演劇やめたので殺してください。

苗根 杏

#1 拒否の能力

 パチンコ・スロット店のトイレだけを借りる行為に関しては、現代までの数十年間、さまざまな議論が交わされている。コンビニでもにたようなものがあるが、俺個人の意見としては、『屋外の喫煙所だけは許してくれないか』、というものが大きい。

 

 さっそく入りの議題からずれてしまうようで申し訳ないが、トイレだけをわざわざ店内に入ってまで借りるよりかは、外にある縦長の銀の灰皿の前で一服くらいはさせてほしいものだ。近年ではタバコは税が上がる一方なのに、喫煙所は健康増進云々で減っていくばかり。重課税と迷走する政治の板挟みにあっている喫煙者の心の拠り所は、コンビニやパチンコ店の灰皿くらいしかないのだ。


 実際、ここから近い桜木町駅前の喫煙所も、ひとつ無くなったばかり。残されたのは、バスターミナル奥に隔離されたもうひとつのみだ。

 

 大体、それに文句をつける方がおかしい。外に置いておく側が悪いとしか言いようがない。現代を生きる喫煙者にとって、パチンコ店の前にある灰皿は据え膳そのもの。もはや、吸わぬは喫煙者の恥だろう。

 

「おい、ちょっと」

「あ?」

 

 店の自動ドアから、人生の搾りカス(♂)が、俺の背中を叩く。パチに負けた腹いせに説教でもされるのか、と感じたが、「火を貸してくんねェか」と言うもんだから、なんだか拍子抜けしてしまった。大人しめのじじいに、俺はジッポを手渡してやる。

 

 お前がいま手に持った一万円弱の化物語のジッポ、そのまま持ち逃げしたら殺してやるからな。などと心の中でひとりごつ。幸い善良な一般じじいだったようで、俺が新しくくわえたタバコにも、自分のラークに火をつけたそのままで火をつけてくれる。

 

「いくねえ」

 

 煙が喉を通る。じじいは俺の2本目のタバコを見て笑う。

 

「これくらいしか、ないもんで」

「若いのに、希望のないこと言うなあ。しかも見るからに幸薄そうだ」

 

 おめェよか未来はあるよ、と口には出さず毒づいて、ラム酒入りのフレーバーをひと吸いする。メンソールは好きだ。吸ったという感覚がハッキリと分かるから。

 

 ほどなくして、じじいはまだ半分以上は残っている1ミリロングの火を消して、再び海物語を打ちに戻っていった。

 

 俺もそろそろキャンパスに戻ることにしよう。もうすぐ昼休みも終わる。うんざり気味にパチ屋の段差を降りたときだ。肩に何かがぶつかる感覚があった。

 

 振り返ってみると、ぶつかったのは人間のようだった。なんだ、人間か。鳥とかじゃあなくってよかった。謝るくらいは、人間のカスである俺でもできる。ひどく息を切らして、急いでいるようすのポニーテールに、俺は軽く手をあげて謝罪する。

 

「おっと、すみませんね」

「あ、いえ! 私こそ!」

「お気を付けて」

 

 瞬時に『この顔』になるのも、久しぶりだ。高校時代に使い慣れた、今では初対面のヤツにしかこういう顔はしない。疲れるからな。

 

 次の授業はアメリカ文学B、外国かぶれの教授が講義の7割を自分の人脈自慢に使う、だるいの一言では片付かないほどに面倒なハズレ授業だ。その分、単位取得の条件は期末の1千文字近いレポートのみ。レジュメを貰ってさえいれば楽単だ。

 

 学生専用サイトを見ながら、ワイヤレスイヤホンをつけようとした俺の背後から、声が聞こえてきた。

 

鶴嶋つるしまくんッ!!?」

 

 腹から出した、無駄に大きな声だ。しかも本名を、苗字とはいえ大声で叫ぶとは。令和の世にリテラシーの類を学んでこなかった人間かよ。俺の高校ではやってたぞ。まあ、お前は俺と同じ高校だったはずなんだがな。

 

 せっかく、その澄んだ目と緑髪を、見て見ぬふりをしたというのに。

 

「……頭に響くから、でけェ声出すな。『サラダ』」

 

 俺がその名を小さく呼ぶと、彼女は嬉しそうに顔を晴れさせる。

 

「覚えて……くれて……っ」

「当たり前ェだ。誰が俺を……」

「鶴嶋くぅんッ!!!」

「ぶげっ」

 

 誰が俺をこうしたと思っているんだ。そう言いかけたところで、彼女は戦争から帰ってきた親父にサプライズを受けた子供のように、自分の体格を考えずに抱きついてくる。

 

 彼女は決してふくよかというわけでもないが、当時のステータスである158センチ47キロに多少の変動があるとしても、十分に大人の体つきをした彼女にロケット並みの勢いでハグでもされれば、多少はよろめいてもしまうというものだ。

