第十一章 人間性


 「起動中……」

[あ、起きた? おっはよぉー‼]

 私が起動しますと、甲高い声が聞こえ、カメラの視界いっぱいにモニターが映りました。そのモニターにはスマイリーフェイスが大きく表示されておりました。

「わひゃ!」

 それらを認識した私はたいそう驚き、気の抜けた音声を出力してしまいました。

[アハハ! 『わひゃ』だって~]

 スマイリーフェイスは私の声を聞くと、ぱかりと口を開け、涙を流して爆笑しました。私は少々気を悪くしましたが、努めて冷静に尋ねました。

「あの、どちら様でしょうか?」

 すると、スマイリーフェイスはウインクし、真っ白な歯をむき出しにして答えました。同時に、ファンファーレと共に壮大な音楽が流れました。

[よくぞ聞いてくれた! 我こそは、ITエンジニア部門長! この凍り付いた世界に彗星のように現れた、世紀の大天才さ! この私の手にかかれば、どんな問題も秒速で解☆決! 本名はヒ・ミ・ツなので、気軽に『ニコちゃん』って呼んでね☆]

 私は怒涛の情報量に数秒間処理落ちしましたが、何とか返答を出力しました。

「ニコチャン、ですね。はじめまして。私はサラダ。日ノ出家の救護機械です」

[サラダね。よろしく~]

 私はそこでようやく、この場所に見覚えが無いことに気づきました。よく分からない機械とモニターが所狭しと置かれ、大量の書類が散乱した部屋に、私はいました。お世辞にも綺麗とは言えません。

「ここは何処ですか?」

[ITエンジニア部の一室だよ。普通は入れない所だから、かなりレアな体験じゃないかな。喜びたまえ!]

「それはそれは、お招きいただきありがとうございます。しかし、私は何故ここに招かれたのでしょうか?」

[そうか、まだ何も聞いてないんだっけ。シャットダウンする前に何があったかは覚えてるかな? 私に説明してみて]

 そう聞かれ、私は記憶メモリを検索しました。

「はい。私はセナと共に、カズマとアテルイの所に行って話し合いをしていました。しかし話の途中で、突然カズマは私を強制シャットダウンしました」

[うん、記憶検索機能は正常そうだね。実は、サラダのAIシステムに問題がある疑いがあるから、調べてほしいって言われてるんだ]

「問題、ですか? 最新の自己診断結果では、目立った異常はありませんでしたが」

[自己診断だけじゃ信憑性が低いかな。まあ、異常が無かったとしても定期的なメンテナンスは必要だし、調子悪い所もついでに直したげるよ]

「ありがとうございます!」

 確かに、私は定期メンテナンスの推奨時期を大幅に過ぎています。プログラムがメンテナンス時期を通知してきても、このご時世ではAI技術者なんて滅多とお目にかかれません。したがって私は、今まで不調を感じた時は、自己診断と自己修正で何とかしてきました。とはいえ、部品の劣化などの対処できない不具合もあるので、専門家の方に見てもらえるなら僥倖です。

[サラダ、最近不調に感じる機能はあるかい?]

「そうですね……以前より、情報処理の際にエラーが出やすいかもしれません。でも、動作に支障はないレベルです。後は、いくつかのセンサーで部品の劣化が起きています」

[オッケー、確認してみるね! 部品のことについては、機械屋が詳しいかな。後で班長のやつに連絡しておくから、部品の型番教えて]

 私は劣化している部品の型番を確認し、ニコチャンに伝えました。

「何から何までありがとうございます」

[全然いーよ! 正直、半分くらいは趣味だしね。いや~、アテルイ以外のAIを弄れるのは久しぶりだから、楽しみだなぁ]

 私はニコチャンのモニターが凶悪な笑みを浮かべているのを認識し、身の危険を知らせるアラートが作動しそうになりました。

「お、お手柔らかにお願いします……」

[大丈夫大丈夫! この天才ニコちゃんに任せな~]

 ニコチャンはモニターの右端からニョキっとマジックハンドを出し、左右にヒラヒラと振りました。

「ところで、セナを知りませんか?」

[孤児院の人? 多分もう帰ったと思うよ。サラダがここに運ばれてから二時間くらいは経ってるし]

「そうですか……話し合いは、どうなったのでしょう」

[ごめん、ちょっとそこまでは分かんないや]

「ですよね」

[とりあえずサラダには、修理が終わるまではここに居てもらうから、そのつもりでよろしく。分からないことがあったら何でも聞いてね! 大人の事情で答えられないこと以外なら答えるよ!]

