さよならスイートピー

あぼがど

 朝、全地形対応車ATVの天蓋を開けて外を眺めれば、ここが地球だと言われても疑わない。火星でも南極は南極で、冷たい氷と冷たい空が広がっている。昔はそうでもなかったって言うけれど、昔のことなんて知らない。

 大事なのはいまとここ、いまここにいる私と、私の大切なピーのこと。どうしたのハー、寒くないの?私のゴワゴワした防寒服の傍らに、B&Wの美しい羽毛につつまれた綺麗な頭がひょっこり顔を出す。

 赤橙色の嘴の曲線は優美で、つぶらな瞳は夜の泉のように深い。真白い羽冠が朝日に輝いたら、それはまるでティアラみたいだね。私の最愛のパートナー。私のペンギン。私のピー。

 私はピーを抱きしめて、そのままちょっとリフトしてあげる。飛べないペンギンがほんの少し、火星の空に近づくように。きゃっ。もう、やめてよハー。いいじゃない、ピー。


*

 昔、はじめて火星にペンギンが発見されたときには地球文明は大いに驚愕をもって受け止めたが、幸い既に地球でもペンギンとの言語コミュニケーションは成立していたので、火星ペンギンとの交流はその技術の応用で速やかに達成された。

 火星ペンギンとの言語コミュニケーションが容易に成立したことよりも、その原因が解明されたときのほうが驚きは大きかった。火星ペンギンは元々地球上で生まれた種であり、それが何らかの方法で火星に移住した存在だったのだ。


 やっぱり火星は違うね。風も空も違うね。空を眺めてピーは言う。そうかなあ、と私は思うけれど、言葉にはしない。楽しそうに旅路の先を見ているピーを、困らせたくはないから。会話器コンバーザーを通じて聴こえるピーの声音は、火星に来てからずっと弾んでいるから。

 大粒のパールをあしらった銀のプレート、ペンダント状の会話器はふたりで買った私とピーのおそろいの絆。私の声は、ちゃんとピーに届いているかな?私の不安は、私の悲しみは、ちゃんと隠し通せているかな?

 お茶を飲んだら出発しようね。きっと今日中には出会えると思うよ。ピーはやっぱり楽しそうに言う。夢、なんだろうなあ。ここまで来たこと、これから出会うこと。全部が、彼女の、夢。


*

 火星ペンギンの体長は地球のペンギンよりもずっと大きく、2mを越える程である。これは火星特有の低重力環境の影響と思われるが、遺伝的に見れば火星ペンギンは地球上で新生代第三紀には絶滅したと考えられているジャイアントペンギン、『アンスロポルニス・グランディス』から進化した子孫だと考えられている。奇しくも“人間鳥”とも呼ばれた彼らは火星で生きていた。それをして「火星にヒトは存在したのだ」などと主張するものもいたが、その頃にはもう知的生命体がヒトであるかどうかという問いかけはあまり意味を成さなくなっていたので、火星ペンギンが「火星人」と呼ばれることも無かった。どこに居ようがペンギンはペンギンなのである。


 自律運転のATVに揺られて、ピーと私は火星ペンギンの群れを探している。だいたいの位置は衛星マッピングで把握できるけれども、彼らも移動を続けているから、ちゃんと上手に邂逅できるかどうかはわからない。

 いっそ出会わなければいいのになあ。そんなことを思うけれども、ピーには言えない。私は自分のこころの中身を伝えたくない。どろどろした澱のようなものが、そこに溜まっているから。


*

 では一体どんな技術・手段を用いて地球から火星へと生息空間を移動したのか。その方法を問われた火星ペンギンはこう答えたという。


「歩いて。あるいは泳いで」


 お昼をしばらく過ぎたころに、はじめてATVの窓から火星ペンギンの姿を捉えた。ピーはもう、大はしゃぎだ。ホーンを鳴らして窓から身を乗り出して、フリッパーをぶんぶん振って挨拶する。

 火星ペンギン。本物を見るのはピーも私もこれが初めて。同じペンギンというけれど、私の可愛らしいピーとは全然違うじゃない。赤茶色で、なんだかもっさもさで、おまけに。

 無駄にデカいな。失礼よ、ハー。あれ、でも独りじゃない。群れからはぐれたのかなーあのペンギンは。そうね、ケガでもしてたら大変ね。わたしちょっと行ってくるね。

 飛び出したピーはそのまま全力疾走だ。ああ、火星ならあんなに速く走れるんだね、ピー。そりゃあ私が走ったほうがずっと速いんだろうけど、私が出しゃばることでもない。いったい、何を話しているのかな。

