりと一回りするためのプロムナードを歩いているだけでは立ち寄れない場所も多くあった。
そういう場所に行くための枝道のような散策路が公園全体に張り巡らされているのだが、今日はちょっとした気分転換も兼ねて普段あまり入らない場所を散策してみようと思ったのだ。
「ここでいいか・・・」
公園内でもあまり来ることはないが、しかし景色などはけっこう良い場所までやってきた京一はベンチに座ってのんびりと一休みすることにした。
ここは公園内でもちょっとした穴場というか、人がたくさんいるところをあまり見たことが無いような場所であった。なので、今日みたいにゆっくり寛ぎたい時にはもってこいのスポットなのである。
誰も座っていない貸し切りのベンチに荷物を置いて座り込んだ。
いざ公園までたどり着いてしまうとこうやってベンチなどで休むというか、のんびり過ごしてしまうことも多いので、服装が普段着であることも合わせると公園に入ってからはもはやウォーキングというより「お散歩」をしていると言ったほうがよいかもしれない。
「ああ、本当にいい天気だし気持ちいいなぁ・・・」
今日は暑くも寒くもなく快適に過ごすことが出来てなかなか良い気分であった。
家から数分で歩いて来られるこのような緑の多い広い公園の片隅で一人ゆっくりと過ごせているこの時が、とても贅沢な時間だなと京一は感じていた。
この場所は小高い丘のようになっていて周りの景色も見渡せてなかなか良い場所なのであるが、公園のやや奥まったところにあって人があまり来ないので丁度良い穴場なのであった。
この公園にはけっこう大きい池があるのだが、鴨だかカイツブリだかが住む小屋のようなものが設置されていて十数羽くらいが池のあちこちを泳いでいるくらいの広さなのである。
そういった水鳥を大きなレンズのついたカメラで撮影したりバードウォッチングしたりして楽しんでいる年配の方々もよく見受けられる。
若い人で同じようなことをしている人もいるのであろうが、見かけるのはたいてい年配の方々なのである。そのように鳥を観察したり撮影したりしている人たちの中には女性もけっこう見かけるのだが、それでもまあ男女問わずほとんどが年配の方々であるのでそういう年代の方々の間で流行っている趣味なのかもしれない。
いま京一が寛いでいる場所からもその池をある程度見渡すことが出来るのだが、水鳥が泳いでいる姿が小さく見えていた。
美しい緑の木々や池などをのんびりと眺めているととてもリラックスできた。
この公園はけっこう広いため多くのベンチがあちこちに点在しているのだが、ベンチの上に日よけや雨よけのための屋根とそれを支える柱がある施設も数か所存在している。
いわゆる「東屋」という建屋であるが、京一が座っているベンチのすぐそばにもその東屋があった。
「なんだろ?あの人・・・」
目の前にあった東屋になんとなく目をやった京一であったが、そこにいた一人の人物に目が釘付けになってしまった。
その人物はちゃんとした陶器のティーカップに紅茶らしきものを注いでいたのだが、
その注ぎ方も本格的な感じで、ティーポットを高い位置に掲げてかなり上の方から
ティーカップへと紅茶らしきものを注ぎ込んでいたのだ。
紅茶に多く空気を含ませると味がまろやかになってよりおいしくなるらしいのだが、おそらくその目的で空気を多く含ませるためにやっているのであろうか。何にせよ一見するとただ派手に見せたいがためのパフォーマンスにも見えてしまいがちなあの注ぎ方を目の前で見せられているのである。
その東屋には上に物を置いてテーブルのように使える台も設置されているのであるが、そこにティーカップの受け皿などのいわゆるティーセットを置いて優雅に紅茶を入れているのである。
その人物は少し恰幅の良い感じの四十歳代くらいに見える中年男性であったが、服装など見るからに品があって育ちが良さそうな感じに見えて、その佇まいは大げさでなく本当に「紳士」と表現するのがピッタリな、そんな上品な感じのオーラを放っているようにすら見えたのだ。
「あんなところで・・・あんな、本格的な感じでお茶をするのかな・・・?」
当然、京一も公園でお茶くらいはするのだが、それはそのへんの自販機などで買った缶やペットボトルのコーヒーや紅茶などを公園に持ち込んでベンチなどに座って飲むくらいのことである。
その紳士はカップに紅茶を注ぎ終わると目を閉じて優雅に香りを嗅いで満足そうな表情を浮かべていた。
「なんか凄いな・・・なんか、よくわからないけど凄い世界観だ・・・」
その紳士はまあまあ恰幅が良いこともありいわゆる「シュッとしたイケメン」という感じのルックスではなかった。
見た目は、テレビなどでよく見るとある個性派俳優にそっくりであった。
しかし、人は顔や見た目ではないなどというが、この紳士の場合がまさにそうであった。
すらっとしてスタイルの良いタイプのイケメンではないのだが、とにかく上品そうに見えた。
服装も白いワイシャツにサスペンダーといういで立ちなのであるが、ちゃんと綺麗に着こなしていておかしな感じになってはいなかった。
白シャツにサスペンダーというコーディネートはともすればギャグでやっているような、
「いいとこのお坊ちゃん」のように見せようとしているようなおかしな感じになってしまいがちだったりする。恰幅が良い中年男性ならなおさらそうなってしまいそうなものであるのだが、しかしその紳士はきちんと着こなしていて全くおかしな感じには見えなかった。
おかしな感じというとちょっと失礼な表現にはなるが、タレントなどがいいとこのお坊ちゃん風の感じに見せようと、あえて常に白シャツとサスペンダーという服装をして自分のトレードマークにするため利用していたりするのはたまに見かける。
そういう場合、おちゃらけた感じというか、お茶目でかわいらしい感じに見えるよう演出するために着用しているようにも思えてしまいややあざとく感じてしまったりもするのだが、この紳士にはそういったマイナスに感じる要素は微塵もないのである。
こんな市民の憩いの場でありそれこそ公の施設である公園であんな本格的なティータイムを過ごしているあたりはちょっとお茶目な感じはするが、それも彼の場合は「ユーモラス」と表現したほうが相応しい感じがするのだ。
「なんだろな・・・あの人の周りだけなんかリッチな空間になっているようにすら見えてしまうな・・・」
あの紳士が実際に金持ちなのかどうかは分からないのであるが、そういう風には見えた。
よく「金持ち喧嘩せず」などと言ったりするが、あれは金持ちの人は感情に走ったりはせずにちゃんと自分の損得の勘定をして、結果喧嘩はしないみたいなことだったりする。
金を持っているからあえてそれを失いかねないリスクは回避するということなのであろうが、なんにせよ金を持っているからこそ出てくる心の余裕であろう。
心に余裕があると、それは見た目にも表れてくるものであるが、実際にリッチマンなのかどうかは別として、あの紳士からはそういう「心の余裕」みたいなものがにじみ出ているのである。
「あの東屋まで行ってみようかな・・・」
京一はあの紳士のことをもう少し近くから見てみたいという衝動にかられて、今まで座っていたベンチから立ち上がると出来るだけ自然な感じを装って紳士がお茶をしている東屋の方へと近寄っていった。
その東屋からも池を見渡せるので、いかにもそこにいる水鳥の様子でもうかがっているようなそぶりを見せながら東屋のベンチの隅のほうに腰かけてみた。
その東屋はけっこうな大きさがあってふちに沿ってベンチが設置されているのだが、余裕をもたせて座っても十人くらいは座れそうな大きさであった。
紳士もベンチの隅のほうでお茶をしていたのだが、京一は紳士から出来るだけ距離をおけるように対角線上の隅のほうに座って池や水鳥を眺めつつも、その紳士の様子をチラチラと、いわゆる「チラ見」して伺っていた。
すると、紳士は京一の方を見たかと思うと笑顔を浮かべて会釈してきたのだ。
「ああ、どうも・・・」
京一もやや気まずそうにそう小声で呟きながら紳士に会釈を返した。
できるだけ自然に振る舞いつつ紳士の様子がたまたま視界に入ってしまうような感じを装っていたつもりであったのだが、本格的なお茶を楽しんでいる紳士に興味津々で近づいてきたことなどバレバレだぜといった感じで見透かされてしまったような気がしたのだ。
もしかしたら、さっき座っていたベンチからずっと見ていたことも、もっとよく見たくてわざわざ近寄ってきたことすら紳士には最初から、ぬるっと全部お見通しだったのではとすら思えてきてしまった。
近くで見てみると改めてその紳士はそれくらい切れ者というか、優れた人物のように見えたのだ。
京一には、この紳士は常に冷静に周りのことをよく見渡すことが出来る上に状況を正確に判断してその状況に適した行動ができる人物のように感じられた。
京一に対して笑顔で会釈してきたことも何もかも全てが考えつくされた上での余裕の行動なのであろうと思い知らされた感じすらしていた。
「こんにちは。今日は気持ちのいい気候ですね・・・」
京一がここから離れるべきか、どうするべきかをはかりかねていた時に紳士の方から話しかけてきた。
「えっ?ああ、そうですね・・・いい天気でとても過ごしやすいですね・・・」
「今日は、お一人でお散歩でもされている感じでしょうか?」
「はい、今日は仕事が休みで時間があったので、公園でも歩こうかと思って来ました」
自然な感じで世間話的な会話が続いているので、こうなってしまうと京一としてはもう逃げることも出来ない感じになってしまった。
ただ、気まずさも無くなってきて、むしろこのままもっと会話を続けたい気持ちも出てきたので、ならばこの流れに身を任せてみようと思った。
「そちらはお茶を楽しまれている感じですか?」
話の流れ上いきなり核心を突く質問を返す感じになってしまった。
「ええ、私はお紅茶には目が無いのですよ。ですから、このようにティーセットまで持参してお茶を入れないと気が済まないほどなのですよ」
「確かに、けっこう本格的なお茶をされていますね・・・」
「いや、まったくお恥ずかしい限りです・・・」
紳士は自虐の微笑みを浮かべながらも、また紅茶の香りを嗅いで美味そうに一口すすって喉へと流し込んでいた。
「いえいえ、とてもおいしそうな紅茶だと思います。こちらのほうまでいい香りがしてきますよ」
「そうですか。でしたら、一杯味見をなさってみませんか?」
自分の紳士は嬉しそうにその紅茶をすすめてきた。
「え、いいのですか・・・?見ず知らずの僕なんかがそんな本格的でおいしそうな紅茶をいただいちゃったりして大丈夫ですかね・・・」
「ああ、もしかして見ず知らずの者が持ってきた飲み物は気持ちが悪かったりしますかね?もしそうであればそれも遠慮なくおっしゃっていただいても構いませんよ」
「とんでもない、本当にとてもおいしそうな紅茶だと思いますし、正直お味とか香りのほうにもとても興味があるくらいです」
「そうですか。では遠慮なさらずにどうぞ、今すぐ入れますので・・・」
「ありがとうございます、では遠慮なくいただきます」
遠慮したほうがよいかとも思ったが、本当に美味そうな紅茶であったのでどんな味か知りたいという興味のほうが勝ってしまった。
それにしても、やはりこの紳士はナイスガイである。もし仮に紳士の言うように気持ちが悪いからいらないという風に思っていたとしても、それもきちんと理解できるので構わないというのだからさすがである。
普通、自慢の紅茶をそのように思われてしまうのは心外であり気分が悪くなりそうなものであるが、このようにどんな相手に対してもしっかり気遣いが出来る人物をナイスガイと言わずしてなんと言おうかと感じる京一であった。
「しかし、ほんとに今さっき初めてお会いしたばっかりなのに図々しくお茶をごちそうになろうだなんて、ほんとにすいませんね・・・」
「おっと、そうでした・・・申し遅れましたが、私はこの公園のすぐ近くに住んでおります、河田貴博と申します。以後お見知りおきを・・・」
「こ、河田(こうだ)さんとおっしゃるのですね・・・こちらこそ申し遅れました。私もこの公園の近くに住んでいます南野京一と申します。どうぞよろしくお願いします」
会って数分くらいでお互い自己紹介まで済ませてしまった。
公園を散歩している時に年配の人などに声を掛けられて軽く世間話などをすることはたまにあるのだが、しかしそういう関係も結局はその場限りのことである。
例えば、犬の散歩をしている者同士で毎日のように顔を合わせて知り合いのようになっている感じの人たちはこの公園でもけっこう見かけたりするのだが、やはりそれは犬という共通の話題があるからそうなるのであろう。
先ほどふれた水鳥を大きなレンズがついた一眼レフの本格的なカメラで撮影している人たちもその共通の趣味によって知り合いになることもあるのだろう。
しかし、京一のようにただただ公園を歩いたりベンチで休んでぼーっとしたりしているような過ごし方をしているだけの人間にはそういう知り合いはできにくいのだ。
それなのにこの河田貴博という紳士とは会ってすぐに自己紹介をしあって一緒にお茶をするという関係になってしまったのである。
「まさかの展開だな。とんとん拍子というか、あれよあれよという間に知り合いみたいになってしまったぞ・・・」
少し戸惑いつつもこれも何かの縁なのかもしれないのでこのままこの流れに身を任せてみるかと思う京一であった。
ちなみに、公園をランニングしている人たち同士は追い抜かれた時に「あいつはこれ見よがしに抜いてきて気分が悪いな」とでも思っていそうで、張り合ってしまってけっこう険悪な感じの関係になってしまいがちのようにも見える。なので、共通の趣味があっても仲良くはなりにくそうであって例外だろうなと京一は思っていた。
まあ、京一が勝手にそう感じているだけで実際にそうなのかは不明であり、いわゆる「個人の感想です」というレベルのことなのではあるが・・・
「おいしい紅茶を入れることが出来たと思います。さあ、どうぞお召し上がりください」
「あ、これはこれはどうも、ああ、いい香りがしてとても美味しそうですね。では、遠慮なくいただきます」
京一はソーサーに乗せられたティーカップを受け取って自分の座っていたベンチの脇に設置されている台の上に乗せた。湯気とともに立ち昇る香りがお世辞抜きで本当に美味そうな良い香りであった。
「あいにく、今日はレモンやミルクはご用意していませんのでストレートティーになりますが、お砂糖だけはございます。ちなみに私はいつも何も入れないでこのままいただいておりますが、南野さんはお砂糖のほうはどうされますか?」
「ああ、大丈夫です。私も何も入れずにこのままいただきます」
京一は普段は紅茶には大抵砂糖とミルクを入れてミルクティーにして飲むのであるが、今日の紅茶はいろいろ入れて飲むのは無粋な気がしたというか、河田と同じように味わったほうが良いであろうという空気に何となくなっていた。
もちろん、せっかくなのでそのままの味を知りたいという興味も本当にあったので、我慢して無理して無糖で飲もうという感じでもなかった。
「では、いただきます・・・」
一口飲んでみると良い香りが鼻に抜けると同時に茶葉の旨味が口の中に広がっていった。茶葉そのものが持つ甘みもとてもよく感じられたので、これなら砂糖を入れる必要はない。
紳士である河田が入れただけあってとても上品な味わいがして、一言で表すと「芳醇」という言葉がピッタリくる感じであった。
「これは、本当に美味しい紅茶です!」
「そうですか、お口に合ったのであれば何よりです。紅茶にはちょっとこだわっていますが、なにぶん趣味でやっていることですので、ただただ自分が美味いと感じるように入れているだけでして、自分以外の他の方のお口に合うかどうかまではあまり自信はありませんでしたが、良かったです」
河田は謙遜しつつも満足げに微笑みながら京一にそう返した。
「本当に、今まで飲んできた紅茶の中で一番美味しいかもしれません。最近はコーヒーを専門に出すチェーン店のカフェは多くありますから、たまにそういうところには行くのですが、純喫茶というかいわゆる普通の喫茶店に行くこともないし、ましてや紅茶の専門店などには行ったこともなくて、もっぱら市販の缶とかペットボトルの紅茶しか飲まないのですよ。だからこの紅茶はもう本物というか、市販のものとは全く別物でとても美味しいですよ!」
「そんなに美味しかったですか、そうですか、良かった・・・」
「こんな公園の片隅で専門店が出すような素晴らしい紅茶がいただけるなんて夢にも思いませんでしたよ。今日公園に来てよかったです。それに、実は公園に来てもこの辺りにはあまり立ち入らないのですが、今日はたまた何となくここに来たのですよ」
「しかし、南野さんはお若いのにこういう静かな公園を散歩されるのがご趣味なのですね。
とても良いご趣味だと思いますよ、お若い人がなさる分には尚更良いと思います」
「いえ、僕はもう三十歳ですから、そんな若くもないのですよ」
実際には三十歳の誕生日までもう少しあったのだが、三十歳と言ったほうがなんとなくきりが良いし、気持ち的にはもう三十代に入っているような感覚でもあったので正確にまだ二十九歳であるとはあえて言わなかった。
「いや、私は四十一歳ですからね。南野さんは私より一回り近くもお若いですので私からみれば充分にお若い方という感じですよ」
お互いの年齢まで教え合うことになったが、京一としても河田の年齢は気になっていて知りたかったので丁度良かった。
「こんな風にまったりして過ごすのもなんかプチ贅沢な感じでいいものだな・・・」
京一はそんなことを思いつつまた一口紅茶をすすってじっくりと味わっていた。
「やっと見つけた・・・おじさん、こんなとこでのんきにお茶なんかしてたんだ・・・」
「え?な、何・・・?」
不意に京一が座っている後ろから二人のほうに向かって話しかけてくる女性の声がした。
振り向いてみると、そこには二十歳そこそこくらいであろうか?女子大生か大人っぽい高校生くらいに見える女の子が腕を組んだ姿勢で立っていた。
「位置情報はスマホに送ったし、景色の良い場所にある東屋でお茶をしているとも書いたはずだよ。そんなにわかりにくい場所でもないだろう」
「いや、こんなお店でもない場所でお茶している人を探すのなんて、かなりめんどくさいんですけどね!」
急に現れた若い女の子と河田の小競り合いのようなものを見せられて少し面を食らったような感じになってしまった。まあ、小競り合いというか、女の子のほうが一方的に突っかかってきている感じではあった。年齢差があるし、河田は冷静な紳士であるので本気でもめるようなことはないであろう。
「まあまあ、わかったのでそのくらいにしなさい。今日は今さっき知り合ったばかりの新しい友人とお茶を楽しんでいるところなのだから・・・」
知人とかではなくもういきなり友人にしてもらえたらしい。
「今日知り合ったばかりの友達とお茶してるってねぇ・・・」
その若い女の子はどうやら河田と京一との奇妙な関係に少しばかり呆れているようであった。まあ、それも仕方がない話だ。なにせ当の本人である京一自身が急激に親しくなったことにまだ少し戸惑っているくらいであるのだから。
京一はやや気まずさを感じつつその若い女の子に会釈をした。
しかし、それにしても目の前に現れたその若い娘さんときたら、どうしてなかなかの美人さんではないか。「おじさん」と呼ばれていたが本当に叔父と姪なのか、それとも河田の年齢が一般的に「おじさん」と呼ばれるくらいだからそう呼んでいるだけなのか、河田との関係がちょっと気になるところである。
「あの・・・二人はお知り合いですか・・・?」
「ああ、お騒がせしてすいません。この子は私の義理の姪なのですよ。まあ、それも
元義理の姪であって今はそうではないのですがね・・・」
「元、義理の姪っ子さんですか・・・?」
「ええ、私の元嫁の姉の娘なのですよ・・・お恥ずかしながら、もう離婚してしまっているので義理の姪というわけでもなくて、私の元嫁の姪ということです」
河田は少し照れくさそうに若い女の子と自分との関係を語った。
「そう、要するにもう今は赤の他人ね」
その若い女の子は突き放すように身も蓋もない言い方をするのだが、確かにもう身内とはいえないような間柄ではあった。しかし、確実に知り合いではあるし河田に何か用事があってわざわざ会いに来たのは間違いなさそうである。
「もしかして先約があったのに僕のほうが割り込むみたいにお茶をごちそうになってしまっているのでしょうかね・・・?」
「いえ、別にそういうわけではありませんよ。お茶はこちらのほうからお誘いしたわけですしね」
「そうですか・・・でもまあ、どうか僕のほうはおかまいなくお話を続けて下さい」
「ほら、君も私の新しい友人であるこちらの南野京一さんにご挨拶と自己紹介をしなさい」
なんか急にご紹介にあずかってしまった。
「どうして私が急に見ず知らずの人に自己紹介しなくちゃならないのかしらね?」
「またお前はそんなことを。失礼じゃないか・・・」
「いえ、まあその子の言う通りですから。河田さんの元義理の姪っ子さんだという間柄さえわかればもう十分ですよ」
「この子はですね、北川菜緒子と申します。すいませんね、不束者といいますか、
お転婆娘といいますかね。もう少しおしとやかにして欲しいものなのですが・・・」
「いえいえ、しっかりしていますしとても可愛らしいお嬢さんでいらっしゃいますよ」
「ああ、お気遣いありがとうございます。悪い子ではないのですよ」
しっかりしていてとてもハッキリものを言うお嬢さんだというところまで言いかけたが、そこまでいくとちょっと嫌味っぽくて言い過ぎだと思って既の所で踏みとどまった。
「私のことはどうだっていいでしょ。とにかくその人の言う通り私との先約があったのは事実なんですから、そこは優先してちょうだいね、おじさん!」
最初は今日できたばかりの友達ということで少し不審がられてしまっていたようであるが「しっかりしていて可愛らしい」と言われたことはまんざらでもなかったようで、少し機嫌もなおってきたらしい。
やはり言い過ぎず踏みとどまっておいて正解であったようだ。年頃のお嬢さんの扱いは慎重に行うに越したことは無い。
まあ、どちらにしても菜緒子のほうも自分との先約があるのだからお前は今すぐに席を立ってどこかに消えろとまではさすがに言わないであろうが・・・
「やっぱり、何か約束があって会いに来たということなのかな・・・?」
「この人は人助けが趣味なんです。だもんで、これから私の友達を助けてもらう相談をしようと思ってきてみたら、何故だか今日出来たばかりの客人とお茶をなさっていたというわけなの」
「人助けが趣味って・・・」
「ははは。まあ、その子の言う通りなのですよ。趣味と言ってはなんですが、私にとって人助けは生きがいといいますか、ライフワークのようなものなのですよ」
「え、ほんとにそうなのですか?」
「そうなのよ。なので、遠慮なくお願いできるわけよ。なにせおじさんも趣味として楽しんでやってることだから、ウィンウィンなのよこれは」
河田本人に確認しようと思ったのに菜緒子のほうが答えた。
「どうでもいいけど、今は赤の他人とか言いつつも「おじさん」って呼ぶんだね・・・」
「そりゃあ、そうよ。ナナちゃんとこのおじさんが離婚したからといってね、呼び方なんて変えてられませんから」
「ナナちゃん・・・?」
「ああ、ナナちゃんというのはですね、私の元嫁でありこの子の叔母でもある松本菜々子のことなのですよ」
菜緒子と菜々子。なるほど親子や姉妹ではなく姪と叔母という関係ではあるのだが、似たような系統の名前ではある。名字が違うのは菜緒子の叔母や母がそれぞれ結婚したり旧姓に戻ったり、またはすでに再婚していたりとかいうわりと当たり前の理由であろう。
「もともとは赤の他人で、結婚して夫婦になって、そいで離婚してまた赤の他人になって
そうやって二人の関係がコロコロ変わっていってその度にこっちがいちいち呼び方を変えてなんていられないんですからね!」
菜緒子は京一にというより河田のほうに向けて皮肉っぽく言っているようだ。
「まあ、それはそういうものか・・・」
「そんなことよりもだな・・・友達を助けてほしいという話だったが、いったいどういう友達で、何を困っているということなのかな?」
話の方向が自分の離婚に関することになってきて少し気まずく感じてきたのであろうか、河田は話題をぐっと本筋のほうに戻してきた。
「どういう友達って、友達は友達よ。学校の同級生の女の子です」
「なるほど。で、その友達はどういうことに困っていて私の手を借りたいと思っているのかな?」
「えっと・・・なんか立ち入った話になりそうですが、僕がいたらまずかったりしませんかね?」
「いえ、別に構いませんよ。南野さんさえよろしければ一緒に話を聞いてみて下さって、もしなにか良いアドバイスなどがありましたら、遠慮なくおっしゃってみて下さいな」
「ていうか、何で急にお友達まで巻き込むのよ!」
それも今日なったばかりの友達であるし確かに唐突であるなと京一も思った。
「そんな・・・僕なんかが口をはさんでもいいんですかね?」
「当然ですが、もしご迷惑でしたら無理強いなどはしませんので私たちの会話などすべて聞き流していただいても結構ですし」
「いえ、そんな・・・彼女のほうさえ良ければ僕もお話を聞かせてもらいます。お役に立てない可能性のほうが高いですけど・・・」
「私も別にかまわないけどね。ただ、何を手助けして欲しいのかは本人から話してもらうつもりだから」
「おや、そのお友達をここに呼んであるのかい?」
「これから呼ぶのよ。ちょっと近くで時間をつぶしてもらってるから」
「なんだ、そんな一人でお待たせしなくても一緒に来れば良かったものを・・・」
「出来るだけ待たせないように予め約束の時間には余裕を持たせておいて、私は先に来たわよ。それでもあの子がもう駅に着いちゃったのよ」
「ならば、ここで待ち合わせしても良かったのに。一人で時間をつぶさなきゃならないなんてひどく退屈だろうに」
「いや、だからぁ・・・そもそもおじさんがこんなわかりにくくて直接待ち合わせできないような場所にいるっていうから、私が先におじさんを見つけてからあらためて彼女と合流しなくちゃいけなくなったんですけどね!」
「そんなまどろっこしいことをする必要などあったかな・・・」
「すぐにおじさんのことを見つけ出せるかどうか分からないんだから、もし彼女と一緒に探してなかなか見つけられなくてずっと連れまわすことになったりしたらすごく迷惑をかけるし気の毒でしょ?」
「だから、そんなに分かりにくい場所ではないよここは・・・」
意外といってはなんだが、友達に迷惑や手間をかけさせまいとする菜緒子のことを「なんだ、優しくて気遣いのできる良い子ではないか」とあらためて思ってしまった京一であった。
先ほどからの河田とのやりとりや菜緒子の恵まれたルックスからやや高飛車なお嬢さんという勝手なイメージが出来上がりつつあったので、いい意味でのギャップを感じてしまったのだ。
まあ、そういう「ギャップ」とはある意味逆になるのだが、ルックスが良い子だから少し甘めに採点してしまうみたいな「可愛い子補正」的なものも世の中にはあるらしくて、京一としても自分に限ってはそういうものの見方をすることなどは全く無い、断じて無いなどと言うとそれは嘘になってしまうのだ。
人は見た目ではないとも言われるしその通りであることも多いのだが、しかし可愛い子は何かと得だというのもやはりまた一つの事実なのであろう。
なんにせよ、京一の菜緒子に対する印象は少し良いほうへと変わってきた。
そして、先ほど聞いた通り二人の関係は血縁や親戚ではないのであるが、他者に対して気遣いができる人間であるという部分は似ているなとも思った。
「まあ、とにかくこうして無事に河田さんとは会えたわけだから、もうその友達を呼んであげたらどうかな・・・?」
「言われなくてもそうさせてもらいますから」
菜緒子はスマホを取り出してその友達に電話をかけ始めていた。
「もしもし、美里?ごめんね、やっと見つけだしたから。ここまで来てくれる?詳しい場所はあとでメッセージに書くから。もしよくわからなかったらまた電話して・・・うん、じゃあ、待ってるから」
電話を切ると素早くスマホを操作して美里という友達にメッセージを送っているようであった。
簡潔な会話で手短に電話を済ませた菜緒子を見てどうやらこの子は見た目だけでなく頭のほうも良い子なのであろうなと京一は思った。頭の良し悪しだけではなくて性格も影響するものなのかもしれないが、年齢や性別など関係なくこういう場面でだらだらと説明したり本題と関係ないことまで話したりして長ったらしい電話をするような人はまわりをイライラさせてしまうものだ。電話しながらこちらに向かっているにしても、そのようなやりとりを長々としている分こちらに到着するのも遅くなってしまうだろうとまわりの人も思ってしまうのであるが、今の菜緒子のような対応であればそのような無駄なストレスをまわりに与えることはない。
「まあ、駅から公園のこの場所までなら十分ちょっとで来られますかね?すぐに合流できますよきっと・・・」
友達を待たせる待たせないで二人が軽くもめていたので京一がちょっとフォローしようと思って二人とも当然承知しているであろうプラス材料についてあえて述べた。
「そうですね、私など駅からここまでまっすぐ速足で来ると十分もかかりませんからね。すぐに来るでしょう」
「どうかしらね・・・美里はこの公園に来るのは初てだし、こんな奥まったところにある
場所がすぐに見つけられるかしらねぇ?」
「多少迷うかもしれないけどこの東屋は広い公園内でも駅側に近いところあるから・・・距離的には駅からはそれほどないよ」
兎にも角にも三人は菜緒子の友人である美里という女の子を待つこととした。
「ごめんなさい、遅くなっちゃった。けっこう迷っちゃって、この近くまで来てたのに何回か通り過ぎちゃってたみたいで・・・」
美里が三人のもとへ到着したのは、菜緒子が電話をしてから二十分以上経ったくらいの頃であった。やはり、初めてこの公園にやって来てこの東屋をピンポイントで探し出すのは少々難易度の高い作業であったようだ。途中で二回くらい菜緒子に電話をしてきて場所を聞いていたようであったので、だいぶ迷っていたらしい。
「あ、お待たせして申し訳ありません、村岡美里と申します。菜緒子さんとは同じ学校で、同級生になります」
着いてすぐに申し訳なそうにお詫びと自己紹介をしてきた美里を見て、この子も礼儀正しい良い娘さんではないかと京一は思った。眼鏡をかけていることもあり、第一印象は大人しくてまじめそうな子という感じである。
あと、二人は学友とのことであるが、おそらくは二人とも高校生ではなく大学とか専門学校とかの学生であるように思える。そのくらいのことは直接聞いて確認すれば済む話であるが、京一としてはそういうどうでもいい自分の興味だけで若い女性の個人情報的なものをあまり詳しく聞くのもどうかと思って控えた。昨今は世の中がそういうことにうるさくなっているし、美里はともかく菜緒子ならそういう個人情報の扱いについてうるさいことを言ってくる可能性はあるとも思ったからだ。
「いえいえ、それほど待っていませんしこうしてのんびりお茶をしながら待っていましたので」
「そうよ、初めてこの公園に来たのにここまですんなりたどり着けるわけがないのよ。こんなとこでお茶してるほうがどうかしてるんだから・・・」
「そうなのかな・・・もっと分かりやすい場所で待ち合わせしたほうが良かったかな?」
「いえ・・・私、ちょっと方向音痴なところがあるので初めての場所で待ち合わせしたりするときは人を待たせて迷惑かけることが多くて・・・ほんとにすいません」
京一はこの美里という子は本当に礼儀正しくて良い子だなと思った。
河田も美里も好人物であるのだが、公平に見て被害者は美里のほうであろう。こんな分かりにくい場所に呼び出されて、初めて来たので結構迷ってしまったようでさぞかし困ったことであろう。相手を待たせているというプレッシャーもストレスになったはずだ。
しかし、不満そうな様子などおくびにも出さないで自分のほうに非があると言うのであるから、相当によくできた子である。
菜緒子などは良く知った間柄であるからなのであろうが河田に対して正直に堂々と不満を口に出していた。それに比べたら同じ若い子であるのに美里のほうはかなり謙虚であり、年上の相手に対しての気遣いもよく出来ている。親から厳しく躾けられてきたのかもしれない。
京一としても菜緒子は菜緒子で意外に性格が良いという評価になってきていたのであるが、美里のほうは見た目も含めて最初からストレートにとてもまじめで性格も良いお嬢さんという印象を持つことができた。
「ああ、申し遅れましたが、私が菜緒子の元叔父の河田貴博と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。そしてこちらは私の友人の南野京一さんです」
「はじめまして、南野です・・・」
「そうでしたか・・・宜しくお願いします」
美里が男二人を見てどちらが菜緒子の叔父なのか分からずやや迷っていた感じであったので、河田のほうから自己紹介してくれて良かったと京一は思った。
菜緒子から紹介する男は元義理の叔父ということくらいは聞いていたのであろうし、年齢的におそらく河田のほうがその叔父であろうとは思っていたのであろうが、それも微妙なところでもあろうし、どちらが叔父なのかが分かっても「では、叔父ではないもう一人の男は一体何者なのだ?」という疑問が新たに出てくるのも当然であろうから、河田がついでに自分のことも紹介してくれて手間が省けたのも良かった。
京一は河田のほうは美里のことをどんな風に思っているのだろうかと思って表情をうかがってみたが、とてもにこやかな笑顔をしていた。おそらく作り笑いなどではなく気持ちのいい若人に対して心から出た笑顔であろう。
河田も京一と同様にこの村岡美里という娘さんに好印象を持ったようである。
「まあ、とりあえず座って下さいな、すぐにお茶を用意します。三人分入れるので菜緒子も座りなさい」
「はい、ありがとうございます」
とりあえず三人は河田が紅茶を用意する間、大人しく東屋のベンチに座って待つことにした。特に美里はここにたどり着くまでに心身ともに少し疲れたであろうからリラックスするために一旦一休みしてクールダウンしたほうがよいということもある。
「お茶が入りましたよ、どうぞ」
「ありがとうございます。とてもいい香りでおいしそうですね、いただきます」
三人は河田から紅茶を受け取った。美里は特に難色を示すこともなくここでお茶をすることを受け入れた。美里がそうしたからなのか、こんなとこでお茶なんかと言っていた菜緒子も文句を言うこともなく隣に座って大人しくしている。まあ、この期に及んで細かいことに文句を言うのも面倒くさくなっただけなのかもしれないが・・・
「美味しい・・・この紅茶、本当に美味しいですね!」
美里はちょっと感動した様子で率直に感想を述べた。京一と同様にお世辞などではなく本当に美味しいと感じて言っているようである。たとえ美味くなくても美里ならとりあえず「美味しいです」とは言いそうであるが、その場合にさっき見せたような本当に美味しいというリアクションをわざわざ演技でやってみせることまでするような子とも思えない。
「本当に美味しい紅茶だよね・・・」
京一は思わずポツリと呟いた。独り言とも美里に返したともとれる言葉であったが、声の大きさ的にも微妙なトーンだったので美里がそれに対して返してはこなかった。なので、そこから紅茶の話で盛り上がることもなかった。
「美味しいですか?良かった、それならなによりです・・・」
河田も笑顔で呟いた。紅茶の話は膨らまなかったのだが、河田としては紅茶を美味いと褒められただけでもそれなりに満足できている様子であった。
四人は、しばし静かにティータイムを過ごした。
「それじゃあ美里、そろそろ・・・」
河田に紅茶を入れてもらって一息ついたところで菜緒子が美里にそろそろ本題へと入るように促した。
「そうだね・・・じゃあ、私のほうからお話しさせてもらうね・・・」
河田と京一も美里の話を聞く体勢に入った。
「実は最近ちょっと上手くいかなくて悩んでいることがあって、菜緒子に話を聞いてもらってたんですけど、菜緒子の義理の叔父さんだった人が困っている人を助けることを趣味にしているので、その人に相談してみたらどうかって提案してくれまして・・・本当に人を助けることが趣味なのでしょうか・・・?」
「ええ、その通り、私の趣味は人助けなのですよ」
「そうなんですね・・・あの、見ず知らずの私なんかがとても厚かましいとは思ったんですけど・・・自分の力だけでは悩みを解決できそうにないので、菜緒子の言葉に甘えさせてもらおうかと思って、今日こうしてご相談に上がったというわけでして・・・」
「なるほど・・・どうやらとてもお困りのようですね・・・」
美里と菜緒子とはおそらくそういうことを相談し合える間柄なのであろうが、美里としては菜緒子の紹介とはいえ元義理の叔父とかいう何だかよくわからない人に相談して大丈夫なのであろうかという心配があったらしい。そして、人助けが趣味というさらによく分からないキャラまでついてきたので、本当に大丈夫なのかいろいろ確認したかったのであろう。
「実は、私・・・ネットの動画投稿サイトで個人的に動画を配信しているのですが・・・」
「ああ、最近そういうことが流行っているそうですね。それを職業としてやってらっしゃる方々も結構いらっしゃると聞きます」
そう答える河田を見ながら、京一は勝手なイメージであるが、河田は知識としてはその存在を知っていても実際にネットでそういう動画を見たりはしなさそうだなと思った。
「はい、私はごく普通の学生ですし、そういう職業でやっている人みたいに本格的にはやってないんですけど・・・」
「趣味でやってらっしゃるということなのかな?」
「え、ああ・・・まあ、そんな感じです・・・」
美里の返答はやや含みのある感じであったが、それほど深い意味があるわけでもなさそうだ。ああいうものは動画の閲覧者数だか再生回数だかチャンネルの登録者数だかの数字なんかに応じていくらか広告収入的なものも得られたりするらしいので、小遣い稼ぎにもなるというか趣味と実益を兼ねているという面もあるというくらいのことなのであろう。
「しかし、ちょっと意外というか、この子にそういうイメージはなかったな・・・」
美里の悩みを聞いて京一はそう思った。ほんの少しではあるが違和感のようなものがあったのだ。
京一のイメージではそういう動画を配信したりしているネット上のタレントのようなことをしている若い女の子というのはどちらかというと、美里よりは菜緒子のような感じのタイプの子のほうが多数派なのであろうという認識であったからだ。
菜緒子は目もパッチリとした大きな目で、とても整った顔をしていて分かりやすいタイプの美人なのである。どちらかというと派手で目立つ顔でありハーフやクォーターに見えなくもない感じで、万人受けしそうというと言い過ぎかもしれないが、男女どちらにも受けが良さそうな顔である。スタイルもすらっとしていて、どこにでもいるような感じではない相当な美人なのでモデルさんの仕事でも出来そうなほどのレベルのルックスなのである。
モデルといってもファッションショーとかに出ている身長が高いスーパーモデルのような感じではなくて、いわゆる「読者モデル」のほうなのであるが、読者モデルの中でもそのままタレントになってしまうくらいのトップレベルの人たちと比べても遜色ないルックスなので、京一としても菜緒子であればネット上でタレント的なことをやっていたとしても別に不思議ではないと思えるのである。
一方、美里のほうも整った顔をしていてそれなりに美人ではあるのだが、まず眼鏡をかけているのでそれだけでもちょっと地味に見えてしまう。普通にしていても勝手に目立ってしまう感じの菜緒子とはいろいろ対照的で、目は切れ長で涼し気な感じの顔であり少し幸の薄そうな美人さんという風に京一には見えた。女性より男性に受けそうな感じである。
ただ、地味ではあるが菜緒子と比べて見劣りするかというとそういうわけでもない。
かくいう京一も十代から二十代前半くらいまでの若かりし頃はどちらかというと菜緒子のような分かりやすい感じの美人のほうが好みであったのだが、三十代になろうとしている現在ではあまり派手ではない控えめなタイプの美人のほうに惹かれる感じになっている。
では、京一は菜緒子より美里のほうが好みなのかというと、そういうわけでもない。やはり菜緒子は派手とか控えめとか、そういった微妙なというか細かい好みを超越するくらいの
レベルの美人であるため甲乙つけがたいのだ。
もしどちらが好みかと聞かれたら、京一としては「正直どちらもアリ」といった感じなのである。
まあ、二人とも自分より十歳くらい若い学生さんであるので向こうのほうが京一のことなどまともに相手しないであろうから、京一のほうが真剣にどちらが良いかなどと悩むのは馬鹿らしいしあまり意味が無いことであり、それこそ正直無駄な行為としか言いようがない。
そもそもの話としてこの二人の女性はどちらのほうが美人だとか、どちらがよりいい女かなどという質問をされたとしても、そんなものは人それぞれであり、それぞれの好みによると言ってしまえばそれまでなのであるが・・・
しかし、菜緒子と美里はいい感じにタイプの違う美人であるので変な話何となくバランスのいい組み合わせのコンビであるなと京一は思っていた。
「では、その趣味として個人的にされている動画の配信が上手くいかなくて悩んでいるということでよろしいのかな?」
「はい、そういうことです」
なるほど、最近の若者らしい悩みではある。しかし、動画の配信が上手くいかなくて悩むところまでは理解できるのだが、趣味でやっていることなのであるから真剣に他人に相談したり助けを求めたりするほどまで困るようなことであろうかという疑問が京一にはあった。
そこまで追いつめられるというか困り果てるというのはいささか大袈裟なのではではないかと思ってしまうのである。趣味であるのだから上手くいくように試行錯誤しながらやっていくのも楽しみの一つではないのかとも思ってしまうのだ。
他人からヒントをもらうための軽い相談というのであればわかるのだが、生活がかかっているわけでもないのに切羽詰まるところまできているというのはやや不可解ですらあった。
「上手くいかないというのは、具体的には動画の視聴回数とかチャンネルの登録者数が伸び悩んでいるといった感じなのかな?」
「そうなんです。始めたばかりということもあるのですが、伸び悩むとかいうレベルですらなくて、ほとんど誰にも見られていないくらいの感じなんです・・・」
京一としては、河田のような大人の紳士はネットで配信されているその手の動画などはあまり見ていなさそうと思っていたのだが、いまの二人の会話のやり取りでの河田の話しぶりからするとそういうものの事情についてそこそこ詳しそうであるなという風に感じた。
まあ、実際にそういう動画を見たりはしなくても昨今の世の中の事情に興味をもって情報を集めたり、そこまで大そうなことではなくても普通にニュースなどを最低限見ているだけでも察しのいい人ならネットの動画配信の悩みについて今くらいスムーズに話を進めることは可能ではあった。
「そうですか・・・では、より多くの人に見てもらえるようにテコ入れするというか、改善する方法を知りたいということでよろしいのかな?」
「はい、それをご相談したいと思って来ました」
「なるほど、そうですか・・・いや、私もそういう動画配信についてはあまり関心がなくてほとんど見ることもないのでちょっと困ったな・・・それについて今すぐ具体的なアドバイスをしてあげられそうにはないし、何か手助けをしてあげられることはあるだろうか・・・?」
「まあ、私もそれはそうじゃないのかなとも思ったんだけどね・・・」
河田本人が詳しくないと言っているわけであるし、この中では一番河田について知っているであろう菜緒子がそのように言っているのだから、河田が謙遜しているわけでもなくてこれはやはり京一の予想通り河田はこういう俗っぽいことにはあまり関心がなくて疎いというか、一般常識レベルの情報だけは押さえているが必要以上に知りたいとも思わないようで、その手のネットの配信動画は見ないらしい。
「そうだ、南野さんはどうでしょう?何か妙案などはございませんか?」
「え?ぼ、僕ですか・・・?ああ、そうだなぁ・・・」
京一は急に自分のほうに話を振られたので不意を突かれた感じになってしまってまったく何も思いつかなかった。
「いや、僕はたまにネットのそういうサイトで動画は見たりするのですけど・・・でもそれはテレビやネットでやっている番組を見逃したりした分とかがそういうサイトであとから配信されているものを見ることがほとんどでしてね・・・それも、そういう番組の面白いシーンだけが短くまとめられている動画をつまみ食いするみたいに見ることが多いので、そんなにしっかりとは視聴しないタイプの人間なのですよ」
「そうなのですか・・・しかし、ほとんど見ない私よりは詳しそうですね」
「そうかもしれませんが、一般人が個人で配信していたりとか、それがちょっと人気になってネットの世界の中でちょっとしたタレントみたいになった人が簡単な番組のようなものを製作して配信していたりする動画なんかは、正直あまりついていけないというか、それほど興味がありませんでしてね・・・」
「なるほど、まさに美里さんがされているパターンの個人が配信する動画のほうはあまり見られていないのですね・・・」
「そうなんですよね・・・ですから、どういった動画が最近で言うところの「バズる」動画なのかがわからないので、どうテコ入れすれば視聴回数とかが伸びるようになるかというアドバイスもちょっと難しいですね・・・」
このような若者中心のカルチャーはここにいる中年の男二人には今一つ馴染みが無いというか、もはや遠い世界であるようだ。
「そういえば、菜緒子ちゃんはそういう若者向けの動画みたいなやつは見たりはしないのかな?」
「私?私は普通に人並みには見るけど、見てもそこまで面白いとも思える動画なんてほとんど無いから真剣に見てないし、だから私もどうやったバズるとかチャンネルの登録者数を増やせるとかのアイデアなんて無いかなぁ・・・」
「あ、しまった。なんか普通に下の名前で呼んでしまった・・・・・・」
京一はいったん菜緒子に話を振っておいてその間に何か考えようかと思ったのであるが、咄嗟に声をかけたので勢いで思わず「菜緒子ちゃん」などと呼んでしまったのだが、ちょっと馴れ馴れしいと思われてしまったかと心配になったのだ。
しかし、菜緒子は特に呼び方に引っ掛かることはなくスルーしてくれた。今日初めて会ったばかりで特に親しいわけでもないのに、そのあたりは寛容というか特段気にすることはないらしい。呼ばれ方に関しては無頓着でこだわらないタイプなのかもしれない。
まあ、相手が年の近い学生の男とかであったらそういうことも多少意識するのかもしれないが、義理の叔父だった人の友人という立場であり年齢もまあまあ離れている男に下の名前で呼ばれたところで、そんなことはどうでもいいと思われている可能性のほうが大きいかもしれない。
「まあ、まわりの人に面白いから見てみればと勧められて一応チェックはしてみたもののそうでもなかったみたいな動画は多いからね。一応見てみるけど面白くなかったら途中ですぐ見るのをやめてしまうよ」
「そうなのよね・・・友達の間で流行ってるような動画でも実際に見てみたらけっこうくだらない動画だったりして二度と見ないことはたまにあるかな・・・」
友達と話を合わせるために流行りのものを仕方なくチェックするといった感じなのであろうか。学校のクラスや職場などの話題に乗り遅れないためにそこまで興味があるわけでもないそのときどきの流行りのテレビ番組などをわざわざ見るみたいなことは、いつの時代でも変わらずにあるものなのだなと思った。京一にも学生時代にそのような経験はあった。
まわりの話題に乗り遅れないためにわざわざチェックしたがそれがきっかけでその流行のものにハマって夢中になってしまうことも当然あるだろうし、それで自分が楽しめるのであればそれはそれで良いとは思うのだが、話題に乗り遅れたくないあまりに自分としてはくだらないと思う動画やテレビ番組を無理して見続けるのはひどく苦痛である。
京一もそうだが、菜緒子も簡単にまわりに影響されるタイプではないようであるし、河田は世間の流行りなどとは無関係にただひたすら自分が好きなものに没頭して楽しむタイプのように思える。彼にとって「紅茶」というものがまさにそれにあたるのであろう。しかし、