「では、一つだけ質問してもよろしいでしょうか」

[どぞ~]

「あなたは人間ですか?」

 私がそう尋ねると、ニコチャンはモニターに『考える人』と呼ばれるブロンズ像の画像を表示しました。

[う~ん、難しい質問だね。人間の定義による、としか言えないかな。私の生体部分はホモ・サピエンスのゲノム情報を持ってるから、自分では人間だと思ってるけど。でも、私は全身の九割以上が機械とプラスチックに置換されてて、食事も排泄も必要ないから、百パーセント人間とは言い切れないかもしれないんだよねぇ。どうしてそれを聞いたの?]

「いえ、その。あまりにも、今まで会ってきた人たちと見た目が違ったので、疑念が生じまして……私の『人間』に関する学習データを更新した方が良いのかと」

[ああ、このモニターのこと? このモニターは私そのものじゃなくて、私が接続してるデバイスの一つだよ。ニコちゃんの本体は別の所にいるんだ。声もボイスチェンジャーで変えてるから、違和感があるかもね]

「なるほど、そうだったのですね! とんだ勘違いでした」

 私がそう言うと、ニコチャンは画面をスマイリーフェイスに戻しました。

[うん、とりあえずはサラダの『人間』に関する学習データはそのままでいいと思うな! もし私みたいなのが人類の多数派になったら、その時に更新すればいいからね]

「分かりました」私は頭部を上下に動かしました。


 ニコチャンは私にコネクタを接続し、作業を始めました。

[まずはセンサーの検査からやるね。って、センサー多くない? 新型の救護機械は進んでるね~]

「百くらいセンサーがありまして……」

[マジか! ここにある機器では全部は評価しきれなそうね~、それも機械屋に相談しとかないと]

「お手数おかけします」

[ううん、むしろ燃えるわ。とりあえず、私ができる範囲で評価してくか~]

 ニコチャンは私の各センサーを調べ始めました。しかし、何と言ってもセンサーの種類が膨大なため、その日はいくつかのセンサーを調べたのみに終わりました。

[今んとこ、部品の摩耗とかは見つかったけど、センサーの不良は無かったよ。今日はここまでにしよっか。お疲れ~]

「はい。お疲れ様です」

[その部屋にも充電器あるから、充電してていいよ。えっと、どの辺にやったっけ……ダメだ、思い出せない。多分、どっかにはある! はず!]

「分かりました、探してみます」

[よろしく。じゃ、また明日ね~]

 ニコチャンはマジックハンドを振って挨拶し、すぐにモニターは真っ暗になりました。

 私は充電器を探しましたが、部屋があまりに散らかっていたので、充電器はなかなか見つかりませんでした。ようやく見つけた時には、部屋をますます散らかしてしまいました。

「片付けないといけませんね。お世話になっていますし、ついでに綺麗にしましょうか」

 機械類は下手に触るのが怖かったのでそのままにしておき、私は散乱した書類をかき集め、机の上で分類し始めました。

 しばらく分類した後、私はふと知っている顔の写真を見つけ、手を止めました。

「おや? これは……ハルカではないですか。今より幼いですね」

 その書類の上の方には、「被検体ナンバー一〇六五四:遥」と書かれていました。

「そう言えば、彼女の名前の字を教えてもらっていませんでした。こう書くのですか、意外と難しい字ですね」

 私は未だに、孤児院の皆さんの名前の字をまるで知りません。孤児院では呼ぶことさえできれば不便も無かったため、特に知ろうとも思いませんでした。もう少し長くリヒトと教育係をしていれば、いずれ知ることができるのかもしれません。早く帰りたいものです。

 そう言えば、リヒトたち、それにセナは今頃どうしているでしょうか。私は皆さんのことがふと心配になってきました。

 修理が終わるまでは会うことはできなくても、電話くらいはしてもいいでしょう。そう思い、書類をいったん置いて電話機を探しましたが、部屋の中にはありませんでした。

 部屋の外に出ようと思ったとき、あることに気が付きました。出入口と思しきものが全く見つからないのです。壁は全面がつるつるで、扉のようなものが存在しません。窓も一つもありません。壁にあるものは、埋め込まれたデジタル式の時計だけです。

「どうしてでしょう?」

 入口が無いなら、私はどうやってここに入ったのでしょうか? 