 ペンギン。地球で四番目に知的な生き物クオータナリーチェア・オブ・インテレクトゥス。種族の垣根を越えたパートナーシップなんて、いまさら珍しいことでも自慢することでもないけれど。

 けれど私は、私のパートナー恋鳥が余所のペンギンと話しているのを見ると、心に変な波が立つのを感じる。たとえ相手が火星のごわごわ饅頭でも。やっぱり、そっちのほうがお似合いなの?そんなはずないのに。ピーを信じればいいのに。


*

 火星ペンギンの文化には(地球ペンギンと同様に)種の記憶、歴史を文字で記録するという習慣が無かったので、事の真相が究明されるまではしばしの時間が必要だった。火星ペンギンとの言語コミュニケーションが可能とはいえ、言語だけで真意が知れるものではない。


 結局どうしたの彼?いやー彼女なのかな。傍目にはわかんないねえ。あの方、渡りには参加しないんですって。そういう鳥もいるのね。そーなんだー。このルートで間違いないそうよ。いっしょに乗って行きませんかってお誘いしたのだけど。

 いや、それはね、ちょっとね。乗せられないでしょうに。ええ、そう言われちゃったわ。自分はこのATVには大きすぎるし、群れに追いつきたいわけでもないんですって。そりゃ結構。私はふたりきりでないと嫌なんだよ、ピー。なにか言った?いーえなんにも。

 ねえピー、道が正しいなら、急がなくてもいいよね。もうひと晩、ゆっくりしようよ。美味しいご飯を食べようよ。ふたりで、ね。私はこっそりATVの巡航速度を落とす。やがて火星の陽も落ちる。


*

 火星ペンギンの側ではかなり以前、ヒトがまだ無人のランダーを地表に降下させていた時代から、火星外文明の存在と探査行為は認識されていたようである。ただ、火星ペンギンたちはそれらを平然と無視した。


「砂だらけの土地にわざわざ見物に行く必要もなかったから」


 そのため地球文明と火星ペンギンが最初に接触するまでには徒に時間が費やされ、偶発的にファーストコンタクトが発生したのは、火星環境の最適地球化テラフォーミングが相当進んだ時代であった。なお当然のように、最初に地球文明と接触した火星ペンギンは、ファースト火星ペンギンと呼ばれた。


 晩餐にはピーのごはん、地球から持ってきた本物のカタクチイワシを解凍した。これが最後だ。わたしのパック糧食はまだまだ沢山あるのに。ほんとうは冷凍食品じゃなくて生鮮ものがよかったのにね。前にほら、青山のレストランの大水槽で泳いでパクパク食べてたじゃない。あれは楽しそうだったなあ。

 ピー、水槽を泳ぐあなたは綺麗だったよ。私も、同じ水の中を泳ぎたかったよ。たくさんのペンギンやイルカたちの中で、あなたがいちばん輝いてた。あなたがいちばん綺麗だった。大勢の視線に見つめられながら、恥ずかしげもなく魚の群れを追いかけているあなたが、私はとても誇らしかった。あの子は私のパートナーなんだって、大声で自慢したかったよ。ほんとうに、ほんとうにね。

 そうね、あれは楽しかったね。ピーは楽しそうな顔をして、楽しそうに言う。火星ペンギンだってあんな美味しいものは食べられないだろうねえ。火星に水槽レストランは無いからね。そうねえ。ハーもちゃんと食べなきゃだめよ。そうだけど、それはそうなんだけど。ねえ、ピー。なあに、ハー。このあとさあ、


「しようよ」


 夜、わたしたちは巣穴に籠る。会話器を外し防寒服を脱いで、暖かなシュラフの中でピーの滑らかな羽毛が私のガサついた肌に重なる。おたがいのカラダをもとめて、愛撫し、嘗め合い、グルーミングする。私はピーの尾脂腺からたくさんの愛脂を受け取り、彼女の全身に刷り込む。真白く美しい羽冠がもっときらめきますように。たくましいフリッパーがもっと力強く振れますように。ピーがもっと、もっともっと綺麗で素敵なペンギンになりますように。私の指も舌も、私の全部がピーを美しくする。


 そうして、


 ピーの全部が、


 私を美しくする。


 ピーのフリッパーが、ピーの嘴が、私にもくまなく潤いを分け与えてくれる。私はピーのように美しくなりたいと思っていた。ピーのような綺麗な生き物になりたいと、ずっとずっと、思っていたんだよ。