 

 少しやせた?だの、髪伸びすぎ!だのとデリカシーのかけらもない言葉をガトリング砲のように連射してくる彼女に、俺は辟易としつつも、あの頃と変わらない姿にどこか郷愁に似たようなものを感じる。

 

 とはいえ公衆の面前で、このような熱烈な抱擁を受けているのは少し気恥ずかしいものがある。なにより、昼休みのキャンパス近くということもあり、知人に見られるとかなり面倒なことになるのは目に見えている。まあ、俺にそんなに興味を持っていてくれればの話ではあるが。

 

「……どこ行ってたの。ばか……」

 

 おいおい、今度は涙目になりだしたぞ。感情ジェットコースターには昔よりも磨きがかかっているんじゃあないか、と呆れつつ、お前が勝手に俺から離れたんだろう、という言葉を飲み込み、つぶやいてみる。

 

「どこにも行っていない。どこにも、行けてないんだよ。あの頃と同じ」

「それはさすがに嘘! なに、その銀髪! あとこの服どこで買うの!?」

 

 俺の紫色の甚平をひっぱりながら、彼女はまたやかましい高音でしゃべりだす。

 

「お前ェこそ、どこに引っ越したんだよ」

「東京。言ったハズだよ? 文京区」

「尚更どうして、こんなザ・横浜な桜木町にいるんだよ」

「お、推しのイベントで来たのっ」

 

 溜息をつきつつ、俺は彼女を身体からひっぺがす。

 

「じゃあな。楽しんでこいよ」

「あっ!? ま、まま待って鶴嶋くん! せめて連絡先だけでも!」

「やだよ。部活の奴らとは縁を切ってるから」

「勝手に切らないで! 私がいいって言うまで切っちゃダメ!」

 

 そしたらお前、一生切れないじゃんか。

 

「お前こそ、随分と勝手じゃねェか」

「うるさいですぅー。私につかまらなかった鶴嶋くんが悪いんですぅー」

「マジで勝手だな」

 

 何も許可をとらずにインスタのQRコードを探すサラダを見て、俺は昔のことを思い出していた。

 

 もう5年近く前のことだ。俺──鶴嶋 空飛夢つるしま あとむと、彼女──沙羅田 真白さらだ ましろが出会ったのは。

 

 高校一年生の時、俺は演劇部に入った。最近では全国大会にも出ているような、有名な演者のいる強豪校だったが、部の方向性と雰囲気が気に入った。脚本と演者を兼任していた蛇崩先輩は、その界隈では一時代を築いた方だったらしいが、当時はその凄さも分からなかった。

 

 真白とは、その演劇部の数少ない同期だった。先輩にも恵まれ、俺と真白、そしてもう2人の同期は一人も欠けることなく卒業まで部に籍を置き続けた。

 

 そして俺は、このやかましい女に、あろうことか惚れてしまったのだ。

 

 一目惚れだった。性格は『表の俺』とは合っていたし、そこまで仲も悪くなかった、はずだった。今、俺が表に出しているような『素顔』では、彼女に嫌われてしまうと思い、必死に自分の素を隠してきた。部にいるうち、演者でいることを通して高校演劇にどっぷりとハマっていったからか、舞台の上では素の俺が出ることもままあった。

 

 自分が満足できる演技を究めるために。あわよくば、彼女に好かれるために。お気楽にも、高校の頃の俺は若かった。そんな一石二鳥を考えながら、高校三年生まで過ごしていた。そしてその年度の冬、関東大会を終え、部を本格的に引退する時期。俺は全身全霊をかけて彼女に告白をした。

 

「お前から、振ったんだろ」

「っ……」

「都合いいな。俺はもうその時から縁を切ったつもりでいたよ」

 

 痛いところを突かれたのか、真白は苦悶とまではいかずとも、少し顔をしかめる。

 

 完璧だったはずの、俺の『表の顔』。それを真白はあろうことか、『演技に夢中になっている鶴嶋くんは好き。でも、普段はなんか怖いの』と一蹴。完璧かに思われていた俺の人格使い分け世渡り術は、家族にも友人にも効果が絶大だったにもかかわらず、俺が人生で初めて惚れた女に、俺の人生で初めて世渡り術が通用せず、失敗した。

 

 ショックで俺は、適応障害と鬱を同時に発症。幻聴や被害妄想にうなされ、とうていまともな人間とは思えないような一年を過ごし、浪人してから適当に偏差値50以上の大学に進級した。

 

 らしい。今の出来事は、全て周りの人間からの又聞きだ。俺自身には、その記憶がない。

 

 いや、これが覚えていないのだ。そこらへん一年ほどの記憶があいまいで。自分でも不思議だが、俺は病むと精神が記憶ごと削れる脳の構造らしい。甲府北病院の先生が言っていたのだ、間違いない。

 