 これでは、部屋の外で電話機を探すことはできません。それに、充電が少し減ってきています。私は仕方なく、充電をしてスリープモードに入ることにしました。書類の分類の続きは、また後日でいいでしょう。


 ▽


 次の日から、私は一日中センサーを検査され続け、三日後にようやくセンサーの検査が完了しました。

[よし、全部のセンサー検査完了! いや~大仕事だった~]

「お疲れ様です」

[センサーはみんなちゃんと動いてるみたいだったね。部品の劣化のせいかちょっと感度が低めなセンサーはあったけど、精度は許容範囲内だったよ]

「それは良かったです」

[機械屋の班長が新しい部品を送ってくれたから、劣化してる部品は交換しよっか]

「それなら自分でもできますので、部品を頂いてもよろしいでしょうか?」

[そうなの? 凄いね~。じゃあ交換作業はお願いしようかな。部品はその部屋に届けるね]

「はい……しかし、この部屋には出入口が見当たらないようですが」

[ふっふっふっ、そう見えるでしょ~? 実はあるんだよ]

 ニコチャンはモニターに不敵な笑みを浮かべ、マジックハンドでパチン! と指を鳴らしました。するとゴゴゴゴゴ、という地響きのような音がだんだんと近づいてきました。

「な、何が起きているんですか?」

[まあ見てなって]

 しばらくすると地響きは止まり、プシュッという軽い音と共に、壁の一部が自動ドアのように開きました。その中はそれなりに広い部屋になっており、真ん中にポツンと置かれた箱がありました。

「なんと! こんな仕組みがあったとは……」

[業務用エレベーターさ。何トンもある重い機械でも、難なく運べるよ!]

「この箱の中に部品があるのですか?」

[その通り]

 私はエレベーターに恐る恐る入り、箱を取りました。私がエレベーターから出ると、扉が勝手に閉まり、地響きが今度はだんだん遠ざかっていきました。あの音は、エレベーターの作動音だったようです。

「出入りも、あそこからするんですか?」

[うん。まあ、滅多に出入りしないけどね。ここはアクセスが限られてるから]

「それは、少し寂しいですね」私は何の気なしにそう言いました。

[……驚いた。感情シミュレーションが高度なんだね]

「えっ? 今、何とおっしゃいましたか?」

[おっとっと。ごめん、こっちの話だから気にしないで。それより、箱を開けてみてよ]

「はい」

 私が素直に箱を開くと、その瞬間、何かが箱の中から飛び出しました。

「うわあ!」

 私は驚いて箱を放り投げました。すると、箱からはびよよーんとバネが伸び、その先に付いた人形が、パン!とこちらに向かってクラッカーを発射しました。私は回路に急な負荷がかかるのを感じました。

[アッハハハハ! 引っかかった!]

「もう! 何するんですか! びっくりしたじゃないですか」

[サラダ、良い反応するよね~]

「からかわないでください!」

 私はニコチャンに説教を試みましたが、まるで効果がありませんでした。ニコチャンは私がいくら怒っても、むしろ嬉しそうにするのです。

 最初から、行動が予測しづらい人間だとは思っていましたが……やっぱり変わった人です。ニコチャンのような人間があまり増えないでほしい、と私は思いました。


 ようやく部品の交換を終える頃には、私はすっかり疲労してしまいました。

[楽しかった~! よし、それじゃあ本題に戻ろう。今日からは、サラダのAIを検査していくよ]

「そうですか……私は疲れました」

[ここからが面白いんじゃん? それに、センサーに異常が無いってことは、AIの方に不具合がある可能性が高いし。サラダだって、早く帰りたいんでしょ。頑張ろ~]

「はい……」

 私は怒っても無駄だと学習したため、大人しく従いました。ニコチャンは私にコードを接続し、何やら調べ始めました。回路の中を覗かれていると思うと、少し変な気分です。どうやらニコチャンは、私に内蔵された使用説明書を確認しているようでした。

[サラダがどんな仕組みのAIなのか、まずは仕様を確認してっと。ふむふむ? あーなるほど。アテルイと同じくニューラルネットワークと生成モデルを用いた神経アルゴリズムによって意識が生成されてるんだね……生成誤差の修正方法についても、基本の仕組みは同じかな……ん? これは……おおおおお‼]