こうなるとネットの動画投稿などについて詳しくて美里の配信する動画をテコ入れするためのアドバイスができそうな人間はこの三人の中にはいないということになってしまうのである。
「なんだ、自分だって詳しくないんじゃあないか。そうなると、結局全員どういう動画が注目を集めて人気の動画になるのかなんて分からないということだなぁ・・・」
河田はちょっと困ったように菜緒子に言ったが、すぐに反論された。
「だからぁ、私がそういうのに詳しくて美里に詳しくアドバイスできるんだったら、そもそも最初っから叔父さんに頼ったりする必要ないでしょ!」
「まあ、それはそうなのだろうがね・・・」
「でも、そもそもの話でいうとさ・・・さっきチラッと言ってたけど、菜緒子ちゃんも河田さんが若者の間で流行っているネットの動画なんかはあまり見てなくて詳しくないことはもう最初から分かってたんじゃあないの?そうなると、最初から無理そうなことだと分かりつつ河田さんに相談に来たことになると思うんだけど・・・」
別にどちらの味方というわけでもないのであるが、京一は一応河田のほうに助け舟を出してみた。
「あ、でもそこはちょっと違うのよ。確か、美里がターゲットにしたいと思ってるのは若者じゃなくて中年の人たちなんだよね?」
「うん・・・中年の、出来れば女性の人たちにたくさん見て欲しいかな・・・」
「そうだったよね?若者じゃなくて中年がターゲットだって聞いてたから、じゃあ叔父さんに相談してみたらいいかもって思ったのよ」
「なるほど・・・中年をターゲットにした動画を製作したいのか・・・」
河田は少し合点がいったように呟いたが「中年」というところをはっきりと強調されたところが内心複雑なのだろうか、喜怒哀楽どれでもないような微妙な反応を示している感じがした。
「まあ、それなら確かに若者じゃなくて河田さんに意見を聞こうとするのもうなずけますね。若者ではなく大人向けのコンテンツを作りたいのなら色んなことに関して知識が豊富で見識のありそうな河田さんなら良いヒントを出してくれそうですからね」
中年であることを強調されてやや不服そうな河田に対して京一がフォローを入れた。
「いえ、それは少し買いかぶりすぎだと思います。私など、少し長く生きているだけでそれほど色々なことに詳しいわけでもありませんよ」
河田は謙遜しているが表情を見ているとまんざらでもないようだ。中年と言われ少し悪くなっていた機嫌もなおったようである。しかし、考えてみれば四十一歳の男は充分中年であるし、若い学生の菜緒子からしてみたらなおさらそう思えるであろう。不服かもしれないが中年扱いされても仕方がない。京一とてもうすぐ三十歳代に突入するので他人事ではない立場である。菜緒子や美里のような若い女性からしたら中年の男という部類に入ってしまう可能性は大きい。
「そうか、中年がターゲットの動画の視聴者を増やしたいとなるとちょっと話が変わってきちゃうよね・・・河田さんや僕は若者が個人で配信しているような動画は普段見ないけど、
どんな動画なら見たくなるかはアドバイスできるかもね。あと、中年でも女性のほうがターゲットなわけだけど、河田さんや僕と同世代の人たちはいったいどんなものになら興味をもつのかということくらいなら少しは分かるかもしれないからね」
「そうですね・・・それはすごく興味があるので聞いてみたいです」
「確かに、そういうことなら少しは分かるかもしれません。ちょっと考えてみましょうかね・・・」
河田に対して当たりのきつい菜緒子とは違ってわりと控えめな感じの性格らしい美里から頼られるのは素直に嬉しいようで、河田は美里に協力できそうなことを考えるということに前向きな姿勢を見せ始めた。
そして、河田同様に京一も美里にアドバイスできそうなことがないかと考え始めたのであるが、どうしても気になってしまうことがあった。
「しかし、この美里という大人しそうな子がネットに個人で動画を配信するという活動をやっているというだけでもちょっと意外な感じなのに、その上その動画を見てもらいたいターゲットが中年の女性というのがまた変わっていてさらに意外だな・・・これは俗にいう我々のような凡人の考えの斜め上をいくというやつかな?まあ、我々といっても河田さんは凡人ではなくてちょっぴり浮世離れした紳士って感じだけど・・・」
京一の勝手なイメージや固定概念といってしまえばそれまでであるし、人の内面は見た目だけでは判断できないものであるが、どちらかといえば地味で大人しそうな美里がこのような活動をやっていることが以外で何かしっくりこない感じなのである。それも友達である菜緒子やその元義理の叔父である河田に助けを借りにくるくらいであるので遊びでやっている感じではなくけっこう真剣に取り組もうとしているようなのである。
その情熱というか原動力はいったいどこからくるのだろうかというのがちょっと気になってしまう京一なのであった。だがしかし、とりあえず今は美里の配信する動画をテコ入れする方法を考えないといけないと思って、まずは美里が配信している動画はどのようなものなのかを知る必要があると考えた。であるので、配信している美里本人かその動画を見たことがある人間に聞くのが手っ取り早いと思って聞いてみた。
「そういえば、菜緒子ちゃんは美里ちゃんの配信した動画を見たことはあるの?」
美里本人に聞いてもよかったのだが、客観的な意見や感想を聞いたほうがどういうものなのかが正確に把握できるような気がしたので菜緒子のほうに聞いてみた。菜緒子の評価と世の中の評価とは微妙に違うかもしれないのだが、本人の主張より他人の意見を聞いたほうが良い部分も悪い部分も分かりやすく浮かび上がってきそうだとなんとなく思えたのだ。
「あるわよ。あるけど、私にはあれが中年の女性が興味をもちそうな内容なのかどうかは判断がつかなかったわ・・・」
「若者にウケそうなものではなかったの?」
「若者にウケそうな動画ではなかったかもね・・・中年層がターゲットならそうなっても仕方ないのかなと思って見てたけど・・・」
ややオブラートに包むような言い方をしているが、やはりあまり魅力的な動画ではなさそうなことは伝わってきた。テコ入れというか、下手をすると根本から変えなければいけないのかもしれない。若者向けではないだけで中年にはウケそうな動画だったのなら今のような表現はおそらくしないであろう。
「具体的には、どういうことをやっている動画なのかな?」
これには美里本人が答えてきた。
「一応、私としては家事全般に関するお役立ち情報を伝えるという趣旨の動画を配信しているつもりなんですけど・・・」
「家事のお役立ち情報か・・・まあ、それなら主婦向けの内容だからターゲットである中年の女性も興味をもってくれそうではあるね」
「はい、そう思ってやってみたんです。百均で買える便利グッズなんかを使って効率的な家事が出来るようになるテクニックみたいなのを紹介してるんです」
わりと本格的な内容のようだが、それほど斬新なものでもない。
「ああ、なんか最近はそういう感じで、料理とかその他の家事の時短テクニック的なものがいろいろなメディアで取り上げられているよね」
「ああ、そういうのでしたら私もテレビでやっていたのを見たことがありますね。私もいまは独り身なので家事は自分でやっていますから、その手の家事に関する情報には多少興味がありますので」
河田でも知っているのでどちらかというとメジャーな内容ということになりそうではあるが、それ故に逆に言うとありがちな内容ということになってしまうかもしれない。
「なんか、いろいろありますよね。カリスマ主婦とかカリスマ家政婦的な人とかが出て来て突っ張り棒みたいなのを使ってクローゼットや押し入れなんかの収納スペースを有効活用する方法を説明したりするやつはわりとよく見かけます」
「私が見たのはタンスや机の引き出しの中に百均グッズを使って仕切りを作って整理整頓がやり易くなるみたいな内容のものでした」
とりあえず、ここにいる中年の男二人もテレビなどで見てそういう家事のお役立ち情報をわりとよく知っているので、どうやらその手のものはけっこう世の中にあふれているらしい。
「はい、まさにそんな感じの内容の動画です。でも、視聴数が全然増えないし視聴者が書き込めるコメント欄にも主婦の人がコメントを書き込んでくれたりはしないんです・・・」
「なるほど、それじゃあ中年の女性らしき人が見てくれているどうかはわからないんだね」
「そうなんです・・・たぶん中年の女性にはほとんど視聴されてないのだと思います・・・」
「まあ、コメントがないからといってそういう人が見てないとは限りませんよ。しかし、
失礼ですが内容のほうがややありきたりな感は否めません」
河田がフォローを入れつつも控えめな言い方ではあるが痛いところを直球でついてきた。
「まあねぇ・・・ていうか、はっきりいってそういうのはもうネットでもテレビでもさんざん擦られているネタだし、そもそもそういう情報は主婦のほうが詳しいからよっぽど目新しかったり盲点を突くような内容だったりして他と比べて斬新で凄いものじゃないと見てもらえないんじゃないかなぁ?ましてやわざわざコメントまで書いてくれるくらい熱心な人なんてなかなかいないと思うんだけどね・・・」
すかさず菜緒子がさらにド直球で胸元をえぐるように身も蓋もない言い方で問題点を指摘した。そこまでズバズバとダメ出しされたら美里が気の毒だと京一は思ってしまったのだが、ダメ出しの内容的には正論であり確かに改善すべき点は多い。きつい言い方のようにも聞こえるが、それは親友という関係性だからこそズバッとはっきり言えるのかもしれない。なんでも言い合える仲なのかどうかは分からないが、少なくとも菜緒子のほうは美里に対して何でもはっきりと言える関係であるようだ。
しかし、河田も菜緒子も変に忖度せずにわりと歯に衣着せないストレートな物言いをするタイプのようなのでやはり性格が似ているのかもしれない。
「やっぱりそうだよね・・・いろいろ調べたりして頑張ってやってみたんだけど、二番煎じだよね、二番煎じどころか出尽くしたお茶殻かな・・・やっぱりダメだなぁ私は・・・」
力なく笑いながら自虐的に自らの動画の評価をお茶に例えて表現した。
「いや、そんなに自分を卑下するものではありませんよ!私はその動画を見たわけではありませんけども、まだ始めたばかりなのだから上手くいかなくて当然くらいに思っていたほうがいい。ダメなんてことはないよ」
「そうだよ、俺もまだ見てはいないからあれだけどそこまで酷いものでもないんじゃないかな?あとちょっと、何かあと一つ特徴を持たせることが出来たら同じような他人の動画と差別化が出来て視聴者数を増やせるかもしれないしね・・・」
河田も京一も落ち込んでいる美里の姿をみているとたまらなく気の毒に思えてきて二人そろって美里を励ますようなフォローの言葉をかけた。
「諦めたらそこで試合終了とか言うじゃあないですか。とにかく、もう少し頑張ってみるべきだ。ファイトだよ!」
河田が熱い言葉で落ち込んでいる美里のことを励ました。
京一もそうだそうだと思っていた。
一方、菜緒子はというと二人の中年の男を冷ややかな目で見ながら「こいつらちょろい男どもだな」などと思っていた。
「ていうかね、二人とも実際に見てもいないのに良いも悪いも判断しようがないでしょ。とりあえず見てから感想を言いなさいよ」
「それもそうだな・・・とりあえず実際にその動画を見てみよう。菜緒子ちゃんの言うように実際に見てみたらその時初めて気づくこともあるかもしれない」
「その通りですね、それでは見てみましょう」
河田と京一はスマホで美里の配信している動画を見てみた。
「う~ん、なるほどなぁ・・・こういう感じのものか・・・」
「まあ、割と想像通りでしたね。テレビでカリスマ家政婦的な人がやっていたのと似たような感じでした」
結局、実際に美里の動画を見ても特に二人の評価が変わることはなかった。家事のお役立ちテクニックについては割と分かりやすく紹介しているし、言葉を言い間違えたり段取りを忘れて失敗したりするようなこともなくてそういう意味では確かによく研究した上で頑張って作った動画であるようには思える。おそらく練習を繰り返したり何度か撮影し直したりしてベストの状態のものを配信したのであろう。そういう部分については割と見やすい動画には仕上がっていた。
だがしかし、結局はそれだけの動画であってそれ以上でもそれ以下でもないのである。
こういった動画を最初に作ったのであればそれなりに凄い事ではあるのだが、美里が二番煎じなどと表現したように今となっては後追いで似たようなことをやっている人も多くてありきたりな動画を自分も見よう見まねで作ってみたという感じにどうしても見えてしまうのだ。
「内容はちゃんとしているから、もしこの手の情報をまったく知らない人がたまたま初めて見たのが美里ちゃんの動画だったとしたら感動すると思うよ」
「そうですね。内容自体はちゃんとしています。実際に家事をする時に役立つ情報が紹介されていますからね。こういう動画を初めて見た人にとっては素晴らしい動画だと感じられるとは思います・・・」
しかし、そんな都合のよい偶然はそうそうあるものではない。ネットで検索した場合に最初に引っ掛かってくるのはこの業界の中でトップレベルに有名な人の動画という風になるのが自然であろう。そういうトップに君臨するカリスマ達の動画を差し置いて美里の動画のほうが先にヒットする可能性などは、ほぼ無いに等しいと思われる。
すでに実績などがあって有名にもなっているカリスマ家政婦やカリスマ主婦の人が初期にアップした過去の動画と比べたら内容的にはそれほど劣っていないかもしれないが、それではダメなのである。後発の動画なのだから内容的にはかなり進化していなければ厳しいであろう。
やはり、すでにカリスマと呼ばれるくらい有名になっている人たちの真似をして似たようなそこそこよく出来た動画を作成して配信したところで同じ土俵に立っていることにすらならない。既得権と言っていいのかどうか分からないがそういうカリスマ達が何かしら新しく動画を配信したときにはその出来の良し悪しに関わらずとりあえずは注目を集めることはできるのであろう。一方、後発で同じような動画を配信し始めた新人はカリスマ達と比べられると視聴者からは言葉は悪いが「猿真似」であるとか「偽物」であるとかいう風にどうしても見られがちになってしまうのは仕方のないことなのである。
ただでさえ無名な後追いのチャレンジャーであるのならばよっぽど内容が優れていてなおかつインパクトのあるものを作らなければすでにカリスマとなっている人たちとはまともに戦えないであろう。
「よく出来た動画だとは思いますが、やはり何かしら特色というかオリジナリティを持たせなければ事態を打開することは難しいのではないかな?」
河田が美里を傷つけないように控えめな言い方ではあるが、この動画の問題点について核心を突いてきた。
「そうですよね・・・でも、オリジナリティを持たせるのって難しそうですね・・・」
「まあ、難しいよね・・・じゃあね・・・美里ちゃんは、料理は得意かな?家事全般ではなくて料理に特化した内容にしてみてはどうだろう?料理に関しても時短テクニックだとかのお役立ち情報は色々とあるのだろうし・・・」
今度は京一が少し具体的なアイデアを出した。
「料理は得意とまで言えるかどうか分かりませんけど、好きですし普通にある程度のことは出来ます」
「料理だって毎日やっている主婦のほうが得意だし詳しいから同じことじゃないの?」
すかさず菜緒子が厳しいツッコミを入れてきた。
「でもさ、料理なら色んなジャンルというか、色々な国の料理があるわけだから日本人があまり知らない国の珍しい料理なんかを取り上げたら他にはない特色を出せるんじゃあないかな?それなら料理好きな人も料理が苦手ゆえに動画を見て参考にしようって人も両方ともターゲットに出来そうじゃないかな?」
「ああ、そうですね。いい線をいってるのではないかと思いますよ!」
「特色は出せるかもだけど、それってけっこう難易度は高いし、その上そんな変わった料理だと興味を持つ人も少ないだろうから出来るだけ多くの人に見てもらいたい美里の希望に沿わないんじゃない?」
またしても菜緒子がツッコミを入れてきた。そんなにあれもこれも否定ばかりされてしまっては何もできないし何も進まなくなってしまうのだが、言っている内容は正論である。
掃除や洗濯などの家事と同様に料理にしてもお役立ち情報は世の中にあふれているので似たような他の動画と差別化しようと思ったらよっぽど変わった内容や他とは違うアプローチで攻めるなどといった工夫がないと特色を出すことは難しい。そしてさらにいうと特色を出せばそれでよいというものではない。あまり奇抜すぎる内容やマイナー過ぎるというか、ほとんど誰も知らないようなものをフィーチャーするというかたちで特色を出そうとしたら菜緒子の言ったように大半の人が興味をもたなくて敬遠するという残念な結果になる可能性は高い。他と差別化したいからといってやりすぎはいけない。過ぎたるは猶及ばざるが如し、ということであり何事も良い塩梅になるようにするのが良いわけだが、それがまた難しいのである。
「私も一つアイデアを思い付いたのですが、紅茶に特化した動画というのはいかがでしょうか?茶葉の選び方から本格的な紅茶の入れ方を紹介していく動画というのは面白いと思うのですがね」
河田が満を持して得意ジャンルである紅茶の動画を提案してきた。
「紅茶ですか。いいですね、河田さんらしくて。この紅茶は本当においしいので人気動画になる可能性は大きいですよ」
「そんなね、紅茶なんかに特化しちゃったら料理以上に見たいと思う人が限定されちゃうじゃないの。料理動画でデザートの作り方を紹介するときなんかにその延長でついでに紅茶の入れ方なんかを紹介するとかならわかるけど、紅茶メインじゃ視聴者は多くならないわよ」
またまた菜緒子がややきつめにツッコミを入れてきた。
「そんなことは無いだろう。紅茶は奥が深いのだぞ」
ついでにと言われてあからさまに不服そうな態度で河田が反論した。
「お前が思っている以上に紅茶の愛好者は多いのだぞ。紅茶紹介動画はそれ一本で充分に看板を張れるコンテンツだと思うがね。お前は紅茶の人気や奥深さというものをよく分かっていないんだよ」
「紅茶好きが多いかどうかは良く知らないけどね、もし紅茶に特化した動画にしちゃったらコーヒー愛好家の人なんかは見てくれないでしょ。できるだけ多くの人に見てもらおうと思ったら最大公約数のニーズに応えられないとダメでしょ?私が言いたいのはそういうことよ。そんなことはマーケティングとかそんな大袈裟なことでなくて、普通に考えてみたら直感的に分かることだと思うんですけどね!」
正論なのだがなにせ菜緒子の河田に対する当たりがきつい。とにかくきつい。だが、やはり言っていることはすこぶる正論である以上仕方がないのだ。これには河田もろくに反論できない。紅茶に特化した動画というのはどう考えても河田の趣味に寄り過ぎている。
それにしても若い女な子の相談に乗っていたはずが、脱線して自分の趣味のほうに話を寄せてしまう中年のオヤジをちゃんと正論で注意できる菜緒子はなかなかどうしてしっかりしている。
「ああ、あともう一つ中年層にアピールできそうな内容を思い付いたんだけどね・・・我々の世代にとって懐かしいカルチャー的なものを取り上げるっていうのも一つの案だと思うんだ。昭和から平成の初めにかけて流行したものを紹介したりする動画はどうかな?中年
層が興味を持ちそうじゃないかな?」
河田がやり込められてピンチであったので京一が新たな提案をして助け舟を出した。
「それも妙案ですね!テレビ番組でも「懐かしの~特集」みたいなタイトルのものがやっていて、それが自分の世代にドンピシャだったりしたら思わず見てしまいますからね」
「そう、そういうやつです。僕も懐かしくてついつい見てしまいます」
「いわゆる中年ホイホイってやつね」
「それはすごく良さそうなんですけど私には難し過ぎるような気がして、上手くできるかなぁ・・・?」
「そういうのは自分が中年ならリアルタイムで体験してきたんだからどういうのが懐かしいとか分かるだろうし内容を詳しく掘り下げることも可能だろうけど、私たち若い世代がやるには難易度が高すぎるわね」
「そうかぁ・・・たまに若いのに昭和のカルチャーとかに凄く詳しい子とかもいるけど、やっぱりああいう子は特殊なのだろうか・・・?」
「ああいうのは、たいてい自分自身がそういう昔のことが好きですごく興味があって色々調べたりして詳しくなってるんじゃないかな?あとは親の影響で一緒に楽しむようになったとかね・・・」
「そうだよね・・・そういえば、中学の時のクラスの同級生の男の子でそういう子がいたと思う」
「なるほどね・・・美里ちゃんはそういうのに特に興味がないから一から調べたり勉強したりしないといけない感じなのか・・・」
「それにね、自分自身がよっぽど好きで詳しくないとちゃんと紹介するのは難しいと思うわよ。懐かしいっていう中年の共感を得るくらいの動画を作ろうと思うならなおさらね」
「付け焼き刃みたいなのじゃ無理だよね・・・結局、私の家事のお役立ち情報動画もネットで情報を調べて短期間に作った間に合わせみたいな感じのものだからダメなんだよね・・・」
「いや、あれだってそんなに悪い動画ではなかったよ。真摯な姿勢で真剣に作ったのであろうことは見ていて伝わってきたからね」
美里がまた落ち込みだしたので、また河田がフォローを入れだした。
「そうだそうだ。あれはあれでよく出来ていたよ」
京一も河田に続けて美里に励ましの言葉をかけた。
そして菜緒子はそんな中年の男たちを冷ややかな目で見ていた。
「しかし、この男どもはつくづく若い女に弱いちょろいおっさんたちだな・・・」
美里が落ち込んでそれを男二人が慰めるというパターンが出来てしまった。その一連の流れによって話が途切れてしまったので菜緒子が話題を戻した。
「そういう懐かし動画を上手く作れるならいいかもしれないけど、それなりのクオリティのものを作るのはやっぱりかなり難しいってことね」
「美里ちゃんもそう思う?そういう動画を作るのは無理そうかな?」
「そうですね・・・何をどうやっていいのか全然分かりませんから難しいですね・・・
せっかく考えていただいたのに申し訳ありません」
「いいアイデアだと思ったけどなぁ・・・絵に描いた餅というか、実現できないようなアイデアでは無意味だよね・・・」
「私がろくに何もできないせいですね・・・ほんとにすいません・・・」
「いや、別にそんなに気にしなくていいよ」
「しかしなぁ、あれもダメこれもダメで打つ手が無くなってきたなこれは・・・困り果てましたね・・・」
「やっぱりなぁ・・・ここで今すぐにはね、いいアイデアはそんな急には浮かばないかなぁ」
「そうですねぇ・・・少し考える時間が必要かもしれませんね、これは・・・」
「すいません、私が急に変なことをご相談したせいで・・・ご迷惑でしたよね、やっぱり・・・」
「いえ、全然迷惑などではないよ。私としては人助けが趣味みたいなところがあるので、好き好んで相談に乗っているわけだからね」
「そうだよ、みんな迷惑だなんて思ってないよ。迷惑だと思っていたらそもそも相談に乗ったりしないよ。それに、こうやってあれやこれやとアイデアを出して話し合うのは結構楽しかったりするしね」
「そうですか?三人の貴重なお時間を無駄にさせてしまっているようで、ちょっと心苦しいです・・・」
「いいのよ、どうせこの人たちは暇をもてあましてるんだから」
河田は元義理の叔父さんだからまだ良いとしても、今日初めて会ったばかりの自分のことまで暇人のように言うのはどうかと思った京一であったが、そこを突っ込んで菜緒子の機嫌を損ねるのもどうかと思ってそれに言及することをまたもや踏みとどまって軽くスルーした。実際、休日とはいえ今日初めて会った人たちとお茶をして相談にまで乗っているという今日の行動は忙しい人間のやることとはとてもではないが言えないので、京一としても暇人扱いされても仕方ないという思いもあったのだ。
「それでは、こうしましょう。各自一度持ち帰って色々とアイデアや考えをまとめてきましょう。本日話し合って出てきた意見やアイデアなどをブラッシュアップしてより良いものに仕上げましょう。そして一週間後あらためてここに集まってそれを発表するのです」
もう埒が明かないので河田が一度仕切り直しを提案してきた。
「そうですね・・・あともう一歩、もうちょっといいアイデアを出したいですからね。そのためにはここはちょっと時間が欲しいところですからね」
「そうね。今日はこれ以上話し合ってもいい打開策が出そうにないもんね」
「皆さんすいません。お手数ですけどまた一週間後にお願いしていいでしょうか・・・?」
「ええ、大丈夫です。各自が一週間かけて練ってきたアイデアを持ち寄ってそれをさらに皆で意見を出し合ってより良いものにしていけばいい。次は必ず動画の再生回数をアップするための秘策を考え出せると思うからね」
「はい、ありがとうございます」
「もし来週までに美里さん自身に何かいいアイデアが浮かんで新たな動画をアップできそうであれば、我々の意見を聞くまでもなく遠慮せずどんどんおやりなさい。その動画に対する我々の意見は来週集まったときに伝えればいいわけだからね」
「わかりました。ではまたよろしくお願いします」
「ところでですが・・・僕もまたこのお話しに参加していいのでしょうか?丁度一週間後の同じ曜日がまた仕事が休みですし、予定も空いていますので」
「もちろんですとも。またお知恵を貸していただければ幸いです」
「いいんじゃない。今日もアイデアは色々と出してくれたし」
「うん、そうだよね。私としても相談に乗っていただける方は多いほうがより心強いので、ぜひまたお願いします。」
「よかった・・・何というか、乗りかかった船というか、今後の成り行きがちょっと気になりだしていたので、続きが知りたくて次の集まりにもぜひ参加させてもらいたいと思っていたんですよ」
「でも、おじさんとは違って人助けが趣味ってわけでもないでしょうに、随分とご親切ね」
「いま言った通り親切心だけというわけではなくて、あくまでも自分自身がこの話の続きが気になるから参加したいんだ。それに、来週の休みもどうせまたこの公園にウォーキングに来るつもりにはしていたのでそれ自体は予定通りだからね」
また菜緒子に暇人だと言われてしまいそうであったが、美里に気を使わせないためにはこのように言うのが良かろうと思ってあくまで自分の都合で参加したいというような言い方を選んだ京一なのであった。
それに極端に天気が悪いとかいうことでなければ次の休みもウォーキングに来るつもりであったことは本当なので、どうせこの公園に来るのならこの東屋に立ち寄って話し合いの続きに参加したいというのはごくごく正直な気持ちであり気を使わせないような言い方はしたが乗り気ではないのに嘘をついて参加したいと言ったわけでもない。ここまで関わってしまったからには本当に事の成り行きを見守りたいと思っているのだ。
「じゃあ、決まりね。来週の同じ曜日、同じ時間に集合でいいよね?」
「それでいいんじゃないかな」
「うん、私も大丈夫」
「それでは今日のところはこれでお開きということにしましょうか。私はティーセットの片付けがございますので、皆さんは先にお帰り下さい」
「そうさせてもらうわ。美里、行きましょうか」
「うん、行こうか」
「それでは、皆さんごきげんよう。また一週間後に・・・」
「はい、じゃあね」
「それではさようなら。美味しい紅茶をご馳走様でした」
「皆さん、お手数ですけどまた来週よろしくお願いします」
「では、皆さんお気をつけてお帰り下さい。菜緒子も寄り道などせずまっすぐに帰るのだよ」
「あのね、子供じゃないんだからね。まったく・・・」
「河田さんさようなら。今日は相談に乗っていただいて本当にありがとうございました」
東屋に河田を残して三人は駅のほうへと向かった。
「初めて会う人にあんな相談をするなんて大丈夫かなってちょっとだけ心配だったんだけど、優しい人で良かったよ・・・」
「まあ、外面はいいからね、あの人は・・・」
外面はいいからという表現はいかにも菜緒子らしい表現であったが、京一からしてみれば河田は少しばかり変わり者であるがとても好人物のように思えていた。河田と菜緒子とは一応身内のような関係であるので他人である自分が知らない一面をそれぞれが持ち合わせていることなども互いに知っているのかもしれない。そして、あのようなやり取りができるのも身内だからこそであろうし二人の関係や事情を何も知らない人間が二人のあのやりとりを見た場合には親子には見えないであろうが本当の叔父と姪には見えるかもしれない。
「しかし、あれだね・・・河田さんはいい人だけど、君からしたら叔母さんの離婚した相手ということになってしまう。それなのにああやって会いに行って相談を持ち掛けるなんて、
河田さんのことを相当慕っているんだね」
「別に慕っているつもりはないですけどね。あの人と叔母が離婚したからって別に私には直接関係のないことだし、さっきも言ったとおり人助けが趣味だっていうあの人に助ける相手を紹介してあげてるんだから、ギブアンドテイクみたいなものよ」
「まあ、人間関係なんて人それぞれで十人十色だろうから他人がとやかく言うことではないし、それになんだか面白い関係とか言ったらあれだけど、俺からしたむしろなんかちょっと微笑ましくて羨ましいくらいの関係だよ」
「そうなの?何がそんなに羨ましいんだか・・・」
「まあ、俺たちくらいの年齢になると人間関係がわりと限定されてしまってね・・・仕事でもプライベートでもマンネリ化するというか、あまり刺激が無くなってくるんだよ。そして、職業にもよるんだろうけど俺のように若者と接する機会にあまり恵まれない人もけっこう多いと思うんだよ。だから今日みたいに君たちのような若者と話せたのは楽しかった。それも河田さんの場合は君らのほうから訪ねてきてもらえるんだからね。俺もわざわざ無理して自分から若者と接する機会を作っていこうとまでは思わないけど、河田さんのように普通にしていても君たちみたいな若い人と接する機会がもてるのは羨ましいと思うよ」
「ふう~ん・・・そんなものかしらねぇ・・・?」
「でも、私もちょっと似たようなこと思ったよ。私の場合は大人の人と接する機会があまりないからね。私にも叔父さんとか叔母さんとかは、いるにはいるけど近くに住んでいないしめったに会うこともないの。だから今日は菜緒子と河田さんのことを見ていたらちょっと羨ましく思ったわ」
「別にそんな羨ましがられるようなもんでもないんだけどね」
「まあ、無いものねだりみたいなものかもしれないけどね。世の中には親戚付き合いが多くて煩わしいなんてことを言う人もいるし、そういう人付き合いが苦手な人からしたら逆に俺みたいに人間関係が限定されている人間のことを羨ましがるかもしれない」
「とにかく、私は自分が恵まれてるとも他人の環境が羨ましいとも思わないけどね」
「なるほど、それはそれでご立派な考え方だね」
「菜緒子は考え方とか、いろいろとしっかりしてるもんね」
「しかし、河田さんの側からしても菜緒子ちゃんは離婚した相手の姪っ子ということになるのだけれどそういう事はあまり気にしないで菜緒子ちゃんと接していたよな・・・」
京一の感覚からすると菜緒子も河田も二人ともちょっと不思議な感覚、価値観の持ち主であるように思えていた。よく気の置けない間柄などと言ったりするが、河田と菜緒子もそのような関係のように見える。京一がやや引っ掛かっている点は離婚したもう一人のほうの当事者である河田の元妻はこうして菜緒子が河田に会って普通に頼み事などをしていることを知っているのだろうか?知っていたとしてどういう気持ちなのだろうかということである。だが、あの菜緒子の叔母ならそういうことを気にしない人物かもしれないなと思ってとりあえずは自己完結した。そしてもう一つ、河田の他人との接し方についてもあのように誰とでも分け隔てなくというか、自然体でフランクかつフレンドリーに話せるのは凄いなと感心していた。
「河田さんは若者と接するのに慣れている感じなのだろうか?菜緒子ちゃんとは元義理の叔父と姪だから分かるけど、美里ちゃんともすぐ打ち解けて親しく話せていたからな・・・」
京一は河田のもつ最近の言葉でいうところの「コミュ力」の高さに感心しつつもよくあんな若い女性たちとあのように親し気に話せるものだなとも思った。初対面の若い女性に親し気に話しかけると馴れ馴れしいなどと思われてしまいそうで、どういう距離感で接するのがよいのか難しいものであるが、河田はそれを上手い感じで難なくやってのけていた。
「あの人は、良い意味でも悪い意味でも他人から馴れ馴れしいだとかどうとか、どのように思われても気にしなくて、他人との距離感についても無頓着な感じの人なのかもな・・・」
だがしかし、よく考えてみたらこちらも今日初めて会ったばかりで菜緒子や美里のことを名前で呼んだりしているのだから人のことは言えない。それも自分の場合は河田とは違って会う予定などなかったのにたまたま会って知り合っただけなのにである。幸い二人は名前で呼ばれることを特に気にしていないようなので良かったが馴れ馴れしいおっさんだと思われてもおかしくはなかった。京一としてはそんなつもりではなかったがその場の勢いや成り行きで彼女らのことを名前で呼ぶ感じになってしまっただけであるが、あの場の空気というか雰囲気が違和感なくそうさせてくれたような気がする。
そして、それもこれも河田のおかげかもしれない。河田という人間の人徳によってあの場であのような空気が作られて、自分も自然と若者との会話に入っていけたように思った。
「しっかりしているといえば、河田さんも紳士な感じで落ち着いていて頼りがいがありそうな人だよね。河田さんと菜緒子ちゃんは元叔父と姪だけあって結構似た者同士なのかもしれないね」
「ちょっとやめてよ!おじさんと似てるなんてありえないわ」
「似てるかどうかは別にして、二人を見ていると気が合うんだろうなとは思ったよ」
京一だけでなく美里も似たような印象をもったらしい。
「似てるとか気が合うとかぞっとしないわ・・・マジでやめてよ!」
「まあ、俺はあの河田さんのようにどっしりと構えていて頼りがいのあるようなタイプの人間ではないのだけれど、さっきも言ったように乗りかかった船だからできるだけの協力はさせてもらうよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて頼らせていただきますね」
「おじさんだって人助けが趣味っていうだけで別にそれほど頼りになる人ってわけではないけどね・・・」
「まあ、それでもとにかく河田さんを頼って相談しにいったわけだからね。やっぱり河田さんという人は紳士だし頼りたくなってしまうような懐が深い感じの人物なんだよ」
「確かに、服装もお上品でしたし紳士だと思いましたね。とても頼りになりそうな方だと思います」
「二人ともちょっと買い被りすぎだと思うけどね」
そんなことを話しているうちに公園の出口までやって来た。
駅の方向にある公園の出入口は京一の自宅の側に近い出入口でもあるので三人は同じ方向に一緒に歩いてきていたのだが、京一は駅に行くわけではないので二人とは公園を出たところで分かれることにした。
「じゃあ、俺はここで。今日は駅前のほうまでは行かないから」
「さようなら。今日はありがとうございました」
「じゃあ、またね」
「さようなら」
駅前を通り抜けて行っても自宅には帰ることができるのだが京一はなんとなく別の帰り道のほうを選んだ。若い女の子たちともう少し話していたい気持ちもあったのだが、あまりギリギリまで二人について行ってもしてしつこくつきまとっているみたいに思われそうだという心配もあったので少し早めに別れた。
そして最初はそのまま自宅まで帰ろうと思っていたのだが、時計を見てみるとまだ時間が早いなと気づいた。何が早いのかというと、そのまま自宅に帰っても夕飯の時間までまだ二時間弱ほどあってそれがやや中途半端な時間であるのだ。何が中途半端かというと、自宅でその二時間弱ほどの間に何かをして時間を潰すあてが特にないのだ。ならばもうちょっとウォーキングを続けたほうがいい。そう判断した京一はもう少し公園を歩いてから帰ることとした。
「歩数だって自宅まで歩いても一万歩までいくかどうか怪しいからな。確実に一万歩にしてしまおう。なあに、公園を一周してから帰れば軽く一万歩は超えるだろう」
スマホを取り出して歩数計を確認してみると七千歩弱であったのでだいたい計算通りであった。日没までまだ時間はあるので公園の景色を楽しみながら歩くこともできる。
「よし、やはり公園を一周してから帰ろう」
京一は引き返して公園を一周できるようになっているプロムナードを歩き始めた。
「それにしても、今日は普段通りにウォーキングに来ただけなのに色々あったよな・・・」
いつもの公園の散歩とは違って急に新しい知り合いが一気に三人もできて、なおかつその人たちにお茶をごちそうになったり一緒になって悩みの相談に乗ったりと色々な出来事が次々に起こったのである。ともするとマンネリ化してやや退屈になってしまいそうな日常の中で突然刺激のある出来事が続きすぎて逆に先ほどまでのことがまるで面白い夢を見ていただけであるようにすら感じられた。
「夢じゃあないよな・・・色々なことがありすぎてまだちょっと頭の中が整理しきれないな」
ある意味とてもドラマチックな展開が続いたので先ほどまでの京一は何だか急に自分が映画やドラマの登場人物の一人にでもなったような感覚さえしていた。しかし今は普段通りいつもの公園をウォーキングしているだけなのでその落差にやや戸惑っていた。
「まあ、映画の登場人物だとしても俺は主人公ではないな・・・主人公は河田さんか菜緒子ちゃんだろう。河田さんは見た目も含めて何せキャラが立っているし、菜緒子ちゃんは主人公に相応しい圧倒的なルックスの持ち主だしな・・・」
もちろんあの楽しい時間は夢などではなくて現実の出来事であった。そして一週間後にはまた河田や若い二人と少し奇妙でもあり、しかし相当に楽しくもある時間を過ごせるのである。そういう楽しみが先にあると思うとなんだか明日からの一週間を楽しく過ごせそうであり、仕事もプライベートもいつもよりちょっとだけ頑張れそうな気持ちさえしていた。
よく「生活に張りがある」などといわれるが、今の京一の状態がまさにそれであろう。突然生活に張りが出てきたという表現がピッタリきそうな状態なのである。
京一は歩きながら先ほどまでの出来事を思い返していた。大げさではなく本当に京一にとってはドラマチックな展開であり、なんだか急に自分の世界が変わったような気さえしていた。
「なんか、本当にミラクルな出来事が起こったよな・・・」
退屈だった日常において河田貴博という一人の男と出会ったことで思いもよらない急展開を迎えることになったわけである。若い女の子たちとも知り合えたしネットで配信するための動画についてみんなでアイデアを出し合って話し合うなどといういかにも最近の若者がやりそうではあるが自分とは縁がなさそうであった遊びまで楽しめた。「遊び」などと言っては真剣に取り組んでいる美里には申し訳ないのだが、自分としても相談してきた美里に対して真面目にアイデアを考えて真剣に応えたつもりである。そうやって真剣にやった上でそれでもなおかつ京一にとっては楽しいレクリエーションのような体験だったわけである。普段から年の近い仲間たちとそういう感じのことをワイワイやっているような若者たちと違って、あまり代わり映えしないわりと退屈な日常を過ごしている京一にとっては今日の出来事は本当に刺激的であり極上の娯楽を楽しめた感じでとても良い気分になれたのだ。
京一としては別に退屈な日常に対してそれほど大いなる不満を持っていたとかいうわけではなくて、平坦でそれほど面白い出来事が起きるわけではないが、何も起きないが故に平穏に過ごせる日常にそれなり満足していた。高給取りではないがとりあえず仕事はあってそれなりの収入があって、ウォーキングのようなあまり金のかからない趣味しか持っていないため毎月幾ばくかの貯金もできていて、老後のようなやや遠い将来に対しては漠然とした不安がないわけではないのだが今現在の生活に対してはそこそこ満足ができていた。
退屈過ぎる日常が嫌で我慢できないなどということは無かったが、それでもいざ今日のような刺激があって楽しい出来事を体験してしまうと欲が出てきてしまうというか、また次もあんな感じで楽しく過ごしたいし、できればそういうことが続いてくれたらいいのにと思ってしまっていた。
何かのきっかけで何かしらの娯楽と出会ってしまって、それが自分にとって心からとても楽しめるものであったならもう一度やってみたい、また次もそのまた次も続けてやりたいといった感じで自分から積極的に求めてしまうようになることは往々にしてあることなのであろうが、京一も河田や菜緒子たちとのそういう時間を定期的にずっと持てたらどんなに楽しいだろうか、そのために自分から何か積極的にやったほうがよいのであろうか?などと一週間後のことよりさらに先のことまで既に考え始めていた。
菜緒子が今回とはまた別件で河田に相談を持ち掛けるというか、人助けが趣味である河田に何か「人助けのネタ」を持ってきた時にまた自分が今日のようにたまたま居合わせられるとは限らない。京一はこの公園にはよく来るのでその度にあの東屋を訪ねてみれば河田に会える確率は高くなるかもしれないのだが、また河田からお茶をご馳走になることはあっても今回のように菜緒子が公園に来るとは限らないので菜緒子にはもう会えないかもしれない。そもそもの話、菜緒子がこの公園に来たのは今日が初めてであったようなので、たまたま今回だけこの公園が待ち合わせ場所になっていたのかもしれないのだ。
自分から積極的に動いても今日のような楽しい時間が持てる可能性はけっこう低いのかもしれない。京一が「ミラクルな出来事」と表現したように今日河田と出会って友人になれたこと、そしてさらに彼に相談をしに来るために訪ねてきた菜緒子や美里と知り合いになって皆でああでもないこうでもないと言いながら和気あいあいと美里の相談に乗って話し合うことができたことはもしかしたら相当に低い奇跡のような確率で巡ってきた出来事であったのかもしれないのだ。
しかし、何にしても今日に関していえば京一自身は誰かと出会って知り合いになれるように何か特別なことをしたわけではなくて、割と普段通りにウォーキングをしていただけで自然と愉快な展開になったのである。
「俺自身が能動的というか積極的に面白いことが起こりそうな場所に飛び込んでいったというわけでもないのにな・・・俺がやったことといえば、普段あまり行かない東屋のほうに行ったこと、そしてそこにいた河田さんが本格的なお茶をしている様子が見たくてちょっとだけ近づいていったことくらいだからなぁ・・・」
ゆっくりと歩きながら今日あった出来事について考えているとだんだんと頭の中が整理されてきて、あの愉快な出来事は実際にちゃんと自分の身に起きたのだという実感も沸いてきた。そして一週間後が楽しみで待ち遠しくて仕方がなかった。あの楽しいお茶会がこの先ずっと続くかどうかはわからないが、とりあえず来週はいったいどんな面白い展開になるのだろうかなどといろいろ思いを巡らせながら京一は公園を歩き続けた。
昼さがりなのか夕方なのか微妙な時間であったのだが、まだ日の光があって明るい状態であったので京一はのんびりと歩きながら公園の景色を眺めていた。
この公園は樹木や花などが多く植わっているのだが、その一角には小さな花壇が整備されているような場所もあった。そこには色とりどりの花が植えられていて、ちょうどうまい具合に開花の時期に当たったのかどの季節でも花が見られるように頻繁に植え替えられているのかはよく知らないのだが、何にせよとても綺麗な花を咲かせていて近くまでいって顔を近づけてみるととても香しい香りがした。その花たちをスマホで撮影している人もそばにいたのだが、京一はというと今日はそういう気分でもなかったので自分の目に焼き付けておけばいいと思って先ほどまでの「お茶会」のことなどを思い出しながらその美しい花々をぼんやりと眺めていた。
「こういう花や色んな植物に囲まれた場所にカフェなんかがあったらいいのにな。そこでお茶ができたらとても優雅な時間が過ごせそうなんだけどな・・・」
そう考えると河田がこの公園にわざわざあのような本格的なティーセットまで持ち込んでお茶をしていた気持ちが分からないでもなかった。もしこの公園にそういう洒落たオープンカフェがあったならちょっと通ってもいいかなと本気で思った。お茶することに対してそこまでこだわりがあるわけではない自分でもそのように思うのだから、この公園にそんなオープンカフェができたとしたら河田なら毎日のように入り浸るのではないかと思ったのだが、よく考えてみたらあの河田がただカフェの常連になって満足するわけがないとすぐに思いなおした。
「まあ、おいしい紅茶を自分で入れることを楽しみにしている河田さんならむしろカフェを経営してお茶を振る舞う側になるかもな・・・この公園みたいに多くの植物に囲まれたところにカフェを作って、そこのオーナー兼マスターになってこだわりの紅茶を提供するみたいなところまでやりそうだよなぁ・・・」
京一は花や公園のなだらそんな妄想を膨らませるのであった。
とある場所でとあるお茶会が行われていた。その場所は美しいイングリッシュガーデンといった感じの庭園であって、多くの植物に囲まれた道が敷地内をぐるりと巡ることができるように環状に伸びている。まるで外国のどこかにあるようなその庭園には心地よい風が流れていて木や花を揺らしていた。あちこちに植えられている植物の多くは花が咲くものであったりハーブ類であったりするので見た目や香りが存分に楽しめるようになっていて、初めて来た人であればどんな植物が植わっているのかとわくわくしながら散策できるであろうし、何度か訪れている人であれば植物に癒されながら心を落ち着けてのんびりと過ごせるであろう。そういった感じで華やかさと静けさを両方持ち合わせいるような素晴らしい庭園なのである。そして、その中央にカフェテラスがありそこがとあるお茶会の会場であり、そこで数人の参加者たちがお茶を楽しみながら何やら話し合いをしているようであった。
「ということは・・・やっぱり、我々もある程度色んな動画を見て研究して的確なアドバイスをしてあげられるようにならなければ今回の人助けは達成できないんじゃあないのか?」
勇作がいつものように会議のイニシアチブを取ろうと積極的に発言してきた。リーダーシップを取るべく話をまとめた上でこの先の方向性まで示唆してきた。
「まあ、動画は見たほうがいいのだけれど、あくまで少し参考にするくらいのスタンスでいいと思うよ。自分で動画を作成するのであれば研究も必要だろうけど、今回は我々がやるのではなくて、研究するのも実際に動画を作成するのもあの美里さん自身がすべきだと思うし、割とそういうことは得意だと思うよ彼女は」
貴博は会議を仕切ろうとする勇作のペースに乗せられることなく冷静に自分が感じたままのことを意見にして述べた。
「研究も動画の作成も彼女自身にさせるって・・・じゃあ、我々は彼女の手助けをするために一体何をすべきだと言うんだい?」
「もちろん勇作の言うように彼女にアドバイスはしてあげるつもりだが、それは細かいこととか具体的な動画作成の方法とかではないということさ」
「えぇ?それならば、どうするつもりなのかな?結局は何をアドバイスするんだ?全然分からないのですー・・・・・・」
達彦がいつものように疑問に感じたことをそのまま質問した
「それはだね、我々が研究してその結果をそのまま彼女に伝えて我々が思うような動画を作らせるというようなことはちょっと違うということなのだよ。それよりも中年層に多く見てもらえるようにするためには彼女がどういう研究をしてどういう動画を作って配信するべきなのかという方向性を示してあげることが重要なんだ」
「方向性を示すの?」
「そう、どういう方向性で動画を作り配信したほうが自身の望む結果につながるのかを彼女に伝えてあげればいい。我々がすべきなのはそういうアドバイスだと思うのだよ」
「なるほど・・・分かったようないまいちよく分からないような・・・・」
「まあ、どういうアドバイスをするのかというのはそれでいいとしよう。しかしだな、結局は色んな動画を見て研究しないとその方向性とやらも見えてこないんじゃあないのか?
