“The life is beautiful” to you
海
“The life is beautiful” to you①
猫になりたい。ショーツに足を通した瞬間、そんな考えが頭をよぎった。猫のように自由になって、この今にも吐いてしまいそうな世界から、解き放たれたいと思った。
ブラを着けるのさえ煩わしく思われ、あたしは真冬だというのに上半身裸のまま煙草に火を点けた。こんなことができるのも、暖房が効いているおかげで、そう考えると退屈な笑みがもれた。
空調のせいで部屋の中を銀色の煙がくるくると回るように漂う。その光景があたしの目には少しだけ幻想的なものとして映った。
「こんな綺麗なものが灰を真っ黒に汚すなんてね。皮肉もいいところ」
誰に言うでもなく、ぼんやりとひとりごちる。
後ろを振り向くと、先程まで一緒に寝ていた男が横たわっている。お金をくれるから、寝ただけ。周りの子は自分のしていることを知れば、きっと非難することだろう。それでも、あたしからすれば、それは埃の積もった教科書以上にどうでもいいものだった。
若さを売って何が悪い。自分の美しさを売って何が悪い。
自分が周りの子より美しいことは、かなり前から自覚していた。だから利用した。それだけのこと。別に責められるいわれなんてないはずだ。
まだ長い煙草を灰皿に押しつけ、今まで閉じていたカーテンを勢いよく開く。ガラスには結露がべったりと張り付いていて、今が冬だということを微かに思い出させてくれた。手でそっとその水滴たちをよけていく。
まだ三時に差し掛かったばかりの池袋の北口は、飲んだくれと客引きを照らすライトが暗闇になれた目には苦かった。
――ここは眠らない街。
窓辺からそっと身を引きはがし、ほうと息を吐く。吐息の熱で、また、窓に結露が蘇る。それがどうあがいても変わることのない自分の姿みたいで、あたしは顔を醜く歪めた。
カーテンを勢いよく閉め、備え付けられたソファの上に丁寧にたたまれた制服に視界を移す。淡い青色のブレザーに同じ色のプリーツスカート。その上におおざっぱに脱ぎ捨てられたスクールシャツと学年を表す青色のネクタイ。かわいくなんてない、ひどく地味な制服だと思った。
『あなたの学力だと、もっと上の学校を狙ってもいいと思うの。本当にここでいいの?』
中学時代の担任の声が耳鳴りのように脳内に響く。いらいらするほど優しいその声音に、何度舌打ちをしたことだろう。
何も知らないくせに。
あたしはそんな過去の記憶を振り払うように下着を身に着け、それから、地味な制服に袖を通した。空調に暖められたそれは、先程まで軀を重ね合わせていた男と似た温度で、そんな空っぽの熱に少しだけ吐き気がした。
軽く崩れた化粧を直し、そそくさと帰り支度を始める。スクールバッグからスマートフォンを取り出すと、チャットアプリの通知がうんざりするほど届いていた。それらを全て見なかったことにして、カメラのアプリを起動させ、今はもう疲れて眠ってしまっている男の財布から免許証を取り出して写真に収める。これはもし何かがあったときにと、男と寝た後は毎回している習慣だった。
愛はそこにはなかったけれど、僅かばかりの快楽は確かに存在した。そんなものでいっぱしの高校生からすれば多額のお金を貰えるのだから手ぬるいものだ。
前金としてお金はとっくに貰っていたから、それ以上の額を取ろうとはせず、部屋をそっと出て行く。少しの間だけでもあたしを愛そうとした人。でも、もうかかわることなんてない人。
「おやすみなさい」
呟きはきっと、彼の耳にも心にも届くことはないけれど。それでも、一夜を共に過ごした最低限の礼をつくさなければと思った。
エレベーターを使ってロビーを出る。こんな時間に高校生がなんて、誰も言いはしない。だってここは――欲望の街でもあるのだから。
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