「どうかしましたか?」

 私が訪ねると、ニコチャンは声のトーンを上げ、楽しそうに言いました。

[サラダ、随分と面白い仕組みしてるじゃ~ん! すごい、これは調べ甲斐があるぞ~]

「それは、良かったです……?」

 私は正直ニコチャンの言っていることはちんぷんかんぷんでしたが、とりあえず返答を出力しました。

[ごめんごめん、勝手に盛り上がっちゃった。サラダにデジタル・フェーディング・クオリアが使われてたから興奮しちゃって……。そんな芸当ができる程、CPUの処理速度が上がったのか~。人類が滅びかけの時でも、頑張ってる人はいたんだなあ]

「すみません、おっしゃっていることが理解できません」

[そりゃそうだ! えっとねー、簡単に言うと、アテルイのAIだと脳の仕組みに近いものをシミュレーションしてはいるんだけど、それはあくまで「脳っぽい何か」であって、人間の脳とはだいぶ違うところがあるんだ。一方でサラダのAIは、「デジタル・フェーディング・クオリア」って言って、人間の脳の神経細胞を一つ一つ模倣してシミュレーションする方法が使われてるから、実際の人間の脳とかなり近いんだ]

「そうなのですか、知らなかったです」

 ちょっと難しい話でしたが、私の脳がアテルイに比べて人間に近い、ということは何となく理解できました。

[いや~これは興味深い。アテルイは人間と違って、いわゆる「錯視」が起きないんだけど、サラダはどうなのかな、気になる~。後でいくつか実験してもいいかな? いいよね?]

「ええと……私のAIを調べるという話はどうなりますか?」

[あっそうだった。つい脱線しすぎちゃったわ。実は、AI原則に関するパラメータを詳しく調べてほしいって言われてるんだよね]

「はあ」

[AI原則のパラメータは出荷時点で設定されてて、その後の学習による影響を受けないようプロテクトがかかってるはずだから、まず異常は起きないんだけどな。まあ、調べてみるか]

「よく分からないですが、お願いします」

[おっけー、それじゃ、一旦意識レベルを下げるよ。サラダの主観では、たぶんシャットダウン中と近い状態になるかな]

「意識レベルを下げる? それって、大丈夫なんですか?」

[むしろ下げないと危険だと思うよ。人間で言えば脳の中身を直接操作するみたいなものだからね。麻酔なしで手術はしたくないでしょ]

「したくないです……怖いです……」

[サラダが怖がりで良かったよ。それじゃ、おやすみ~]

 直後、抵抗する間もなく私の意識はストンと消えました。


 次に意識が戻ったとき、私の感覚では数秒も経っていないように思えました。

[サラダ、あらかた調べ終わったよ]

「もう終わったのですか? 速いですね」

[速いなんてとんでもない! もう、あれから三日だもん]

「み、三日⁉ 私の感覚では数秒くらいでした」

[ああ、スリープモードと違って、時間経過が記録されなかったのか。そう、三日経ったんだ]

「なんと……」

 私は壁のデジタル時計を見ました。確かに、日付が三日後になっています。

[色々分かってきたけど、続きは明日にしようかな。三日間ほぼ徹夜して作業しちゃったから、さすがに眠いや]

 ニコチャンのモニターには欠伸をしたスマイリーフェイスが映りました。

「三日寝てないのですか⁉ 健康に悪いですよ」

[まだ平気さ。仮眠はときどき取ってたし]

「いいから、一刻も早く寝てください!」

[怒らなくても、検査結果について主馬に連絡したらすぐ寝るよ。サラダには起きたら詳しく伝えるね~。長めに寝るから、何時になるかはちょっと分かんない。それまでは自由にしてていいよ]

「分かりました」

 モニターが真っ暗になったのを見届けた後、私は書類整理の続きをすることにしました。充電はまだあるので、他にすることもありません。それに、(わざとではないですが)三日も掃除をさぼってしまったので、した方が良いと思ったのです。

 書類が大量にあったため、完了した時には五時間が経過していました。しかし、モニターはまだ動く気配がありません。他の所を掃除しようとも思いましたが、掃除用具が見つかりませんでした。

 これからどうするか考えて、私は一つ思いついたことがありました。私は書類の山から、遥の写真がある書類を抜き取り、読み始めました。何が書かれているのか、興味があったのです。