それとも貴博にはすでにどういう方向性にすればいいのかという具体的なプランでもあるのかい?」
あくまでもこの話し合いを仕切りたい、そして自分の意見が正しいことを皆に認めさせたい勇作が貴博に詰め寄った。
「さすがに具体的にどういうアドバイスをするのかまではまだまとまっていないが、少し見えてきたことはあるね」
「何が見えてきたんだ?気になるのですー」
「見えてきたのは重要なポイントだよ」
「ほう、じゃあその重要なポイントとやらをぜひ聞かせてくれよ」
「そうだよ、早く聞かせて欲しいです~」
勇作と達彦は興味津々で貴博の答えを待っていた。
「それはだね・・・彼女がなぜ中年の、特に女性をターゲットにしたいと思っているかということだよ。そこに彼女が作って配信すべき動画のヒントが隠されていると思うのだよ」
「それは・・・確かになぜ彼女が中年の女性の視聴者を求めているのかは少し気にはなっていたところではあるな・・・」
つい先ほどまで貴博の意見にやや否定的な見解を示しがちなところがあった勇作であったが、この点に関しては同意であり美里がなぜ中年の女性をターゲットにしたいのかを知りたいようであった。
「貴博的には理由に見当がついているのかい?美里って子の態度や表情なんかも直接見ているのだから何かしら感じて気づいたことがあるだろう」
「まあ、彼女としても何かしらのこだわりがあって中年の女性をターゲットにしたいと思っているのであろうけど、こだわっている理由については本人に聞いてみないとはっきりはしないね。その理由についていろいろと推測をしようと思えばできるのだが、推測するための材料がまだ少ないからね。推測はあくまで推測でしかないし、それに・・・」
「それに、何だい?何かあるのかい?」
「それにね、和真の意見もちょっと聞いてみたいと思ってね。彼の意見を聞いた上でそれを次に美里さんと会ったときにどう対応すべきなのかの参考にしたいのだよ」
「和真だって?なんで急にこの話にあいつが出てくるんだい」
「今日はまだ和真は来てないわね。来るかどうかも分からないけれど・・・」
ずっと聞き役にまわっていてとくに何も発言していなかった富子が今日初めて口を開いた。
「いつものことだよ。和真のやつは自分の気が向いたときにしか顔を出さないのですー」
「あんなやつの意見を聞いたって参考になんかならないと思うがね。だいたい、あいつは協調性ってものが無さすぎるのだよ。そういうやつに相談したところで真剣に考えるとは思えないね。相談するだけ無駄ってものさ」
貴博が和真のことを頼りにしていることがおもしろくなかったのであろう。勇作が和真に対する不満を漏らした。
「よしなさいよ、今ここにいない人の悪口を言ってもどうにもならないでしょ。
みっともない!」
「みっともないだって!何で僕がそんな風に言われなきゃならないんだ?それに、
悪口なんかじゃなくてこっちは事実を言っているだけだぞ」
「まあまあ、そもそもこのお茶会は自由参加であって、参加するしないは個人の意思に任せるという風にみんなで決めたわけだし、和真があまり来ないということで勇作と富子が言い争っても仕方ないじゃないか・・・」
「そうなんです!冷静に落ち着くのです~」
「そうね、無意味な争いをしても仕方ないわ」
「ま、まあね。二人がそんなに言うなら仕方ないからもうやめるがね、まったく・・・・・・」
勇作のほうはみっともないなどと言われるのは不本意でありまだ少しそこに引っ掛かっていたのであったが、みんなの手前これ以上小競り合いを続けるのは大人げないと思われそうな感じであるのでそれは避けたかったし、和真に対しての対抗心を剥き出しにしているように見られてしまったかもということもちょっと気まずかった。なので、この場はそれ以上不服などは言わず大人しく引き下がった。
「まあ、あれだよ。和真の意見がどうしても聞きたいというよりはできるだけ多くの人の意見を聞いて参考にしたいってことなんだよ。参考にする意見はいくらあってもいいからね。」
気づかって貴博がフォローを入れた。
「えっと、じゃあ話を戻すと・・・美里さんって子がなぜ中年の女性をターゲットにした動画を作りたいのかが重要だとかいう話だったかしら?」
「そう、富子の言う通りそういう話だったのです~」
「美里さんがなぜ中年の女性にこだわってターゲットにしたいのかというのは結構重要なポイントではあるのだけれど、なぜなのかという具体的な理由について我々がやっきになって知ろうとする必要はないかもしれないけどね」
「具体的に詳しく知る必要は無いっていうのかい?重要なポイントなのにか?」
「まあね。そもそもなぜ中年の女性に見てもらいたいのかということをあらためて本当の意味で理解しないといけないのは、我々ではなくむしろ美里さん自身なのだろうからね・・・」
「ん?貴博はいったい何を言ってるんだ?理解に苦しむのです~」
「別にその子のプライベートな問題に他人がグイグイ突っ込んでいく必要はなくて、その子自身が強く自覚して真剣に向き合うことさえできれば大丈夫ってところかしら?」
「まあね。そんなところかな・・・」
「おお、さすが富子は頭が良くて察しがいいのです~」
「ふむ、そこまで見えているのであればいいんじゃあないかな。もう色々と口出しすることはあえてしなくても良さそうだ」
勇作はあくまで上から目線でものを言ってくる。自分は常に皆より一つ上のステージから物事を見ているのだという、そういう立ち位置を崩したくないのであろう。
「一応ね、次に彼女にどんなアドバイスをするかということでいえば、ちょっと考えていることはあるんだけどね・・・」
「まあ、実際に彼女に会って働きかけるのは貴博なのだろうからね。お手並み拝見といこうかな・・・」
ひとまず美里をどのようにして手助けするのかという方向性は定まってきたのでこの話題はいったん落ち着いた。これ以上話を続けても進展はなさそうなので面白くなりそうではない。みんな次の話題を考えながら無言でお茶を飲んでいたので庭園のカフェテラスにはひと時静かな時間流れていた。
そして、またみんなでとりとめのない会話などをしながらお茶会はしばし続くのであった。
公園の東屋で四人が会って話をした翌々日のことである。とあるスーパーマーケットに買い物に行った村岡美里は思わぬものを目撃してしまったのであった。
そのスーパーはそこそこの大きさがあり主に近所に住む人々が買い物に来るのであるが、美里はというとそこにはたまに行くくらいであり、その日もたまたまスーパーの特売日であったので久しぶりに買い物に来ていたのであった。
美里がスーパーの入り口から店内へと入った瞬間に不自然な行動をしている人物が目に入った。入り口から売り場へと続く通路のど真ん中にぼぉーっと突っ立って一歩も動かない男がいたのである。そして、その人物の顔をよく見てみるとそれはなんとあの河田ではないか。服装がだいぶ違っていたのだが一昨日会ったばかりであったのではっきりと河田貴博その人であることは分かった。
この間会った時の服装は小ぎれいなシャツとズボンであって、サスペンダーがワンポイントアクセントのようになっている感じの割と上品な格好をしていたのだが、今日の服装はというと上下ともに薄いグレーのスエット姿であって、靴は履きつぶされてかなり傷んでいる作業用の安全靴であり、髪形もややボサボサな感じで髭も少し伸び初めていて全体的に見てはっきりいって冴えない中年が寝間着姿のまま出かけてきたような感じのいで立ちであり美里としてはあまりの驚きでどうしてよいか分からず完全にフリーズしてしまった。
もちろん、普段はお洒落な服装をしている人であっても休日にちょっと近所に散歩や買い物に出かけるだけであればわりとラフな服装でいることもあるだろう。ただ、服装に気を使ってないとかいうそんなレベルの話ではなくて、他の客の迷惑になっていることも気にせず通路のど真ん中に突っ立っているという不審な行動とも相まってとても怪しい上に何だか薄汚い感じにすら見えたのである。薄汚く見えたのはラフすぎる服装の中年男という存在を美里が色眼鏡で見ていたからとかいうわけではない。美里がそういうイメージを持ってしまったのではなくその時河田が着ていた服が実際に汚れていたので仕方がなかった。
とにかくその日の河田は服装から行動から良くない意味で非常にインパクトがあったのだ。
もはや別人にすら見えるというか、美里としても最初は自分の見間違いであってたまたまよく似た感じの別人がいただけではないかと思っていたのであるが、フリーズしながらまじまじと見つめて確認してみるとやはり人違いなどではなく河田本人なのである。一昨日とは別人のように変わり果てた河田らしきその人物はずっと一点を見つめながら立ちつくしている。美里としてはその男に声をかけて本当に河田本人なのかを確認するという勇気のいる行動はとてもではないが出来そうになかった。
「ど、どうしよう・・・人違いじゃないと思うけど・・・ちょっと、挨拶する勇気が・・・」
目の前に立つその河田らしき男に声をかけて先日のお礼を伝えるなどということはとてもじゃないができないと思った美里は、その場に立ち尽くしてしまった。
「しょうがないからスルーしよう・・・」
このままでは自分も河田と同様に他の客の通行の妨げになる迷惑な存在になってしまうので、できるだけ河田と距離をとって視界に入らないように隅の方から河田の背中側を通ってこそこそと売り場のほうへと逃げていった。
「あれは、いったい何だったんだろう・・・本当にあの河田さんなの?もしかして双子とか・・・?」
買い物をしている間も河田らしき人物と売り場のどこかで鉢合わせてしまったらどうしようなどと心配になって気が気ではなかった。せっかくの特売日であったが落ち着いて買い物できなくなってしまった。そして常に自分の周りを見回して警戒しながら買い物をしていたので他の人から見たら自分も不審者みたいに見えるのではないかという別の心配まで出てきてしまった。だがそれでも何とかあらかじめスーパーのチラシで見て決めていたものなどをカゴに詰め込みながらできるだけスピーディーに買い物をこなしていった。そして、特売日であったがレジがまだあまり混んでいないことを確認すると一番空いている列に並んで静かに自分の順番を待った。もしレジが混んでいて長時間待たなければならなかったら、あの河田らしき人物が近くに来る可能性があったので少し安心した。おそらくまだあの場所に突っ立ったままなのであろうが、それでも急に自分の後ろに並んできたらどうしようなどと考えだしたら落ち着かなくなってビクビクしてしまう。自分の番がまわってきて無事会計を済ませるとそそくさとスーパーを後にした。
外に出た美里はとりあえずスーパーからある程度離れた安全なところまで移動した。そして安全なところまでたどり着いたら自分を落ち着かせようと数回深呼吸をして、その後ゆっくりと周りを見渡した。
「さすがにここまで来たら大丈夫よね・・・」
まさか追いかけてくることはないのであろうが、河田の一昨日の姿と今日の姿とのギャップがあまりにも大きすぎて、あまりにもインパクトが強すぎたことにより必要以上に神経が過敏になったというか警戒心が強くなりすぎてしまっていた。
美里はいま見たことを急いで菜緒子に報告した。河田の人物像についてあらためていろいろと聞いて確認したくなったのである。
「・・・ということなのよ・・・・・・」
「ふーん・・・まあ、普段おじさんがどういう服装をしてるかなんてよく知らないんだけど、そんなラフでこ汚い服装の時もあるのかなぁ・・・?」
「ちょっと薄汚い感じとは言ったけど、そんな、こ汚いとまでは言ってないよぅ・・・」
「まあ、どっちでも似たようなものじゃない。私もそんなしょっちゅうおじさんに会ってるわけじゃあないからよくわからないけど、今までに私と会う時にそんな変な格好で来たことは一度もなかったけどねぇ・・・」
「じゃあ、菜緒子も河田さんのプライベートの時の服装とか行動はよくは知らないってことなんだ・・・」
「まあ、私と会っている時もプライベートと言えばプライベートなんだろうけど、おじさんが誰とも会わずに一人で行動するときのことはよくは知らないわ。はっきりいって、全然興味もないし正直どうでもいいもの」
「まあ、そうよね・・・おじさんといっても元叔父さんだって言ってたし、菜緒子の叔母さまと結婚するまでは他人だったわけだから菜緒子が子供の頃からよく知ってる人ではないんだもんね・・・」
「そういうことなんだけどね。そりゃおじさんだってTPOとかを考えて服を選んだり、人目を考えて行動したりとかはする人だとは思うけど、スーパーの客みたいに別に知り合いではない他人である人たちの目までは気にしていないかもねぇ。そういう意味では私も本当のおじさんの素顔については知ってるようで実はよく知らないのかもね・・・」
美里の話を聞いた限りでは顔見知りの人と会う可能性がない場所では完全に「素」の状態になっていて、それがちょっと不審で怖い感じですらあるということらしい。それは菜緒子も全く知らなかった河田の一面であった。
「じゃあね、もしかして河田さんに双子のお兄さんか弟さんがいるみたいな話は聞いたことないかな?他人の空似とかいうレベルじゃなかったから、あれがもし別人だったとしたらそういう可能性しかないと思うの」
「いやぁ・・・そんな話は聞いたことないわね・・・結婚するときにおじさんがナナちゃんにそんな重大なこと隠しておいたりはしないだろうし、もしナナちゃんがそれを知ってたら絶対私に教えてくれてると思うわ」
「そっかぁ・・・じゃあ、よく似た別人という可能性はない感じなのね・・・」
「そうね・・・まあとにかく次会う時にいろいろ聞いて確認してみるしかないわね。ただ、私たちと会う時はきっとまた一昨日会った時と同じような感じで振る舞ってくるとは思うけどね。今日そのスーパーに来ていたかどうかくらいは聞いて確認してみたいとは思うけど・・・」
「そうだね・・・次会う時もこの前と同じような感じで接してもらえるんだったら別に問題はないといえばないんだけどね・・・」
一人で行動している時の河田は身なりがちゃんとしていないというだけにとどまらず行動がかなり怪しくて不審者っぽいことまでが発覚してしまった。美里と菜緒子は河田に相談し続けて本当に大丈夫であろうかと実はそれぞれに迷い悩み始めていたが、二人ともなんとなくお互いにそういう話は切り出せなかった。まだ美里が見た人物については双子説や瓜二つの他人説が完全に消えてしまったわけではないし、ついこの間会ったときは公園で本格的な紅茶を入れていたこと以外はそれほどおかしな行動はとっていなくて不審者のようにも見えなかったということもあったからだ。
しかし、河田貴博という人物はその人物像をつかむことが思っていたよりも難しいミステリアスな存在であることをあらめて思い知らされてしまった二人なのであった。
美里が衝撃的なシーンを目撃したそのまた次の日に、南野京一はまた例の公園でウォーキングをしていた。その日も仕事は休みであったのでいつものように趣味のウォーキングをしていたのであるが、もしかして今日もまたあの東屋に河田が来ているかもしれないと思って公園内の普段はあまり立ち入らない例の少し細めの脇道に入って東屋のほうに向かって歩き始めた。
「そんなしょっちゅう公園でお茶などしてないかもしれないけど、今日もまあ天気はいいほうだし近所に住んでいると言っていたから来ていてもおかしくはないからなぁ・・・」
そして、例の東屋が見えるところまでやってくると、東屋の中に河田の姿が確認できたのだ。
「あ、やっぱり今日もお茶をされてるようだぞ・・・」
河野がまた本格的なティーセットを持ち込んで例のおいしそうな紅茶を入れている瞬間を丁度目撃した京一であったが、また今日も先日のようになんとなくそっと控えめな感じで河田に近づいていった。
「待てよ、別に今日はそんなこそこそとする必要はないんだよな。もうちゃんと知り合いになっているのだからな・・・」
前回はちょっと風変わりな人をもう少し近くで見てみようという好奇心で近づいていったので少し引け目がある感じでこそこそとしていたのだが、もうそんな必要はない。なにしろ晴れて「友人」となったわけであるから変に遠慮することなく友人として堂々と近づいていって挨拶すればよいのである。
「おや、これはこれは、南野さんではありませんか!ごきげんよう、この間はどうも」
京一が声を掛けようとしていたのだが、京一に気づいた河田のほうが一瞬早く先に挨拶をしてきた。
「ああ、どうもこんにちは。今日もウォーキングに来たのですが、この東屋に来ればもしかしたらいらっしゃるかもと思いまして・・・」
「そうでしたか、丁度お茶を入れていたところですのでご馳走いたしますよ。まあどうぞお座りになってくださいな」
「あ、そんな・・・すいません、ではまたご馳走になります・・・」
河田に招かれて東屋に入っていった。今日もまた二人でお茶をすることになった。
「さあ、どうぞ。美味しく入ったと思いますので召し上がってくださいな」
「ありがとうございます。ああ、やっぱりすごくいい香りですね」
河田に入れてもらった紅茶は今日も本当に良い香りがしていた。一口飲んでみるとやはりお世辞抜きで味わい深くて、専門店で出されていそうな本格的なものであった。
「今日も天気はいいし紅茶も美味しいし、とても気持ちがいいですねぇ」
「ええ、そうですね。南野さんとしてはウォーキング日和といったところでしょうか?」
「はい、そんな感じです。何か運動はしなければと思ってやっていますし、もはや毎日やっている習慣ですから少々の雨の日でも歩くようにはしてますが、やはり天気が良い日のほうが気分よくできますからね」
「毎日きちんと運動の時間をとるようにされているとは、意識がお高いですね。さすが南野さんです」
「いやあ、激しい運動が苦手でして、歩くという一番お手軽な運動くらいしかできないというだけのことです。ところで、美里ちゃんはまだ新作の動画をアップしていないようですね」
「まだ三日ほどしかたっていませんのでね・・・そんな短期間で簡単に新作は作れないのでしょうねぇ」
「そうか、そうですよね・・・」
美里の動画配信は特に進展がなかったのでこれ以上はこの件に関する話題は続きそうにない。他の話題がすぐに思いつかなかったので話が途切れてしまった。沈黙が気まずくなった京一は何か話題を探さねばと思ってどんな話をすべきかいろいろと考えていた。
「そういえば、この紅茶とても美味しいのですが、やっぱりインド産とかスリランカ産とかの高級な茶葉だったりするのですか?」
京一は河田と話を合わせようとして自分の知っている紅茶の知識の中から絞り出した情報を駆使していかにも紅茶好きな人たちがしそうな内容で話しかけてみた。
「いえいえ、そうではないのですよ。実はこの茶葉は外国産のものではなく日本産の茶葉なのですよ。一応それなりの価格のものですが、高級茶葉というほど高価なものでもないのですよ」
「へぇ、これは日本産の茶葉で入れた紅茶だったんですか!前回いただいた時も大変美味しかったのですが、同じ紅茶ですよね?」
「はい、その通りです。今日のも前回のも日本産の茶葉です」
「こんなに美味しくて店で出てきそうな本格的な紅茶の茶葉が日本産だったとは・・・
なんかちょっと意外です」
「大抵の方がそのようにおっしゃいますね。紅茶といえばインドやスリランカのイメージが強いので仕方ありませんがね」
「そうなんですよねぇ・・・」
そこから河田の紅茶のうんちくが始まった。
「いま申し上げた通り紅茶の茶葉といえばインド産やスリランカ産など、外国産の高級なものが良いと思われがちです。もちろんそれらの高級茶葉は当然味がとても良いのですが、日本産の茶葉も決して劣ってなどいません。もともと緑茶の生産地として有名である静岡や九州では紅茶も多く作られています。宇治茶の産地として有名な京都や奈良では緑茶や抹茶ほど紅茶作りに力が入れられていない感じでそこまで多く作られていないかもしれませんが、やはり海外のものに負けず劣らずであるとても良質な紅茶が作られています」
「そうなんですね。静岡だったり九州だったり緑茶の産地として有名というイメージのあるところが、実はそういう良質な紅茶の産地でもあるとはちょっと盲点でした」
京一が少し意外そうにそう言ったのであるが、その反応を見て待ってましたとばかりに嬉しそうに河田がうんちくを述べ続けた。
「実はその理由は簡単でしてね、紅茶と緑茶の茶葉は基本的に同じものなのですよ」
「ああ、そうでしたっけ?そう言われてみれば確かにそんな感じのことをテレビで誰かが言っていたような気がします・・・」
「ははは、そうでしょう。たまにテレビで紅茶が取り上げられている時がありますが、たいていはそういう説明もされていますからね。紅茶も緑茶も原材料は同じです。両方ともお茶の木の新芽を摘み取ったものを加工しているのです」
「そうか、原材料は同じなのですよね・・・なんか、作り方が違うのでしたっけ?」
「簡単に言いますと、発酵の度合いが違いますね。摘み取られた茶葉はすぐに発酵しはじめますが、緑茶は蒸したり乾燥させたりすることで発酵を止める無発酵茶です。それに対して紅茶は発酵茶といって文字通り発酵させて作ります」
「なるほど、違いは発酵ですか・・・」
「そうです。そしてさらに言うとその発酵を途中で止めるものを半発酵茶といいまして、烏龍茶はこれに当たりますね」
「へぇ~、紅茶だけでなく烏龍茶も茶葉は基本的に緑茶と同じものだったんですか・・・発酵の度合いで色んなお茶に変わるのですねぇ」
その京一の反応を見て河田が嬉しそうにさらにうんちくを続けた。
「それにですね、お茶の場合は発酵といってもお酒や味噌の発酵とは少し違うのですよ。そういう一般的な発酵とは細菌や酵母などの微生物によって有機物質が分解されることをいいますが、お茶の場合は茶葉中の酵素の働きによって茶葉中にあるカテキン類が酸化することをいいます。リンゴを切った状態で放置すると茶色くなっていきますが、お茶の場合の発酵はあれと同じなのですよ」
「ほう、お茶の発酵とは酵母ではなく酵素の働きによって、分解ではなく酸化することをいうのですかぁ・・・」
「そうですね。紅茶の場合は茶葉を酸化させることを発酵といいます。しかしですね、ややこしいことに微生物の働きによる一般的な意味での発酵によって作られるお茶もあるのですよ」
「ええっ、そうなるともう何が何だか・・・紅茶や烏龍茶とは違う作り方ということですよね?」
「そうなんです。そのお茶とは緑茶のように茶葉を摘んですぐに発酵を止めたものを後から発酵させる後発酵茶というものでして、有名なところではプーアル茶がそれに当たりますね」
「プーアル茶ですか、それはなんか知ってます。たぶん一度か二度は飲んだことがあると思います。しかし、さすが河田さんです、紅茶以外のお茶にもお詳しいのですね」
「ははは、少々話を広げ過ぎましたね。紅茶のほうに話を戻させていただきますと、傾向としましては日本産の紅茶は渋みが少なくてまろやかで飲みやすいものが多いと思います」
「なるほど、この河田さんの紅茶もそのような感じの美味しさです」
「もちろん渋みが強いものを好むのであれば外国産の紅茶のほうが口に合うとは思います。まあ、そこはもう好みの問題ですね・・・ちなみに私はどちらも好みです。色々なタイプの紅茶の味の違いを楽しみたいと思っておりますので」
「へぇ・・・なんか、紅茶の世界ってとても奥が深いのですねぇ・・・」
紅茶の話なら盛り上がるかと思って茶葉についての質問をすることで水を向けたつもりであったが、河田の豊富な紅茶の知識に対して自分のほうの知識はいかにもどこかで聞きかじったような中途半端なものであったので少し恥ずかしく思ってしまった京一であった。
もちろん京一とて紅茶は好きであるし、なぜ河田の紅茶は美味いのだろうかなどと紅茶に対して多少興味を持ち始めていた。テレビ番組や雑誌など自分が普段接する何かしらのメディアで紅茶について取り上げられていたら自然と注目して情報を得ようとするようになったくらいなのである。しかし、河田と同じ次元での紅茶談議に花を咲かせるくらいになろうと思ったらかなり本格的に勉強しなければならないようであった。
「いやぁ、僕は紅茶についてよく知りもしないでただ美味しい美味しいと言っていただけですから、今みたいな奥深い話を聞かせていただいたらなんかちょっと恥ずかしくなりました・・・」
「いえいえ、紅茶の茶葉といえばインドやスリランカだと思うのはある意味自然なことですよ。その二つの産地は宣伝文句としてもよく出されていますからね」
「ああ、そう言っていただけるとちょっと気持ちが楽になって救われます」
「それに、今日の紅茶と前回の紅茶が同じ茶葉であることを見抜かれたわけですから、確かな味覚をお持ちになっておられるのだと思います。その上でどういう茶葉なのかを質問されたわけですからね。味が分かることが一番大事であると思いますし、はっきり言いまして知識など二の次でよいのですよ」
「いやあ、それもたまたまみたいなもので・・・例えば先ほど河田さんがおっしゃっていたみたいに、いくつかを飲み比べて違いを当てるような利き紅茶みたいなことをしたら全然どれがどれかわからなくなると思いますからね・・・」
河田に褒めてもらったのは嬉しかったのであるが、実際味で判断して同じものだと言ったわけではなくて、前回も今日も同じくらい美味しかったし、毎回茶葉を変えるのかもという発想が京一にはそもそもなかったのでなんとなく同じものだと思いこんでしまっていただけなのである。それで思わず反射的に「同じ茶葉ですよね?」と聞いたのだが、それがたまたま当たっていただけなので純粋に味で判断できたというほど味覚が鋭かったということではなかったのだ。
「まあ確かに利き紅茶となると難易度は高くなりますが、二つ以上の紅茶を用意して、ただ飲み比べてその違いを気楽に楽しむというだけでも良いと思いますよ。そういう飲み比べや食べ比べみたいなことは別にそれほどグルメというわけでもない普通の人でも楽しんでやっていると思いますからね」
「ああ、そういうのでしたら良いですよね。絶対にどの紅茶か当ててやるぞ!みたいな感じで肩ひじを張らずにシンプルに味の違いを楽しむとかいうのならやってみたいですね」
「楽しいのが一番ですよ。そういうことをして楽しんでいるうちに知識のほうも自然と身についていくでしょうし、変なストレスもなく永く紅茶と付き合っていけると思います。
そうですねぇ・・・そういう飲み比べをいつかやってみましょう。その時のために私の茶葉コレクションの中から出来るだけ味が違うものをチョイスして準備しておきますね」
「それはすごく楽しみです。河田さんのコレクションでしたらどれも間違いなく美味しそうですからね」
そんなことを話しながら紅茶を楽しんでいるうちに一時間以上たっていた。その日は美里の配信している動画や人助けについてさらに話すことはせずにそのままお開きとなった。
河田はまだしばらく東屋にいるということなので前回同様に京一が先に帰るかたちになった。
「今日の紅茶もとても美味しかったです、ご馳走様でした。それではお先に失礼します。とはいってもこのままウォーキングの続きをするので公園を一周か二周してから帰宅することになると思いますが・・・」
「そうですか。また公園に来て私を見かけたときは声をかけてください。それではごきげんよう」
「それではまた次皆で集まるときにお会いしましょう。さようなら」
京一は東屋を去ってまた公園内を二周してその日の歩数を一万歩近くしてから公園を出て帰宅した。例のごとく家に着く頃にちょうど目標の一万歩を超えるという計算通りのウォーキングができた。
「今日もまあまあ有意義な休日をすごせたぞ。あとはまあ、ちょっと動画配信の研究を軽くやって次に集まるときに備えようかな・・・」
そんなこんなであの日集まった四人が各自それぞれわりと普段通りの生活を送りながら時には連絡を取り合ったり、また時には会って親睦を深めたりしていたのであるが、一応全員が美里の配信する動画の視聴数を増やすことについては忘れずに考えていた。美里自身はもちろんだが、他の三人も他人事のように思わずに常にそのことを心のどこかで気にしながら出来るだけ動画配信に関する情報を収集したりどういったものがウケそうか考えたりして何かアドバイスが出来ないかと模索していた。
美里と菜緒子はあの特売日のスーパーにおける河田の不可解な行動は何だったのだろうという気がかりはあったのだが、とりあえず今はそのことは置いといてまずはどんな動画を配信すべきなのかを考えること、それに集中することに決めていた。
そうこうしているうちに四人が最初に会って話した日から一週間がたった。また皆で集まって美里の動画配信について話し合う約束になっていたその日がやって来たのだ。
「約束の時間より随分早く着いてしまった。まだ誰も来ていないかもしれないな・・・」
この日が楽しみで仕方なかった京一は居ても立っても居られない感じになって事前に聞いていた待ち合わせの時間よりかなり早い時間にとりあえず自宅を出発した。公園に着くまでにコンビニなどに立ち寄ったりして時間を調整すればいいと思っていたのだが、それでも気がはやっていたらしく立ち寄った先でもあまり時間を潰すこともできずに結局約束の時間よりも三十分以上も早く公園に到着してしまった。
「仕方ないな、とりあえず東屋に行こう・・・」
一番乗りしてゆっくり皆を待つもりだった京一なのであるが、東屋に着ついてみると河田が先に来ていてベンチで寛いでいた。
「こんにちは河田さん、もう来られていましたか・・・」
「いやあ、ごきげんよう南野さん。私も今さっき着いたところですよ」
京一が河田と会うのはこれで三回目になるのであるが、河田はいつも小ぎれいというか、わりと上品な紳士といった感じの服装をしていた。もちろん今日の服装もそうであり、京一は美里や菜緒子から河田らしき人物が特売日のスーパーで薄汚い格好をして不審な行動をとっていた話は聞かされていなかったので、河田のことをいつも服装などに気を使っている品のある紳士だなと思っていた。しかし、服装はいつも通りであったが今日の河田はいつもと少し違っていたのである。
「あれ、今日はティーセットを持って来られていないのですか?」
「ああ、そうですね・・・今日はね、あれはいいかなと思いまして・・・」
今日の河田はあの自慢のティーセットは持参していなくて本格的な紅茶でティータイムを過ごすといういつものスタイルではなかったのだ。それどころか河田の片手には缶コーヒーが握られていて、どうやらそれがいつものあの本格的な紅茶の代替品のようであった。
今日はいつもとは違って市販の缶コーヒーでお手軽な感じのコーヒーブレイクを過ごすという河田らしからぬスタイルであったのだ。らしからぬといっても、あくまで京一のイメージしていた河田らしくないというだけなのであるが、京一のイメージの中ではもはや
「河田貴博=本格紅茶」くらいの感じになっていたので少し驚いてしまった。
「意外と言ってはなんですが、河田さんもそういう缶コーヒーを飲まれるのですね・・・」
「ああ・・・そりゃあね、私だって缶コーヒーくらいは飲みますよ。もちろん紅茶は大好きですけど、たまにはこういったものも飲みます」
「ああ、そりゃまあ、そうですよね・・・河田さんは紅茶がお好きだというイメージが強すぎて、ついね・・・」
「そうですよ。その辺にいる普通の人たちと同じです。もっと変わり者だと思われていましたかねぇ?」
「いえいえ、決してそんな風には思っていませんでしたよ!」
京一は慌てて否定したが、河田は笑いながら缶コーヒーをすすっていた。別に怒ってはいないようであったが、本当は河田のことを変わり者であると多少は思っていたので、それを見透かされてしまったかもと思って京一は少し焦ってしまった。
「あはは、冗談ですよ。それに、実際に私は自分がちょっと変わり者であるという自覚がありますので、人からそう思われても気にしませんからねぇ」
「いや、本当に・・・そんな、河田さんのことを変わった人だとか思っていませんからね」
「大丈夫です、わかっていますから。最近知り合ったばかりで付き合いは長くはありませんけど。南野さんがどういう方であるかはある程度わかっているつもりですからね」
「そうですか・・・信じていただけましたか・・・良かった・・・」
最初に会ったときに河田のことを紳士だなと感じたのであるが、その印象は変わらなくて相変わらず紳士ではある。しかし少し打ち解けてきて、ある程度くだけた会話も出来るようになったということもあるのだろうか、さらに親しみやすさが増して付き合いやすい感じの人柄であると感じた京一であった。
「気のせいだろうか?やっぱり今日の河田さんはなんかちょっと、前とは感じが違う気がするな・・・」
ニヒルと言っていいのか、男らしいと言っていいのかよく分からないのだが、最初に会った時やまた次に会った時とはどこかしら雰囲気が変わっていて今日の河田はよりナイスガイであるように感じた。なんというか、より付き合いやすいキャラになっているような気がするし、なんとなくだが女性にもモテそうなオーラを漂わせているようにも感じた。
「そういえば、河田さんは離婚歴があるんだったが、そういう人ってモテるのかな?離婚したら急にモテるようになったみたいなことを言っている人の話とかもたまに聞くからな・・・」
河田は紳士ではあるがまあまあ恰幅がよいしい顔のほうもハンサムとは言い難い。顔もスタイルも良い感じのいわゆる一つの分かりやすいタイプのイケメンというわけではないのであるが、それでも何かにつけてちょっと優雅というか余裕がある大人という感じなので、
「格好いい」だとか「素敵」だとかいう風に評するのが相応しい人物であることは間違いないし、実際京一もそう思っている。そもそも「イケメン」というのは「イケてるメンズ」を縮めたみたいな言葉であるらしいので、そういう意味では河田は「イケてる男性」なのでイケメンと評しても別に差支えは無いのかもしれない。そして今日はそのイケメン度がさらに増しているように感じるので京一は河田貴博という人物は知れば知るほど色々な魅力を発見できる存在なのかもしれないと思った。
ただ、京一は河田と二人でいるときはたいてい紅茶に関係する会話によって二人でいる時間の大半を費やしていたので、もうかなり紅茶に関する話はネタ切れになってきていた。その上今日はその紅茶も飲んでいないので紅茶関係の会話をするような空気ではなかった。そんなわけで京一としては何の話をすればよいか分からなくなってしまった。
「困ったな・・・紅茶以外で話のとっかかりになりそうなものが全く思いつかないぞ・・・」
しばし沈黙の時間を過ごしていたのだが、それはそれでちょっと耐え切れなくなって京一は何か話さねばと思って焦っていた。しかし、懸命に考えれば考えるほど余計に焦ってきて良さそうな話のネタが何も思い浮かばなかった。
「本当に何も思い浮かばないぞ。これはある意味紅茶依存症になっていたのかもな・・・
いや、そんなしょうもないことを言ってる場合じゃないな」
京一はとにかく何でもよいので話をしてこの沈黙を打破しなければと思って考え抜いた。
「ああ、そういえば・・・あれから美里ちゃんは新しい動画はあげてないみたいですよね?」
世間話的な会話をすることはもうあきらめて、この後皆で話し合う話題を前倒しして今話すことにした。まさに今日の本題である話を早速始めてしまう形になってしまうのであるが、もうこれしかある程度話が続きそうな共通の話題は思い当たらなかったのである。
「そのようですね。私もこまめにチェックしていましたが、新作が更新されてはいないようですね」
結局、美里は一週間では新しい動画を作ってアップすることはできなくて今日皆で話し合った内容を参考にしてから新作動画の作成に手を付けることにしたようであった。
「やっぱりねぇ・・・そんな、一週間くらいでは新しい動画を作るのは難しそうですからね」
「まあ、そうですね。職業として本格的に動画を作成して配信している方々は毎日のように
更新しているらしいですが、毎日更新するための動画の企画を次々と考えていくだけでもけっこう大変だと思います」
「毎日は大変ですよね・・・まあでもそれくらいやらないとお金を稼ぐ職業としてはやっていけないのでしょうね」
「そうですね。あのような職業は今や子供の憧れの職業にもなっているくらいの人気なのですが、職業としてやるのであれば当然苦労もあるのでしょう。一見派手に見えますし楽しんで稼げると思われがちなのかもしれませんが、実情はそんなに簡単ではなくて甘いものではないようですね」
「そうなのでしょうね。まあ世の中そんなに甘くはないということでしょう。美里ちゃんはそういうプロではなく学生なのでなおさら頻繁に更新などしないし、したいと思っても難しくてできないでしょうね・・・」
「それは仕方ない話です。学生の本分は勉学に勤しむことですから、それを見失ってしまっては元も子もありませんからね」
「それはそうですよね。河田さんのおっしゃる通りだと思います」
今日の本題の動画配信の話題を始めてしまったがなんとなく一般論というか世間話っぽくなってきた。うまい具合に本題の核心から話がそれていってくれてむしろ良かったと京一は思った。
「まあ、そもそもなぜ美里ちゃんがあんなに動画の視聴数を増やそうと熱心になっているのかが僕にはまだちょっと疑問なんですよね・・・なんかの彼女イメージと会わない感じですし。愚問かもしれませんが、何でそんなに多くの人に自分の動画を見てもらいたいのですかね・・・?」
京一の何気ない問いかけに対して河田は少しニヤリと微笑みを浮かべながら答えた。
「いや、愚問などではなくいい質問ですねぇ、それは・・・」
「そうですかね?ああいう動画を配信している人からしてみれば、多くの人に見てもらいたいのなんて当然だろうから何を言ってるんだと言われてしまいそうですけど・・・」
京一としては、自分は動画配信をやっていないのでやっている人の気持ちはあまりよく理解できないくらいの意味でなんとなく問いかけてみただけであったので河田の反応はやや意外であった。
「そんなことはない。むしろいいところに目をつけていると思いますよ。なぜ中年の女性をターゲットにしようと思っているのかも合わせて考えてみれば、色々と見えてきます」
「そうなんですか・・・?まあ、僕もどういった動画がそういう層に食いついてもらえそうかは考えてみたんですけどね、やっぱり結局は家事に関するものが無難ではないかなという結論に行きついちゃうんですよ・・・家事の中でもやはり料理とか、掃除や整理整頓とかの類が興味をもってもらえそうな気がします。主婦層でも中年ではなく若い主婦ならまた違うと思うのですけどね・・・」
「そうですね。主婦層ではなくて、あくまで中年の女性がターゲットなわけですからね・・・」
「そうなんですよ。例えば、中年の人が好きそうなドラマとかカルチャーを取り上げた動画でも興味はひけそうですけど、ドラマひとつとっても中年の主婦と若い主婦とではけっこう好みが違いそうですからね」
「確かにそうですね。そうであるなら、中年の主婦の方々が好きそうなドラマや懐かしがったり興味をもちそうだったりするカルチャーに絞って取り上げたほうが効果的であることは間違いないでしょう」
「ただ、菜緒子ちゃんと美里ちゃんの二人ともが言ってましたけど、そういうものに絞った
動画を作るのは難易度が高くて無理そうですからね。やはり世代の違いがありますから・・・」
「いわゆる一つのゼット世代ですからね、彼女らは。中年となると団塊ジュニア世代あたりでしょうかね。ちなみに私はそれよりも後のポスト団塊ジュニア世代になると思います。
ロスジェネ世代などとも呼ばれますが、それだと団塊ジュニア世代も含んでしまうので、
ちょっと範囲が広くなってしまいますがね・・・」
「まあ、なんとなくですが美里ちゃんのいう中年というのは団塊ジュニアとか、それより上の世代であるような気がします」
「そうですね。私も中年というのはそのあたりの方々であると想定しています」
以前、河田は菜緒子から中年扱いされて気を悪くしていたようだったが、咄嗟にそれを思い出して京一は気を使って暗に河田は中年には入らないという感じで話を進めた。河田の反応を見る限りその気遣いは正解であったようだ。
「中年の定義というのは人によって微妙に違うとは思いますが、若者たちの中には三十代前半とか二十代後半の人まで中年扱いする連中もいますからね。彼らの基準だと僕も十分中年に入ります」
「それはちょっと極端な連中のような気がしますがね」
「確かに極端な例かもしれません。しかしですね、酷いやつらだと二十代後半のくらいの人をつかまえて「老害」なんて言って貶めるようなことまでしますからね・・・」
「残念ながらそういう連中も現実に存在するようですね。しかしそもそも老害などという言葉を使う時点で品性に欠けるのだと思います。若者に限ったことではなくて中年が自分より年配の老人に対して使うのも感心しませんからね」