「――!――!!」


 いま会話器が無くとも、言葉が通じていなくとも、私たちはわたしたちを愛する、理解する、ひとつになる。火星の夜の闇に沈む、ATVのキャビンの中の、分厚いシュラフの中はまるで太古の人間が暮らしていた洞穴のよう。まるで太古のペンギンが暮らしていた巣穴のよう。互いに知性のたがを外して獣のようにまぐあい、むさぼり、啼く。

 もう、きっとこれが最後だ。二度と一緒に寝ることも無いんだ。そう思ったから、離したくないと思ったから、ほんの少しだけピーを抱きしめる手に力がこもって、羽毛の中に爪を立てて、そうしてピーの水かきが、ピーのくちばしが、甘く優しく私に刺さって。

 ヒトの肌とペンギンの羽毛の間で赤い血が流れて混じる。何も産まない種間交雑。私たちは鉄の味がする。それはきっと、種を超えて、知性の壁を越えて結ばれる固く強い絆になる。お願い、そばにいて。ずっと。潮の臭いに包まれた、ここは私たちの海。


*

 前述したようにこの遭遇は地球社会に驚愕と混乱を巻き起こし、一時は火星開発計画の中止と撤退が真剣に議論されるほどのものであった。しかしむしろ、開発の進捗を求めたのは当の火星ペンギンたちである。


「運河にまた、昔のように水がたくさん流れてくれると助かる」


 運河canalとはなにか。それはどのようなものを意味するのか。


「知らないの?」


 知ってはいた。だが完全に忘れ去られていた。地球代表部のヒトたちは恥ずかしさに顔を赤らめながら太古の地球文明による火星探査記録を掘り起こすこととなる。その結果地球では中世紀の人物、天文学者ジョバンニ・スキャパレリとパーシバル・ローウェルならびにその信奉者たちの研究が再び陽の目を見、彼らの名誉は劇的に回復した。昔日の火星表面には大規模に運河網が張り巡らされ、火星ペンギンはそれを生活インフラとして用いていたのである。

 地球文明の英知と技術によって火星の運河は復活し、やがて全土に広大な緑土が広がって行った。


 大きな火星ペンギンたちが群れを成す風景は、なるほど見応えがあるものだ。私たちのほかにも見物している姿が見える。ヒトばかりでなく、ペンギンの姿も見える。群れの外にも、群れの内にも。ちらほらとペンギンがいる。

 ねえ、見てよハー、あんなにたくさんいるのよ。やあ、キウイフルーツひと山おいくらって感じだねえ。もう、すぐハーはそういうこと言うー。はは、ごめんねピー。ごめんね……。謝らなくてもいいのよ。知ってたの?うん、知ってた。でもこうしてちゃんと間に合ったし、おかげでひと晩わたしも楽しかったから、それでいいじゃない。じゃあね、行ってくるね、ハー。待って行かないで、ピー。

 群れの中からどこかで一羽の火星ペンギンが高く鳴き声を上げる。会話器を通しても私の耳に聴こえてくるのはテケリ=リ、テケリ=リ、という音だけだ。会話器はペンギンの言葉を教えてくれるはずなのに、いまこの瞬間私には、火星ペンギンたちの言葉も気持ちもわからない。

 ピーにはわかるのだろうか。ピーはじっと、火星ペンギンの方を見ている。唱和するようにいくつもの声が広がる。テケリ=リ、テケリ=リ。むかしは地球の南極でもそんな声が聴こえたという。大空洞の中に響いていたのは、火星からの呼び声だったのだろうか?


*

「それとね」


 火星ペンギン達は顔色一つ変えることなくこう伝えたという。


「あれは壊した方がいいと思うんだ」


 フリッパーの先が示したものは衛星フォボスであった。かねてより落下の危険は囁かれていたもののその扱いについては議論の纏まりを見なかった存在は、この火星ペンギンの一声でただちに破壊されることが決定した。幸いにも地球文明は、特にヒト達は、ものを破壊することにかけては経験も蓄積も豊富であったので、フォボス破壊自体は容易であった。それが火星環境に及ぼす影響と対処については、ふだんは地球を離れない最高知性プライマリーチェア・オブ・インテレクトゥス達がその英知を結集し、自ら火星の地に赴いて頭脳をフル回転させ、対応策を練り上げた。