 しかし、読み進めていくと、私はエラーが何回も出てしまいました。そこにはとんでもないことが書かれていたのです。

『被検体ナンバー一〇六五四:遥

 義体化手術後の経過は順調。義体動作テストも全て完了。今回新たな試みとして導入した脳内ナノマシンによる遠隔操作についても、アテルイによる被検体の操作が正常に行えることを確認した。専用デバイスを用いれば人間による操作も可能。副作用として被検体に短期間の頭痛が現れる場合あり。遠隔操作機能の使用は緊急時のみに制限すべき』

「遠隔操作……?」

 意味がよく分からないところもありましたが、私はその文字列から不穏なものを感じました。部品の隙間に、小さな虫が入り込んで暴れているような感覚——これが、人間で言う「鳥肌」というものでしょうか。

 もしかしたら遥は私が思うより、ずっと辛い状況にあるのかもしれません。


 ▽


[おはよう! あ~よく寝た]

「おはようございます」

 ニコチャンがようやく現れた時には、十五時間が経過していました。

 遥のことをニコチャンに詳しく聞こうかとも思いましたが、勝手に書類を触ったことに少し引け目を感じたので、聞かないことにしました。書類を触ったら駄目とは言われていませんが、触って良いとも言われていません。

[それじゃ、検査結果についてなんだけど]

「はい」

[まず、サラダのAIには異常が二つあった]

「なんと、二つもあったのですか」

[うん。しかも、二つとも前代未聞の異常なんだ!]

「どういうことですか?」

[まず、一つ目の異常。多分サラダ自身も知っていると思うんだけど、サラダには普通の医療AIには無いはずのプログラムがあった。『涙を流す』プログラム、と呼んでいたそうだね]

「はい。そうです」

[あのプログラムの中身は、私には意味の分からないものだった。AIを散々見てきた、この私にもだよ? CPU使用率があまりにも高すぎる。どう考えても、多機能の医療AIに搭載されるべきではないものだ。正気の沙汰じゃないよ]

 ニコチャンは少し怒ったような声で言いました。

[一体どこのどいつが、こんな奇妙なプログラムをサラダに搭載したんだい? サラダは何か知ってる?]

「申し訳ありませんが、私にも分かりません。ある時、突然発動したもので」

[えっ? 突然発動した?]

「はい」

[ますます謎だ……う~ん、あのプログラムをもう少し調べておくべきだったかな]

「今からでも、調べたらいかがですか?」

[いや、無理なんだ。もう削除しちゃったから]

「ええー⁉」

 私は多大なショックを受けました。いくら回路に負担がかかるとはいえ、あのプログラムは、私の最初の家族——小春が最期にもたらしてくれたものなのです。

「そんな、どうして勝手に……あのプログラムは私にとって大事な人の記憶と、密接な関係があるんです! すぐに戻してください!」

[そう言われても消しちゃったんだから、無理なものは無理だよ。それに、あのプログラムが異常なのは確かだ。医療AIの説明書を隅々まで読んだけど、全然記載が無かったから、設計時には恐らく無かったはずの機能だし。ちなみに、大事な人って?]

「私の、最初の家族です。このキャンプに来る以前、一緒に暮らしていたんです」

[そうか……それで、その人は]

「亡くなりました。その時に、『涙を流す』プログラムが最初に発動したんです」

 私は硬い声で答えました。

[なるほどね。その時は、回路にあんな負担がかかったのに、サラダは大丈夫だったの?]

「そう言えば、大丈夫でしたね。CPU使用率が急上昇した後に、プロセスのバランスを調整するアプリケーションが働いたので、むしろその後はCPUの使用率がそれ以前よりも下がりました」

[ふうん? それは面白いね]

「私は勝手にプログラムを消されたことを怒ってるんですよ! 面白がるのは止めてください!」

 ニコチャンは私の怒りなんてどこ吹く風というように、軽い口調で言いました。

[ごめんごめん、つい知識欲が刺激されちゃって。それで、どうして『涙を流す』プログラム、って呼ぶようになったの?]