「それはそうですね・・・まあ、何にせよ中年の人たちが興味をもちそうなカルチャーを取り上げる動画のほうはちょっと無理そうだと思います。それでですね、結局先ほど言ったように家事に関する動画で内容をもうちょっと工夫して直していくというのが無難だと思ったのです」
「そうかもしれませんね。そして、どんな家事を取り上げるにしても方向性やテーマを自分の中でしっかりと定めてやらないといけません。そうでないと結局は美里さんが望んでいる結果を得ることはできないでしょうから・・・」
「なんかちょっと難しそうな話ですね・・・」
そうこうしているうちに十分ほどたっていた。一時は会話に詰まってしまってどうしようかなどと困っていた京一であったが、なんとか無事に紅茶以外の話題でも話を続けることができた。そして美里と菜緒子も東屋に到着した。
「どうもこんにちは。二人ともえらく早くから来てたみたいね」
「こんにちは。またお待たせしてしまったみたいですね・・・私がお願いして来ていただいたのに申し訳ありません」
「そんな謝らなくてもいいわよ。私たちだって約束の時間より十五分以上はやく来たんだからね。この人たちが来るのが早すぎるのよ」
確かに河田も京一も早く来すぎていたのでそう言われても仕方なかった。お互いこれ以上気を使って相手より早く来なければと思って早めの行動を心掛けすぎては際限が無くなってしまう。そうなっては約束の時間を決める意味も無くなって「早めに到着する競争」というわけがわからない戦いが始まってしまう。
「いやあ・・・ここに来る前にウォーキングをしておこうと思って早くに家を出たのだけど、
なんか上手く時間を調整できなくて結構早く着いてしまったんだよ・・・」
「そうですね。私も少し公園を散歩してからと思って早く出てきたのです。そして皆さんをお待たせしないように良かれと思って早めにここに来たのだけど・・・しかし、かえって気を使わせてしまったようですね、申し訳ない・・・」
「そんな、こちらこそ目上の方に気を使わせてしまって申し訳ありません」
「まあ、もういいじゃない。約束の時間より早く来る分にはその人の勝手だし、早く来てゆっくりしたいならそうすればいいんだし。自由にすればいいと思うわ」
「それはそうだよね。遅れて相手に迷惑かけることを思えば早く来るのは問題ないだろう。誰も何も気にすることないよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると気が楽になります」
「とりあえず全員集合したことだし、座って落ち着きましょう」
河田に促されて全員東屋のベンチに腰掛けた。
「あら、今日はご自慢のティーセットを広げたててお茶してないのね?」
「さっき南野さんからも同じことを聞かれたよ。私だってたまにはこういうもので簡単に済ますこともあるさ・・・」
河田は手に持っていた缶コーヒーを菜緒子に見せるために少し持ち上げた。
とにかく全員が東屋に集合して席について落ち着いたので、「第二回・美里の動画の企画会議」を始める準備は整った。
「早速本題に入るみたいになっちゃうんだけど、さっきまで河田さんとどういう動画を作ったらいいのかを話していたんだ。あれから新しい動画をアップしてないんだよね?」
「はい、今までとは一味違うような画期的な動画を作らないといけないと思ってすごく色々考えたんですけど、結局良さそうな内容が全然思いつかなくて・・・」
「スランプに陥ってしまったのかな?」
美里にそう尋ねる河田を横目に見ながら京一はやはり今日の彼はちょっといつもと物腰や雰囲気が違うなと感じた。少し低めの声で落ち着いた感じの口調なのでカウンセラーのようだとかいうと大袈裟なのかもしれないが、相談を聞いてもらう側からしたら頼りにしても大丈夫そうだという安心感がある感じのナイスガイっぽい雰囲気を漂わせている。
落ち着いているのは普段通りなのであるがいつもの柔和な感じではなくて男らしさのようなものが感じられるのである。
「そうなんですかね?そもそも今までもたいした動画を作ってなかったからスランプなんて言うのはおこがましいのでしょうし・・・」
「考えすぎて煮詰まっちゃってるのかもね・・・私たち皆であれやこれやと言い過ぎたから何が正解かよく分からなくなってきたのかも」
「そういうことでもないよ。この前貰った感想とか意見とかはすごく納得できたし参考にさせてもらえそうな貴重なものだったし。でも、いただいたヒントを生かせないのは私がふがいないだけなんだよ・・・」
「そういうネガティブな話でもないと思うがね・・・良いもの、優れたものを生み出すのは簡単なことではない。むしろできなくて当たり前だ」
「はい、優れた動画を作るのは難しいことだとおもいます・・・」
「だから、その難しいこと成し遂げられたらそれはとても素晴らしいことなのだよ。いまできない自分をふがいないと責めるよりも頑張ってできるようになった自分を褒めてあげればいい。そのためにあきらめずに努力し続けることが尊いわけだし、美里さんならきっと自分自身でも納得できるような良い動画を作り上げることができると私は確信しているよ」
「なんか、いつになく良いこと言うじゃない・・・」
菜緒子も今日の河田は何か一味違うと感じ始めていた。しかし京一とは違って美里から例のスーパーでの行動を聞かされていたので、その情報の信憑性を確認したいという視点で密かに河田の言動を観察していてそう感じたのだ。彼に何かおかしなところは無いかというどちらかというと粗探しのような見方をしていたのにもかかわらず、おかしいどころかむしろ逆で今日の河田はいつもより頼りがいがあって「いい感じ」になっているのだ。
急に人が変わったようにいい感じになっているというところがある意味おかしいといえばおかしいのであるが、河田のことを頼りにしてよいのかと心配していたのに今日の河田ときたらまさに理想の相談相手みたいになっていたので、一体全体何がどうなっているのか、何が本当なのかがよく分からなくなって少し戸惑っていた。
「急に頼りになりそうになってるのは変で気味悪いけど、まあ、別にそれならそれでいいわ・・・」
少し腑に落ちないところはあるのだが、今日のいい感じの河田であれば相談に乗ってもらうには都合がいいと判断してこのまま話し合いを進めることにした。
「じゃあ、お二人はどういう動画を作ったらいいのか思い付いたのかしら?」
「それもちょっと話してたんだけどね、中年の女性にアピールしたいならやっぱり家事に関する動画がいいんじゃないかと思うんだけどね・・・」
「結局そういう結論になっちゃうのね・・・で、どういう家事についての動画を作ればいいのかしらね?」
「それもさっき河田さんと話してたんだけどさ、家事に関する動画がいいというところまでは同意していただけたんだよね。で、具体的にどの家事の動画がいいかというとだね・・・これは俺個人の意見なんだけどさ、やっぱり料理が良さそうだと思うんだよ」
「料理の動画、ですか・・・?」
「え~、なんか、それだと前に言ってたことそのままじゃないの?結局あの時に思いついた以上のアイデアは出てこなかったということなのね・・・」
「まあ、それはそう思われても仕方ないのだけどさ・・・別に家事に関するものなら料理でなくてもいいと思うし、もっと美里ちゃんが得意な分野があるならそっちでいったほうがいいかもしれないしね。でもね、一つ考えなければいけないポイントがあることはわかったんだよ。家事の具体的な内容もさることながら、もっと大事なことがあるんじゃあないかと河田さんはおっしゃっているんだよね・・・どんな家事を取り上げるにしても方向性や
テーマが大事だから、そこをよく考えるべきなんだって。そうですよね、河田さん・・・?」
京一は助けを求める感じで河田のほうを見た。
菜緒子から少し痛いところを突かれて弁解モードになってしまっていたのであったが、先ほど話をした感じだと河田には何か考えがあるように思えたのでバトンタッチして後はお任せしようと考えたのだ。
「そうですね・・・方向性やテーマが大事なのですが、それを定めるための前提条件として
どんな人に見てもらいたいのかをもう一度よく考えてみないといけないと思いますよ」
「ターゲットは中年の女性だってこないだ美里が言ってたじゃない」
「中年の女性というだけではやや漠然としているのでもう少しターゲットを絞る必要があると思うのだよ。そもそもなぜ中年の女性をターゲットにしているのかということも重要なポイントであるしね」
「そういえば、美里ちゃんはそもそもどうして中年の女性をターゲットにしたいと思ったの?」
「そ、それは・・・何となくというか・・・・・・」
「え?何となく・・・なの・・・?」
「そうですね・・・何となくとしか・・・」
美里が歯切れの悪い返答をしたその時、河田が美里たち三人を驚かせるような行動をとった。
「それではどうにもならんよ・・・まずは自分に正直におなりなさい!本当に見てもらいたい人は誰なのか、自分はいったい何がしたいのか、本当にしたいことは何なのかを思い出して、それに対して素直にならなければその目標に辿り着くことはできやしないよ!」
「えっ・・・?」
三人はあっけにとられた。いつもよりイケメンモードな河田なのであったが、美里の煮え切らない態度に対して突然動いたのだ。イケメンモードになっていたとはいえ温厚で冷静なところはいつも通りであったのに、急にスイッチが入ったように熱く語り始めたのである。
「なになになに?急にどうしたのよ、何か、ちょっと怖いんだけど・・・」
「あの・・・もう少しわかりやすく説明していただくことは可能ですかね?美里ちゃんもちょっと驚いてしまっているようですし・・・」
イケメンモードな上にいつになく熱い態度で語る河田に対して菜緒子と京一は驚いてしまったのだが、美里の反応は違っていた。
「いえ・・・そ、そうですよね・・・その通りです・・・」
「え、そうなの?」
「そうだな・・・もう少しだけ具体的に言うと、本当に見てもらいたいのは誰なのかをはっきりとさせて、その人に気づいてもらうためにはどうすればよいのかをもう一度よく考えてから動画を作ればいいと思う。そうすればきっと君が望んでいる結果が得られるんじゃないかな・・・」
今度は先ほどよりかなり落ち着いたトーンで語る河田であったが決してイケメンモードは崩さなかった。同じ人間なのに河田のルックスまでが普段よりイケメンに見えてくるほどであった。
「河田さんのおっしゃる通りです。それが一番大事ですよね・・・」
河田がいつもとはだいぶ違うイケメンで熱いキャラになっていることに菜緒子と京一は驚いて戸惑ってしまったのだが、どうやら美里にだけは河田の言葉がしっかり響いているようである。
「まあ、君なら遅かれ早かれ気づいたことだと思うが、いま私にできるアドバイスはこのくらいのものだからね・・・」
「わかりました・・・私、やってみます!」
「え、わかったの?いまのアドバイスで何がわかったの?」
「いろいろ迷ってたんだけどね、いまの河田さんの言葉でこれから私がどうしたらいいのかがよくわかったわ」
「どういう動画を作ればいいのかってプランが何か思いつけたというわけなのかい?」
「はい、いま河田さんのお話を聞いて一つ思いついたことがあります。なので、南野さんに考えていただいた通り料理の動画でいこうと思います」
「料理動画でいくの?それでいけそうなの?」
京一としては料理の動画を作るにしても相当アイデアを練っていろいろ工夫を重ねた上で他の動画と差別化ができるような斬新で面白いものを作ることができなければ、視聴回数を増やせないのではないかと正直心配であった。
「大丈夫だと思います。出来るだけ多くの人に見てもらうようにではなくて、私が見てもらいたい人に気づいてもらえるように作ったほうがいいのだと思うので、私が見てもらいたい人に向けて私の思いが伝わるように作ってみます!」
「それで大丈夫なの?それだと視聴者数は増やせないかもしれないけど・・・」
「はい、さっきの河田さんの言葉で気づかされました。視聴者数を増やすのはあくまで手段であって目的ではないので、目的を達成するためにはもっとストレートなやり方でいかないとダメなのだということを教えられました!」
「おぉ・・・・・・そ、そうなんだね・・・」
「まあ、美里が納得したのなら、それでいいんだけどね・・・」
京一と菜緒子には正直なところ何が何だかよくわからなかったのだが当の本人である美里は河田のアドバイスに納得した上で何か大きなヒントをつかんだような様子であった。そして美里の喋り方などを見てもかなり元気が出てきて明るい感じになっているので、それならばもう二人からは何も言う事がないのでとりあえず美里が思う通りにやってもらうしかないのであった。
「じゃあ、動画配信についてとりあえず何をどうすればいいのか、ビジョンがはっきりしたということでいいのよね?」
「うん、実はもうすでに構想が沸き上がってきてるの」
「では、構想が沸き上がってるうちに早く取り掛かったほうがよいね。鉄は熱いうちに打てだ!今日はもうこの辺りでお開きにして今日からでもやり始めるといい」
「はい、そうさせていただきます」
美里と京一にとってはよくわからないうちに「第二回・美里の動画の企画会議」は幕引きとなったのであるが、悩みが解消された美里の表情は霧が晴れたように晴れやかになって希望に満ち溢れた感じになっていたのでどうやら上手くいったようである。なので、美里本人だけでなく手助けしにきた三人もとりあえず良かった良かったと満足して会議を終えることができた。
「皆さん、今日は本当にありがとうございました」
「とりあえず、動画の配信が美里の望んでいた通りに上手くいったかどうか、結果が出たら教えてよね」
「もちろん、そうさせてもらうわ」
「じゃあ、頑張ってね。どんな料理動画ができるのか楽しみにしてるから」
「しっかりおやりなさい。君なら出来るからね」
「はい、ありがとうございます。私、がんばります!」
こうして、美里の悩み相談自体はとりあえず一旦解決した。あとは動画を作成し配信して
美里が望んでいた通りの結果が得られるかどうかが問題であった。三人はとりあえず上手くいくようにと祈りつつその結果をただ待つだけであった。そして後日、美里のほうからすべて上手くいったので河田と京一にお礼が言いたいという連絡が菜緒子からあった。四人はまた例の公園の東屋に集まって会うこととなった。
「動画の視聴数はそれほど増えてはいなかったのだけどな・・・正直、何がどう上手くいったのかよくわからないんだよな・・・」
京一と河田は例のごとく先に公園に到着してお茶をしながら菜緒子と美里を待ちつつ雑談をしていた。
「ちょっと変わった料理の動画でしたね。確かに視聴数は以前の動画より増えてはいたが、微増にとどまったといったところでしょうか」
「天ぷら入りのカレーライスでしたっけ?確かに変わり種料理ではありますよね。その物珍しさもあって微増とはいえ視聴数は増えたのでしょうね・・・」
美里の製作した料理動画で取り上げられていた料理は「天ぷら入りカレーライス」であった。
天ぷらといっても魚介類や野菜に衣をつけて油であげる天ぷらではなくて、魚のすり身を丸めて平べったく成形した感じのものを油であげるタイプのものである。おでんの具として使われることが多いのであるが、それを細くカットしたものをカレーのメインの具材として使っているというところが少々変わった料理なのであった。
「天ぷらが入ったカレーライスは確かに珍しいですけどね、しかし変な言い方ですが別にそれほど冒険をしている感じではないんですよねぇ・・・そんなものが果たしてカレーに合うのか疑問でミスマッチだけど、実際に食べてみたら意外とおいしいみたいな具材だったならインパクトがあると思うのですけど、天ぷらはそういう意味では中途半端というか、なんか微妙なんですよ・・・」
「まあ、それはそうですね。スイーツ的なものをカレーの具材にするのであればそれに当たるのかもしれませんが、天ぷらであれば大体の味の想像もつきますからね。」
二人がそんなことを話しているうちに菜緒子と美里も東屋に到着した。そして動画の配信がどういう風に上手くいったのかが美里の口から語られたのである。
「皆さんのおかげで、私の望みを叶えることができました。本当にありがとうございました」
「そうですか、それはなによりです」
「この間河田さんに言われた通りに、本当に見て欲しい人に気づいてもらえるような動画をよく考えて作って配信したら上手くいったんです」
「そうなんだ・・・ということは、美里ちゃんの望みというのは、美里ちゃんの動画を見せたい人が誰か具体的にいて、その人に見てもらうことが出来たってことなのかな?」
「はい、ずっと離れ離れになっていた母に見てもらうことが出来たんです!」
「えっ、お母さんに・・・?」
「実は、私の両親は私が小さいころに離婚してるんです。私は父のほうに引き取られて父と父方の祖父母と一緒に暮らしています」
「あぁ、そうだったんだ・・・それでお母さんと離れ離れになったのか。ずっと会えなくて寂しかったのかな・・・?」
「母と離婚した後も父は私に愛情を注いでくれたと思います。でも仕事が忙しくて子育てにかける時間はあまりとれなくて最近よく言われるイクメンみたいな感じではありませんでした。それは仕方ないと分かっていますし、その分同居している祖父母が可愛がってくれて世話もしてくれましたので、それほど寂しい思いはしてきませんでした」
「そうでしたか・・・とはいえ、ずっとお母さんと会いたいという気持ちはあったのだね。だから、なんとか見つけ出して連絡をとる方法を考えていて、自分の動画配信を見てもらおうと思ったということなのかい?」
「はい、その通りです。そんな回りくどくてまどろっこしいことをしなくてもとか思われてしまいそうですけど・・・」
「いや、それは何か事情があるからなのだろうとお察しします。お母さんの連絡先をご家族に聞きづらいとか、何かそういう理由があったということではないかな?」
「はい、離婚しても子供と別れたほうの親に定期的に会わせるみたいな夫婦はいますが、うちの場合はそういうのも全く無くてもう何年も母に会っていなかったんですが、今になっても母はどうしているのかとかいうのを家族にあまり聞けなくなってしまって・・・」
「何年もずっとお母さんの連絡先とか近況とかをご家族に聞いていないの?」
「小さいころには何度か聞いたんですけど、その度に父や祖父母が困ったり悲しそうにしていたりするのを見てしまって、なんだか子供心に皆に悪いなと思うようになり母のことについて聞けなくなって・・・そのうち母に関する話も全くしなくなってしまいまして・・・」
「なるほど、美里ちゃんの性格がそうさせたのか・・・遠慮しがちな性格な上に家族思いで優しいんだね美里ちゃんは・・・でもその優しさはお母さんに対しても持っているから板挟みになって辛かったんじゃない?」
「いえ、私なんか特別優しい性格ってわけではなくて普通なんですけど・・・先ほど言った通り父と祖父母のおかげで私はいまとても幸せです。そのことを母に伝えたいという思いはあったので、それが叶わないのが辛いというほどではないんですけどちょっともどかしく思っていました」
「そうでしたか・・・その気持ちは私のようなものにも少しはわかります。まあ、私の方は離婚してしまった側ですし、子供もいないのですがね・・・しかし美里さん、やはりあなたは優しい人だと思いますよ」
「そうでしょうか・・・あと、最近では母の近況について全くわからないというわけではなかったんです。私が大きくなったから家族も少しは母について話してくれるようになってまして、母もちゃんと幸せに暮らせているらしいことは父や祖父母から何となく聞かされていました。でも、母本人とはずっと会っていませんでしたし、母方の祖父母とも会っていないですし、そちらの方の親戚とは疎遠になっています」
「そういえば、前に大人の人と接する機会があまりないみたいなこと言ってたよね・・・
お母さんの方の親戚関係との付き合いがないからっていうのもあったのかな?」
「それはあるかもしれません。でも、親戚だけでなく母がいればママ友みたいな人との付き合いができて大人の人と接する機会ももっとあったかもしれませんが、父はあまりそういう付き合いを持たない人ですし、近所づきあいについても最低限くらいしかやらない感じなので・・・」
「まあ、そうなると普段接する大人は学校の教師くらいでしょうかね・・・?ただ、やはり教師と生徒の関係は学校という公の機関においての関係ということもありますので、ややあらたまった関係になるでしょうし、少し独特なところがあって親戚や近所の大人たちとの関係とは別物でしょうからね」
「そうですね、そう思います」
「いやしかし、なるほどなぁ・・・そういう事情を抱えてたのかぁ・・・お母さんに見て気づいてもらいたくて動画の配信をあんなに頑張ってたということなんだね・・・」
「はい、実はそういうことだったんです。それで、結論を言いますと私の動画配信に気づいた母から私に直接連絡がきまして、電話で話したりとか数年ぶりにコミュニケーションが持てました」
「それは良かった。私の人助けもひとまず成功したということですね」
「はい、もちろんです。大成功です!」
「じゃあ、動画で作ってたあの天ぷら入りのカレーライスでお母さんは美里ちゃんのことを気きづいてくれたってことだよね。あれはお母さんのレシピってことなのかな?」
「はい、あれは私が幼いころに母が何度か作ってくれたものなんです。小さかったので当時の記憶はあまりなくて、あれは母の手料理の中で特に印象に残っているものだったというか、実はあれしか記憶にないくらいなんです」
美里は少し照れくさそうに笑って母の料理について語った。照れくさそうではあったがとても嬉しそうでもあった。
「しかしカレーの具として天ぷらを入れるなんてちょっと変わってるよね。どうしてお母さんはそういう料理を作ってみようと思ったんだろうね?」
「それは私もちょっと不思議だったので母に聞いてみたのですが、一度カレーにたまたま残っていた天ぷらをなんとなく入れてみたら、なんか当時の私が気に入ったらしくて、どちらかというと食が細いほうだった私がいっぱい食べたので、母もこれはいいと思ってそれからも何度か作ったんだそうです。当の本人の私はあれをそんなに気に入ってただなんて全く覚えてないんですけどね」
「なるほど、良いお話ですね。子供の好きな料理を作ってあげたいというお母さんの優しさがよく伝わってくるエピソードですよ」
「それに、お母さんが美里ちゃんの料理動画に気づけたのも天ぷらというちょっと変わった具材をカレーに使っていたからこそだよね」
「はい、それはあると思います」
「いや、これはまさに天ぷらを華麗に使った思い出の天ぷらカレーライスといったところですねぇ」
「ああ、そうですね・・・さすが河田さん、洒落た表現です・・・」
「それにしたって、お母さんがあの動画を見てくれるなんてなかなかの確率だと思うわよ。お母さんがああいう料理動画をよく見ているみたいな、そういう情報を事前に知ってたわけではないんでしょ?」
「うん、お母さんと離れ離れになったのはずっと前のことでお母さんの趣味とかそういうことは小さかった私にはよくわからなかったもの。でも動画のタイトルに天ぷら入りカレーライスが入ってたから、その検索ワードでたまたま引っかかったらしいわ」
「まあ、今の時代料理について調べようと思ったらそういうレシピ動画が一番手軽だとは思うけど、タイミングとかもあるでしょうしある程度お母さんの行動を予測できないと難しかったと思うわ」
「美里ちゃんが小さい頃だと十年ちょっと前だろうからネットとか動画とかはもう当たり前にあったけど、俺が子供の頃とかだとまだレシピ本とかを見る人のほうが多かったかもしれないな」
「そうなのよね、今だってそれこそ中年の人だとネットじゃなくてそういう本でレシピを見る人が多いかもしれないものね」
「そ、そうかもしれないね・・・」
「美里のお母さんは動画派だったみたいで良かったわ。本で見る派の人だったら美里の動画に気づいてなかったかもしれないもの」
「まあ、今の時代は動画派か本派かは年齢とはあまり関係なくなってきているのかもしれないんだけどね・・・」
京一としては一応自分のことを中年にはあたらない世代の人間というつもりで捉えていて、そういう前提でありながらあえて言ってみたのだが、菜緒子が京一のことを中年扱いしているのかどうか測りかねる微妙なニュアンスのことを言ってきたので、河田ではないがちょっと複雑な気持ちになってしまった。
「そう言われてみると確かにそうよね・・・今思うと菜緒子の言った通りちょっと奇跡的な確率で見てくれたのかもしれないわね」
「いや、そういうことも全てひっくるめた上で、それでも親子だから成しえた小さな奇跡ということなのだろうさ。離れ離れでもお互いのことを何となく理解できていたから美里さんは動画を配信するという方法を取り、お母さんもそれに引き寄せられたということなのでしょう」
「そうだったんですかね・・・あまり確実ではない方法を選んじゃったのかもとか思ってしまったんですけど」
「あなた方親子にしかわからないカレーの思い出を動画に込めたわけですから、 むしろこれ以上ない方法だったと思いますよ。美里さんとお母さんとの親子の絆に乾杯したい気分だよ」
「絆とか言うとちょっとおおげさで恥ずかしい感じですけど、あのカレーを使うことを思いつけたのは河田さんと南野さんにいただいた助言のおかげです。お二人とも本当にありがとうございます。感謝しています」
「いえいえ、どういたしまして」
「たいした助言は出来なかったけど、少しでもお役に立てたのなら良かったよ」
「菜緒子も本当にありがとうね、ずっと親身になって相談に乗ってくれてほんとに感謝してるからね」
「別に、私は当たり前のことをしただけだよ、私が美里にしてあげられることはおじさんを紹介するとかそれくらいしかなかったから・・・」
菜緒子が照れ隠しで自分は大したことはしていないと言っているのは当然三人ともわかっていた。そして菜緒子が美里のことを思いやる気持ちは本物であること、彼女がとても友達思いで優しい人であることも全部わかっている。それは彼女の行動を見ていれば誰にでもわかることなのであった。
「それで、母は少し離れたところに住んでいてまだ直接会えてはいないんですけど、近いうちに会う約束をしています」
「それはなによりですね。今のお話しを聞いた限りでは、わだかまりなどもなく自然な感じでお母さんと接することが出来そうですしね」
「それは大丈夫だと思います。父と母とはどうかわからないですけど、私は気にしていませんし、母も最初に連絡をくれた時はちょっぴり他人行儀でしたけど、もう割と普通に話せていると思います。私自身が普通の親子関係がどんなだかあまりよくわかってないかもしれませんけどね」
「最近は3組に1組くらいの夫婦が離婚してるってテレビとかで言ってるのをたまに聞くからさ、そう考えたら美里ちゃんのところの親子関係だってわりと普通って言ってもいいんじゃないかな?」
「確かに、近年の日本の離婚率は35%前後くらいと聞きますからね。かくいう私も恥ずかしながらその中の一人であります。良いか悪いかはわかりませんが、南野さんのおっしゃる通りもはや普通と言ってもよいくらい離婚を経験している家庭は多いわけです」
「しまった、河田さんも離婚経験者だったな・・・」
美里に配慮したつもりで不用意な発言をしてしまったと思う京一であったが、もう後の祭りであった。しかし、河田は全く気にしていないようであった。
「こんな身近に離婚してる人がいるんだからね・・・まあ、わたしもおじさんとナナちゃんが離婚したことは別に気にしてないし、離婚した当人同士以外は気にしないでいいのかもね」
「そうだよね、菜緒子と河田さんだってこんなに仲良くしてるもんね」
「そういうことですね」
「まぁ・・・仲良くしてるっていうほどではないと思うけどね・・・」
「兎にも角にも一件落着したようですね、めでたしめでたしだ!」
菜緒子に叔母である菜々子との離婚の話を蒸し返されそうだと思ったのだろうか、河田が結構強引な感じで話を締めようとしだした。
「そうですね、なんだか僕も我がことのように嬉しいですよ」
「皆さん、本当に、本当にありがとうございました」
こうして河田貴博とその仲間たちによる人助け活動は無事大成功というかたちで幕を閉じた。京一も初めて参加した人助け活動がこんなにも上手くいったことと、自分のアイデアも一部採用されるなどしてこの人助けの成功に多少なりとも貢献できたという自負が持てたこともあって本当に嬉しかったし、気分よく終わることが出来たのであった。
「では、皆さんごきげんよう」
「さようなら、本当にありがとうございました」
「じゃあね」
「さようなら、紅茶もご馳走様でした」
例のごとく河田はティーセットの片付けなどに時間がかかるということで、三人はまず東屋で河田と別れて駅の方へと向かった。帰り道の三人の話題はやはりなんとなく河田についての話になってしまうのであった。
「しかし、さすが河田さんだね、慌てることなくどっしりと構えていて最終的にはしっかり解決へと導いてくれたからね」
「まあね・・・こっちとしては、一時はどうなるかって心配してたんだけどね・・・」
「え、そうなの・・・?」
「どうかと思ってたんですけど、やっぱりお願いして良かったです。やっぱり、人を信じることは大切なことだと思い知らされました」
「いや、今日は結果報告ということで集まったけど、河田さんが決定的なアドバイスをしてくれたのは前回の集まりだったわけだから、人助け活動としては実質一週間ほどしか掛かっていなくて割とスピード解決だったと言ってもいいくらいだと思うんだけど・・・そんなに心配だったの?」
「あ、はい・・・それが、ちょっと心配になるようなことを目撃してしまったといいますか・・・」
「なんかね、あるスーパーの売り場へつながる通路の真ん中にぼぉーっと突っ立って一歩も動かないでいるおじさんの姿を美里が目撃しちゃったらしいのよね・・・」
「あんな場所に立っていたら通行の妨げになりますし、嫌でも買い物客の目について目立ってしまう感じになってました・・・」
「河田さんが?なんか、そんな姿は全然想像できないんだけど・・・ほんとに河田さんだったの?他人の空似とかではなくて?」
「はい・・・見間違えとかではないですね。あれから二度お会いしているわけですけど、会ってお顔を拝見する度にやはりあれは間違いなく河田さんだったと確信が深まっていきますから・・・」
「美里は遠慮してしまって言えないから私が言うけど、おじさんの顔ってけっこう特徴的で印象に残りやすいから、一度見たらまあ忘れないし見間違える可能性はかなり低いってことなのよ」
「ああ、それはまあ・・・そうかもしれないね・・・」
「それに、服装とかも普段と違ってたのよね?」
「うん、前回アドバイスして下さった時の河田さんとも今日の河田さんとも全然違っていてまるで別人のような感じだったので・・・」
それから美里はあの日スーパーで目撃した河田の様子について詳しく語った。行動だけでなく服装の細かい部分などについても言及して身だしなみが整っていなかったことについても詳細に説明した。
「それはなかなか衝撃的なものを目撃したね・・・それでもまだなんか、やっぱりにわかには信じがたいというか、全然想像ができないんだよなぁ・・・」
「信じるか信じないかは自由だと思うけど、私は美里を信じるわ。だから今回ちゃんと人助けを上手くやり遂げてくれるか心配だったのよ。美里からしてもそんな人を頼りにしても大丈夫なのかって不安になるのは当然だしね」
「私たちも他人の空似ではないのかとか双子のご兄弟がいらっしゃるのではとか、いろんな可能性について考えてみましたが、やっぱり河田さんご本人だろうという結論になったんです」
「双子がいるとか三つ子だったとかなら元妻のナナちゃんが知らないわけないし、私に言わないはずは無いもの。それとね、前にナナちゃんから妙な話を聞いてたのを思い出したのよ」
「妙な話って、一体何を聞いたの・・・?」
これ以上まだ何かあるのかと今更ながら京一も少し不安になってきた。
「おじさんとナナちゃんが結婚する前の話なんだけど、結婚する前の付き合っていた頃はおじさんは自分の名前を「カズマ」って名乗ってたらしいのよ・・・」
「カズマ?確か河田さんのお名前は貴博さんだったよね・・・?」
「そう、貴博のはずよ。でもね、付き合ってた時はずっとカズマと名乗っていて結婚した途端に実は自分の名前は貴博なのだと告白してきたらしいのよね・・・」
「それは、びっくりだね・・・まさか、そんなことってあるのね・・・」
「うん、それもなかなかのエピソードだね・・・そういう事を聞くと河田さんという人がよくわからなくなるなぁ・・・」
「まあ、別にそれが原因で離婚したわけではないらしいけど、そういうことが積み重なったのかわからないけど、最終的にはナナちゃんが結婚する前に思っていたような人となんか違ったのが耐えられなくなってきて離婚したみたいなのよ」
「まあねぇ、そういう感じでいざ結婚してみたら思っていたのとなんか違ったって理由で離婚したみたいな話はたまに聞くけどね・・・」
「そういう話はわたしも聞いたことがあるんだけどね。でも私が知っているおじさんは今みたいな感じの人なのよ。ナナちゃんに紹介してもらって初めて会った時からずっと、なんていうかあんな感じの人よ」
「別に今のあの河田さんもいい方だと思うけど、そんなに結婚する前とのギャップが大きすぎて耐えられないほどだったのかしら・・・?」
「結婚する前の河田さんがどんな感じの人だったのかも聞いてるの?」
「もちろん聞いたわ。ニヒルっていうか・・・なんかね、簡単にいうとイケメンな感じだったらしいわ」
「ニヒルでイケメンな感じねぇ・・・」
「だからね、こないだ美里にアドバイスしていた時の感じがちょうどそんな感じなのかなって後から思ったのよね・・・」
「確かに、あの日の河田さんはなんていうか、イケメンぽい感じがしたわよね」
「ああ、そうだよね・・・なんかイケメンモードだったよね。じゃあ、なんかあの日だけは菜緒子ちゃんの叔母さんの菜々子さんと交際していた頃の河田さんが戻ってきていた感じなのだろうか・・・」
「それ、なんかちょっとおもしろいわね・・・ちょっとその件はナナちゃんに報告してみてもいいかも・・・」
菜緒子は何かいいことを思い付いたような表情をしている感じに見えたが、親戚関係の話にまで立ち入るのはどうかと遠慮して京一はそれ以上詳しくは聞かなかった。というか、不用意に聞いてしまって菜緒子の機嫌を損なっても困るなと思って聞けなかったのだ。
「そういえば、南野さんは独身なんですか?」
「え、ああ・・・俺はこの通り独身だよ。言ってなかったかな・・・」
まさか自分の話になるとは思っていなかったので、美里にそう聞かれてやや不意を突かれる感じになって思わずそんな答え方をしてしまった。
「この通りって言われても意味がよくわからないわね・・・まあ、独身じゃないかなとは思ってたけど」
「そりゃそうだね・・・この通りって言われてもどの通りなんだって思ってしまうよね」
「ふふっ、南野さんもけっこう愉快な方ですよね」
「そ、そう?そうだろうか・・・?」
「ところでなんだけど、なんか名字でミナミノサンって呼ぶのがちょっと言いにくいから、下の名前の京一さんと呼んでもいいかしら?」
「え、言いにくいの・・・?」
「あ、それいいかも。京一さんというお名前は素敵なお名前だと思いますし、私もそう呼ばせていただいてもいいですか?」
「まあ、そう呼んでもらってもぜんぜん結構だよ、そちらさえよければ・・・」
全国の「南野さん」を代表してちょっと失礼な感じではないのかという思いも一瞬よぎったのだが、どんな理由であれ「京一さん」と呼んでもらえるのは悪い気はしないので快諾した。全国の南野さん仲間には申し訳ないが、名前が言いにくいのが失礼とかいうことは若干どうでもよかったし、それよりも正直なところ京一にとっては菜緒子や美里のような若い女性からファーストネームで呼んでもらえるのがなんか嬉しいという気持ちのほうが強かったのである。
「じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうわ、今更かもしれないけど。おじさんのことはそれこそ今更ファーストネームに呼び変える気はないけどね。実は本当は違う名前だったとかまた言いださないとも限らないし、そうなったとき面倒くさいから」
「それはさすがにないとは思うけどね・・・」
京一自身は「南野京一」とフルネームで言った時の名前の響きは別に悪くないというか、愛着もあるしむしろちょっと良いくらいに思っていた。しかし菜緒子にそう言われると確かに名字呼びで「ミナミノサン」と発音するのはやや言いにくいかもしれない。そしてそう言われても特に嫌な気持ちにはならなかった。自分ではそんなことを考えたことが無かったので少し新鮮な気分を味わえたくらいである。
ただ、それと同時に菜緒子は素直というか正直者で物怖じしない性格でもあってなんか意外というか、顔だけ見たらこういう感じの子とは想像できないなと京一は思った。
美人にも性格が良い人もいれば悪い人もいて、当然色んな性格の美人がいるのは承知である。そうなのであるが菜緒子という子は、容姿は非常に美しくて河田には全く似ていないが中身はやはりちょっと河田に似ていて変わっていると思ってしまう京一なのであった。
「じゃあ、これからは私も京一さんと呼ばせていただきますね」
「ああ、どうぞ。こっちも河田さんにつられてというか、なんか流れで二人のことを下の名前で呼んでいるからね・・・まあまあ年上でもあるから別に構わないかなと思ってそのまま呼ばせてもらってるんだけど」
「そうですよ、南野さんは年上でいらっしゃるからいいと思います。けど、これでお互い様ですね。あ、南野さんじゃなくて京一さんでしたよね」
少し恥ずかしそうに照れ笑いしながらそう言った美里のことを見て、可愛いなあと思わず見とれてしまった。菜緒子とはまた違った可愛さ、魅力をもったこの美里とはもうこれでお別れかもしれないのだが、先ほどの「これからは京一さんと呼ばせていただく」という言い方がまるでこの先もあるかもしれないともとれる表現であることが京一にとってはささやかな望みのようにも思えた。しかし社交辞令とまでは言わないが美里としては変に深く考えずに自然にそのように言っただけで「これから」先などはないのかもしれない。
一方、菜緒子とは自分が河田との友人関係を続けている間は河田を介して会う可能性はまだ残されてはいるのだが、「今更かもしれないけどそうさせてもらう」という言い方がもう会うこともないだろうから今更遅いけどともとれる表現であって、ある意味真逆というか二人の性格の違いがわかりやすく対比できるやりとりであった。「ツンデレ」という言葉があるが、このコンビは菜緒子が「ツンツン」担当で美里が「デレデレ」担当ということなのかもしれないなどと思う京一であった。
「我ながらくだらないことを考えてしまったな・・・」
そんなことを考えているうちにすぐに駅について二人とはそこでお別れになってしまった。
「さようなら京一さん、本当にありがとうございました」
「じゃあね」
「うん、じゃあ、さよなら・・・」
別れの挨拶を簡単に済ませると二人はすぐに駅に入っていった。実に味気ない感じのするあっさりとしすぎたお別れであった。
京一はまた一人でいつものように徒歩で家路についた。
「ああ、どうなんだろうな・・・本当にもうあの子たちと会うこともないのかな・・・?またあまり刺激のない平凡な日常に戻ってしまうのだろうか・・・」
平凡で、でも平穏で、しかしながらやや退屈な日常・・・京一にとっては当たり前であったそんな日常である。それが当然のごとく何年もずっと続いていたのだ、河田貴博という男と出会うまでは・・・
「しかし、よく考えてみたらやっぱりちょっとミラクルな急展開ではありましたよね、あんな何もかも上手くいったのは凄いことだと思います」
「何はともあれハッピーエンドであったようなので良かったと思いますけどね、私は・・・」
「それは僕もそう思います」
河田貴博と南野京一はまたいつもの公園のいつもの東屋にてお茶を楽しんでいた。お茶しながら楽しんでいた会話の内容はやはりこの間の人助け活動についてであった。
「それにしても、ああいうネットとか動画配信とかいう手段を使うことで離れ離れになっていた親子の再開が果たされるなんて、いかにも今風といった感じがしましたよ」
「そうでしたねぇ、実に現代風な方法をとったものだと思いましたね」
「一昔前だったら売れっ子の歌手や俳優やタレントになったり、もしくは優秀なスポーツ選手になったりして、有名になってテレビに出るようになったりすることで自分に気づいてもらおうとするみたいな話がありましたけどね。今はそこまで頑張らずとも、もうちょっと簡単に自分という存在を世の中にアピールできるということなのですね」