 いかないでよ、ピー。そばにいてよ、ピー。マイペア、マイディア、マイスイートハート。私の愛しいペンギン。

 だめなのよ。わたしはわたしになるためにここまで来たのだから。貴女を見上げたり、貴女に抱き上げられたりしないで済むわたしになるために、ここに来たの。だから、



 なにそれ。魚だけじゃないよ。私は私のたくさんをピーに捧げたよ。そしてピーからもっとたくさん大切なものを貰ったんだよ。

 別れを告げるときにはそう言うならわしなのよ、昔からね。ならわしなんて知らないよ。いま、私のそばにいてよ。これからも、ずっといっしょにいようよ。大丈夫よ、ハー。だいじょうぶじゃないよ、ピー。

 でもやっぱり、ピーは行ってしまった。ひょこひょこ、ぴょこぴょこ、ペンギン歩きで。その姿が揺れて霞んで見えたのは私が泣いていたからで、ピーはひとりでも、しっかりまっすぐ歩いてた。やがて火星ペンギンの群れの中へ、その姿は消えてしまった。


*

 火星ペンギンの全身を覆う羽毛が赤茶けた色なのは、当初は火星の地勢に合わせた保護色だろうと推察されていた。しかしそれは誤解で「火星ペンギン」と思われていた存在は、正確には「火星ペンギンの雛」だったのだ。

 同様に、最初の発見以来火星ペンギンの「コロニー生息地」だと思われていたこの惑星は、火星ペンギン雛の「クレイシ保育所」なのである。火星ペンギンたちの性行為や産卵の様子が一切観測されなかったのは、彼らがまだ幼鳥だったからなのだ。

 では、成鳥はどこに?当然抱かれる疑問である。その回答は長く明かされなかった。火星ペンギンの側で地球文明に対する不信が、やはり有ったのだろうと推測されている。

 結論から言えば火星ペンギンたちは量子テレポートを行い外宇宙に生活圏を開拓していた。今では当たり前に語られるこの事実も、それが明かされるまでには長い時間と、そして深い信頼が必要であった。

 成鳥となった火星ペンギンの群れは遠く隔てた2点間に『ゲート』を開いて通路を結び、自らの身体を量子データに変換して移動することが可能だった。距離も時間も関係なく、データ移動と身体の再形成は瞬時に実行される。

 単独では実行不可能なその所業が、ではどの程度の規模の群れでならば可能なのか。距離限界はどれほどなのか。あらかじめ行先の情報を知っている必要はあるのか。真相のすべては未だに解明されてはいない。ただ、火星ペンギンたちにはそれが出来た。事実として、そうなのだ。

 火星ペンギンの雛が換羽と共に全身から泡を吹きだすのは、ただ溜め込んだ酸素を吐き出しているわけではなかった。火星ペンギンたちは自分の周囲の空間そのものを、いわば泡状の量子外套としてその身にまとい、その護りによって量子抵抗を軽減させ転換通路を移動するのだ。データとなって情報の海を歩いて。あるいは泳いで、かつて語られた言葉の通りに星々の海を渡っていたのだ。この一連の行動・状態はペンギン=エンタングルメント、通称「ペンタングル」と呼ばれている。


 群れの中から光があふれて、だんだんと輝きを増していく。それは火星ペンギンの換羽のしるしなのだそうだ。成鳥となった火星ペンギンは、輝く光の泡に包まれて星々の海へと旅に出る。その泡の中に地球産のペンギンは入れるけれど、地球産のヒトは入れない。私は、ピーと一緒には行けない。

 茶色の綿羽は光の中に抜け落ちて、そこにいるのは純白に輝くすらりと背の伸びた火星ペンギンの成鳥たち。本当の姿。星の世界の美しいペンギン。ヒトの私よりずっと煌びやかな存在。お願い、ピーを連れて行かないで。あの子をこのまま、ここに置き去りにして。

 テケリ=リ、テケリ=リ。その声は空に満ちて、ペンギンたちの頭上に黒いガラスのような円環が生まれる。そう、あれが『門』なんだ。火星ペンギンの旅路の扉。ハー、わたしはあれを通り抜けたいよ。あの先に行きたいよ。やだもーピーったら冗談言わないでよ。冗談じゃないのよ、ハー。

 その時からずっとずっと、長く話し合いを重ねて、時にはケンカもして。そうして私とピーはここまで来た。そうじゃない。ここまで来たのはピーなんだ。私はただ、ただなんだろう。止められるわけも無いのに、別れられるわけも無いのに。保護者みたいな顔でついて来ただけなんだ。