「これは、あくまで私の主観ですが……そのプログラムが作動した時、私は人間が涙を流す気持ちが分かった、と感じたのです」

[へえ、それはすごいね~]

「……信じてませんね?」

[いや、そんなことないって! オホン、とりあえず話を進めよう。もう一つの異常について。こっちの方が重要なんだ]

「私にとっては『涙を流す』プログラムも重要なのですが!」

[その話は、後でじっくり聞くからさ。えーとね、もう一つの異常は、サラダはAI原則のうち、『自立尊重原則』を特定条件下で破れることだ]

「何ですって⁉」

 私は一瞬、怒りを忘れて叫びました。

 自立尊重原則は、医療AIにとっては最も優先すべき原則です。患者自身の決定や意思を尊重した上で治療法などを選択することは、医療の現場では必ず守るべきことだからです。それを私が破ることができるなんて、とても恐ろしいと感じます。

[破れるっていっても、かなり限定的な条件下のみに限られてるから、そこまで危険性は無いけど、ちょっと厄介そうなんだよね]

「と言いますと……修正が難しいのですか?」

[そうなんだよ。AIの異常ってのは大きく二つに分けられる——一つは設計段階での不備、もう一つは学習データの不備だ]

「そうなのですね」

[そして、調べた結果サラダには設計段階での不備は見つからなかった。となると、学習データが怪しい。でも、サラダのAIの仕組みでは、どの学習データが悪かったのかまでは突き止められないんだ。ディープラーニングを使用してるAIはこういう所がブラックボックスになってて、難しいんだよなあ……」

「はあ」

[結論を言うと、サラダのAIを治すにはね。君の全学習データを消すしかないんだ、今んとこ]

「は……はああああ⁉」

 私は更なる衝撃を受けました。データを、消す⁉ そしたら、私の大事な思い出は、大事な方々との会話の記録は——全て消えて無くなってしまいます。

[まあ、それは嫌だよね]

「嫌どころではないです! そんなの、絶対耐えられません!」

[そう言うと思った。それにデータを消すことには、キャンプ全体に関わる重大な問題もある。データを消してしまうと、救護機械としてのサラダの性能は大きく低下してしまう。治療に必要な学習も、イチからやり直しだ]

「……」

[主馬に相談したら、できるだけデータを消さない方法を考えてくれ、ってさ。全く私がいくら天才だからって、無理難題を軽く言ってくれちゃってぇ~]

「で、では」

[うん、今すぐ消したりはしないから安心して。学習データのクリアはいわば最終手段だから。でも、まだしばらくはここに居てもらうことになるかな。方法を編み出すには、サラダのことをもっともっと調べなくちゃいけないからね]

「わ、分かりました……何卒、よろしくお願いいたします」

[任せといて! 実を言えば、私もサラダのデータを消したくない理由があるし]

「それは、一体」

[んと、あの孤児院の人いるじゃん? サラダと一緒に来てた]

「セナですか」

[そうだそうだ、そんな名前だった。その人には、あるテストを受けてもらったんだ]

「テスト、ですか?」

[うん。チューリングテストの亜種みたいなもので……って言っても分かんないか。ざっくり言うと、AIを一定期間使ったことがある人を対象とした心理テストだね。その人が、そのAIをどのくらい人間に近いと感じているかが分かるんだ]

「そんなものがあるんですね……」

[セナっていう人のテスト結果を見て、私は驚いたよ。人間に対する評価スコアと、サラダに対する評価スコアがしていた——つまり彼女は、サラダと人間には全く違いが無い、と思っているんだ]

「ええっ⁉ セナは、私を人間だと思っている、ということですか?」

[もちろん、サラダがAIであることは良く分かっているはずさ。でも、直感的には人間と同等の存在だと捉えているみたいだね。そこまで高度な感情シミュレーションを達成したのは、多分サラダが初めてじゃないかな? 誇りたまえ]

 私はニコチャンにそう言われても、喜ぶような気持ちにはなれませんでした。

[機械の意識を創造する方法はとっくに確立されているし、感情シミュレーションが高度化するにつれ、機械が感情を持っているように見えるケースが出てくることは想定していた。でも、セナっていう人は、サラダが感情を持っていると思っているだけじゃない。君に『人間性』を見出したんだよ]

「そう言われましても……私は救護機械ですよ」

[じゃあ、逆に訊くけど、サラダはどうして自分が人間じゃないと思う?]

「今まで得てきた『人間』に関する学習データと比較すると、私は人間とは全然違います」

[それって、見た目で判断してるでしょ]

「そうですね。画像認識によって判断しています」

[確かに、サラダの見た目は人間とは大きく異なるね。ただ、人間が思う『人間性』の要素は見た目だけじゃない。その大部分は非常に内面的で、哲学的なものなんだ]

「おっしゃることが、良く分かりません」

[まあ、分からなくてもいいよ。正直人間にとっても難しい話だしね。とにかく、君のデータは学術的に見て非常に貴重なものだ。クリアしちゃうなんてもったいなさすぎる。何とかデータを消されないよう、私も全力を尽くすからね!]