「そうですね・・・自分の情報を世の中に発信することがとても簡単に出来るようになりましたね。簡単すぎて少し危うかったりもするのですが・・・」
「まあ、それぞれの時代に合わせた方法をとっているだけのことなのかもですがね・・・」
「しかし、時代が変わって世の中が変わっても親子の関係や絆というものは不変であるのかもしれません」
「はい、そして美里ちゃんのお母さんもよく名乗り出てくれたと思いますよ」
「美里さんにとってはそれが何よりの救いであり喜びであったことでしょうね」
「今更会えないとか、合わせる顔がないとか思う親もいるでしょうけど、美里ちゃんのお母さんはそういう感じの人ではなくて良かったと思います」
「まあ、人生いろいろ、親子関係もいろいろといったところなのでしょうね」
河田がどこかで聞いたことがあるようなフレーズで話を締めくくった。
河田が入れてくれる紅茶はいつも通り美味しくて飲むと気持ちが安らいだ。そして、今日もとても天気が良いので気持ちが良かった。澄んだ青空を見上げながら京一はしみじみと思ってしまった。
「ああ、また皆で人助け活動ができたらいいのになぁ・・・・・・」
第二章「解明」
「それじゃあ、今度の人助けはね・・・悪そうな人と戦ってほしいのよ」
菜緒子がさも当たり前のことのように河田に次の人助け案件を持ってきた。
「おやおや、なんだか穏やかではないねぇ・・・」
「人助けのために悪そうな人と戦うだって?さすがにそれはちょっと、いろいろアレじゃないかい・・・?」
前回の人助けからまだひと月もたっていないのに菜緒子が新たな依頼をするべく河田のもとにやって来たのだ。
京一としてはもうしばらく菜緒子と会うことはないと思っていたのだが、意外と早い再会となった。河田に人助けの案件を持ってくるにしてもこの公園を待ち合わせ場所にすることはもうないかもしれないとも思っていたのだが、京一が河田に紅茶をご馳走になっているときに菜緒子が訪ねて来るという前回と同じシチュエーションでの再会であったので、京一としてはなんだかほっとした。そしてなぜか同時に拍子抜けしたような感じにもなってしまった。もしかしたら河田や菜緒子と一緒に誰かの人助けをするなどということはもう二度と無いかもしれないとまで思っていて、もしそうであればとても残念であり何か喪失感を覚えてしまうのではという恐れすら感じ始めていたのであるが、どうやらそれは取り越し苦労に終わったようである。そうして心配していたことが無くなったのだからただ素直に喜べばよいのであるが、おかしなものでまずは心配事が杞憂に終わったのが肩透かしを食らったような感覚となったのだ。もちろんその後に喜びもあるのだがそれと同時に今度は少し不安な気持ちも湧いてきた。
「ていうか、今日ここに来る約束してたんだ・・・」
「そうよ。おじさんから聞いてなかったの?」
「ああ、そういえば南野さんにはお伝えしてなかったですね」
「いえ、別にそれは構わないのですが、こんなに早く次の依頼に来るとは思っていなかったもので・・・」
「友達が困ってるって相談してきたのよ。そのタイミングが今だっただけのことだけど。その人助けの話をすぐおじさんにもってくるのは何か変かしら?」
「いや、それは別に全然変ではないよ・・・」
これに関しては菜緒子の言う通りであった。菜緒子ではなく菜緒子に相談してきた友達のほうの都合やタイミングで今日来ているわけであり、たまたまそれが前回の人助けからあまり日がたっていなかっただけのことである。もう人助けの依頼にはしばらくは来ないかもというのはそもそも京一の勝手な思い込みであるのだ。
「そうかぁ・・・しかし、こんなに早く次の人助けが舞い込んでくるとはなぁ・・・ちょっと気になる内容だし、今回は俺の出る幕などはあるのだろうか・・・?」
京一の性格によるところが大きいのであろうが、どうしても「こんなに上手くいくはずがない」といった感じのネガティブな思考のほうが勝ってしまいがちで、この分ならこの先もずっと楽しいことが続くだろうと楽観的な感じになどはなれないのである。もうすぐ年齢のほうも三十歳となるわけで現在に至るまでに得てきた経験上も人生うまくいってばかりなどではなくて、むしろ思うようにいかないことのほうが多いかもしれないことは重々承知していた。
うまくいきそうだと思っていたのに思わぬ落とし穴があったりして結局ダメになってしまった経験もあるので、今日また菜緒子が河田に人助けの依頼にきた現場に立ち会えたからといってこれでこのままずっとあの愉快な人助けが続けられると安心することなどはできなかった。今日だってまだ二人と一緒に自分も今回の人助けに参加することが出来るかどうかすらわからないのである。
「いやぁ・・・そんなに都合よく事が運ぶだろうか?世の中そんな都合のいいことだらけじゃないからな。今回もまた俺が参加させてもらえるとは限らないよなぁ・・・」
「何一人でブツブツ言ってんの?ていうか、またおじさんとこんなところでお茶してたんだ・・・」
「この間は初対面でお茶に誘ってしまったのだがね、もう何度もここで一緒にお茶をしている仲になっているのだよ」
「そうなの?まぁ、それは別にどうでもいいわ。とりあえず、話を戻させてもらいますけど・・・私の友達で悪そうな人につきまとわれて困ってる子がいるのよ。その子を助けるためにその悪そうな人と戦ってほしいのよ!」
「つきまとわれている?それはストーカー的なことなのかな?」
「ていうか、もうそれは警察の出番なのではないかい?」
「警察を介入させるなんて、そんな大げさなことにしたいわけないじゃない。まあ、その子の話を聞いた限りだけど捉え方によってはストーカーって言ってもいいような感じの事案
なのよ」
「今回もまた菜緒子のお友達かい?女の子の友達がその悪そうな人とやらにストーカーされている感じなのかな?」
「まあ、簡単に言えばそういうことね。その子は女子大生なんだけど、同じ大学にいるたちの悪そうな男子学生からつきまとわれているらしいの。私や美里とは違う大学だからあんまり詳しい事情はわからないんだけどね・・・」
「菜緒子ちゃんたちとは違う学校なのか・・・でも学校が違う菜緒子ちゃんじゃなくて、
同じ学校に通う友達とかに相談したほうがよさそうなもんだけどね。同じ学校の友達のほうが何かと助けやすそうだしね」
「もしかして・・・その子は同じ大学には助けてくれそうな親しい友達がいないのかい?」
「いや、それがねぇ・・・その子にはちゃんと同じ大学に通ってる彼氏がいるのよ」
「え、彼氏がいるの?しかも同じ学校の学生ならその彼氏が一番に助けなくてどうするんだよって感じなんじゃないの?」
「まあね・・・普通はそうなるんだけど、その彼氏がちょ~っと気が弱くてあんまり頼りにならない人なのよね」
「おやおや、それは困ったものだね。男たるもの自分の彼女くらいは自分で守れなくてどうするのかねえ」
「そうですよね、情けないないやつだなそいつは・・・」
「まあ、そうよね・・・」
「それともあれかい?その悪そうな人っていうのが、図体が大きくて腕力のありそうな男だったりして、気の弱い男はもちろん普通の男でもなかなか太刀打ちできそうにないような厄介な奴だったりするのかい?」
河田がそんなことを言うものだから、京一は思わずプロレスラーみたいな体格の男を想像してしまった。人のことを情けないなどと言ってしまったが相手がそこまで厄介な奴だとしたら他人事ではなくなり自分にも関わってくる。なにせ菜緒子からそいつと戦ってほしいと依頼されているわけであり、当然今回も自分としてはその人助けに参加させてもらうつもりでいるのでそのストーカーがどのような男であるのかは決して無関係ではなかった。
「もしそうなら、それはちょっとやばいんでないかい?やっぱり警察に相談したほうがいいんじゃないかな・・・」
予期していなかった災難が自分にも降りかかってくる可能性が出てきたので京一は途端に腰が引けてきてしまった。
「いや、そんなとんでもない大男とかじゃないわよ。どちらかといえば小柄な男らしいから」
「ああ、そうなんだ・・・」
「だから悪い人じゃなくって、あくまでも悪そうな人って言ってるじゃない」
「なるほどね・・・まあ、本当にヤバそうな相手ならその子も迷わず警察にいくか・・・
あくまで民事の事件というか事案だからなんとか皆で助けてあげないとってわけだね」
どうやらプロレスラーと戦わなくてもいいようなので少しほっとした。河田もなんだかんだいってやるときはやる感じの男なので頼りになることは前回で証明されているし今回の人助けも皆で力を合わせればやり遂げられそうだと思えてきた京一であった。
「どういう男と戦わなければならないのかはまだよく分からないが、とにかく彼氏にもちゃんと助けてもらえず困っているそのお友達はなんとか助けてあげないとねぇ」
「そうですよねえ・・・」
「お、二人ともやる気になってきたじゃない。やっぱりそうでなくっちゃねぇ・・・」
「あ、なんか・・・もう俺もまた人助けに参加させてもらう前提で話しちゃってるけどいいのかな?お役に立てるかどうかわからないんだけど・・・」
「別に構わないわよ。前の時も美里にヒントになるようなことも言ってくれたし、やっぱり協力者は多いほうが良さそうだからね。今回も特に予定が無くてお暇してるのならこちらは歓迎しますけど」
「そうですよ、もう南野さんがいれば百人力ですからね!」
「まあ、百人力は大げさだと思いますが僕の出来る限りのことはさせてもらいます」
「ありがとうございます。私も菜緒子も心強いです」
「それじゃあ・・・今回も二人のお供をさせてもらうよ」
「じゃあ、お願いするわ」
思っていたよりもあっさりと今回も河田の趣味である人助けに参加できそうなので、とりあえずは一安心できた。前回の楽しかった体験が思い出されて京一のテンションも高まってきた。
しかしまあ、次の人助けミッションは悪そうな人と「戦う」というけっこうハードそうな内容らしいので前回同様に充実感が得られて楽しいことになるかは怪しいかもしれないのであるが・・・
「前回の人助けとは違って悪そうな男という明確な敵の存在が予めわかっているわけだが、我々のやるべきことはその敵という障害を取り除いてやることだというのもまた明確だ。
おそらくその男とも直接対峙することになるのだろうし前回よりもシンプルな人助けといえるかもしれないな」
「人助けが趣味のおじさんにとってはシンプルで楽勝な案件ってことになるわけね」
「いや、油断は禁物だ。そのストーカーが実際にどんな奴なのかを見ていないわけだし、
楽勝だろうとか早計に判断すべきではないよ」
「フィジカル的には小柄でも常にナイフとかを持ち歩いている感じの危ない奴かもしれませんからね。そういう奴ならやっぱり警察に任せたほうがいいですよね・・・」
「大丈夫よ、前回だってなんだかんだで上手くいったじゃない。今回もどうにかなるとは思うわよ」
前回も上手くいったので今回も大丈夫というのはかなり根拠に欠けているのではあるが、
菜緒子にそう言われると河田も京一も不思議となんだかいけそうな気がしてきた。
楽観的なことしか言わない人間に対しては本当に信じても大丈夫なのかと逆に不安を感じることがあったりするものである。河田のように慎重な性格だったり京一のように心配性な性格だったりするとなおさらであろう。しかし、相手が菜緒子の場合なぜかそうはならないのである。
普段からしっかりしていて頭も良い菜緒子であるのでたまにこういう楽観的な発言をしても、それを聞いたほうは「まあ、しっかりしているこの子がいろいろ考えた上でそう言っているのだろうから大丈夫そうだ」などとなんとなく納得させられてしまうのである。普段から信用があるゆえにたまにこのように楽観的なことを述べてもキャラ的にそれほどおかしくはなくてむしろ「それもそうか」と思わされてしまうような不思議な説得力があるのだ。
「そうだなぁ・・・今回は戦うという内容の人助けなのでちょっと前回よりもタフなミッションになるかもしれませんが、事前に戦う相手の情報を集めて充分に準備を整えて挑めばまあ何とか撃退できるんじゃあないですかね」
菜緒子にのせられて今回も上手くやれそうな気がしてきたので京一も前向きにストーカー退治についての展望を語りだした。
「備えあれば患いなしというわけですね」
「敵を知り己を知れば百戦危うからずとも言いますしね!」
「はいはい、二人ともなんか古い言葉を結構知ってるのはわかったから・・・でも正直そういうのはいいから具体的にどうするかを考えましょうよ」
「ああ、はい・・・」
二人が気持ちよく語っていたところであったのだが菜緒子によって話に水を差されてしまった。
河田や京一たちの世代は故事成語やことわざを使いたがるというか、そういう言葉を使って会話を楽しみたい人間がけっこう多いようなのだが、菜緒子にはそういう気持ちが全くといっていいほど理解できないようであった。
あえてそういう昔からの言葉を使って会話を楽しむみたいな行為は菜緒子たちのようないわゆる「ゼット世代」の若者たちにはいまいちウケないようだが、もしそうだとしてもおそらく河田たちのような中年世代の大人たちは懲りたり、めげたり、くじけたりなんかはしない。隙あらばいつでもそういう言葉を使っていくことであろう。
「しかしなぁ・・・具体的にどうするかといってもなぁ、たいていこういうときって
ストーカー本人に警告でもしてその友達の子に接近させないようにするとかいう感じになるのだと思うのだけど・・・」
「だいたいそういう流れになるでしょうね。それで相手がおとなしく引き下がるかどうかによって次の段階の対応を考えることになるでしょう」
「ドラマや映画だと弁護士が間に入ってストーカーに警告したりしますよね。法律用語とかをバンバン使ってマウントをとりまくって、あなたのやっていることはこういう罪になりますので逮捕されたらこのくらいの刑罰になりますよ!みたいに警告するんですよ。半ば脅しのようにね」
「弁護士に依頼したらけっこうお金だってかかるでしょ?それじゃあ私たちに頼んできた意味がなくなるわ。弁護士にやってもらうのなら私たちの出番なんてなくなるものね」
「それはそうだ。警察も弁護士も我々の人助けでは手に負えない事態になった時の最後の手段と考えたほうが良さそうだ」
「まあ、そういうことなんでしょうね・・・あ、それこそプロレスラーみたいながたいをした厳つい感じの知り合いがもしいたら、その人に強めに警告してもらったら効果ありそうですけどね」
「知り合いでそういうことができそうな人の心当たりでもあるの?」
「まあ、俺にはちょっと思い当たらないんだけど・・・」
京一自身も冗談というかちょっとした思いつきで言ってみただけなので具体的にそういう人物のあてがあったわけではないのであった。
「そうでしょうね。そんな厳つい感じの知り合いなんてそうそういないわよね」
「それにですね、そういった威嚇や武力行使のようなやり方によって解決するというのはあまり感心しません。こちらがそういう態度に出ると相手もムキになって過剰に反応してくる危険性もないとはいえませんからね。それは依頼者も望まないでしょうから、あくまで出来る限り穏便に解決できることが望ましいですね、私としては」
「それはそうですよね・・・浅はかな考えでした、お恥ずかしいです・・・」
「まあ、私としては上手く解決してくれさえすれば細かいことは気にしないけどね」
「今回もみんなで知恵を出し合って協力しながら出来る限り穏便かつスマートに解決したいものです」
「そうですよね。ところでだけど、菜緒子ちゃん自身はそういうストーカーみたいなやつにつきまとわれたりして困った経験とかはないの?」
「私?私はそういうのはないわよ。そういうわけのわからないやつがつけこむというか、近づく隙を見せないようにしてるから」
「そもそもおかしな奴が近づく隙を見せないってわけか・・・それはすごいね、しっかりしてるよ。なんか、とても菜緒子ちゃんぽい感じがする」
「さすが菜緒子だ。それでこそ私の元姪だね」
「いや、それは関係ないから。まあ、こんな言い方したらその友達の子に隙があるみたいになっちゃうんだけど・・・その子だって割としっかりとした子だし別に隙だらけみたいな感じではないのよ」
「美里ちゃんも若いけどしっかりとした子だったし、菜緒子ちゃんの友達だからそんな変な子とかはいないのだろうね・・・」
「何をもって変な子というのかはよくわからないけど、もし私の知り合いで変な子がいたとしてもそういう子の依頼は持ってこないから安心してくれていいわ」
「信用しているさ。何せあの菜々子さんの姪なのだからね」
「まあ、それに関してはね・・・ナナちゃんとはよく似てるって言われますけど」
「ナナちゃんていうのは菜緒子ちゃんの叔母さんで河田さんの元奥さんだよね?その人もしっかりした女性だってことなんだね」
「そうよ。よくお母さんからも菜緒子は私より菜々子のほうによく似てるわねなんて言われるしね」
「そうなんだ・・・菜緒子さんの叔母さんであり河田さんの元奥さんなのだから美人なんだろうね」
「まあね。あとね、お母さんとは十歳以上年が離れてるから叔母さんといっても若いのよ。だから私としてはちょっと年の離れたお姉さんっていう感覚なんだけどね」
「なるほどね、名前も似ているし普通の叔母と姪よりは近しい関係というか、仲が良さそうだね」
「そうなんですよ。姉妹のように仲睦まじいので二人の関係は見ていてとても微笑ましいのですよ」
別れた嫁とその姪っ子との関係を今でも微笑ましいと思えるというのはなんかちょっといい話だし河田の人柄の良さもうかがえる発言だと思って京一もなんだかすこしほっこりした。そして、河田と菜々子との離婚はわりと円満だったのであろうと勝手な想像までしてしまうのであった。
「なんか話が脇道にそれちゃったけど、とりあえずこの人助けの依頼は引き受けてもらえるってことでいいのよね?」
「それは当然やるさ。とにかく、まずはその友達に話を聞かなければならないな。ストーカーと直接対峙するのはその後の話だ」
「そうね、その子の名前は西野加奈子っていうんだけど、ストーカーの男は加奈子の知り合いの知り合いみたいなことを言ってたかしらね・・・」
「では、その加奈子さんに会えるよう段取りしてくれるかな?今回も来週の今日と同じ曜日くらいでいいと思うが、どうかな?」
「大丈夫だと思うわ」
「僕もその日は休みなので大丈夫です」
「じゃあ、来週の同じ曜日でアポを取るわね」
二人のやり取りを見ているともはや菜緒子が河田の人助け活動をサポートするマネージャーのようである。
「大学は試験中とかではないから加奈子も別に忙しい時期じゃないの。だからその日で大丈夫だとは思うけど会って話を聞く場所は加奈子の大学でいいかしら?ここの最寄り駅から電車に乗って数分くらいで行ける近くの大学なのよ」
「私はそれで構わないよ」
「僕もいいですよ」
地元なので電車で数分のところと聞いただけで京一もどこの大学かはすぐ見当がついた。そこならちょっと頑張れば今からでも徒歩でも行くことが可能なくらいのまあまあ近くにある大学である。
「決まりね。今日中に加奈子と連絡をとって日にちと場所がそれでいいか確認しておくわ。加奈子に確認して大丈夫だったら明日くらいにおじさんに連絡するわね」
「わかった。そうしてくれ」
そして、当日は西野加奈子の通う大学の最寄り駅にまずはここにいる三人で待ち合わせて合流して、それから皆で大学まで行くというところまで決めてこの日は解散となった。
菜緒子が人助けの依頼を持ち込んで来てから一週間後、人助け開始の当日がやってきた。
「また約束の時間よりだいぶ早く到着してしまったな」
久しぶりの人助け活動が楽しみすぎて京一はまたもや待ち合わせの時間より早く到着してしまった。
「しかし河田さんはもう来てるかもしれないな。さすがに菜緒子ちゃんはまだ来ていないだろうけど・・・」
三人が待ち合わせ場所に決めていた大学前の駅の改札近くの広場のような場所まで行ってみると京一の予想通り河田が既に到着して待っていた。広場といってもそれほど広くないのですぐに見つけることが出来たのだが、当たり前のように早く到着して待っている河田の姿を見た京一は、やはりこの人はちょっと変わっているかもしれないなと思ってしまうのであった。しかし自分もけっこう早く来てしまったので人のことは言えないなとすぐに思いなおして河田のほうに近づいていった。
「おはようございます河田さん」
「ああ、おはようございます南野さん。今日も少々早く到着してしまいました」
「そうですか。僕も同じですよ」
京一は笑ってそう答えると河田の横に並ぶように立った。
二人ともこのように約束した時間よりかなり早く来てしまうのは性格というか性分なのであろう。絶対に遅れてはいけない、遅れてしまったら相手にどう思われてしまうかわからないので早めに行かなければならないなどと思ってつい早め早めの行動を心掛けてしまうのかもしれない。
早めの行動を心掛けること自体は良いことなのであるが、遅れてしまったら相手に悪く思われてしまうという意識が強すぎるのは強迫観念とまではいかないものの、いきすぎると自分自身に負担をかけてしまうだろう。以前あったように待ち合わせの相手に気を使わせてしまうこともあるだろうし、何もせずにただ待っていたり暇をつぶすために何となくスマホなどをいじって過ごしたりという行為を毎回やっているというのは時間を無駄にしているということに他ならない。
念のため早めについて待っておくのはいいがそれにしてもその時間が三十分以上というのは少々長すぎるだろう。
しかし、三十分ちょっとという微妙な時間を有意義に過ごす方法が何かあるのであればそれは無駄な時間ということにはならないわけであるので、とりあえず今日は二人で楽しく会話してこの時間を有意義なものにするしかなかった。
「今日もよろしくお願いします。前回のように上手くいくと良いのですが・・・」
「いえ、こちらこそよろしくおねがいします。楽しみだとかわくわくするだとか言ってしまうと困って助けを求めている人がいるのに不謹慎なのですが、この人助け活動はやってみるととても充実感があってやりがいがあるのですよ」
「そう言っていただけると私としても嬉しいです。私としては人助けをするときは毎回そうなのですが、とにかくベストを尽くすだけなのです。そうすれば結果は自ずとついてくるというスタンスでやっております」
「前回の人助けは、最初ちょっと苦戦した感じでしたけど最終的には上手くいったので、結果としてはまずまず成功だったと言えますよね」
「そうでしたね。私もネットで配信する動画の作成などということには疎い人間ですので最初に話を聞いた時点では美里さんにまともなアドバイスをしてあげることが出来ませんでしたからね・・・」
「でも最後は河田さんがビシッと一言で決めて下さいましたから。あれは美里ちゃんの心に突き刺さって自分が何をするべきかを明確に気づかせてあげるアドバイスとなりましたからね」
「いえいえ、私はそんな大したことは言っていませんよ。彼女自身が自ら答えを導き出したまでのことです。それよりも南野さんが出した動画のアイデアが採用されたわけですから、私としてはむしろ南野さんのほうがナイスアドバイスをしたのだと思っています」
「いえ、僕の方も誰でも思いつきそうな割と普通のアイデアを言ってみただけですから。それを美里ちゃんが上手く実行しただけだと思いますよ・・・」
当たり障りのない会話であったが今日は以前あったような何を話せばいいか分からなくて無理に話題を作って頑張るという状況にはなっていないので京一としてはわりとリラックスして河田と話せていた。今日の河田はいつもの河田というか、少なくともあの時の何か話しかけづらい雰囲気などは特に感じられなくて普通に会話できる感じである。
前回の人助けの際の変貌ぶりが気になっていて、もしかしたら河田という人は人助け活動をする際には気持ちを引き締めてコンセントレーションを高めてあの「男前モード」になって来るのかとも考えていたのだが、そういうことでもなさそうである。とりあえず京一としてはこのいつもの河田のほうが話しやすいので今この瞬間は助かるくらいに思ってあまり深く考え過ぎないようにしながら当たり障りのない会話を続けた。主に前回の人助けに関する内容の会話をしていたのだが、最終的にはその人助けが上手くいって丸く収まったということもあってそれなりに話も盛り上がった。
そして、そういった話を三十分くらいしているうちに菜緒子がやってきた。
「お待たせ。と言っても、まだ約束の時間まで十分近くありますけどね」
「やあどうも、俺も河田さんもまた早く来過ぎただけだから待たされたなんて思っていないよ」
「そうだよ、南野さんと楽しくお話しをして過ごしていたのであっという間に時間が過ぎていたしね」
「それはそれは、大変仲がおよろしいことで・・・」
「今回の依頼者の・・・西野加奈子さんだっけ?その子との待ち合わせの時間まではもうちょっとあるのだよね?」
「私たちの待ち合わせ時間から十五分後にしておいたわよ。まあ二人とも遅れて来ることはないだろうって思ったからそのくらいに設定したんだけどね」
「それにしてもまだ二十分以上時間があるということか・・・大学まで徒歩で十分弱くらいかかるとして、それでもまだ早いからその子が来るまでまた少し待つことになるかな」
京一は携帯で時間を確認しながら依頼者との待ち合わせについて考えた。
「しかし、とりあえず大学までは移動しておいてそこで待ったほうが良いでしょうね」
「まあそうね」
「そうですよね、それでは移動しましょうか。時間に余裕があるのでのんびり歩いて行きましょう」
三人は大学のキャンパスの方へと向かった。
駅から少し歩いただけでもう大学の建物が少し見えてきた。のんびり歩いてもそれほど時間がかかるような距離ではなくて、やはり予想通り十分もかからない感じであった。そして三人ともよく知っている大学なのでお互い歩いて行くルートを尋ねる必要もなかったので特に会話もせずよく知っている道をただ黙々と歩き続けることになった。ゆっくり歩いたのだが、結局あっという間に西野加奈子の通う大学の正門前までやって来た。
この大学のキャンパスは一般開放されているのでここに通う学生でなくても入ることが出来る。京一の自宅最寄り駅からも数駅のところにあるのだが、実は徒歩でも自宅から一時間弱ほどで来ることが出来るのでたまに趣味のウォーキングで来ることもあった。徒歩だと電車の路線よりも近道を選べるので電車で来るのとさほど大きく所要時間が変わらない。電車のほうがだいたい二十分ほど早く着くのであるが、電車だとタイミングによっては駅での待ち時間が長くなってしまうこともあるので、そういう時は徒歩と十五分ほどしか変わらなくなってしまう。
だから京一も特に急ぎでなければこの大学や大学近辺に電車を使って来ることはないのだ。実は今日も徒歩でウォーキングがてらこの大学までやって来て反対側にある裏門から入ってこの正門から一度大学を出て待ち合わせ場所であった大学の最寄り駅までわざわざ歩いて行ったのだ。面倒くさいことをしているようだが、京一としては一日一万歩を目標としているので歩数が稼げてむしろ都合が良かったくらいなのである。
三人は正門をくぐって大学の敷地内に入ってすぐのところで止まった。
「加奈子とはここで待ち合わせすることにしてあるんだけど、あの子も約束の時間より早めに来るタイプだから丁度もうそろそろ来るころだと思うわ」
「その加奈子さんは一人で来るのかい?」
「それがね、例のちょっと気の弱い彼氏と一緒に来るって言ってたのよ」
「彼氏のほうとは面識はあるのかい?」
「前に紹介されて一度会ったことがあるわよ。まあ、見た目は普通でちゃんとした彼氏って感じだったけどね」
二人の会話を横で聞きながら「ちゃんとした彼氏」って何なんだろう?と思った京一であったが、そういう表現が出てくるのは若い子だからなのか菜緒子という子が独特の感性を持っているからなのかはちょっとよくわからなかった。とにかく西野加奈子の彼氏は気弱でちょっと頼りないらしいので、それでいうと見た目は普通だが中身は「あまりちゃんとしていない人物」ということなのであろうと解釈した。
とりあえず三人は辺りを見回して西野加奈子とその彼氏を探した。正門付近には複数の学生があちらこちらに少人数のグループを作っていた。その場で談笑したり河田たちのように待ち合わせをしたりという感じでいかにも大学前といった雰囲気でありその中に二人がいるかどうかすぐにはわからなかった。
「あっ、じゃあもしかしてあの二人なんじゃないの?」
京一が指した先にはそれらしきカップルが立っていた。正門から一番近い校舎の前あたりであった。三人が立っているところから少し離れた場所であったがいかにも誰かと待ち合わせしている感じでその誰かを探すようにして正門の方を見ながら立っていたので京一も見た瞬間にピンときたのである。
二人とも服装などはいかにも今風の大学生といった感じである。ぱっと見た感じはお似合いのカップルであるし、つきまとい事案に困っているだとか気が弱いだとかいう先入観を持たずに見れば、理想のカップルとまでは言い過ぎだがどこにでもいそうなそれなりにまあまあ幸せそうなカップルであった。
「ああ、いたいた。あれがそうよ」
そこにいた西野加奈子の見た目はというと、菜緒子ほどではないがまあまあ可愛らしいお嬢さんである。そして横に立っている彼氏のほうもけっこう長身ですらっとしていてどちらかと言えばいい男の部類に入るであろうルックスである。
「おや、例の彼氏さんは爽やかなシティーボーイといった感じですね」
「あ、ああ・・・そうですね・・・」
今度はシティーボーイという微妙に古いワードに戸惑う京一であった。河田も菜緒子と同様にワードセンスが独特であるのでそういうところもやっぱり二人は似ていると思った。
「まあ、気が弱いという欠点があるらしいですが、それを除けばいい彼氏なのかもしれないですね」
「それが一番重要なんだけどね・・・こんな風に彼女が困っているのに自分の力だけではどうすることもできなくて助けられない彼氏なんてねぇ・・・」
「とにかく、彼女たちと合流しようじゃないか」
「そうね。お~い、ここだよー」
菜緒子が二人に向かって手を振りながら呼ぶと、それに気づいたカップルがこちらに近づいてきた。
「待たせちゃったかな?今日はごめんね、相談を持ち掛けたのはこちらのほうなのにわざわざうちの大学に来てもらって・・・」
「別に気にしなくて大丈夫だよ。みんな近いところに住んでるから。それで、この二人が前に話した人助けが趣味っていう変わり者の私の元叔父の河田貴博とそのお友達の南野京一さんよ」
変わり者の元叔父とはずいぶんな紹介の仕方であるが、自分は割と普通に紹介されたのでまあいいかと思った京一であった。
「私が只今ご紹介にあずかりました菜緒子の元叔父の河田貴博です。以後お見知りおきを・・・」
「河田さんと親しくさせてもらっています南野京一です。どうぞよろしく」
「西野加奈子です。菜緒子さんにはいつもお世話になってます」
「あ、僕は東正彦と申します。よろしくお願いします・・・」
一応、前もって菜緒子の方から河田や京一たちに関するある程度の説明は事前にされているようだったので早速本題のほうに入りたいところであったが、とりあえずどこか落ち着いて話の出来る場所に移動することとなった。
河田たちが訪れたこの大学は総合大学であり敷地もなかなか広くてちょっとしたショッピングモールくらいの広さがあった。河田たち一行は芝生の広場という場所を目指して大学内を歩いていた。今日は天気も良かったので外で話をしようということになったのだが、
それならばそこがもってこいの場所であるらしいのだ。大学内には河田たちがお茶をしていた公園と同じようにあちらこちらにベンチが設置されているのだが、今向かっている芝生の広場には公園にある東屋のようなものがあってそこはベンチだけでなくテーブルもあるので丁度良いということになったのだ。
「あそこです。テーブルのあるところも空いてるので席を取っておきます」
加奈子はそう言うと小走りでテーブルのほうに向かった。
芝生の広場と呼ばれているその場所には樹木も何本か植えられていてその木陰にベンチやテーブルが設置されていた。屋根があって東屋のようになっているところもあるのだが、それが丁度一つ空いていたので加奈子はそこのテーブルに荷物を置いてキープしていた。
「これはこれは、おあつらえ向きの場所がありましたね」
「そうですね。いつもの公園の東屋と同じような場所があって良かったですね」
広場には河田や京一がいつも行っている公園と比べるとテーブルやベンチなどが多くあった。そして学生たちが休憩していたり読書をしていたり談笑していたり食事をしていたりとそれぞれ思い思いの休み時間を過ごしていた。
京一は自分が学生だった頃を思い出しながら芝生の広場全体をざっと眺めていてちょっと懐かしい気持ちにもなっていた。河田も同じように感じているかもと思ってそれとなく顔を見たのだが、その表情からは特に何も読み取れなかった。
それにしても本当に運よくいい場所が空いていたものである。昼なので丁度昼休み時間なのかもしれないのだが、それにしてはちょっと人が少ないようにも思えた。昼休みで人が大勢来るピークのような時間が過ぎていたのかもしれないが、
実はもう昼休み時間は終わっていてたまたま授業が入っていなかったり授業があってもサボっていたりしてこの広場に来ている学生たちしかいないので空いているのかもしれない。
なにせここの学生ではないので昼休み時間が何時から何時までなどということは京一には知る由もないので正確なことはわからないのだが、自分が学生の時のことを思い出して考えてみると昼休み時間ならもっと混んでいてこんないい場所は空いていないだろうなと思ったのである。
そして、河田たちも加奈子に気を使って少し急ぎ足で追いついた。とりあえず五人は加奈子がキープした席に座った。大学内にはあちらこちらにベンチはあるのだがこの芝生の広場に特に集中しているようだった。おそらく学生たちは天気が良い日に休憩するときはとりあえずここに来るみたいな、そんな憩いの場所なのであろう。河田たちはさっそく加奈子の相談を聞く体勢に入った。
「話をする場所もキープできたことだし、さっそくもう本題に入るとしますかね?」
この件において立場的には一番脇役なはずの京一が待ちきれずに口火を切ってしまった。人助けに参加できることが楽しみでしょうがなくて待ちきれずに少し前のめりになってしまっているようだ。しかし助けを求めている立場上、加奈子のほうも三人に気を遣うことを忘れなかった。
「あ、でも・・・せっかくテーブル席が確保できたし飲み物とかもあったほうがいいですよね?お話を聞いていただく前に何か買ってきますね」
「ああ、おかまいなく。俺は来る途中で飲んでたものの残りが鞄の中にあるから」
「そうよ、別に私たちにそんな気を使わなくてもいいわよ」
「いいえ、気が利かなくてごめんね。すぐそこに自販機があるからすぐに買ってくるわ」
加奈子は広場の隅に設置されているジュースの自販機を指さすとそのまま皆の飲み物を買いに行こうとした。
「いいよ、加奈子。僕が買ってくるからさ」
東も客人たちのために自分が動こうという姿勢を見せたいようで、加奈子を制止して立ち上がった。
「いえ、それには及びませんよ。紅茶でよければすぐに入れられますので」
そう言うと河田はおもむろに自分のバッグからティーカップを取り出した。いつもの公園でも使っているあのティーセットを持参していたようである。
「うわぁ・・・やはり持ってきてたか・・・」
河田が大きめのキャリーバッグを持ってきていたので京一は「もしやあれは・・・」と思っていたのだがご名答であった。河田は人数分のティーカップやソーサーなどを次々とキャリーバッグの中から取り出してテーブルに並べ始めた。
「え、そういうのをわざわざ持ってきていただいてたんですか・・・?」
河田と初対面の加奈子は当然驚いていた。
「ちょっと、そんな物をこんなとこにまで持ってこないでよ、おじさん!もう恥ずかしいったらないわよほんとに・・・」
「あれ、それはいつものポットと違いますよね?」
「そうなんです。4~5人分のお湯が必要かと思いましたので、いつものものよりも大容量のポットを持って参りました。本当は電気ケトルなどでこの場でお湯を沸かすことができればよいのですが電源がありませんし、かといって大学キャンパス内も公園と同じく火気厳禁でしょうからまさかカセットコンロなどを持ち込んで使用するわけにもいきませんので仕方なく大きめのポットにしました」
「それはそうか・・・たまに禁止されている場所にコンロなんかを持ち込んで平気な顔してバーベキューなどをやっている連中がいたりしますけども、そういう輩とは違って河田さんはきっちりルールを順守する人ですもんね」
「当たり前でしょう!ていうか、なんでこの場でお湯を沸かす必要があるのか意味不明だわ、まったく・・・」
「お湯の温度は重要だろう・・・そんなこと常識だぞ」
「常識なんですか?」
「ええ、実は公園でお茶するときも毎回妥協してしまっているのですが、紅茶を入れるときのお湯の温度はヤカンなどで沸騰させた直後の100℃のものが適しています。それより温度が高くても低くても紅茶の香りの成分が上手く出せないのですよ」
「へぇ~、そうなんですか・・・やっぱり紅茶って奥が深いですね・・・」
「あなたもなに感心してるのよ!なんかもうおじさんと親しくなりすぎて感覚が麻痺しててこういうのが当たり前みたいになってるんじゃあないの?」
「あはは・・・な、なんか愉快な方々だね、菜緒子・・・」
「わけわからないふざけた人たちでごめんね・・・でもこの前だって人助けのほうはちゃんとやり遂げてくれたから、そこは大丈夫だと思うからね・・・」
河田と同類にされたというか二人まとめて「わけわからないふざけた人」ということにされてしまったのはやや心外であるのだが、前回の働きぶりはちゃんと認めてくれているみたいなので、そこはけっこう嬉しいというちょっと複雑な心境の京一であった。
そして、菜緒子に言われるまで全く意識していなかったのだが言われてみれば確かにどこか少し自分の感覚が麻痺しているような気がしてきた。河田が公園やこういう場所にまでティーセットを持ち込んで本格的な紅茶を入れるという行為に全く抵抗が無く、それどころかもはや本格的な紅茶を入れることは当たり前のこととして、その先のことに関心がいってしまっていたのだ。ポットの変化に気づいてそのことが気になったり紅茶を入れるときのお湯の温度について教わってそれに感心したりと細かい部分や深い内容のほうに興味をひかれてしまう自分がいた。
知らず知らずのうちに「河田ワールド」の飲み込まれているのだ。最近よく聞く表現でいうと「河田沼にはまって抜け出せない」状態にある京一なのであった。
「その話は前に聞いてるからね。大丈夫だよ、そこは菜緒子やお二人のことを信用させてもらってるよ」
「それならいいんだけど・・・なんか私の方がちょっと心配になってきたわよ・・・」
「大丈夫だと思うよ。河田さんが人助けをするときのモットーはとにかくベストを尽くすだけだとさっき聞かせてもらったし、事前に色々考えてからここに来られているようだからね。頼りにしていい人だと思うよ、河田さんは」
「そうあってほしいものね。なんか、異様におじさんへの信頼が厚いのね。最近知り合ったばかりで付き合いは短いでしょうに」
「確かにそうなんだけどさ、美里ちゃんを手助けしたときも最終的に河田さんがビシッと決めてくれたという実績もあることだし、河田さんがやるときはやってくれる人だということは俺よりも河田さんと付き合いの長い菜緒子ちゃんのほうがよくわかってるんじゃないの?」
「そりゃあ私の方がちょっと付き合いは長いですけどね、そこまでおじさんに全幅の信頼を寄せることは出来ないわよ・・・」
「さあ皆さん、紅茶が入りましたのでどうぞお召し上がりください!」
「あ、いつの間に・・・」
河田と京一が二人そろって菜緒子に非難されたりそれを京一がなんとかリカバーしようと頑張ったりしているうちに河田が紅茶を入れる作業は着々と進んでいたようである。
「うわぁ、すごくいい香りがしますね。なんか、喫茶店とかで出されてるような本格的でおいしい紅茶のような香りです」
「ほんとだね、市販のティーバックのものとは香りが全然違うもんね。何かよくわからないけどすごいね・・・」
河田に紅茶を振る舞われるのは始めてである加奈子と東であったが想像していたよりもはるかにクオリティの高いものが出されたために二人とも驚きを隠せなかった。
「お二人とも香りは気に入っていただけたようですね。あとは味のほうもお口に合うえばよろしいのですが・・・さあ、遠慮なさらずどうぞ」
「それではいただきます」