 光の泡が次々に氷床から飛び出して、火星ペンギンが一羽、また一羽と門の中に消えていく。真っ白い姿の中に時折黒い影が混じるのは、地球から来たペンギン達なんだろう。あのどこかに、私のピーがいるんだ。遠くに行きたいよ、いろんな物事を知りたいよ。それがきっと、わたしをわたしにしてくれるの。あなたは十分にあなたじゃないの。なに言ってるんだか全然わかんないよ。わたしにはやりたいことがあるのよ、ハー。それはなに?私にも教えてよ、ピー。


*

「昔は地球にも『門』があったんだけどね」

 さすがにそれを聞かされて驚くものも最早無い。はずであった。

「一度うっかり場所を間違えて開門したら事故が起きてね、船が一隻、遭難したことがあったでしょう」

 一時は騒然となる場であったが、その「事故」なるものが当時の地球世界、人類文明の間ではあまりに日常的な海難事故であったこと、いまさら関係者も遺族も調査のしようも無かったので、すべては無味乾燥な記録となって後世に細々と伝えられた。

 こうして火星ペンギンと地球文明との間には、強固な信頼関係が結ばれたのである。


 やがて火星ペンギンたちはみんな『門』を通って消えてしまった。観客たちの間から拍手や歓声が聞こえ始めたけれど、私は独り背を向ける。きっと帰り道は長くなるだろう。

 地球行きの船では木星帰りだというイルカとヒトのペアが乗り合わせていた。時にはイルカがスーツを着て、時にはヒトが海槽オーシャンに入って、ふたりは幸せそうに見えた。幸せなのだろうな。私が自分でイルカをペアに選ぶことは無いだろう。でも、地球の知性二番目の椅子セカンダリーチェア・オブ・インテレクトゥスに座る生き物であるイルカが、もしも私をペアに選んだら、私はその時どうするだろうか。選ばれた自分を誇らしく思う?それとも憐れみを受けたように感じるのだろうか?そんなことを考えた。ねぇピー、あなたはどうして、私とペアでいてくれたの。

 戻ってからしばらくは、街で可愛らしいペンギンを見かけると胸が痛んだ。そのうち何も感じなくなってきたころに、名前につられて花を買った。殺風景な部屋の中に淡いピンクの色合いが華やいで、私はまた少し泣いた。あの子の門出をちゃんとお祝いできなかったことが、悲しかったから。


 さよなら、スイートピー。私のかわいいペンギン。


*

 それは地球の南極点にほど近い某観測基地へ届けられた一本の通信に始まったと伝えられている(某観測基地に古めかしい黒電話が残されていたのは事実だが、その回線が使用されたというのは都市伝説の類である)。数日中に『門』が開くのでその際はよろしくと、ただそれだけを伝える内容であった。

 大勢が待ち受ける中確かに地球の南極点上空に『門』は開かれ、一羽の真っ白なペンギンがそこからひらりと舞い降りた。羽毛こそ白一色ではあったが、地球製の会話器を首に下げた、そのペンギンは明らかに地球生まれの体格をしていたという。みなさんこんにちは、今日はいいお天気ですね。第一声はそんなものだったと、いまに伝えられる。

 どこから来たかって?もちろん、火星からですよ。今日いま、ここに火星と地球を行き来できる量子テレポート・ゲートウェイが開通したんです。ええ、この通路を使えば地球のペンギンも自由に火星と往来できるんですよ。どうやってって、それはもちろん、


「歩いて。もしくは泳いで」


 それだけ答えると、ではわたしは行くところがありますので。と、その純白アルビノの地球ペンギンはどこかへ歩み去ってしまった。後を追おうと試みられたが、すでにその頃『門』からは火星や地球のペンギンがわらわらと出てきてそれどころではなかったので、そのファーストペンギン(女性だったと伝えられる)の詳しい名前も知られることはなかった。いまでは彼女はただ「全通ペンギン」とだけ呼ばれている。

 しばらくの後、地球の南極に開いた『門』の分析や、実際にそれを用いて移動した地球ペンギンたちの研究によって量子テレポート技術は進歩し、やがてペンギン以外の生きものにも量子テレポートを利用することが可能となった。ここに、知性の座の地位に関わらず、地球の知的生命体たちの外宇宙への門戸は大きく開かれたのである。


 本当に、本当にわたしにも『門』が開けられたよ、ハー。わたしはやっと、わたしが見つけた成すべきことを成し遂げて、なりたいわたしになったんだよ。もういちど、あなたに会うために。わたしはここに戻ってきたよ。


 ああ、ハーマイン、わたしの愛しいヒト。


“Good-by my sweet P.” end.

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