“The life is beautiful” to you⑤
マックに入ると一瞬店員が不思議そうな顔をしたが、何事もなかったかのように見逃してくれた。きっと、あたしたちのような少女は時々逃げ込むように訪れることがあるのかもしれない。
注文に行ってくれるという小夜子に感謝して、一人奥の化粧室に向かう。肩に掛けたブランドのポーチから化粧品と櫛を取り出し、さっさと身なりを整えていく。ある程度見られるようになって化粧室を出ると、窓際の席に座ってぼんやりと外を見つめていた。
「お待たせ」
そう一声掛けて隣に座る。小夜子は小さく頷くと、自分で頼んだのであろうポテトをもそもそと口に運んでいた。
「いくら? 払うよ」
「別にいい」
それから小夜子は、お金はあるからと小声で続けた。
「いや、でも悪いよ」
「ううん、いいの。親がいっぱいくれるから」
そう言う顔がどこか悲しげで、学校でこんな表情をしているのは見たことがないと思った。いや、もしかしたらしているのかもしれないが、あたしが知っている限りでは一度も見たことはなかった。
「なんかあった……?」
冷たいジンジャエールを啜りながら尋ねる。炭酸の泡立ちだとか、甘さの控えめな味だとか。どこか大人の飲み物のようなこれが、あたしのお気に入りだった。
「ちょっとね」
彼女は作り笑いを浮かべると、ポテトを二、三摘んで口に放り込んだ。その仕草がどこか無理をしているように思えて、胸の奥に苦い何かが広がっていくように感じた。
「そう言えば、大川さんは……」
「綾香でいい」
彼女の言葉を遮り言う。一瞬戸惑ったようだが、それでも一度こくりと頷くと言葉を続けた。
「じゃあ、綾香ちゃん。どうして西口に?」
あたしは、一瞬目をそらした後、もごもごと口ごもる。不思議と、彼女には話してもいいのではないだろうかと思えたからだ。いや、下手に誤魔化すのは彼女に悪い気さえしたからかもしれない。それはきっと、小夜子の持つ雰囲気と、真っ直ぐな視線のせいだろう。
「あたしは……」
ぽつり、ぽつりと語る。自分のしていること。その理由と原因。どれも生々しく、汚れた話だったから、引かれるかもしれないと思った。拒絶されるかもしれないと思った。それでも、自分の内に堪る、この毒を吐き出してしまいたいと思った。
「そっか……」
小夜子はあたしの話を聞き終わると、そう呟いて俯いてしまう。言葉を探しているようで、先程から何度か顔を上げ、そして俯いてを繰り返している。
無理しなくていいよ。聞いてくれただけで嬉しいから。そう伝えようとしたとき、小夜子が意を決した顔でこちらを見つめた。
「じゃあ、私たち。友達になろうよ」
「は?」
何を言ってるんだろうこの子は。何を思ってそんなことを口にしたのか、あたしにはその真意が理解できなかった。あんな話を聞いても、そんなことをのたまえる理由ってなんなのだろうか。
「だから、友達になろ?」
小夜子はふわりと暖かな笑みを浮かべる。それは作ったそれではなく、心からのものだと彼女の雰囲気が教えてくれた。
「べ、別に良いんだけど……でも、なんで?」
汚れてるんだよ。あたしは貴女と違って。そんな零れた言葉を掬い上げるように、小夜子はそっとあたしの手を握った。彼女の手はふわふわと柔らかく、包まれているだけで安心するような暖かさがあった。
「理由なんて立派なものなんてないよ。私は綾香ちゃんと友達になりたい。それで、いっぱい楽しい思い出を作りたいと思ったんだ」
同情なんかやめてよ! あたしは思わず叫び出したくなった。それでも、そうしなかったのは彼女の黒い瞳がどこまでも真っ直ぐで、純粋だったから。
だから、すがりたくなった。助けて欲しかった。こんな汚れたあたしを。そんな資格はありはしないのに。
「本当だよ。綾香ちゃん」
小夜子はそっと、あたしを優しく抱きしめた。それは親の無機質なそれとも、男と軀を重ねているときのそれとも違う、今まで味わったことのないような心地よい熱だった。
「うん……」
なんとか絞り出した声は笑ってしまえるほど震えていて、その原因となっている涙が幾筋もあたしの頬を伝って滑り落ちていく。
「ありがとう」
彼女の腕の中で呟いた言葉は生まれて初めて、心から出た感謝の言葉だった。
「それじゃあ、綾香ちゃん。また明日。学校でね」
マックを出て、明治通りをひたすらに進み、大正大学前で別れる。あたしは大正大学のもう少し先に家があって、大正大学から数十メートル離れた場所に小夜子の家があることをこの日初めて知った。
「うん、飯田さん。おやすみさない」
「小夜子でいいよぉー」
小夜子はふわりとした笑みを浮かべて言う。満月の儚く、澄んだ光のようなそれが、彼女を表しているような気がして、あぁ、名前のとおりの人だと思った。
「さ、小夜子……」
少しだけ照れくさかったけれど、実際に口に出して見ると、自然と心に馴染んでいくように感じた。
「はーい」
空気は冬に近づいているせいで冷たかったけれど、彼女から溢れ出る春の陽気のような優しさのおかげで今だけは寒さを忘れることができた。
「それじゃあ、また明日」
あたしたちは別れを告げてそれぞれの家へと向かう。途中一度だけ振り向くと、彼女は道路を渡った先で空をぼんやりと見上げていた。あたしもつられるように空を見上げると、空には三日月が浮かんでいて、その上に霞のような雲がかかっていた。
明日の天気は悪いかも知れないと、頭の片隅に浮かんでは、消えた。
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