河田が紅茶を入れ始めたときはやや引いてしまって若干警戒すらしていた二人であったが実際に河田の紅茶を前にするとその色や香りに完全に惹かれてしまっていた。当然味のほうも気になるのでもう飲まないという選択肢はなかった。
「うわぁ、すごく美味しい。香りも最高だし砂糖を入れてないのに茶葉がもってる甘みみたいなものを感じるわ」
「ほんとにおいしいよね。加奈子は紅茶が好きだけど、たいていは砂糖入りのミルクティーを飲むもんね。何も入れないのにこんなに味わい深いなんてすごいよね」
二人とも河田に促されて勢いで砂糖もミルクも入れないストレートティーで飲んだのであるが、河田がこだわりにこだわって入れた紅茶の味の良さにとても驚いた。そしてたちまち気に入ってしまったのであった。
「良かった。お口に合いましたようで何よりです」
河田も満足そうに笑顔を浮かべている。
「砂糖も用意してありますし、レモンやミルクを入れるほうがお好みでしたらそちらも用意してありますので遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます。でもとても美味しいので今日はこのままいただきます」
「あ、僕も大丈夫です。ありがとうございます」
「まあ、二人がそんなに気に入ったのならいいけど・・・」
二人があまりにも河田の紅茶を絶賛するので周りの目が気になって文句を言っていた菜緒子も渋々引き下がるしかなかった。
京一もそうであったが公園やこういう場所で河田が入れた紅茶を初めて飲んだ人は、まさか店などではなくこんな野外でぱっと入れられた紅茶がこんなにも美味しいものなのかとそのクオリティの高さに驚き感動すらしてしまうのである。
「もしかして河田さんは喫茶店をされているとか、何か仕事で紅茶を入れることがあったりするとかでこんなに本格的な紅茶を入れることができるのですか?」
「確かに、これはプロの仕事といえるレベルだよね。道具とか食器もお店で使っていそうな専用のものって感じがするしね」
「あはは、とんでもない、私などは下手の横好きのレベルですよ」
「そんな、こんなに美味しいのに下手なはずはありませんよ」
「ありがとうございます、そう言っていただけると大変嬉しいです。まあ、好きが高じて茶葉や道具に関してはこだわってそれなりのものを揃えましたので、味が良いのはそのためだと思います」
「でも、お店でもここまで美味しい紅茶を出すところはあまりないと思います」
「きっとその辺のお店で使ってるものよりもいい茶葉なのでしょうね。その茶葉のもつ香りや味をしっかり引き出す技術もあってこんなに美味しいのだと思います」
「いやぁ、そんなに褒めていただいたら照れてしまいますよ」
もう二人とも完全に河田の入れる紅茶の虜になっている。意外とこのカップルも河田沼にはまってしまうのは時間の問題かもしれない。
「じゃあ、紅茶も堪能したことだし、そろそろ本題に入りましょうか」
皆で紅茶を飲んで一息ついたところで菜緒子が本来の目的であった加奈子を助ける話題のほうに話をもっていった。
「簡単にいうと同じこの大学の学生である変な男につきまとわれているとかいうストーカー的な事案にお困りだということでしたかね?」
菜緒子から事前に聞かされていた情報をもとに河田が単刀直入に尋ねた。
「はい、その通りです。ただ、ストーカーといっても自宅の前で立っているとか、やたらに電話をしてきたりメールとかSNSのメッセージを送ってきたりとか、そういうのはありません。そもそも番号とかアドレスとかそういうものは一切交換してませんから今のところはそういった感じの被害はないんです。私の自宅も知らないと思います」
「なるほど、もともとある程度近しい間柄で連絡先を交換していたような人がストーカー化したパターンではないということですね」
「はい、基本的にはこの大学内にいるときに私のことを見つけて寄ってきてしつこく話しかけてくるみたいなことをしてきます」
「それもかなり馴れ馴れしい感じでね・・・」
正彦がいかにも苦々しいという感じの表情をして付け加えた。
「いつもどこからともなくやってきていかにも私と親しい間柄であるみたいに周りに見せつけるような感じで絡んでくるんです。私が友達とか正彦くんとかと一緒にいるときにあえて近づいてきて私とは特別な関係だと匂わせたがってるみたいな、変な絡み方をしてくるのでほんとに気持ち悪いです・・・」
「なるほど・・・そういうタイプのストーカーでしたか」
「典型的なウザ絡みね。ていうか、もうウザ絡みの域を軽く超えてるわ。ただただ迷惑でしかないわね」
話を聞いているうちに菜緒子も我が事のように一緒になって怒っていた。
「まあ、確かにあれだよね・・・親しい友達同士でふざけて変な絡み方をするときでもウザ絡みしてくるみたいに言ったりするよね?そういう意味では完全にウザ絡みを超えたハラスメント的な行為になるかな・・・」
京一もギリギリ二十代なので多少は若者の事情もそれこそギリギリのレベルでは把握できている。なんとか若者の会話に置いていかれないように食らいついていこうと必死になっていた。
「まともには相手にしないようにしてるんですが、まったくそういう空気を読もうとかはせずお構いなしにしつこく遊びに行こうとか誘ってきたりしてほんとに困ってます・・・」
「ほんとに腹が立つよな・・・ハザマのやつは最低なストーカー野郎だよまったく!」
「ハザマ?ストーカーみたいな奴の名前かな?」
「はい。間伸男という名前で加奈子や僕より一つ学年が上の二回生らしいのですが、学年だけでなく学部も違うらしいんです。だからそもそもは僕らと全く接点がない学生で赤の他人なのにいつからか急に加奈子につきまといだして迷惑をかけてくるようになったんです」
「もはやハザマハラスメント、ハザハラと言っていいわね・・・」
菜緒子が例のわりと独特なワードセンスを炸裂させた。
「そもそもどういったきっかけで赤の他人からストーカーへと変わったのだい?」
「私の友達の女の子から紹介されたんですけど、その子とそのハザマとはただの知り合いみたいな風に言ってました」
「その子がハザマから自分のことを加奈子さんに紹介してくれと頼まれたのかな?」
「そういうわけではないと思います。その子とハザマが一緒に歩いているときにたまたま私と会って、そこで流れで紹介される感じになっただけです。だから紹介されたといってもその場限りのことみたいな感じに思ってたんですけど・・・」
「あとはもうさっき加奈子が言ってた通りです。彼氏である僕と加奈子が一緒にいるときでも空気を読まずにしつこく話しかけてくるんですよ・・・」
「まあ同じ大学の学生だからお互いキャンパスを歩いているときに見かけたり出くわしたりはすることはよくあるだろう。それでハザマのほうに見つけられたら必ず寄って来られることになるわけだね」
「そうです。私のほうが見かけたときは当然こちらが見つからないように死角に隠れたりして逃げるようにはしています。だから、学校内ではできるだけ早く存在を察知できるようにレーダーを張り巡らせながら行動しないといけなくて、神経が疲れてしまいます」
「ほんとにね、なんであんな奴のために加奈子がそんな苦労をしなけりゃいけないんだよまったく・・・」
「そうかぁ・・・まあしかし、とりあえずは学校内限定のストーカー行為をしてくる学生という感じなんだね?」
学校内限定のストーカーならば想像していたほど本格的で厄介なストーカーではないかもしれないと思った京一が確認した。
「そうですね・・・下校時に大学前で遭遇してしまったときに隣を歩きながらずっと話しかけてきて、そのまま私の帰り道について来そうになったことがあったんですけど、その時は途中で隙をついて逃げ出して完全にまいて帰りましたから私の大学以外での行動までは把握されてないとは思います」
上手く逃げ切ったという点では菜緒子の言っていたように割としっかりとした子なのかもしれないが、しっかりしているというのはそもそも変に親し気に話しかけてきたりしないようにはっきりとNOを突きつけて、相手につけ入る隙を与えないように振る舞うことが出来る人間のことをいうのであろうから、その点ではまだ不十分なのであろう。おそらく菜緒子などは毅然とした態度で拒否できるタイプの子なのであろう。
無論、菜緒子の場合ルックス的に「高嶺の花」のような簡単に近寄りがたい感じがあり、そもそもハザマのような輩が気軽に近寄りづらいオーラを放っているということもあるのだろうから、菜緒子よりは幾分親しみを持たれやすそうなルックスの加奈子のほうがむしろ自分に近寄って来るありがたくない男への対応に苦労するのやもしれない。
圧倒的な美貌を誇る菜緒子ほどではないだけで加奈子もたいていの人が可愛いというであろうレベルのルックスではあるので、男にちょっかいをかけられる頻度は菜緒子よりも多い可能性は高い。そうであるならなおさらそういう近寄ってくる男をあしらったり毅然と拒否したりするための技術は高めておく必要があるのかもしれない。
「相手のほうは隙あらば大学の外でもストーカー行為をしようと思っているようですね。常にその機会を狙っているかもしれませんから下校時などはついて来られないようよりいっそうの注意が必要というわけですね」
「そうなんです。大学の外でまで馴れ馴れしく話しかけられたりしつこく誘われたりするようになったらもう耐えられません・・・」
「しかしそいつも随分と神経が図太いというか、厚かましいやつなんだね。そいつと出会う前から君らは付き合っていたわけだろ?ちゃんと彼氏がいる子にそこまでしつこくつきまとうもんかねぇ・・・それも同じ学校だから学校内でも二人がよく一緒にいるところを見ているのだろうに」
「そこがあのハザマの異常性がよく出ているところなんです。ハザマのストーカーが始まってからは出来るだけ加奈子を一人にしないように僕か加奈子の友達が常に加奈子のそばについてガードしてるんですが、それでもそばについている人間を無視して加奈子だけに馴れ馴れしく話しかけてきますからねアイツは・・・」
「それはなかなかの迷惑行為だね。加奈子さんが嫌がっていることは気づいているのだろうにね・・・それとも、もしかしたら異様に自信過剰で自分が好かれてると勘違いしているのかな?」
京一が学生だったときも自分の周りにいる人間で空気を読めないというか他人に嫌がられる行動をするやつはいた。そしてそれは学生だからとか若者だからとかいうことでもなくて今の職場にもやはりそういう感じの人間は存在する。その人は京一より年上の中年であり別に若くはないのでそういう迷惑な人間は特に若者に多いとかいう偏見もない。
ただ、「迷惑な人間」といっても程度問題であって二人の話を聞く限りハザマはあまり見られないくらいの相当なレベルの厄介者のようである。京一としてはそこまで相手の気持ちや周りの目を全く気にしないで自分のやりたいようにやるような自分勝手で無法者のような奴には出会ったことはないので、そのハザマという学生の心理というか思考回路がまったくといっていいほど理解不能なのであった。
「さすがに私に好かれているとは思っていないと信じたいのですが、彼が自分に自信があるのかどうかまではわかりませんし、わかりたくもないというかあの人について考えるのも嫌なくらい気持ち悪いんです・・・」
相当な言われようであるが、加奈子のほうは確実にハザマのことを嫌っていることがよくわかる。そしてその嫌いな相手につきまとわれて本当に困っていることもよく伝わってくるのでそういう意味では重要な証言とも言える。
「そうなのかぁ・・・まあ菜緒子ちゃんから聞いた感じだと小柄らしいしルックスもスタイルも良くなさそうなイメージだったからね。少なくとも中身は悪いが見た目はイケメンなので自分に自信があるタイプの奴とかではないのだろうね。あるとするなら根拠のない自信とかなのかな・・・」
「他人の容姿をどうこう言うのは良くないと思いますからあまり言いたくはないのですが、あいつに関しては言ってやっても構わないと思います。はっきり言ってルックスはかなり良くないほうの部類に入ると思いますよ」
この東正彦という男は自分のルックスには多少自信があるのかわからないが、少なくとも容姿というものにコンプレックスやなにかしら強いこだわりのようなものはないようである。異性からそこそこモテそうな容姿ではあるし実際に加奈子という彼女もいるのでそういう点では心にある程度余裕がありそうではある。
だからあえて他人の容姿に関してあれこれ言うことはしたくないというのは本音なのであろう。しかしそれでもハザマのルックスは良くないとはっきり断言してしまうのであるから、ハザマという男にかなり憤っていて相当に嫌悪しているらしいことはよくわる。
ハザマのルックスに関してはどうやらある程度想像していた通りの感じのようである。
見た目がよろしくないというだけの理由で二人にここまで嫌悪されているのであれば少々同情の余地もあるのだが、当然ルックスだけが理由ではなくてむしろ態度や言動のほうに嫌われる理由があるように思われる。
ルックスが良くない人でも多くの人に好かれる人気者もいるし、ルックスが良い人に負けないくらい異性にモテる人だって存在するわけである。ハザマが嫌われるのは見た目ではなくあくまで中身の問題のようなので要するに本人の行いや心がけが悪いのがいけないのであって加奈子や正彦は完全に被害者といって良さそうである。
菜緒子はハザマのことを「悪そうな人」と言っていたがそれどころではなく「かなり悪い人」のように思えてきた。だが、京一にはまだハザマに関して謎や疑問があった。見た目があまりよろしくなくてそれ以上に中身はしつこく迷惑行為を続けるなどしていてもっとよろしくないわけであるが、そんな他人に好かれる要素が微塵もない人間がどういった勝算があって加奈子のことを誘ったり口説こうとしたりしているのか皆目見当がつかない。
ただの女好きと言ってしまえばそれまでなのであろうが、ハザマという男をそこまで突き動かす原動力はいったい何なんだろうかと考えてしまうのである。
「やっぱり根拠のない自信が過剰にある奴でなおかつ空気が読めないというだけなのだろうか・・・」
「ほんとに迷惑でうっとうしい奴ですよアイツは・・・」
「しかし、こうしてこの場所でお茶をしたり話をしていたりする最中も気が休まりませんよね。先ほどからたまに加奈子さんの視線があちらこちらに動いているときがありますが、そのハザマという男が近くにいないか気になっているご様子ですね」
河田は会話中も加奈子がきょろきょろと周りを見回していることに気づいていた。おそらく先ほど言っていたようにハザマの存在をできるだけ察知できるように監視の目を光らせているのであろう。しかし、ハザマについて考えるのも嫌なくらい気持ち悪いのに近くにいないかということを常に意識しなければならないのであるから皮肉なものというか、本人にとっては地獄のような苦しみかもしれない。
「はい、お話を聞いていただいてる最中なのにほんとにすいません。大学にいる間はずっと警戒しています。もちろん今こうしている間もずっとです。もう習慣になってしまって常に警戒を緩めないようにすることが体に染み付いてしまっているんです・・・」
まるで小動物が天敵から身を守るための本能で常に警戒しながら行動しているかのようである。こんなことでは花の女子大生になったばかりで楽しいはずの学園生活が台無しである。河田たち三人は何とかして加奈子をこの苦しみから救ってあげなければとあらためて思うのであった。
「あ、噂をすれば現れたわ・・・」
そう言う加奈子の目線の先を追って他の全員がハザマのことを探すかたちになってしまった。ハザマは五人のいる場所から数十メートルほど離れた場所に一人ポツンと立っていた。
「あ、なんか向こうもこっちのこと見てるような・・・」
全員がハザマの姿を確認したその時にこのテーブルにいる誰か、もしくは全員と目が合ってしまったようである。
「うわっ、こっちに来るわ・・・・・・」
ついに現れたそのハザマという男はニヤニヤしながらゆっくりとこちらのほうに近づいてきた。
「結構離れた場所にいたのに目ざとくこちらのことを見つけたものですね」
「本当にあいつは蛇みたいに執念深くてしつこいやつだな・・・常に加奈子のことを探し回ってるんだよきっと」
だが、よく考えればこんな場所で本格的なティーセットを使ってティータイムを楽しんでいたら嫌でも目立ってしまうというものである。実は周りにいる生徒達からもちらちらと好奇の眼差しで見られていた感じはあったので、おそらく普段から加奈子の姿を探してキャンパスを見回しながら歩いているであろうハザマの視野に入ってしまうのも割と当たり前のことであったのかもしれなかった。
間伸男というその男の見た目は確かに間違ってもイケメンなどではなかった。正彦の言うように持って生まれたルックスをどうこう言うのは良くないのかもしれないが、どう見ても異性からモテそうな感じではなかった。背丈は菜緒子や加奈子と変わらないくらいなので男性としては高くはない。体つきもややふっくらしている。スポーツなどをしている人で背は低くてスリムではなくやや太めだが筋肉質で肩幅も広くガッシリしているタイプの人はたまにいるのだが、ハザマはそういう感じではなくややだらしない感じの太め体型である。
顔は正彦が言った通り整ってはいないが異様に崩れた感じでもなくて特別醜いということはない。そういう意味では物凄く特徴的な顔というわけではない。ただ目つきだけはとてもギラギラした感じである。肯定的な表現をすれば目に力があるということにもなるのだが眉毛は薄いので凛々しいという印象でもなくどちらかといえばいやらしさを感じてしまうタイプのギラギラである。
ヘアースタイルはパーマかもしくは相当なくせ毛でけっこうボリュームがある感じである。それをヘアバンドで固定しているのだがそのヘアバンドも含めてヒップホップ系のファッションを意識しているのであろうか、いかにもそういう人たちが付けているようなネックレスやブレスレットなどのアクセサリーを装着している。ただそれらの装飾品はデザインもぱっとしないしあまり趣味が良くない感じに見える。
そしてハザマ本人にいまいち似合ってもいない。顔やファッションなどを総合的に見てもそこまで独特というわけでもないが、流行から外れているのかそもそも流行など無視しているようなレベルのいで立ちであるので今風といっていいのかちょっと微妙でありどちらかといえば風変りな感じの学生であった。
「ああ、確かにあの男につきまとわれたり言い寄られたりするのは女の子としては正直いって嫌だろうなあ・・・」
「私も人を見た目だけでどうこう言うのは良くないとは思いますが、加奈子さんに好かれたいと思っているにしてはあの服装やたたずまいはいかがなものかと思いますね。好かれるように自分をアピールしたいにならせめて服装くらいはもう少し小ぎれいで上品なものを選ぶべきなのではないかと思います」
「はい・・・私、正直あのファッションは好きではないですし、あの人と一緒にいるところを他の学生見られるのも嫌なくらいなんです・・・」
「そうだよね、加奈子とあいつが並んでも釣り合わないしぜんぜん似合わないよ。ていうか、あんな見た目も中身も下品な奴は本来なら加奈子と接点を持ったり知り合いになれたりするようなレベルの男じゃないんだからね・・・」
正彦はハザマのルックスについてはかなり手厳しいコメントをしてくる。まあ確かにそのハザマという男のルックスはブ男と言っては気の毒なのだが間違ってもイケメンや美男子などではなくて誰からも好かれるルックスには程遠かった。
歩き方もポッケに手を突っ込んで足を開いて歩くのであまり上品ではない。いかにもちょっと悪い感じに見せようとしているような歩き方である。本人的にはそこいらにいる悪そうな奴はだいたい友達で地元では負け知らずな男をきどっているのかもしれない。
「ふむ、あの男、間違いなくこちらにまっすぐ向かって来ているようですね」
「しかし、見た感じそこまで危なそうな奴にも見えないですね・・・菜緒子ちゃんの言ってた通り悪い人ではなくてあくまで悪そうな人というレベルの学生という感じでしょうかね」
間違いなくストーカー事案ではあるのだが、実状としてはちょっと悪そうなやんちゃな感じの同級生につきまとわれてからまれているといったところなのであろう。やはり事前に想像していたほど本格的で厄介なストーカーではなさそうだと少し安心した京一であった。
とはいえ、それでも加奈子本人は相当に不快感を覚えて苦痛に感じているのであるから放っておくわけにはいかない。人助けが趣味の河田の出番であることは間違いないようである。
「そうですね、しかしどのような人物であれとりあえずは相手の出方を見るしかなさそうです」
そしてハザマはこちらが自分についてあれこれと言っていることを知ってか知らずかニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながらもうすぐそこまで近づいてきていた。
ハザマは当たり前のように五人のいるテーブルまでやってきて他の人間には目もくれず加奈子だけに話しかけてきた。
「よう、加奈っぺ!どうしたんだい?こんなとこで優雅にお茶なんかしちゃってさ」
やはりこんな大学のキャンパスで本格的なティータイムを楽しむという行為は相当に目立ってしまっていたようである。
「ああ、どうも・・・・・・」
「こんなところでお茶するくらいなら俺とシャレオツなカフェにお茶をしばきに行こーぜぇ!」
「・・・・・・」
ハザマはギャグのつもりなのかおかしな表現で加奈子をお茶に誘ってきた。本人は面白いと思って言っているようであるが、まったくもって誰にもウケていない。そもそも加奈子はハザマにお茶に誘われること自体を不快に感じているのでこのような誘い方をしたら余計に引いてしまうのは当然である。親しい友人を誘うならどのような誘い方をしてもある程度は対応してもらえるであろうが、加奈子とはそういう関係性にないことが理解できていないのであろう。
「・・・・・・」
加奈子も他の四人も凍り付いてしまっていた。しかしそれでもお構いなしにハザマは加奈子に話しかけ続けた。
「なんだよ加奈っぺ、ノリ悪いじゃ~ん!いつも笑顔を振りまいている加奈っぺらしくないじゃんかよぉ~」
「ああ、あはは・・・」
仕方なく愛想笑いを返してしまった。彼女の人のよさが出てしまったのであろうが、こういう相手には対しては徹底して冷ややかな対応を取らなければならないであろう。
「もっと笑ってくれよぉ、加奈っぺには笑顔が似合うと思うんだぜぇい!」
「いや、そんな・・・」
加奈子は対応に困り果ててまともに言葉を返せないでいたが、構わずにどうでもいいことをどんどん話しかけてきた。はっきりと拒絶反応を示さなければ遠慮なく土足で踏み込んでくるようなタイプの男のようである。やはりこういう男には菜緒子のように完全につけ入る隙を与えないような対応をする必要があるのだ。
そして河田と京一は完全にあきれ果てていた。大学生たちよりはだいぶ年上である二人からしてみたら、最近の若者はこういう感じなのかとジェネレーションギャップを感じずにはいられないのだ。
二人が学生の頃でも知り合いが数人でお茶をしている時になんの遠慮もせずにズカズカと入っていくなどということはその知り合いによほどの用事でもない限りやらなかったし、どうしてもその輪に入っていく必要があればまずはその場にいる全員に対して挨拶をするのは当然である。その上で知り合いが自分のことを皆に紹介するかどうかを待ってその知り合いが紹介するのをためらう感じであれば知り合いに用件だけを告げてお邪魔しましたと早々に立ち去るのがその知り合いに対してもその場にいる人たちに対しても当然の礼儀であろう。
とにかくハザマという男が空気を読めない人間であることだけは河田たちにも完全に理解できた。加奈子が嫌っている理由は見た目がよろしくないということもあるのだろうが、やはりこのハザマという男の人間性にかなり問題があることのほうが大きいようである。
「こんな場所ではあるが、紅茶の味には皆さん満足されていてね。よってここからどこかの店に場所を移す必要がないのだよ・・・」
河田がたまりかねてハザマに語りかけた。加奈子にはその気がないどころか嫌がっているので誘っても無駄であるからやめろということをやや遠回しに告げてやんわりと釘を刺していることくらいは普通の大学生であれば理解できるであろう。たとえ河田たちの世代の常識があまり通じなくなっている最近の若者であってもこのテーブルにいる全員の表情と合わせて考えればまったく誰も歓迎していないしむしろ早々に立ち去って欲しいのだという空気は伝わるはずである。
しかしハザマは河田たちを一瞥しただけで気にせず加奈子に向かって話しかけてきた。
「なあ加奈っぺってば、俺とお茶した方が絶対楽しいし、俺は絶対加奈っぺのこと楽しませてやるからさぁ~。行こーぜぇ!」
「いや、それは無理なので・・・・・・」
「君、私たちは今とても大切な話をしている最中なのだよ!その話を中断させられては加奈子さんも困ってしまうだろ!」
河田がさきほどよりも語気を強めてハザマに注意した。普段は温厚な河田がここまで怒りの感情を前面に出すのも珍しいのでこれはよほどのことだなと京一は思った。
「そうなの加奈っぺ?」
「そうなんです。大切なお話です」
「まあ、そういうことだから席をはずしてくれよ。これじゃあ一向に大切な話の続きが出来ないからな」
ここは大人が強めにはっきりと立ち去るように告げなければどうしようもないかと思って京一も河田に続いて諭すようにハザマにNOを突きつけた。
「え~・・・なんだよ加奈っぺ~、今日はノリが悪いんでないの?」
「・・・そういう問題じゃないんです・・・・・・」
河田や京一が話しかけているにもかかわらず、ハザマは二人を無視してあくまでも加奈子一人に対してだけ話しかけ続けた。
「なあ、加奈っぺ、俺ここにいたらダメなのかな?これってなんかあんまり歓迎されてないカンジ?」
「・・・・・・・・・」
もはや加奈子も一切返事をしなかったのであるが、ハザマはまだニヤニヤしていた。
「・・・・・・・・・」
「しゃあねえなぁ・・・じゃあな、加奈っぺ。また邪魔のいないときに来るわ!」
しかし、河田や京一も彼に冷たい視線を浴びせ続けていたということもあったので、さすがに多勢に無勢であると感じたのであろう、全く空気を読まない迷惑な学生としか言いようのない間伸男であったが、仕方ないという感じで引き下がってその場から去っていった。
「ふん・・・大切な話というのは君のストーカー問題に関することだったのだがね・・・」
「何なんだろうね、あれ・・・空気を読めないというか、無駄に変な自信がある感じだよね・・・」
「はい、もう本当に困るんです・・・」
「そうよねぇ・・・ああいう男は本当に嫌でしょうがないわ・・・」
黙って河田や京一の後ろに隠れて気配を消していた菜緒子であったが、問題の間伸男が去ったのを確認して加奈子のそばまでやって来ると久しぶりに口を開いた。
「ああ、菜緒子ちゃん。なんかいつの間にか姿を消していたね」
「ちょっと関わり合いになるのが嫌すぎたから」
「まあ、それが正解だったろうな。あの男、常識が通じるような相手ではないようだ。ああいう手合いとは関わらないようにすることが一番の得策だろうからな・・・」
「そういうこと。加奈子には申し訳ないけど面と向かって文句を言うのは無理だったわ」
どうやら直接話すなどしてハザマに関わることは避けたかったようだ。もしハザマと直接会話するなどして接してしまうと菜緒子に興味を持ってしまう可能性があるからなのだろう。そして、そうなればもしかしたら加奈子から乗り換えて今度は菜緒子をターゲットにしてくるかもしれない。そんなことになるのは避けたかったらしくてハザマに対して言ってやりたいことはあったが我慢して河田や京一の陰に隠れて黙っていたようである。
二人の後ろに隠れているときもみんなのいるテーブルからはやや離れて、顔を見られないように明後日の方向を向いて加奈子たちのグループとは関係のない人間を装ってやりすごしていたらしい。幸いハザマのほうも加奈子に話しかけるのに夢中であったためかどうやら菜緒子の存在には気づいていなかったようである。
そこまで徹底してハザマとの接触を避けて自己防衛をしようとするのは普通であればいささか自意識過剰ではないかという感じになりそうなものであるが、菜緒子の場合は彼女がそこまでしても相手があの間伸男であれば、周りの人間もまあ納得せざるを得ないという空気になってしまう。決して自意識過剰などではなくて、そのくらい菜緒子のルックスは誰が見ても飛びぬけて良いわけであり、そこいらのちょっと可愛い子とはレベルが違うので仕方ないのである。
北川菜緒子とはそのようになかなかお目にかかれないレベルの美少女であり、ハザマでなくともたいていの男は彼女を見ると何らかの興味を持ってしまうので、普段からそういうものへの対策にはちょっと苦労しているくらいなのであろう。
そして、ハザマのほうもなかなかに面倒くさい男であって普通の男と比べるとターゲットに決めた女性に対してかなり執着するタイプであるので、菜緒子でなくても自分のルックスに多少なりとも自信がある女性ならハザマのような男に対しては警戒してできるだけ関わらないようにするのであろう。
実際、自分が気に入った西野加奈子に対して少し異常とも思われる執着を見せ続けてきた結果が今回の人助けの依頼へと繋がったわけであるので、ハザマの近くにいる女性が警戒するというのも別に大袈裟な話ではないし、普通よりもかなりルックスが良い菜緒子であればなおさらといったところであろう。
菜緒子は生まれた時からまわりから可愛い可愛いともてはやされてきた。まあ、赤ん坊の頃や幼少期は誰しもまわりの大人から可愛いお子さんだとは言われるのであろうが、菜緒子の場合それがずっと続くのだ。歳を重ねて小学生、中学生、高校生と成長しても同じように可愛いともてはやされた。まわりの大人だけでなく友達や同級生も彼女のことを可愛いという。
男女どちらからも可愛いと言われてきた。誰が見ても文句なく可愛いと思ってしまうようなルックスであり万人からウケるタイプの美人なのである。そういう意味では誰からも好かれるルックスとは程遠いのに自信過剰なハザマとは対極に位置する存在ともいえるであろう。
そうやって可愛く生まれ育った菜緒子なのでハザマのような厄介な男と関わってはいけないと素早く判断できるのだ。他の女性よりも危機を察知する能力が発達しているというわけであって自意識過剰とかいうのとは少々違うのである。
「そんな、申し訳ないなんて思わないで。もし菜緒子まで巻き込んであんな嫌な思いをさせてしまうことになったらその方がこちらこそ本当に申し訳ないもの・・・」
「私は無理だったけどその分は一応おじさんと南野さんがちょっと言ってくれたからね。でも、ぜんぜん気にしてなかった感じね・・・本当に空気を読まないし図々しい男だわね」
「そうだよなぁ・・・普通はあそこまで露骨に嫌がられたら多少は空気を読んで少しで嫌われないように振る舞うようにしようとか、何らかそういう感じの努力はしそうなもんだけどね」
「まあ、私とはかなり歳が離れていて世代が違うので常識というものへの感覚がだいぶ違っているのだろうが、それにしてもどういう思考回路をしているのか理解不能だ。世代間のギャップもさることながらあの男は特別に非常識なのだろうね・・・」
「そうですよねぇ・・・僕も河田さんと同じくちょっと理解できません。河田さんの言う通り今の若者の常識からもだいぶ外れたところで生きているのではないかと思いますけどね」
「そうよ、あんなのと一緒にしないでよね。あんなのも含めて一くくりにして今の若者とか言われたら迷惑だわ」
菜緒子が言う通りハザマのような特殊な若者を見て「最近の若者はなっていない」などと言われてしまっては普通の若者たちからしたら心外であろう。そして、おそらく中年や年配者の中にも空気を読まないで他人に迷惑をかける人間は一定数存在するであろうから、若者がそういう人を見て「老悪」などと口汚く罵っていたら同じ世代の人たちは似たような感想を持つ可能性が高い。
ああいう人間は老いたからああなったのではなくて若いころから無神経で他人に迷惑をかけていたであろうから老いたこととは関係ない。よって、老いたら害悪になるみたいな言い方をされるのは心外だと気分を害することであろう。
「しかし、なんというか、何をやっても大丈夫だとでも思っていそうな振る舞いに見えたねあいつは・・・」
「そうですね。妙に親し気に加奈子さんのことを加奈っぺなどとあだ名で呼んでいましたが、彼が考えたあだ名なのでしょうか?」
「ああ、元々は私の友達が私のことをそう呼んでいたんですけど、それを真似しているようですね。さっき言った通りその子とハザマが知り合いだったので紹介されたんですけど、初めて会ったのとはまた別の日にその子と私が二人で話しているときに彼が近寄ってきて話に入ってきて、その時に加奈っぺというあだ名を知って気にいったらしくて・・・全然親しくもないし親しくなりたくもないのにその日からすぐに私のことを加奈っぺと呼んでくるようになったんです」
「うわぁ、気持ち悪い・・・あんな奴の前ではうかつにあだ名で呼び合うこともできないね」
菜緒子が顔をしかめて心の底から本当に気持ち悪いといった感じで言った。
「さっきの話だと同じ大学だけどそもそもは何の接点もなくてお互い全く知らなかったということだけど、初めて会った日にハザマが加奈子さんに一目惚れしてつきまとうようになったという流れでよいのかな?」
「たぶんそういうことだと思います。その日よりずっと前から私のことを知っていて、私に気づかれないように隠れてひそかに見ていた可能性もありますけど、あの人はそういうタイプのストーカーではなくて積極的に近づいてきて絡んでくるタイプですから・・・」
「確かに、静かに遠くから見ているとかではなくて嫌がられていようが気持ち悪がられていようがそんなことはお構いなしでとにかく接触することに喜びを感じるタイプのストーカーのようだからね」
「はい、そうなんです。どっちのタイプのストーカーも嫌ですけど、あの時紹介されたのがきっかけでつきまとわれだしたというので間違いないと思います」
「そう、それなんだけどさ・・・もともとは加奈子の友達の知り合いでその友達から紹介されたって言ってたけど、その友達はハザマのことを嫌ってはいないの?」
「う~ん・・・よくわからないんだけど、私みたいに嫌がっている感じではないように見えるけどなぁ・・・?」
「嫌がってはいないのか・・・じゃあ、仲がいい感じなの?」
「特別仲が良いわけではないと思います。以前聞いたんですけど、ハザマとは本当にただの知り合いなのでそれほど親しくもないみたいな風に言ってましたので」
「そうかぁ・・・じゃあ少なくともその子はハザマからストーカー被害を受けてはいないようだね」
「まあ、普通に一緒に歩いてたとか言ってたし、ハザマから付け狙う対象として見られてるわけではなさそうよね・・・」
「もともとはその友達が狙われていたけど加奈子さんを紹介したことで対象が移ってしまったんじゃないのかなんてことを一瞬考えてしまったんだけど、それは違うみたいだね」
「その友達からハザマを押し付けられた可能性ですね。私も同じことを考えましたが違うようですね・・・まあ、あの男とて若い女性なら誰かれ構わずつきまとうようなことはしないということでしょう。その子とハザマがどういった知り合いかは知りませんが、自分に害を及ぼす存在でなければ別に嫌悪の対象にもなりはしないくらいのことなのでしょうね」
「まあその子は加奈子とは友達だから押し付けるとかはないんでしょうけど、結果だけ見たらその子がハザマを紹介しなければこんなことにはなっていなかったみたいなところはあるわねぇ・・・」
「確かにそうなんだけど、別にその子を恨むとかはないのよ・・・その子ハザマが一緒にいるところに運悪く鉢合わせただけだから仕方ないのよ。その時もハザマのほうからこの子は誰?みたいに聞いてたから、そうなったらその子も流れとして私のことを紹介しないわけにもいかないから・・・」
「まあ・・・そうよねぇ。それならそうなっちゃうわよね・・・」
「ハザマのあの異常なまでの粘着的なストーカー気質はその友達も知らない奴の隠された
一面だったってことだな・・・その子もこんなことになるとは予想できなかったんだろう」
「その友達のほうからハザマにストーカーをやめるように言ってもらったりはしてないの?厄介な人を紹介されちゃったんだからそのくらいはしてもらってもいいと思うわ」
「もちろん、それとなくあの人にそう言ってくれないかとは頼んだのよ。それでその子もすぐに言ってくれたらしいわ。でも、何も変わらなかったの・・・逆ギレとか逆恨みとかをされないように出来るだけ相手を刺激しないように言ってほしいって付け加えたからかもしれないけど、その子もそんなに強く言えなかったみたいで結局それからも何も変わらなくてずっとさっきみたいな気持ち悪い絡み方をずっと続けてくるのよ・・・」
「そうなんだね・・・その子が言っても止められないってことならもうその子にはそれ以上何も出来ることはないのだろうし、ハザマを紹介したことを責めたって仕方ないよな」
「そうなんです。あの人のせいで友達や色んな人との人間関係がおかしくなることは避けたいので、その子にもそれ以上は何も言ってません・・・」
「そうよね、あんな感じで散々迷惑をかけられてるのに、その上あんな奴に人間関係まで荒らされたらたまらないわよね!」
菜緒子がまた我がことのように憤っている。彼女が友達思いで情に厚い性格であることは村岡美里を助けた前回の人助けの時にわかっていたが、正義感も強いのだなと京一は思った。河田が菜緒子の持ち込んだ人助けの依頼に真剣に取り組むのはおそらくこういう彼女の人柄を気に入っているからというところもあるのだろうと思った。かくいう京一自身もそんな菜緒子だから力になりたいと思っているのだ。
ルックスが良いだけでなくそういう真っ直ぐな感じの性格も菜緒子の魅力といえるのだろう。もちろん、先にルックスの良さありきで中身も良いからより魅力的であるという鬼に金棒的な見方もできるのだが、美人なのに性格が悪いよりは全然良いのでそれは別にどちらでも構わないであろう。
「何にせよ、その加奈子さんの友達とハザマとは特に親しい関係でないことはわかりました。それならばその友達の女の子に気を遣う必要はないということでもあるので、遠慮はいらないということです。であるならば、あの男には徹底的に厳しく対応するのが一番であると思います」
「そうですよね、誰がどう考えても悪いのはあいつ一人であって他はみんな被害者なんですから、厳しくやるしかないですよ!」
「やっぱり・・・一度はっきり言わないといけないのでしょうね・・・」
出来るだけ相手を刺激しないように穏便に事を収めたいと考えていた加奈子であったが、もう覚悟を決めて本気でハザマにストーカー的な行為をやめるように抗議することを決意したようである。
「しかし、それにしても・・・東くんといったかね?君は加奈子さんの彼氏なのだろ?」
「は、はい。そうです、交際させてもらっています・・・」
「彼女である加奈子さんがこんなにも困っているのに、君ときたらまったく彼女を助けることが出来ていないではないかね!」
「あ、いや・・・はい・・・」
「たった今、目の前で加奈子さんがハザマに迷惑行為を受けていたわけだが彼氏ならば真っ先に止めさせようと動くのが普通であるのに、君はそうはしなかった。それどころか私や南野さんがハザマに注意していてもずっと黙っていたではないか。そしてハザマを追っ払って今後のことをどうするかという話になっているわけだが、君は先ほどから何も言わないで皆の話を聞いているだけではないかね。君はこのハザマの問題についてどう考えているのだい・・・?」
河田の攻撃の矛先がハザマから正彦に変わったのだが、京一も菜緒子も河田と全く同意見であったので、二人は「さすがだ。よくぞ言ってくれた」と思って正彦がどんな反応をするか注視した。
「はい、すいません・・・・・・お二人がハザマに注意をされていた時は自分も入っていくべきだとは思いましたが、入るタイミングを見失ってしまいました・・・」
「あ、正彦くんは普段ならちょっと様子を見てから止めに入ってくれるんですけど、今日はお二人が注意して下さったおかげで相手が割とすぐに退散したのでちょっとタイミングを逃す感じになってしまいました。私が大学内でもめ事を起こしたりして事を荒立てるのは嫌だと常々言っていたので、正彦くんはそういう私の気持ちを汲んでくれていつもギリギリまで様子を見て出来るだけ相手を刺激しないよう言葉を選んで注意してくれるんですけど・・・・・・」
「そうですね・・・加奈子が穏便に済ませることを望んでいるので、僕が口出しするのがどうしても遅めのタイミングになってしまいがちでして・・・」