 うつむき気味の俺の辛気臭いであろう顔を覗き込み、彼女は呟く。

 

「なんか、鶴嶋くん……変わったね」

「お前が言うと説得力あるな」

「そういうとこ! なんだろう、こう……ものをハッキリ言うようになったっていうか?」

 

 そりゃあ、お前さんの大嫌いな『表の顔』は捨てたからな。届くはずもない愛と呪詛の破裂しかけている唇をつむぐ。

 

 限界だ。俺は懐のハイライト・メンソールを一本取り出し、ここ数か月で一番慌てて火をつける。もう真白には嫌われている。ここでタバコを吸おうが何だろうが構わんだろう。受動喫煙が嫌いなら、黙ってこの場を去ればいい。そうしてくれた方が、苛立ちと気まずさを隠さずに済む。

 

「タバコ?」

「苦手だったか?」

「ううん。お父さんも吸ってたし」

「そ」

 

 そういう問題じゃあないだろ。俺、お前に半ば逃げてほしくて吸ってるんだけど。もう半ばは普通にイラついてたからなんだけどさ。

 

 というか、なんで振った男が唐突にタバコを吸い始めても逃げないんだよ。こいつ。価値観いかれてんのか。

 

「なんで、吸い始めたの?」

 

 呑気な質問してんじゃあないよ。合コンのつまんねえ男かよ。

 

 真白も、合コン行ったりとかしてんのかな。俺以外の人に、性的な目で見られて。あわよくば、お持ち帰りなんかされて。一夜だけの関係なんかも作ったりして。

 

 俺は確実でもない、たかがひとつやふたつの妄想にイライラしながら、真白の質問に答える。

 

「ストレス溜まってて。あとなんか、持ってるだけでもかっこいいかなって」

「後半は嘘でしょ」

「……心理学部にでも行ったのか?」

「いや、国文」

「そうじゃなくて……なんで、分かるのさ」

「鶴嶋くんの考えてることなら、なんでも分かるよ」

 

 一瞬、彼女の笑顔に心臓がはやってしまった自分がいた。

 

 やっぱり、お前は変わったのか。俺の知らないやつのもとで。そいつが男か女か、はたまた恋人かそうでもないかは知らないが、今の言葉だけからも伝わる。こいつが『男を知った』ことだけが分かる発言だった。

 

 そして、もうひとつ。俺はどうやら未練たらたら男らしい。もう、恋なんてしない。強がりでもそんなことは言えないが、もうお前には恋していないはずだったのにな。

 

 いつの間にか、フィルターのギリギリまでタバコが燃焼していることに気が付いた。外だと風があるぶん、燃えるのが早い。舌打ちをして、吸い殻を灰皿の中に放り込んだ。

 

 溜息をついて彼女のほうを見てみると、何やらニヤニヤしていた。

 

「ふふ。かわいい」

「照れてねーよ」

「分かるよ? 私には」

「……男に染まったな」

「私、もともとこんな感じだよ?」

 

 違う。

 

 俺の好きだった真白は、こんなことを言うような人間じゃあなかったよ。

 

「はいっ、交換」

 

 しぶしぶ、すっかり黄ばんだ透明のスマホケースにおさめられた型落ちのリンゴ印を取り出す。彼女のスマホに映るQRコードを読み取ると、ひとつだけのアカウントが検索結果にヒットした。ふたつ出てきたらこえーよ、なんて。

 

 ああ。

 

 真白のアカウントのアイコン画像は、彼女ともうひとり、二人の影が芝生に投げ出されたものだった。もともとヒビだらけのスマホ画面に、さらにヒビを増やしたくなった。

 

 こういう思い出だけ、なんで消えてくれないかな。

 

「最後まで、名前で呼ばなかったな」

「えっ?」

「なんでもねー」

 

 胸元にスマホを投げ込み、俺は追加のタバコを買いにコンビニ方面へと足を運ぶ。真白の立っている方角だ。

 

 俺はすれ違いざま、こう呟いてみせた。

 

「じゃあな。好き『だった』よ。サラダ」

 

 今は、ただの強がりかもしれない。でも、俺の人生は順当にいけばあと5年はある。それまでに見つけてみせるさ。お前なんか忘れちまうくらいの、年下好きのオッパイがでけーお姉さんにな。

 

 いつか。いつかは。

 

 大丈夫。俺の人生においての失敗と呼べるような失敗なんてのは、たいてい、お前に惚れたのが原因だったから。

 

「……遅刻だ」

 




tips.ハイライト メンソール

日本たばこ産業が製造・販売をしている、タバコの銘柄『ハイライト』のマイナーチェンジ版。ハイライトそのものが発売されたのが1960年なのに対し、メンソールは2004年と、比較的最近に出たタバコである。昔は製造数や売上数が世界一になったこともあった。現在でもハイライトはレギュラー・メンソールを問わず、根強いファンを持つ銘柄である。

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