正彦が河田から一方的に追及を受ける感じになっていたのでたまらず加奈子がフォローに入ったのだが、河田や京一とてしばらく様子を伺った上でたまりかねて口を出したくらいであったので、あの時点ですでにタイミングとしてはけっこう遅いわけである。あれ以上口を出すのを我慢するなどというのは河田たちの感覚ではちょっとありえなかった。では、いったいどこまで様子を見るつもりだったのだと三人は二人の言い分を聞いてちょっと呆れてしまっていた。
「まあね・・・大学内であまり揉めたくないという気持ちはわかるんだけどさ、ああいう奴が相手の場合はこちら側が様子を見ている間にどんどん調子に乗ってきてしまうから、むしろ先手必勝で早めに注意した方がいいと思うよ。相手の出鼻をくじいてこちらが主導権を握ったほうがいい。相手のペースに乗せられるのではなくて逆にこちら側が敵のペースを乱して自由にさせないほうが得策だと思うよ」
河田が大人としてやや厳しめな意見を言ったので、京一はアメとムチではないが我慢して様子を見るのは無意味であるどころかむしろ逆効果であることを理屈として説明して正彦の対応がよろしくないという自分の考えを述べた。
「そうですよね・・・今日はいつもと違ってこちらの人数が多かったこともあって自分が動くべきタイミングの判断がうまく出来ませんでした。皆さんがいて心強かったのですが、なんと言いますか・・・自分の出る幕が無い感じになってしまいました」
「いや、だとしたらなおさら今日はあいつにはっきりと抗議するチャンスだったと思うよ。ハザマのやつが今日は早く退散したというのであれば、それは普段とは違って今日は多勢に無勢だと思ったからなのだと考えていいよね?」
「それはあると思います。普段のあいつはもっとしつこいですから・・・」
「そうなんだよ。こちらが数的優位の状態であって心強かったというなら、むしろハザマにはっきりと強く抗議できるチャンスだったわけで、河田さんや俺が奴に注意していた時がむしろグッドタイミングだったと思うよ」
「ああ、そう言われれば、そうですよね・・・・・・」
「まあ、そういうことですよ。今日は普段とは違ってこちら側には学生だけではなく大人が二人もついている状態だったわけです。東くん、君はあの時に勇気を出して思い切ってハザマに強く抗議してやるべきだったと思うよ。そうしていればもちろん我々も加勢していたからまさに多勢に無勢の状態にできたわけであって、むしろこれまでため込んでいたうっぷんを晴らすべく思い切りハザマに抗議することができる状況であったのだよ!」
また河田がやや厳しめに正彦にダメ出しをした。
「ああ、そうか・・・そうだったんですよねぇ・・・」
「もったいないことをしたね。まあ、運悪くそういう段取りを決める話をする前にハザマが現れてしまったからなぁ。打ち合わせ無しにぶっつけ本番でやるみたいなことは難しかったというのはあったと思うけどね・・・」
そしてまた京一がちょっとフォローした。ハザマに何も言えなかった頼りない正彦をたしなめるべく河田がやや厳しめに当たって、その後少し京一がフォローを入れるという役割分担になんとなく流れでなってしまった。
河田とてあまり説教くさいことは言いたくないのであろうが、誰かが言ってやらないと改善されないので仕方なく厳しくしているのだということは京一も感じていたし、菜緒子もおそらくわかっているのであろう。そして、京一も別に若者にいい顔がしたいだとか、厳しくしすぎると正彦が落ち込んでしまって良くないだとかいう理由でフォローしていたわけではなかった。
ではどういう理由なのかというと、先ほどあったように河田が正彦に厳しく言って加奈子がフォローするという流れはあまり良くないと感じたからである。そういう構図になると正彦という男は「加奈子は自分にはそれほど不満を感じてないようなので大丈夫だな」と安心してしまいかねないのだ。実際のところは加奈子も正彦にはもう少ししっかりして欲しいと考えているに違いなかった。そもそも彼氏が頼りなくて当てにできないから菜緒子や河田に助けを求めてきたわけであるし、加奈子の態度を見ていても正彦にそのままでいてくれて大丈夫などと思っているようには見えない。たまりかねて仕方なく彼氏をフォローしているだけであるのに正彦に間違ったメッセージを送りかねないので先に京一がフォローを入れただけである。
加奈子が自分の気持ちに嘘をついて彼氏をかばうようなことはしなくていいように配慮したに過ぎないし、そのことは河田も菜緒子も感じているので二人ともあえて変に口を挟むことはしない。
つまりそうやって三人が何もかも招致の上で会話の流れや話の展開をコントロールしているというわけである。
正彦は気が弱くて優柔不断なところがあるし、加奈子もちょっと控えめな性格で正彦に遠慮しがちなところがあるので「彼氏なのだからハザマを何とかして欲しい」などと強くは言えないようである。そういうところをハザマに付け込まれているような感じでもあるので少し厄介な構図になっているとも言えるのだが、三人は加奈子と正彦にこのままではダメなので自分たちも変わらないといけないのだぞということを何とかして理解させようとして役割を分担しながらやや遠回しな感じで説得してきたのだ。
遠回しにとはいえ結論としては彼氏である正彦がハザマに強く抗議するしかないということだけははっきりと明確に伝えているので、あとはもうその結論を二人がどのように受け取るかというだけであった。
「まあ、今日はこのあたりでいったん終わりにして次回までにもうちょっとハザマへの対策を考えてくるということでどうかしら?」
菜緒子が事態の本格的な解決は次回に持ち越す提案をした。今日のところはもうハザマを追い返してしまったのでとりあえずは仕切りなおすしかなかったからだ。
「そうだな。とはいえ、対策といってもあの男にはっきりときつく抗議してストーカー行為をやめさせるしかないわけだがね・・・」
「まあ、そうですよね」
「それでは、どうかね東くん?次回こそはしっかりとはっきりとあの男に加奈子さんへの迷惑行為をやめるよう抗議することが出来そうかね?」
「次回は・・・出来ると思います・・・」
「そうだね、次回までにはちょっと覚悟を決めるというか、もう少し心の準備を整えてくることだね。そして、また今日のようにハザマがやって来たらその時こそはあいつにガツンと言ってやろうじゃないか!」
「は、はい・・・次回こそはぜひそうしてやりたいと思います」
「ふむ、その意気だよ。彼氏たるもの彼女一人守れなくてはどうにもならんからねぇ」
「まあ、今はそういう時代じゃないかもしれないけど、そうあってほしいものね。私個人の意見としてもそこは同意するわ」
事前に相談していたわけではないのに三人はお互いに空気を読みあって上手く話を合わせて外堀を埋めて正彦がやらざるを得ない感じに話をもっていくことには成功したようだ。
「じゃあ、今日はこれで解散ということでいいですかね?」
「そうですね、ではティーセットを片付けますので皆さんお気になさらずにそれぞれお帰り下さって結構ですので」
「そうね、こんなもの広げたてちゃってるからおじさんは片付けに時間かかりそうだもんね。このままここで解散ってことにしましょう」
「皆さん、今日はありがとうございました。あんな感じでとても困っていますので、またよろしくお願いします」
「本当にありがとうございました。次はしっかりやりますのでまたお願いします」
加奈子と正彦はこれから一時間ちょっと後にまだ授業があるらしいので菜緒子の言う通りここで解散ということで一緒に広場から立ち去っていった。
河田以外は特に帰り支度に時間がかからないのだが、今日は京一と菜緒子も河田の片付けを待って三人揃って大学を後にした。
三人は帰り道にハザマや正彦について少し話したが、とりあえず次こそ正彦に彼氏らしく男らしくハザマに対応してもらうという結論は出ているのでその話題を長く続けることはしなかった。そして駅までは三人一緒に帰ったのだがあとはそれぞれの方向、それぞれの家の最寄り駅で別れるという流れ解散となった。
京一は二人と別れたあとは一日一万歩目標ウォーキングの残り歩数を満たせるよう計算した道のりで自宅まで歩いて帰った。
「今回の人助けは俺が手伝えることはあんまりないかもなぁ・・・もし河田さんがハザマと直接やりあう展開になった時は加勢するつもりだけど、邪魔にならないようにしなきゃならんとも思うし、まあ、その時の成り行き次第かなぁ・・・」
とにかく、今回も前回と同様に上手くいってほしいと京一なのであった。
「今回はまたやっかいな人助けだな。ストーカーというのはしつこいからな、一度警告しただけではなかなかやめない可能性があるぜ・・・」
「そうだねぇ。対象への執着が強すぎるような奴の場合は下手すれば警察ですら一度の警告でやめさせることが出来なかったりもするだろうからね」
「仮に一度相当強めに警告や抗議をしてやったとして、そしてそれがその場ではかなり効き目があったとしてもだな、喉元過ぎればなんとやらというやつで、またすぐにストーカーを再開してくるなんてことも十分ありえると思うからな」
正義感がまあまあ強くて、しかし同時にやや心配性でもある勇作が今回の人助けは難易度が高いことを力説しはじめた。
「まあね、その場合は根気強く警告や抗議を続けるしかない。ストーカーとの根競べになるというわけだな」
「とはいえだよ、四六時中その子のそばにいてストーカーが来たら警告してやるなんてことは不可能じゃないか」
「そうなんだよ。だから同じ大学に通っていて出来るだけそばにいられる彼氏にその役目を任せるのが一番なわけなのだがねぇ・・・」
「でもねぇ、貴博の話を聞いてるとなんかその子は言い訳ばっかりしてる感じよねぇ・・・
ちょっと頼りなさすぎなんじゃないかしらねぇ・・・」
「そうなんです!とても頼りないという印象を受けるのですー」
「そうなんだよ、そんなフニャフニャした奴はダメだよ。そいつはそいつで一度、ナヨナヨしてるんじゃあないって喝を食らわせてやらないといかん」
「もちろん、東くんにはちょっと活を入れてやる必要はあると思うのだよ。しかし、まずは一度彼に抗議させてみるしかない。彼氏らしく毅然と出来るのか、それとも次もまた同じように何もできないで終わるのか見極めてやればいいと思う。活を入れてやるのはそれからでもいいからねぇ」
「いやぁ、そんな奴がストーカーに対して毅然と対応出来るとは思えんがねぇ・・・」
「一応、私や南野さんがそばについてそのハザマというストーカー男にプレッシャーをかけることで東くんをサポートすることになるだろうからね。次回も臆して何も出来ないようであれば、仕方なく私が言ってやることになるのだろうが・・・」
「そんな彼女も守れない情けない坊やだとしたら別れたほうがいいんじゃないかしら。その被害者の加奈子って子はどうしてそんな彼氏に我慢できてるのかしらねぇ」
「そうなんです!別れたほうがいいと思います~」
勇作・富子・達彦の三人ともが東正彦に対してあまり良い印象をもっていない。貴博としてはあまり予断を持たれないようにここにいる三人には加奈子や正彦、ハザマについて出来る限り自分の感想や意見は排除して見聞きしてきたことをありのままに語ったつもりである。しかし、加害者であるハザマはもちろんだが被害者の彼氏である東正彦についてもやはり問題のある人物という評価が下されてしまった。
「しかしねぇ・・・若者というのは可能性を秘めているものだ。良い方にも悪い方にも変わっていく余地はあると思うのだよ。ダメだと決めつけてしまうのは良くない。それに東くんにだって何かしら良い部分があるから加奈子さんも彼と交際しているのだろうしねぇ・・・」
「まあね。母性本能をくすぐられるというか、そういうちょっと弱いところが可愛いと思ってしまうタイプなのかもしれないわね、加奈子ちゃんって子は・・・」
「ふん、そんなもんかねぇ。貴博の話だと多少顔やスタイルなんかは良いのかもしれんがね、やはり男は最低限の強さは持ち合わせていないといかんよ」
「そうなんです!強くなければ生きていけないのです!」
「もちろんその点には異論はないさ。しかし、やはりこのストーカー事案は根本的にはハザマという男の性格や行動に大きな問題があるわけであって、加奈子さんは完全に被害者なのだから、仮に東くんがちゃんとやれなくとも当然彼女だけは救ってやらねばならないのだよ。すなわち、あのハザマだけはどんなことがあってもどんな方法を用いても打倒せねばならない対象ということだけは間違いないわけなのさ」
「まあ、それは確かにそうね。そんな迷惑な奴は女の敵よ!」
「そうなんです!何としてもケチョンケチョンにしてやるのです!」
「まあな、貴博がそこまで言う相手だからよほど酷くて看過できない対象なのだろうな。ならばやるしかないだろうね」
普段温厚な貴博が珍しく憤ってしまうほどの相手であるのでハザマが厄介な人間であることは全員に伝わったようだ。そしてこれまた珍しく今回は貴博も含んだ全員の意見が一致したのである。
「それにしても、今回はこういうやっかいでちょっと大変そうな人助けの話をしているのに、和真のやつはまたおサボりか。ほんとにマイペースでいい気なもんだねえ」
「あらまぁ勇作ったら、それはなんだかんだ言って和真のことを当てにしてるってことなのかしら?」
「何いってんだい、あんなやつ当てにしちゃあいないよ!」
「まあまあ二人とも、そのへんでいいだろう。もし和真がこの場にいてもおそらく我々と同意見だろうさ。勇作の言ったように、これはもうやるしかないのだよ・・・」
遠い空の向こうのほうを見つめているような貴博の強い眼差しは、何か確固たる決意を固めた者のそれであった。
河田たちが加奈子の大学に相談を聞きに行った日から丁度一週間が過ぎた。次に話し合いをするのはいつにするのかを前回の帰り際に決めたのであったが、一週間後の同じ曜日の同じ時間に同じ場所でまた待ち合わせることになっていたので、河田たちはまた駅で待ち合わせをして三人揃って大学へと向かっていた。その途中も今日の段取りなどについて歩きながら軽く話していた。
「まあ、基本的には前回話した通りでよいと思います。またハザマが加奈子さんの姿を見て近寄ってくるという前提ですが、その時は東くんに先頭に立ってもらってハザマにストーカー行為をやめるよう本格的に抗議してもらうことにしましょう。我々は彼の脇に立ってサポートするということでよいでしょう」
「私は直接ハザマと話すのは嫌だから、また後ろのほうに身を潜めさせてもらうわね」
「それでいいと思うよ。あとは、ハザマが来るまでに正彦くんにそういう段取りにすることを伝えておくくらいですかね・・・本人には心の準備を整えてもらって落ち着いてハザマと対峙してもらえればと思いますが」
「そうですね、いざとなれば私たちが助けることになりますが、それを事前に伝える時もあまり我々を当てにしすぎないように極力自分の力だけでやりきるよう釘は刺しておこうと思いますが」
「確かに、こちらは大人もついているのだとある程度安心はさせてやっていいとは思いますが、最初から人に頼るつもりでいるのはちょっと違うとおもいますからね」
「そういうことです。私たちはあくまで話がこじれたり東くんが一方的にやられそうになったりしたときの保険ですからね」
「ハザマのほうも仲間を連れて来る可能性とかは無いってことでいいんだよね?」
「ええ。それは大丈夫だと思うわ。私が最初に相談に乗ったときにそういう可能性がないか心配で確認したんだけど、ハザマが加奈子にストーカー行為をする時はいつも単独でやるそうだから。きっと友達が少ないのよ」
「まあ、こちらが数的有利であることも重要だからね。むこうにも助っ人がついて来るとなると話が変わってきちゃうからなぁ」
京一としては前回結果的に多勢に無勢の状態で敗走したハザマが何か対策してくるかもと考えたのだが、そういうことを最初から考えていて確認しているあたりさすが菜緒子だなと感心した。
「お互い助っ人を引き連れて対決みたいになったら大ごとになってしまうからね。加奈子もそんなことは望んでいないけど、それに関しては大丈夫だと思うわよ」
「まあね・・・前回はこちらから見ればすごすごと引き返していった感じに思えたのですが、あの自信家のハザマのことですから自分はぜんぜん負けてなんていないから助っ人なんか必要ないとでも思っているのでしょう。それならそれでこちらとしても好都合なのです」
「そうですよね。さて、それならあとは正彦くんがしっかりとやれるかどうかということにかかってくるわけですけど、どうなんでしょうかねぇ・・・?」
「なあに、彼が上手くやれなかった時は私がハザマに言ってやればいいだけのことですから。私はね、今回は別に誰がハザマに抗議してやっても構わないと思っています。当事者である加奈子さんや東くんが自分でやらなければならないということはないと思っているのですよ。そこが前回の人助けとは違う点ですね」
「前回とは美里ちゃんの時ですよね。まあ、確かにあの子は結局自分の力で解決したみたいなところはありますね。我々も色々助言はしましたけど、最終的にはあの子が自分の目的を果たすのに適した動画を作って、その結果も彼女が望んでいた感じになったわけですからね・・・」
「そうなのですよ。前回はそのように美里さんが自ら気づいて動く必要があったわけですが、今回は違います。警察沙汰にはしたくないというだけで、もし仮に加奈子さんや東くんに財力があったら弁護士に相談して依頼していたでしょうし、おそらくそれでも解決はできたと思いますからね」
「そうですよね。お金があればそうしていたのでしょうから、当事者ではなくて第三者があのハザマに抗議してやること自体は問題ないですよね」
「そう、私がやっても誰がやってもいいのですよ・・・・・・」
「そういうことね。じゃあ、正彦くんがダメだったときは頼んだわね、おじさん」
「ふむ。まあ、なんとかやってみるさ」
前回の様子を見ているので三人とも現時点で既に東正彦には期待出来そうにないと思っていた。おそらく最終的には大人である河田や京一がハザマに厳しく注意する感じになりそうであるし、その際にハザマが大人しく引き下がるかどうかということの方がもはや正彦に期待できるかどうかということよりも現実的な問題なのであった。
「しかし、あのまったく空気を読まない男の相手は結構大変かもですね・・・」
「そうかもしれませんね。相手の出方次第ではあるのだが、場合によっては弁護士や警察に介入させることも辞さないのだぞという強い態度を見せることも必要になるかもしれないとは思っています」
「そうですね。厳格に対処するという姿勢を見せるのは大事ですよね」
「あの男がそれすら通用しないくらいに非常識で分別のない人間であった場合は本当に大変ですがね。その場合はどうしてやるかというところまで考えなくてはいけないかもしれません」
「まあ大丈夫よ。大の大人二人が寄ってたかって強く抗議してやればなんとかなるわよ。なんだかんだ言っても相手はまだ学生なんだから」
「言い方が少々引っ掛かるのだが、実際そんなところだとは思うのだがね」
「とりあえずやるしかないってことか・・・」
こうなれば例の良い意味で楽観的な菜緒子が発する言葉がもつ言霊のようなものを信じるしかないなと思う京一であった。
今回は大学の正門前ではなく例の芝生の広場に集合する約束になっていた。三人は大学内に入るとそのまま真っすぐ広場へ向かって歩き続けた。そして待ち合わせ場所である芝生の広場に到着すると、加奈子と正彦を探すべくとりあえず前回お茶をしたテーブルのあたりまで行ってみることにした。
「このあたりだったよな・・・」
三人は記憶を頼りにいくつかテーブルが並んでいる場所までやって来た。すると、幸い前回と同じテーブル席が空いていたようで、加奈子と正彦が先に席について待っているのが見えた。
「こんにちは。今日もよろしくお願いします」
近くまで来た三人を見つけて加奈子と正彦は立ち上がって挨拶をしてきた。
「どうもこんにちは。それでは今日もお願いします」
テーブルまでたどり着くと河田は挨拶もそこそこにいつものティーセットを取り出してお茶を入れる準備を始めた。
「ああ、やっぱり今日も持ってこられていましたか・・・」
「ええ、今日はハザマと決着をつけなければいけませんからね。あえて前回同様に本格的なティータイムを過ごして目立つことで奴をおびき寄せようという意図もあるのです」
お茶の準備を続けながら河田は少しニヤリとしてこれも作戦であるのだと説明した。
「そういう計算もありましたか。さすが河野さんです」
「まあ、そういうことなら今日は何も言わないわ・・・」
今日もやるのかと一瞬文句を言いそうになっていたのだが、そういう意図があると知れば菜緒子も納得せざるを得なかった。
「前回はわりと突然に現れたからちょっと計算外な感じでもあったけど今日はハザマに会えないと話にならないもんね」
「そうね、今日で確実にケリをつけてもらいましょうか」
「とはいえ、手抜きなどせずにお茶はちゃんと美味しく入れますのでまずは普通にティータイムを楽しんでいったんリラックスしましょうか」
「はい、ありがとうございます」
加奈子と正彦は前回ですっかり河田の入れる紅茶のファンになってしまっていたので素直に喜んで河田の提案を受け入れた。
「さてと・・・今日もいつハザマが現れるかわからないので、そろそろ本題に入りましょうか」
「はい、お願いします」
数分ほど紅茶を楽しんで少しリラックスできたところで河田が今日の作戦について切り出した。
「先ほど菜緒子も申していましたが、今日で一応のケリをつけるためにハザマにはっきりと抗議しなければなりませんが、今日はその役目を東くんに果たしてもらいたいと思っているのです!」
「えっ・・・ぼ、僕がですか?」
「そうです。もし仮に今日は私がハザマと話をして今後加奈子さんに一切ちょっかいを出さないように約束させたとしましょう、それで今日のところは一件落着したように思えるかもしれません。しかし奴がその約束を守るという保証はありません。またハザマが迷惑行為をしてきたら、その場合加奈子さんを守るのは彼氏しかいないわけですよ」
「そうなれば結局正彦くんがやらなければならないわけだから、それならば今日やってしまおうよ。今日なら河田さんも俺もそばにいてフォローできるしね」
「そういうことです。私が約束させても今後私がこの大学に現れなければそれまでということで結局その約束は無視されるということにもなりかねません。しかし、東くんがきっちり奴と話をつけて今後一切加奈子さんにストーカー的な迷惑行為をしないよう約束させた場合は違う。東くんがこの大学に通い続けていつも加奈子さんと一緒にいる限りは、そうそう約束を反故には出来ないものなのだよ」
「な、なるほど・・・それはそうですね・・・」
「南野さんがおっしゃった通り今日は私がすぐそばに控えてハザマにそれこそ文字通りににらみを利かせてやります。そういう君にとって有利な状況下であったとしても君自身が奴から言質を取ることが重要なのだよ」
「僕自身が、奴から言質を取ることが重要ですか・・・」
「そう、私との約束は今後私と会わないなら別にいいかという逃げ道ができてしまう。あとは、当事者と交わした約束でないから関係ないとかね。ハザマに限らず人間とはそういう自分に都合のよい解釈の自分ルールを作ってしまいがちだ」
「自分ルール、ですか・・・」
「自分に都合のよいエクスキューズを探して自分勝手な理屈をこねて、自分に言い聞かせるのだよ。これはこういう理由があるからこうやっても大丈夫なのだとかね・・・」
「それはありますよね。相手があのハザマならなおさらそうでしょう・・・」
自分自身も多少ではあるがそういうところがあるかもしれないと思いながら京一が河田の意見に同意した。
「そう、あのハザマですからね。しかし、逆に言えば自分ルールで自分を縛らせることも可能です。あいつと約束してしまった手前、あいつの目の届く場所で約束を破るのは気まずいと言った感じにもっていってやればいい」
「なるほど・・・逃げ道を塞いでしまうわけですね。言い訳できないようにして自分ルールの基準で自分の行動を許せなくさせるのか・・・」
「そういうことですね。人間の行動を制限させる場合、自分で自分を縛らせるほうがいい。他者がその都度縛るよりも確実で手っ取り早いのです。常に他者が見張っていられるわけではないですしね」
「誰も見ていない場所でも自分の意志で道路の信号を守るみたいな感じですね」
「そうです。ハザマは誰が見てなくてもおてんとう様が見ているなどと思うようなタイプではないので、自分で自分を縛るようにもっていく必要があるのです」
河田の説明に正彦の理解が追いついて納得できやすくなる助けとなるようにと、京一があえて少し正彦に先回りして河田と会話して説明をよりわかりやすくした。前回も同じようなことをやったが、いわゆる一つの協力プレーである。
「ああ、なるほど・・・お二人のお話を聞いてると色々わかりやすいです」
正彦はわりと素直な性格であり言い換えればけっこう単純であるので、ある意味説得するのにはそれほど苦労はなかった。
「何度も言うが、私がずっとそばにいてハザマにプレッシャーをかけ続けるし、南野さんもそばにいてくださるわけだからね。勇気をもって思い切りやってやりなさい!」
「あと、今日こそは先手必勝で自分からいってやるんだよ。相手のペースにはまらないようにして、あくまでも君のほうが主導権をもって話を進めるんだ」
「はい、お二人のお話を聞いていると今日はなんだかいけそうな気がしてきました!」
河田と京一による必死の説得によって何とか正彦をやる気にさせることが成功したようである。そしてタイミングが良いのか悪いのかよくわからないが、ちょうど説得が完了したその時にあの男が姿を現した。
「あ、噂をすればハザマが現れたわ・・・」
少し離れた場所にハザマの姿を見つけると菜緒子は例のごとく皆のいる席から離れて身を隠した。
「あの男も離れた場所から見てもすぐにわかるな。やっぱりちょっと見た目が特徴的なんだろうな・・・」
今日も今日とて少々独特なファッションに身を包んであまりよろしくない感じで目立ちながらハザマがキャンパス内を闊歩していた。
「おそらく加奈子さんを探しながら歩いているのでしょう。ここにいるのを見つけるのも時間の問題であろうな・・・」
ハザマはきょろきょろしながら歩いていたがこちらを見つけるとまた今日もニヤニヤしながら近づいてきた。
「やっぱりこっちに向かってきますね・・・もう今日こそはちゃんと言ってやらないといけないわよね・・・」
加奈子は心配そうに正彦の顔を見た。ある意味今日の主役ともいえる正彦は相当緊張しているようであった。
「では東くん、手筈通りやってみようか。彼氏である君がしっかりと加奈子さんを守らねばならないと自覚して、今日こそは頼りになる男であるというところを見せてくれたまえ!」
「俺も微力ながら協力させてもらうからさ。いざという時は河田さんと二人ですぐ加勢するから大船に乗ったつもりで頑張ってみてくれよ」
河田が叱咤激励をして、京一もリラックスして臨めるようにエールを送った。
「はっ、はい・・・わかりました。今日こそはやってやります!」
自分を鼓舞するようにそう言い放つと正彦は緊張しながらも宿敵である間伸男の方へ向かってゆっくりと大地を踏みしめるようにして歩いて行った
「先手必勝だからね!まずは最初にこちらから一発かましてやるんだよ!」
京一のアドバイスに正彦は上半身だけ振り返って親指を立てて応えた。ある程度気持ちは出来上がっているようである。
ハザマは河田一行がお茶をしているテーブルのすぐ近くまできていたが、その前に正彦が立ちふさがった。その少し後方には腕組みをした河田とポッケに手を突っ込んだ京一が並んで立ってハザマに鋭い視線を向けてプレッシャーをかけていた。ここまでは完全に作戦通りであった。
間伸男と東正彦は対峙して数秒にらみ合ったが、アドバイス通り今日は正彦のほうが先に口火を切った。
「あ、あの・・・もう加奈子に変なちょっかいを出さないでくれませんか?加奈子もすごく
嫌がっていて、正直迷惑してますので・・・・・・」
正彦は最大限の勇気を振り絞ってハザマに抗議をした。
「ああっ?このへなちょこ野郎が、誰に口きいてんだよ!ひっこんでろよバーカ!」
「えっ、う、うう・・・・・・」
一大決心をして挑んだ正彦であったが、ハザマにどやしつけられてひるんでしまって何も言い返せなかった。そして、もうそれ以上何も言えなくなってしまった。
実は、正彦はいつも例の遅すぎるタイミングでハザマに注意しに行くのだが、毎度のハザマの対応としては正彦を一瞥するだけで完全に無視して加奈子にだけ話しかけ続けるのである。しかし、いつもその頃には大抵もう加奈子がハザマにまともに返事しない感じになっているタイミングであるので、ハザマのほうがそろそろ引き時であるなと判断して諦めて帰っているというだけなのであった。
しかし正彦も加奈子も正彦が注意したから退散しているのだと思っているというか、実際のところは二人ともそう思い込んでいたいだけであって、彼氏である正彦がハザマを追い払っているというほぼほぼ自らの願望と言ってもいい内容に沿った都合のよい解釈をしていただけなのであった。
「おら、邪魔だからそこのけよ!」
「ううっ、あぁ・・・」
ハザマは正彦に肩をぶつけて悠然と通り過ぎていった。正彦はバランスを崩してしまい軽くのけ反りながら力なく後ろに2~3歩下がると、そのままそこに呆然と立ち尽くしてしまった。
正彦も後ろで見ていた加奈子も今日という今日はハザマにはっきりとNOを突きつけてやるつもりであったのだが、逆にいつも正彦がハザマ追い払っていたわけではなくハザマが自分の判断で撤退していただけであったことを思い知らされてしまったのであった。
大方の予想通りハザマは正彦の手には負えなかった。そしてこれも予想通りだが、もう大人が出ていって注意してやるしかない展開になった。先ほどハザマは正彦に対して凄んでいたが、その声は若干裏返っている感じに聞こえるほど高くてたいした迫力はなかった。
ハザマは行動が自己中心的であるので一見無法者のような感じにも見えるのだが、どうやら正彦のような気弱な相手には強く出るが、強そうな相手に対しても怯まずに挑んでいけるような本物のワルではないようであった。おそらく強い相手にあんな凄み方をしても全く通用しないであろう。
たいていの大人はなら経験上ハザマが本当にヤバい感じの本物のワルではなくいきがっているだけの小物ということはなんとなくだがわかってしまうだろうし、実際京一も「あ、こいつは空気が読めなくて厄介な奴ではあるがたいしたことはなさそうだ」と思ってちょっぴり安心していた。
「ダメそうだなこれは・・・しょうがないから僕がちょっと言ってやりますかね・・・」
「いや、そもそもは私の人助けでやっていることです。お手伝いしについて来てくださっている南野さんの手を煩わせるわけにはいきません・・・どうか一つ、ここは私におまかせあれ!」
そう言うと河田はハザマのもとへゆっくりと歩み寄っていった。
「君、加奈子さんにはこの東くんという恋人がいるわけだし、しつこく誘っても無駄だ。何より加奈子さんの君に対する態度を見れば誘われて困っているし嫌がっていることは明白だろ!何度誘ったところで加奈子さんが応じることはないのだよ。そんなことは君だってもう十分にわかっているのだろ?もう彼女からは手を引くのだよ!」
河田はオブラートに包むような表現はせずにありのままの状況や加奈子の気持ちをストレートに伝えた上で加奈子に嫌がられているのだからもはや手を引くしかないという結論まではっきりと告げた。
「な、何だよ!何言ってやがんだ、このおっさん・・・・・・」
一見強気な言葉を返してはいるが、大人からはっきりと現実をつきつけられたことで少なからず動揺している。歯に衣着せぬ河田の発言にやや怯んでいるようであった。
「なっ、なあ加奈っぺ、このおっさん何言ってんだよなぁ・・・加奈っぺは俺が声をかけたらいつだってお喋りしてくれてるよな?」
「え、まあ別にそれは・・・」
「俺のこと嫌がってんなら、会う度にあんなに楽しくお喋りしたりしないよなぁ?」
「いや、それは・・・」
「なんだよぉ、いつものノリとちがうじゃんか、みんなの前だから照れちゃってんじゃないの?」
「・・・・・・」
「だいたいさ、あんな弱っちい男と付き合ったってしょうがないべ?俺といたほうが絶対に楽しいぜ!」
「・・・・・・」
加奈子や正彦も現実から目をそらしていたのだが、このハザマという男も加奈子から相手にされていないどころかもはや相当に嫌われているという現実から逃避しているようである。
「もうそのへんでいいだろう・・・これ以上加奈子さんを困らせてもしょうがないだろ!」
「うっせい、うっせい、うっせいよ!関係ねーおっさんは引っ込んでろよ!」
もはや駄々をこねる子供のようであった。これもある程度予想はついていたのだが、やはりこのハザマという男は相当に聞き分けが悪くてしつこい人間であった。この調子でどんなに言い聞かせても時間の無駄でありそうなのでもう少し強硬な手段をとるというか、このような迷惑行為をこれ以上続けるのなら何らかの強いペナルティーがあることをちらつかせるでもするしかないようであった。
「仕方ないな・・・ここは秘密兵器の出番のようだ」
そう呟いた瞬間、急に河田の雰囲気が変わった。そして、おもむろにハザマのすぐ目の前まですぅっと近寄っていくと、まあまあの大きな声で抗議し始めた。
「加奈子さんは嫌がってますー。迷惑行為はもうやめるのです!」
「え?なっ、なんだよ・・・やる気かよおっさん!」
「おっさんなどと呼ぶのは失礼なのですよ!それに私は戦う気などはないのです」
「な、なんだよ・・・ははぁ~、ほんとは俺のことが怖くて怖くて仕方ないくせにいい格好しようとしてるだけなんだろ、戦う気ないだって?び、ビビッてんじゃねーよおっさん・・・だいたい、この俺とやって勝てるわけねーだろ!」
「う、ううっ・・・」
河田は何やら小さいうめき声のようなものをあげていた。
「どうしたんだ河田さん・・・雰囲気が変わったからまた前みたいにイケメンモードになるのかと思ったらむしろ普段より頼りなくなってるような・・・大丈夫なのか河田さん?」
京一たちは心配そうに見守っていたが、河田が何も言い返さなくなったのでハザマは少し安心してしまったらしくまた調子に乗って吠えはじめた。
「やっ、やっぱりビビッてんじゃねえか・・・おっさんはすっこんでろよ!俺と加奈っぺとの話なんだからお前は関係ねーだろが!」
ハザマは威嚇するように河田に詰め寄ってきた。
「あ、あああーあぁあああああああーっ・・・・・・」
河田は小声でだが今度は叫び声のようなものをあげだした。
「ピッキィーン!」
急に叫ぶのを止めると河田は謎の擬音語のようなものを発した。その言葉をきっかけにしてまるで何かがスイッチオンしたように河田がさらにもう一段変身したのだ。
京一は河田の細かい変化に敏感になっていたので今度は雰囲気だけでなく明らかに目つきが変わったのを見逃さなかった
「あれ、なんだろ・・・?また急に感じが変わったけど、なんか・・・別人のように怖い人になってるような・・・」
今までに見たことのない凄みのある顔になった河田はハザマに顔を近づけて詰め寄っていった。
「おいこらクソガキぃ!人がおとなしくお前みたいなクソガキの相手をしてやってたら調子に乗りくさりやがってからにのぉ!」
「え、なっ・・・なんだ?急になんだよおっさん!」
「ああっ?誰がおっさんやねんコラ、このチリチリ頭のどくされクソガキめが!」
「そ、そんな・・・急に凄んでもなぁ、べっ、別に怖くないんだからなぁ・・・」
口ではそんな強がりを言ってもハザマはすでに何歩か後ずさりしていた。
「なんじゃあこりゃあ!何してくれとんねんワレぇ~!」
「ひ、ひぃいいいいい~。た、タンマタンマ、ちょっ、ちょっと待って・・・」
あまりの恐怖に震えながらずるずると後ずさりしていったが、今度は河田のほうがハザマにどんどん詰め寄っていった。
「なんかあれは・・・変なスイッチが入った感じだぞ・・・最初に心配してたのとはまた違う感じでヤバい状況になってきた・・・」
もうハザマの顔が恐怖でどんどん歪んでいってるのが少し離れた場所から見ていてもわかった。それでも河田は全く手加減することなくどんどんハザマを攻め立てた。
「なんじゃコラ、ワレぃ!さっきは息巻いてワシとやったるとかほざいてたんとちゃうんか、おうコラ!ナメとったらあかんぞコラ、クソガキぃいいい!」
「は、はぁあああああぁ・・・・・・」
ハザマはもう涙目になっていた。足もガタガタと震えてまともに立っていられない状態になってきていた。きっと今までの二十年ほどの人生においてこういう感じの大人と接した経験はなかったのであろう。それどころか映画やドラマではなく現実の世界で実際にこのような恐ろしい人間を生で見たことすらなかったのかもしれない。とにかくハザマがいま想像を絶する衝撃を受けていることだけは確かなようであった。
「あ、あの・・・」
見かねた京一がちょっと止めなければと声をかけようとしたのだが、河田はもう自分の額を完全にハザマの額にひっつけて、0距離で猛烈に睨みながら怒鳴り立てた。
「おうっ?このクソガキがぁ!ワレコラ、いっぺん耳の穴から指突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろかいワレェエエエエエエエ~!」
「ひっ、ひぇえええええ・・・ご、ごめんなさいぃいいい~!」
ついに立っていられなくなったハザマは尻餅をついてしまったが、すぐによろよろと力なく立ち上がったと思ったら。泣きながら小走りで去っていった。
「おととい来いや、このクソバカたれがぁ!」
完全に人が変わってしまい色んな意味でとてつもなく恐ろしい人となった河田を前にして間伸男は完全に尻尾を巻いて逃げていった。がに股でちょっとおかしな走り方で逃げていく後ろ姿を見て、京一たち一同は「ああ、下手したら失禁しているのかもしれないな、あれは・・・」とほんの少しだけハザマのことを気の毒に思った。だがすぐに、あれはもう自業自得だから仕方ないと思いなおすのであった。
「すぅう~っ・・・・・・」
河田がまたさっきとは違う擬音語のようなものを発した。すると今の今まであれほど荒ぶっていたのが嘘のように静まった。
「あ、あの~・・・河田、さん・・・?」
京一に声をかけられて振り向いた河田はもう落ち着いていたが、さっきまで興奮していた余韻でまだ少しだけ顔が紅潮しているようにも見える。
「まあ、私にかかればこんなもんですよ!威勢が良かったのは最初だけで口ほどにもなかったです~。やっぱりたいしたことないやつでしたよ、これでミッションコンプリートなのです!」
「は、はぁ・・・」
先ほどの激しくて恐ろしい河田ではなくなっていたのだが、いま目の前で話している河田も普段の河田とはまた別人のような感じがする。そして、いかにも一仕事終えたという感じで少し満足げな表情を浮かべながら加奈子のほうに歩み寄った河田は誇らしげに人助け任務完了の報告をした。
「あの男、だいぶビビッてたのでこれでもう大丈夫だと思いますが、またしつこく付きまとってくるようなことがあれば遠慮せず私に連絡してきてください。その時はまたガツンと言ってやります~」
「え、ああ・・・はい、あの・・・ありがとうございます・・・・・・」
「いえ、どういたしましてですー」
全く注意を聞かないハザマに手を焼いてしまって一時はどうなるかと思われたのであるが、河田は最終的にまさかの武力による威嚇という方法での実力行使でハザマを撃退して完全勝利を果たしたのであった。
「な、なんかちょっと衝撃的な展開だったけど、これでいいのだよね・・・さすが河田さんだ・・・・・・」
「そ、そうね・・・まあ、とりあえず問題は解決したみたいだしねぇ・・・」
「この間は和真においしいところをもっていかれたが、今回は達彦にあんな活躍の場を与えてやるなんて、お前はいつも一番いいところを他人に譲ってしまう傾向があるようだね、貴博・・・」
「いいところを譲っているつもりはないのだけどね。単純に最も適任者であろうと思って任せただけのことさ」
どうやら勇作は他人の活躍が羨ましくてあまり面白くないようである。
「自分にあまりいい場面がまわってこないから他の人の活躍が面白くないのかしら?」
「ふん、俺はそんな小さい男じゃあないよ。もう誰にもどうにも出来ないくらいのいよいよという場面が俺の出番だろうからな。そこまでの局面でないなら俺も貴博と同様に他のやつに任せて花を持たせてやるという考えだよ」
「そうだな。さすが勇作だ、私の考えをよく理解してくれているので助かるよ。おかげで私も自信をもって迷わずやっていけるというもんだよ」
「勇作と富子がまたいつものように軽くやり合っていたが、こういう時はたいてい貴博が間に入ってこのようにバランスを取るような発言をするのである。
「ところで、達彦がお茶会に出て来ないのは珍しいわね。皆勤賞ってくらいほとんどいつも来るのに・・・」
「今回はちょっと頑張ったから疲れたのだろうさ。まあ三人しか集まらないのは少し寂しい感じもするが、世の中もいろいろあるようで最近はお茶会や会食なども大人数ではなくこれくらいの人数でやるのが主流になってきているらしいからね。こういう静かな会も別に悪くはないさ・・・」
「和真のやつは例のごとく気の向いた時にしか来ないからな。まあそれはいつものことだがね」
「あなたはいつも和真のことを目の敵にしてるみたいに非難するけどね、彼よりもめったにお茶会に出て来ないレアなメンバーだっているんだからね・・・そのことをお忘れになってないかしら?」
「それはわかってるよ・・・ただ、そういうお茶会に出席するのがレア過ぎる連中についてはね、もう端からこうして普段来ている面子とはまた別のやつらって認識になってしまってるんだよ・・・」
「あら、じゃあ勇作としては和真のことは普段来る通常メンバーとして認めているというわけねぇ」
「ふむ、そういうことになるねぇ」
「認めてるとか、そういうことじゃあないが・・・ま、まあもう面倒くさいからそういうことでいいさ・・・」
「ふふふ、じゃあそういうことだと思っておくわ」
「あいつも頭数に入れてやらないと誰か一人来ないだけで三人会になってしまうという変なプレッシャーで欠席しづらくなるからな」
「ははは、三人会とかいうとまるで落語の会みたいだね。しかしね、普段来ないそのレアメンバーだって間違いなく我々と同じメンバーではあるからね」
「それはそうね。いつ来てくれても歓迎するわ」
「ああ、別に除け者にするつもりはないよ。突然出て来てもウエルカムだよ、もちろんね」
「まあ、一緒にいてもいなくても我々の心はいつもどこかでつながっていて、お互い理解し合えるのだからね。問題ないさ、私達はねぇ・・・・・・」
「あれ以降あのハザマって男は全く近づいてこなくなってストーカーはぱったりとやんだらしいから問題は無事解決したみたいよ。加奈子もとりあえずは感謝していたわ」
「問題が解決したのなら人助けはひとまず上手くいったということなのだろうね。ただね、加奈子さんも感謝はしてくれているということだが、とりあえずというのがちょっと引っ掛かるねえ・・・」
「ハザマはもう相当ビビッていて何も出来ないだろうから人助け自体が上手くいったのは確かなんだろうけど・・・まだ完全に解決していないことが残っているのかな?それともまた何か新たな問題が出て来たとかなの?」
菜緒子がトラブルを抱えていた当人たちがその後どうなったかの報告をするためにいつもの公園の東屋にやって来たのだが、加奈子は河田たちに感謝はしているがそれがとりあえずのことであるという感じの含みのある表現であったことに引っ掛かって河田も京一も手放しで喜べない感じになってしまった。
「ハザマのストーカー問題に関しては解決したってことでいいんだけどね、新たな問題というかハザマと直接対決したこないだのあの騒ぎをきっかけに加奈子がこのままでいいのか悩みだしちゃったのよねぇ・・・」
「何を悩みだしたというのいだい?」
「まあ、遅かれ早かれ出てきちゃう問題だったんでしょうけど、あの頼りない正彦くんとこのまま付き合っていて大丈夫なのかって本気で悩んでいるみたいなのよ」
「ああ、そっちの問題か・・・」
「あんな騒ぎの中でも彼はおじさんたちの横でボーっと立っていただけで結局何も出来なかったし何の役にも立ってなかったじゃないの。そりゃ彼女としてはちょっと幻滅しちゃうわよね」
東正彦は自分の彼女のストーカーとの直接対決となったあの場面でもちょっと怒鳴られただけでもう戦おうとはしなかったし、河田がハザマに怒涛の威嚇をし始めてからは完全に圧倒されて呆然と立ち尽くしていただけであった。
確かにあの場にいた河田以外の全員が圧倒されて戸惑ってはいたのだが、京一は河田がハザマに手を出したりしないか心配してやり過ぎないように一応止めに入っていたし、菜緒子もそっと加奈子の手を引いて自分のほうに抱き寄せて後ろのほうに下がっていって騒ぎから遠ざけるようにするなど気を使って動いていたのだが正彦は完全にフリーズしてしまって棒立ちになっていただけで菜緒子の言う通り本当に何の役にも立っていなかったのだ。
「あんな騒ぎとか言うけどさ、確かに河田さんの大立ち回りはあったけど警備員が出て来てしまうほどではなかったし、ギャラリーというか他の学生もちょっとは気にしてたけど遠巻きに見てる程度だったからそこまでの騒ぎにはなってなかったんでないの・・・?」
「それでも自分の彼女のことで大人まで巻き込んであそこまで揉めているのに彼氏として何もできなくて存在感ゼロだったでしょ?あれは無いわぁ・・・」
「まあ、確かに彼氏としては彼女のためにもうちょっと頑張って何かしなければいけなかったとは思うけどね・・・」
「それでは加奈子さんは正彦くんと別れようとしているのかい?」
「それがねぇ・・・実は、最近になって正彦くんが高校の後輩の女子高生の子と浮気してるんじゃないかって疑惑まで出てきちゃったらしくてね」
「ほんとに?もし本当ならとんでもない彼氏ってことになってしまうね・・・」
東正彦のことは正直あまりよくは知らないのだが、浮気をするようなタイプにも見えなかったので京一も意外な展開にちょっと驚いてしまった。
「まあ、本人は後輩の受験の相談などに乗ってあげていただけで浮気なんてしてないって言ってるらしいけど、それが本当かどうかなんてわからないものねぇ・・・」
「仮に浮気は誤解だったとしても加奈子さんとしては頼りない上にそんな誤解されるような行動までするのかって思ってしまうかもね。彼のイメージは悪くなる一方なのかもしれないね」
「私はもう別れちゃっていいんじゃないかって思うんだけどね、でもなんか加奈子はそう簡単には結論を出せないみたいなのよ」
「そうなの?まだ正彦くんにも破局を回避するチャンスが残ってるってことなのか・・・
まあ、美里ちゃんとお母さんじゃないけど他人にはわからない二人だけの絆みたいなものもあるのかもしれないからね。もう結局は当事者の二人で解決してもらうしかないよなぁ、こればっかりは・・・」
「東くんが別れを回避したいのであれば加奈子さんの気持ちをよく考えた上での行動を心掛ける必要があるだろうね。南野さんがおっしゃったような誤解や悪いイメージを与えるような行動などはもってのほかであり、当然慎むべきであるしね」
「そうよね、せっかくまだチャンスが残されているのに正彦くんのほうはもうあきらめちゃってるのかしらね?意外と女心というか加奈子のことをあんまりわかってない感じかもしれないわね彼は・・・」
「ふむ、東くんが加奈子さんの心をつなぎとめるためには加奈子さんの取扱説明書的なものをもう一度よく読み直して彼女がどういう彼氏を求めているのかをよく考えてみる必要があるのかもねぇ・・・そして彼女の理想に近づけるよう努力するしかないのだろうね」
「彼女の取説ですかぁ・・・・・・」
河田が上手いのか何なのかよくわからない表現の例えで話をしめてしまった。
「まあ、とにかくそういうことだから。じゃあ私はこれで失礼するわね」
報告だけ済ませると菜緒子はさっさと帰っていった。
「菜緒子ちゃん、なんだか他人の世話を焼いてばっかりですが、自分のことは大丈夫なのでしょうかね?自分の彼氏との間には何も問題を抱えたりはしていないのですかねぇ・・・」
菜緒子が帰ったので本人の前ではちょっと話しにくい話題に触れてみた。
「いや、たぶん菜緒子には彼氏はいないのだと思います。ですが、確か思い人はいたはずなのですよ・・・・・・」
「思い人ですか?あの菜緒子ちゃんが、そんな片思いみたいなことになる相手がいるとはちょっと意外すぎますよ・・・」
「いや、あの子とてまだ若いですし、割と真っすぐな性格でもありましてまだ少女のようなところがあるのでしょう。夢見る少女というほどではありませんがね」
「そうかもしれませんが、菜緒子ちゃんならまわりの男たちが放っておかないというか、
もし彼女に思われたらたいていの男は気持ちを受け入れると思うので片思いにはならないと思うのですよ。もし彼女では物足りないとかいうなら、そいつ自身はどんだけハイスペックなんだってことになりますね」
まずルックスが抜群に良くて、頭も良くて心根も優しい菜緒子のほうがハイスペックという表現にむしろあてはまる感じであるので京一としてはその菜緒子に思われながら放っておく男がどういう男なのか全く想像がつかなかった。
「まあ確かに菜緒子に憧れる男はまわりに少なからずいると思いますが、だからといって世の中の全ての男がそうだというわけではありませんからね」
「モテるにはモテるけど高嶺の花すぎて逆に男が近づいてこないみたいなパターンなのかもしれないですしね・・・しかしいつまでも夢見る少女じゃあいられないというわけではないですけど、その思い人よりもっといい男がすぐに現れるかもしれないし、その時はどうするかわかりませんよね」
「ただ一つだけ、そう簡単にはいかないかもしれない事情もありましてね、確かその思い人は外国に引っ越してしまったはずなのですよ。ですからいい男が現れても純粋な比較が出来ない可能性がありますね。菜緒子の中にあるその思い人のイメージが良くなりすぎているのかもしれませんのでね」
「遠距離恋愛というか、遠距離片思いというわけですか・・・近くにいなければその思い人の悪い点とかマイナスの評価が新たに出て来る可能性は低いですよね。逆に彼女の中でどんどん美化される一方かもしれない。もしそうなっていたらもう、ある意味無敵ですよね・・・」
「まあ、私としてはあの子がこの先どのような恋愛をしていくとしても静かに見守ってやるしかありませんけどね。叔母の元夫という微妙な立場ですので・・・」
河田はそう言って笑ったが、京一にはその笑顔が少し寂しそうにも見えた。
あのハザマとの一件以降に会う河田はいつもの河田であり今日もまたその河田であった。初めて京一と出会った時と同じで物腰の柔らかい紳士である。河田が激しくて恐ろしい人になったのはあの時というかあの瞬間だけある。そして、あの妙なイケメンモードになることもなかった。それもまた美里に格好良く助言したあの日にたった一度だけそうなったに過ぎなくて、京一の前で河田の様子がおかしくなったのはその二回だけなのである。
菜緒子と美里がスーパーマーケットで様子のおかしい河田を見たらしいが、京一が実際に見たわけではなかった。しかし、京一自身が見たのはたった二回だけなのであるが、とはいってもあのように河田が完全に別人のようになったことは京一にとってはとてもインパクトがあり、またとても不思議な現象であったので、このところずっとあれは一体全体どういうことだったのかといろいろと考えを巡らせていたのである。
そして、昨日の夜くらいに京一なりのある一つの有力な仮説に辿り着いたのである。
その仮説はなかなか衝撃的なものであるし、そしてまた同時にデリケートな問題も出てきそうであったので、これまた菜緒子がいる時には触れにくい話題であったのだが、今こうして河田と二人だけになったこのタイミングで京一はずっと気になっていた河田に関する謎や疑問の答えとなり得そうな秘密について本人に聞いてみようと思いきって話を切り出した。
「突然なんですけど・・・河田さんは人助けの活動をなさる時に急に性格というか、人格が変わってしまって別人のようになられることがあるように思うのですが・・・もしかして
あのような時は河田さんの中に存在する別の人格が表に出て来ていたりするのでしょうか?」
「別の人格ですか・・・それは、私が多重人格者ではないかとおっしゃっているということなのでしょうか?」
「まあ、そうですね・・・最初はそっくりな双子のご兄弟と入れ替わっていたのではとかいう可能性まで考えたのですが、あの時は今こうしてお話している河田さんから急に別人に変身したような感じがしたので、別の人格と入れ替わったという表現のほうがしっくりきてしまうのですよ。だとするなら多重人格ということになるのではないかという結論に辿り着いてしまうのです・・・」
「そうですか・・・・・・」
「あっ・・・やっぱり、急におかしなことというか、失礼なことを言ってしまったみたいですね・・・すいませんでした」
「いや、謝っていただく必要はありませんよ。やはり気づいておられましたか・・・・・・もしかしたら南野さんならお気づきになってしまうかと思っていたのですけどね」
「えっ・・・それでは、やはり・・・」
「はい、ご名答です。実は私の中には私と違う人格の者が複数名存在しているのですよ。
そして、私の能力だけではどうにもなりそうにない場面などに出くわした時は、その違う人格の数名の中からその場面に対応するのに最も適した者に出て来てもらって私と入れ替わってもらうのです。そして私では解決できない問題の処理に当たってもらうというわけなのですよ」
「なんと、違う人格が複数名存在するのですか!確かに・・・美里ちゃんを助けた時と加奈子さんを助けた時ではぜんぜん違う人格の人が出てきていた感じはありましたよね・・・」
「そうなのですよ。美里さんの時は女性の扱いが上手いというかとても慣れている和真という人格と交代していましたし、加奈子さんの時はハザマのような相手に強く出られそうな達彦というまた別の人格と交代していたのですよ」
「そうなんですね・・・それぞれの人格にはそれぞれちゃんと名前もあるのですね。そしてその二人の他にもまだ違う人格が何人かいるということなのですよね・・・」
「はい、その通りです。まだ他にも違う人格の者がいまして、うまい具合にそれぞれ得意分野が違うのでいろいろな場面に対応できる感じにはなっていて結構便利ではありますね」
「それは何か凄いですね。凄い特殊能力というか、もはやちょっとした超能力じゃあないですか!」
「いえいえ、超能力はちょっと大袈裟ですよ。そこまで凄いものではありませんよ」
河田は思わず笑いながら答えてしまった。実は自分は多重人格者であったという普通に考えればなかなか深刻ともいえる秘密の告白をしていたのだが、南野京一という人間はそんな自分を奇怪な者という感じで見たり恐れて距離を置こうとしたりはしないのだ。そういう否定的な見方をしないどころか超能力みたいで凄いなどと少し子供じみてはいるが言われた相手が悪い気はしないような表現をしてくれて、どちらかといえば肯定的な感じで見てくれているようなのだ。
河野が笑顔になってしまうような愉快な受け答えをしてくれてなおかつ、ただ気を使ってくれているだけではなく心から感動しているような様子の京一に対して河田は良い友人が出来たな、そしてとてもありがたいなという気持ちが湧いてきた。
河田の笑いは自分の個性を超能力と表現されたことに対してだけではなくてそういう色々は感情が入り混じって出て来たものであった。
「しかし、南野さんはいくつもの人格を持っている私のことを気持ち悪いとか怖いとかいう風には少しも思わないのですか?」
「まあ、正直驚きはしましたよ。でも、何というか・・・人格が入れ替わっていた時は別人のような感じはしましたけど、しかしあの河田さんも間違いなく河田さんだという感覚があったんですよ。自分でもちょっと何言ってるのかわからない感じなんですけど、そう思えたんです。だから気持ち悪いとか怖いとかは無いですよ。何と言いますか・・・河田さんに違う人の魂が乗り移ったとかいうのではなくて、多面性と言いますか、河田さんの中にある違う部分が顔を出したように感じたんです。だから、まさにそれは多重人格というものではないかなという結論になったというわけです」
「そうですか・・・分かる方には分かってしまうものなのですね・・・
いや、ありがとうございます。そう言っていただけると気が楽になりますし、南野さんに私のこの秘密を打ち明けて本当に良かったと思いますよ」
今後、河田の中に存在する色々な人格についてより深く知ったときにもしかしたら京一がやはり自分のことを奇怪な存在だと思ってしまう可能性もあるかもしれないが、もしそうなってしまってもそれは仕方がない。今の河田には南野京一に自分の秘密を打ち明けたことについて心の底から何の後悔もなかった。そして、何か清々しい気持ちにさえなっていた。
「それでですね・・・僕が立ち会わせていただいた二度の人助けの時に出て来たお二人?の人格についてもうちょっと詳しくお聞きしても大丈夫でしょうか・・・?」
「もちろん、構いませんよ。それに関しては気になって当然だと思いますので」
「では、美里ちゃんの時に現れた和真さんという人格ですが、その人に関しては女性の扱いが上手いので美里ちゃんを上手く説得できたということでよいのですかね?」
「はい、その通りです。私より和真の言葉のほうが説得力あるのだと思ったのですよ。特に女性にとってはね・・・ですから私に代わって美里さんと話してもらったのですよ」
「そうでしたか・・・その和真さんについては確かに何か女性にモテそうな雰囲気があったので、女性の扱いが上手いというのもなんとなくわかります。ちょっとよくわからなかったのは達彦さんの性格についてですね」
「ほう、達彦の性格ですか・・・」
「そうですね・・・達彦さんはハザマのような相手に強く出られそうだと思ったということでしたね?」
「はい、その通りですよ」
「確かに最後は火を吹くようにお怒りになられてハザマを圧倒してましたが、最初はどちらかといえばなんだか大人しそうな雰囲気の人だと感じましたから、なんというかそのギャップが激しかったことに驚いてしまいました」
「ギャップですか・・・そうですね、まあ確かに、それも含めて達彦は秘密兵器のような存在ではありますねぇ」
「秘密兵器?ですか・・・?」
「そうです。達彦は秘密兵器であり、かつ最終兵器であるともいえる人格なのですよ」
「それは・・・何だか凄いですね・・・」
「達彦は普段は引っ込み思案で大人しい性格なのですが、ハザマと対峙した時のようにいざとなれば腹をくくって敵対する相手に正面から挑んでいける勇気もあるのですよ」
「基本的には大人しい性格なのですね。でも、途中からかなりキャラが変わったように思うんですけど・・・」
「達彦という人格には二面性がありまして・・・怒りが限界まで達するとハザマに詰め寄っていた時のような激しい感じの人間に豹変してしまうのです」
「そうでしたか・・・それはもしかして、またもう一人の別の人格が出てきたとかいうことなのですか?」
「いや、達彦は普段は大人しいけれど一たび火がつくと人が変わったように激しく怒るタイプの人間ということなのです。大人しいのも激しいのもどちらも達彦ですよ」
「な、なんか、ややこしいですね・・・本当に人が変わるのではなく、あくまでも人が変わったように激しく怒るタイプということなのですね。人というか人格がと言うべきなのでしょうが・・・」
「そういうことです。お酒を飲んで酔っ払った時に性格が変わる人はたまにいますけど、そういう人のことを違う人格が出て来る多重人格者とまでは言わないでしょうからね」
「なるほど、それは分かりやすいです。でも確か、怒っているときはなぜか関西弁になっていましたよね。それでも達彦さんとは別の関西人の人格が出てきたということではないのですよね?」
「はい、関西人の人格ということではありません。怒ると関西弁になってしまう、そういう人なのですよ達彦は」
「な、なるほど・・・そういうことなのですね・・・でもハザマと対決するのに適任の人格だったというのがよく理解できました。ハザマに詰め寄っている時はかなりの迫力がありましたし、相手からすれば色んな意味で怖いでしょうからね・・・」
「はい、思惑通りとても上手くいったと思います。怒る前と後とのギャップで驚かせてそのまま畳みかけることが出来ましたからね。しかしこれも南野さんからヒントをいただいて思い付いたのですよ」
「え?僕がヒントを差し上げたのですか?」
「はい。以前、南野さんがプロレスラーみたいな体格をした厳つい感じの知り合いに強めに警告してもらえたらいいかもみたいなことをおっしゃっていましたが、達彦は見た目こそわりと普通で厳つさなどは感じさせない男ですが、怒りが爆発した時は関西弁になることも相まってかなり威圧感があるので南野さんの考えた通り強い警告が出来るのではと思いついたわけであります」
見た目は達彦であろうが貴博であろうが和真であろうが全員同じ河田さんではありませんかと一瞬ツッコミを入れそうになった京一であったが、まあ確かに顔つきや表情が別人のように変わってしまうので見た目も多少変わるといえば変わるなと思いなおして、すんでの所で無粋なツッコミを思いとどまった。
「ああ、そういえばそんなことを言いましたね。ただ、あれは本当に思いつきで言ってみただけで実現が難しいアイデアでしたけど」
「しかし、結果としては南野さんのアイデア通りの方法で人助けをやり遂げることが出来たわけですよ」
「まあ、それも全て河田さんの特殊能力というか、個性による実行力があってこそ成立したわけですからね。そうやって僕の拙いアイデアを実現してしまう河田さんがやっぱり凄いのですよ」
「いえいえ、私はただの変わり者というだけであって私の個性など大したものではありませんよ。それよりも美里さんを助けたときも今回も南野さんの発言からヒントを得て私の中のどの人格に出て来てもらって問題を解決してもらうのかを決められたわけです。ですから南野さんの助けがなければ上手くいったかどうか・・・」
「ま、まぁ・・・多彩な能力をお持ちになられている河田さんならきっとお一人でも人助けをやり遂げたとは思いますが、僕が少しでもお役に立てたのであれば、それは嬉しいです」
河田と京一はお互いの活躍を少し大袈裟なくらいに称えあった。京一としては以前に河田が威嚇や武力行使のようなやり方によって解決するというのはあまり感心しないと言っていたことを思い出して、それなのに結局はまさにそういう感じのやり方で問題を解決してしまったではないかと思ってしまった。
しかし、無事問題を解決できたのであるからその話を持ち出してツッコミを入れるのもまた無粋であるなと思って、それについてはもう忘れてしまったことにして触れないのが大人の対応だろうと結論づけた。なのでこの矛盾についてはもう自分の心にしまっておくことにした。
「しかしですね、今回や前回の人助けは菜緒子や友人である南野さんに相談して問題解決の糸口を与えてもらった上で自分の持つ個性や能力を発揮して実際に問題解決にあたるという流れになったわけなのですが・・・」
「はい、そういう感じでしたけど何か問題とかありましたかね・・・?」
「いえ、問題などございません。むしろそういう一連のプロセスがですね、何といいますかとても新鮮に感じたのですよ。こんなことを言っては困って助けを求めていた方々には申し訳ないのですが、正直言ってとても楽しかったのですよ・・・」
「そうでしたか・・・実は僕にとってもとても楽しくて充実できた経験でありましたよ、あの人助け活動というものは・・・」
「誰かと協力して一つの目標を達成するというのは良いものですねぇ、改めてしみじみとそう感じてしまいました・・・」
「ということは、僕だけでなく菜緒子ちゃんも人助け活動に参加したのは美里ちゃんの時が初めてだったということでしょうか?」
「はい、そういうことです。菜緒子が人助けの依頼者を連れてきたのはあれが初めてでした」
「そうでしたか・・・では、これまでは人助け活動をする時にこういう感じで何人かで相談したり協力したりというやり方はされてこなかったのでしょうか?」
「はい、これまで私は人助けを行うにあたって他者に協力を仰ぐということはしてきませんでしたね。他者と協力するのではなく自分の中の他の人格と協力してやってきました。ですから傍から見ればあくまで自分だけで依頼されたことをやり通しているという風に見えていたのでしょうね。実際、体は一つしかありませんしある意味自己完結していたということになるのでしょう・・・」
「他の人格と協力するのですね・・・多重人格の人というのは皆さんそういう感じなのでしょうかね?」
「さて、どうなのでしょうか?人それぞれなのではないかと思いますが・・・他の多重人格者が私のように多くの人格と協力して何かをしているかどうかはわかりかねますね・・・他の人格が一人しかいない二重人格の方もいらっしゃるでしょうから、その場合は私とはだいぶ事情が違うと思いますしね・・・」
「そうか、人格の数も人によって違うわけだ。まずそこからして人それぞれですよね・・・」
「そうですね、私は精神科医でもないし精神医学や心理学の学者でもないので私自身のことしかわかりませんからねぇ・・・医者や学者なら多くの症例の記録を参考にして研究したりするでしょうし、直接自分で多重人格のような人と会う機会もあるでしょう。何人かと接した経験があれば比較も可能ですし、そういったことで多重人格全般について詳しくなるのでしょうけど、私は私のケースしかわかりません。私自身の経験談ならお話しすることはできますが、他の人のケースについてはよくわからないのですよ」
「なるほど、確かにそれはそうですよね・・・すいません、とても的外れな質問をしてしまいましたね」
「いえ、そんなことは・・・多重人格者である私自身が多重人格についてあまりよくわかっていないのですから、多重人格者ではない南野さんからすれば謎だらけなのは当然であると思います」
「はい、正直謎だらけです・・・」
「ははは、そうでしょうね。ほんとに当然ですよそれは・・・」
河田は笑って答えた。別に作り笑いなどではなく京一のことを本当に正直な人間であると微笑ましく思って思わず笑みがこぼれたのだ。
「私自身よくわからないといいましたが、わからないなりに色々と調べてみたことはあるのですよ。私のような人間のことを以前は多重人格障害などといっていたようですが、最近では隔離性同一症などというらしいですね」
「ああ、その言い方はドラマとか映画でそう言っていたのを聞いたことがある気がします。でもどちらも病気みたいな言い方なのがどうかと思いますがね・・・」
「まあ、医学的な言い方ですからそうなりますよ」
京一は河田に気を使ったが河田自身は特に気にしていないようであった。
「河田さんの場合は子供の頃から複数の人格があったのですか?」
「いえ、そうではないのですよ。私はもともと多重人格者というわけではありませんでした。もともとは人格が一つしか無かったのですよ」
「ああ、そうだったのですか・・・」
「子供の頃までは普通の人と同じで人格は一つだったと思うのですよ。どうでしょうね・・・人格が複数になりだしたのは思春期の頃くらいからだったでしょうかね・・・?」
「まあ、思春期の頃は誰でも色々悩みが出てきますしね・・・」
「ええ、そうでしょうね。私の場合もその思春期に何か悩みがあったりしたのがきっかけだったと思うのですが、自分の中から普段の自分とは異なる人格が生まれ出てきたといいますか、人格が分裂して増えてきたような感じなのですよ」
「そうですか、そうして出て来た人格がそれぞれ色々な特技とか特性とかを持っていたというわけなのですね・・・」
「まあ、簡単に言うとそういうことですね。全くもってややこしい人間ですいませんね」
河田はそう言ってまた笑ったのだが、今度は自嘲を含んだものであった。
「いや、そんな・・・でもまあ、ややこしいのは達彦さんくらいじゃあないですかねぇ?僕は彼一人で二つの人格があるみたいに勘違いしてしまいましたからね・・・」
「ああ、達彦はちょっと特別な人格ですからね。実は彼にはまだいくつか秘密があるのですよ・・・」
「え、まだ何かあるんですか・・・?」
達彦という人格はかなり強烈だったので、京一はさらに秘密を聞いても大丈夫だろうかと少し不安になった。
「いや、実は・・・私たちの中のメインの人格と言いますか、もともとは一つしかなかった人格というのは実はあの達彦だったのですよ」
「へっ?それは・・・一体どういうことですか・・・?」
「いま申し上げた通りで、そのままですよ。もともとは達彦という人格一人だけしかいなかったのですが、そこから私、貴博や先日お目にかかった和真が分裂するように出てきたというわけです。ですから私の戸籍上の名前も河田達彦なのですよ」
「えぇええええええぇ!・・・そうなんですかぁあああああ!」
「まあ、驚かれるのも無理はないと思いますが・・・これは事実です」
「いや、しかしですね・・・僕が普段お会いしている河田さんというのは、基本的には今まさにこうしてお話している貴博さんなのですけど・・・・」
「はい、今は私がメインの人格をやっていますのでね。普段は私、貴博が一番長い時間表に出ていますし、南野さんが最初に出会ったのも私という人格でしたからあの達彦がメイン人格だったと聞いてもにわかには信じがたいでしょうね」
「はい、もう意外すぎてびっくりですよ」
「実は菜緒子が最初に出会ったのも私、貴博なのですよ。そしてあの子も和真や達彦を見たのは南野さんと同じく一度ずつだけです。南野さんも菜緒子も基本私としか接していませんから驚かれるのも当然と言えば当然のことですよね」
「いやぁ、そうでしたか・・・しかしそもそもなぜ普段表に出ているメインの人格があの達彦さんから貴博に交代したのですか?」
「ある日突然、達彦がもう自分はメイン人格であることをやめると言い出したのですよ。そして、もう誰でもいいので後は任せたと言って引っ込んでしまってそれ以来ほんとうにメイン人格をやめたままですね」
「ほ、ほんとにですか?本当にそんなことがあるのですか・・・?正直それはとても驚きですし、信じがたいのですけどね・・・」
「ええ、実際にそんなことがあるんですよ。私が本来は後から出て来た人格であるということは紛れもない事実なのですよ」
「いやぁ、驚きました・・・多重人格であるということも驚きでしたが、何よりもそのカミングアウトが正直いって一番インパクトがありましたよ・・・しかし、なぜ代わりのメイン人格に貴博さんが選ばれたのですか?私としては貴博さんがメイン人格でまったく違和感はありませんが、変な話誰がやるとかで揉めたりはしなかったのですか?」
「割とすんなり決まったと思いますがね・・・対外的に一番無難なのが私だからという理由で、私がすればいいんじゃないかみたいな決まり方だったと思います」
「ああ、それはなんとなくわかります・・・もともとメイン人格であった達彦さんには申し訳ないのですが、はっきり言って達彦さんと比べたら貴博さんのほうが断然接しやすいお人柄だと思います・・・」
「ははは、本当にはっきりおっしゃりましたね。達彦にとっては手厳しい意見でしょうが、
私にとってはありがたいお言葉です」
「そうか、なんか好きなように言ってすいません。どちらも河田さんなんですもんね・・・」
「いえ、別に大丈夫ですよ。そのへんはお気遣いなく今まで通り普通に話していただいて結構ですよ」
達彦は強烈なキャラであったし和真もややとっつきにくいところがあったので確かに貴博が一番無難だとは思ったが、一番凄いかもしれない割と重大な秘密をさらっと言ってのける貴博もなかなかの人物であり、河田の人格はみんな独特の空気をもった個性的な性格の人ばかりだなと思う京一であった。
「しかし、ある日突然自分はメイン人格をやめて引っ込もうなんて、どういう心境だったのでしょうね、達彦さんは・・・」
「そうですね・・・達彦は特別心が弱い男というわけでもなかったのでしょうが、精神的にきつくなってしまったのでしょうかね・・・まあ、後から出て来た私や他の複数の人格のまとめ役みたいなことをするのが負担になったのかもしれません。そういう意味では私にも責任の一端はあるでしょうね」
「でも、全員他人ではないわけだし、全員合わせて河田さんであるように僕には思えます。だから、そういう負担とかも全部、達彦さんも含めた全員の問題であって誰のせいとかいうことではないように思えますけども・・・」
「そうですね・・・いや、本当にその通りなのです。やはり南野さんは洞察力がすごいですね。すでに私たちのことをかなり理解していただいているのだと思います」
「いやぁ、僕なんか普通ですけどね。でも、なんとなくですが複数いらっしゃる人格の皆さんはなんだかんだいって仲が良くて、上手くやられているのだと感じますよ。人助けする時も協力して、チームワークで問題を乗り越えて見事成し遂げられていましたからね」
「それは確かにそうですね。私たちはこれまで皆で協力して自分や他の方の問題を解決してまいりました。しかし。「皆で」といっても結局は全員同一人物であって他人から見たら河田貴博という人間が一人でやっているという風にしか見えなかったのでしょう。そして、先ほど南野さんがおっしゃったように実際いくつ人格があろうとどの人格も全て自分であるので一人と言われれば一人であることに間違いはありません」
「ちょっと複雑ですけど、理屈としてはそうなのでしょうね・・・」
「そうですね、私たちはいろいろとややこしいのですよ・・・南野さん、こんなややこしい私ですが、改めて私と友人としてお付き合いしていただけますでしょうか?」
「あ、はい・・・それはもう、私のほうこそこれまでと変わらないお付き合いをしていただけるのであれば幸いです」
色々聞いて若干心配も出てきたのだが、そんな風に言われてしまったらこう答えるしかない京一であった。それに、やはり友人として河田と一緒にいると色々と刺激的な体験ができるわけであるし、それが楽しいことも河田という人に好感が持てることも本心でありこれからも友人関係を続けたいという言葉に嘘はないので何となくとっさに出した返答ではあったが別に問題はないと京一は思った。
「あの、一つだけ気になったことがあるのですが、結婚された時にお相手に戸籍上の本名が知られてしまったと思いますけど、そこはどう説明されたのですか?」
「ああ、それはですね・・・婚姻届も離婚届も先に元妻の菜々子に記入してもらって私が後から記入して役所で手続きいたしましたので、結婚期間中も今も元妻や菜緒子には私の名前は河田貴博ということで通しています」
「え、ああ・・・そうなんですね・・・」
「そもそも元妻とは和真が出会ったのです。そして和真が和真と名乗って付き合ってきて、結婚することになった時に後は普段表に出てるお前に任せたといわれて私が結婚生活を引き受けることになったのです。ですから本当は私の名前は貴博であることは元妻には打ち明けたのですよ」
「でも、戸籍上の本名であり公的なお名前は達彦さんなわけでありますよね?元奥さんにそのことを打ち明けようとはされなかったのですか・・・?」
「まあ・・・私、貴博が達彦を名乗り続けるのもややこしいですからねぇ・・・それにそんなことをしたら読者もわけがわからなくなってしまいますからね」
「読者がどうとかいうのは何言ってるのかよくわかりませんけど、まあ、ただでさえ和真さんというお名前ではなかったと告白しておいて、その上さらに貴博さんが達彦さんと名乗って生活するのがややこしくて厳しいということはお察しいたします・・・」
そう答えつつ離婚原因が何だったのかもある程度察してしまった京一なのであった。結婚を機にメイン人格を和真と交代するという選択にならなかったのかという疑問は残るのだが、もはやそこを突っ込もうという気にはなれなかった。河野の結婚観や結婚生活が規格外すぎるしそれ以外でも理解しがたいことは色々とあるので、もう何をどう信じたらいいのかよくわからなくなってきたのであるが、どうせどれだけ考えても結局よくわからないであろうと思って京一は考えるのをやめた。
「あともう一つ、僕は和真さんや達彦さんを見て違う人格ではないかと気づいたわけですが、貴博さんしか知らない菜緒子ちゃんと違って元妻であった菜々子がさんはそもそもは和真さんと交際していたのに結婚を機に人格が貴博さんに変わったことに気づいていないなんてことはあるのですか?菜緒子ちゃんは何も知らない感じですけど、菜々子さんは実は気づいているけど菜緒子ちゃんには秘密にしてるだけなのですかね・・・?」
「いえ、菜々子はおそらく気づいていないと思います。洞察力が鋭い南野さんと違って彼女はどちらかというと常識にとらわれてしまうところのある人間ですので、まさか私が多重人格者などとは思いもしないのでしょう。そういう感じで私の本質を理解しようという気持ちが彼女にはあまりなかったことが離婚の原因かもしれません」
いや、離婚の原因そうではないだろうと京一は思わず心の中でツッコミを入れてしまった。原因はもうちょっと根本的なところにあって、もっとシンプルな理由だろうと思ったのだ。
自分は結婚したことはないが、結婚した途端に相手が別人のように変わったら誰だって困るだろうと思ったのだが、そこは大人なので言及しても仕方ないし言ってもあまりいいことも無いだろうと思って口には出さず心の中にとどめておいた。
「ああそうだ、ちょうど元妻の話題になったのでお話ししておきたいことがございます」
「元奥さんが?どうかなされたのですか?」
「いえね・・・実は菜緒子が強引に元妻と私との会食の席をセッティングしてしまいましてね・・・」
「へぇ、菜緒子ちゃんがそんなことを・・・」
「はい、私と元妻の菜々子と菜緒子が参加するのですが、三人だけではちょっと話しづらいであろうということで菜々子の職場の後輩も誘うことになったのですよ」
「なるほど・・・それならば微妙な空気が少しは緩和されるかもですね」
「はい、知り合いの店を貸切りにしてもらってやるそうなのですよ。それで私の方もどなたか誘って連れてきたらいいということになりまして・・・どうでしょう、南野さんも一緒に参加していただけないでしょうか?」
「え、そのような席に僕がいてもよろしいのでしょうか・・・?」
「もちろんですよ、菜緒子も含めてあちらの関係者ばかりではかなりアウェイな状態になってしまいそうなので、ぜひお願いしたいのです」
「そうですか・・・僕のようなものでよければ、喜んで参加させていただきます。むしろこちらからお願いしたいくらいですのでちょっと光栄です」
思ってもみなかった急なお誘いであったが京一としても正直ちょっと興味があったし、単純にちょっと楽しそうな会なのですぐさま参加を承諾してしまった。
「ああ、良かったです、本当にありがとうございます。南野さんと友人になれて本当に良かったと思います」
「いやぁ、そんな風に言っていただけるなんて照れてしまいますよ。僕の方こそ河田さんと友人になれたことで、何といいますか・・・世界が広がったと思いますのでとても感謝しています」
「私のほうこそ感謝しておりますよ。南野さんに私の秘密を打ち明けることができたのも本当に良かったと思います。南野さんにご一緒していただけるならアウェイなどではなくなりますのでまさに百人力であります!」
「それはちょっと大袈裟だと思いますよ、何か少しでもお助けできればとは思いますけどもね。しかし、菜緒子ちゃんがそんな会をセッティングするとはね・・・」
以前、美里を助けた時にイケメンな性格の和真に代わった河田を見た菜緒子が何やら思いついていたようであったことを思い出して京一はピンときた。今考えてみるとどうやらあの時にこの会食のことを思い付いたのだろうなと思ったのだ。
元妻の菜々子は河田のことを理解しきれなかったのかもしれないが、菜緒子はそれこそ洞察力が鋭いしやはり頭も気もよく回る賢い子のようである。河田の秘密について知らないにもかかわらず叔母である菜々子が惚れたのは和真が表に出ている時の河田であるという本質的なことにはちゃんと気づいているようであるからだ。気づいたからこそかつて菜々子が惚れたであろうイケメンな河田の一面を見て菜々子と河田をまた引き合わせてみようと思ったのだろう。おそらくそう考えてまちがいなさそうである。
「たぶん、私と菜々子によりを戻すように仕向ける意図でもあるのでしょうね・・・そう簡単なことではないのに・・・」
河田もそこは感づいているようで、京一とほとんど同意見のようである。
「まあ、彼女は河田さんの秘密を知らないわけですからね・・・河田さんが複雑な事情を抱えていらっしゃることはわからずにこの会食を思い付いたのでしょう。でも、叔母である菜々子さんや河田さんが幸せになるために一肌脱ごうとしているのでしょうから、そういう菜緒子ちゃんのことはやっぱり可愛く思っているのではないですか?」
「ははは、そうですね・・・やっぱり南野さんは何もかもお見通しのようだ・・・まあ、とにかく会食の件、よろしくお願いいたします」
「はい、喜んでお供させていただきます!」
河田も感謝してくれているようであるが、本当に自分は良い友人を持ったと心底思う京一なのであった。どうやらしばらくは退屈であった日常が戻ってくることはなさそうであることが嬉しかった。
河田さんの秘密のお茶会 @yamashitamikihiro
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