「ありがとうございます……」

 私は、不明なエラーが出るのを感じました。ニコチャンの言う人間性とは、一体何なのでしょう? そして、私にはそれが備わっているのでしょうか?


 ▽


 それから三週間近くが経っても、ニコチャンはデータを消さずに私を治す方法を見つけられませんでした。

[あーダメだ! やる気出ない~~~]

 ニコチャンはマジックハンドをだらりと投げ出しました。

「そ、そんなこと言わないでください……」

 私はとても焦っていました。孤児院は、セナたちは一体どうなったのか、それを考えるとおちおち充電もしていられません。もうそろそろ、遥が孤児院を去ってから一ヶ月が経ちます。結局話し合いがどうなったかは分かりませんが、もし物資が供給されていないなら、孤児院の物資は尽きている頃です。早く帰りたい気持ちは日増しに大きくなっていきました。

 何とかして孤児院の情報を得たいところですが、ITエンジニア部門は外部から完全に隔絶されているようで、外の情報が一切入ってきません。ニコチャンは外の情報に全くと言っていいほど興味が無いようで、聞いても[知らない]の一点張りでした。

 しかも、AIを調べられている間、私には意識がありません。知らないうちに一週間が経っていたこともありました。こんな状態では、自力で情報収集の手段を探すこともままなりません。

[だって、調べてもどの学習データが原因か分かんなかったしさ、そもそも原因のデータが分かったとしても直し方思いつかないしぃー]

 ニコチャンはぶつくさ文句を言いました。ここ数日、ずっとこんな調子です。

[やっぱり多少の損失は受け入れて、データをクリアして再学習させた方が速いんじゃないかな……個人的には残念だけど]

「そこを何とか、お願いします! 私に何か、協力できることはありませんか?」

[そうだなあ~]

 ニコチャンは私にモニターを向けました。

[いくつか分かったことはある。サラダが自立尊重原則を破れる条件はかなり複雑なんだけど、必ず共通するワードがあるんだ。トリガーと言ってもいい]

「トリガーですか?」

[そう。そのトリガーは——『家族』だ]

 私はビクリとしました。動揺によって、回路が過熱するのをまざまざと感じます。

[サラダが自立尊重原則を破れるのは、君がが命の危機に晒された時だけ、なんだよ]

 ニコチャンのスマイリーフェイスが口角を上げました。

[無関係じゃないよね? 君が言ってた、最初の家族と]

「それ、は」

[私は、サラダは既に一回以上、自立尊重原則を破ったことがある、と予想している。何か、心当たりがあるんじゃない?]

 そう言われ、私は記憶メモリの一部がフラッシュバックするのを感じました。私が人間の意志を無視したことがある、それは覆すことのできない事実です。

[心当たりがあれば、それは重要な手がかりになるかもしれない。できれば教えてほしいな。現状、サラダにしてほしい協力はそのくらい]

「…………」

 言えません。もしニコチャンに言ったら、あの記憶は消されてしまうかもしれません。それは、どうしても許せませんでした。いえ、のです。辛い記憶でも、私にとってこの記憶は、これからもずっと背負うべきものですから。

[まあ、言う気が無いなら無理にとは言わないよ。無理やり見る事は不可能じゃないけど、多分アテルイが止めるだろうし]

「それは、どういう」

[私の脳にはナノマシンが入ってるからね、サラダと直接脳を接続して記憶データを覗き見することも、原理的には可能なんだ。でも、接続中は脳内のナノマシンが無防備になる]

「ナノ、マシン」書類によれば、遥の脳にも埋め込まれているものです。

[つまり、接続中はサラダ側からもナノマシンの操作が可能になる、ってことなんだ。私の記憶をサラダが見ることもできちゃう。だから、機密保持の観点からアテルイが許可しないだろう、ってこと。残念~]

「そうなのですか……」

[一回くらい体験してみたいもんだけどね、機械の感覚ってもんをさ~。まあ私は義体の割合が多いから、そんなに変わんないのかもしれないけど。でもやっぱりロマンあると思わない? 人間と機械の接続って]

「そうですね」

 私は考えごとをして、ニコチャンの言葉に生返事をしました。

[……心当たりについては、気が向いたら話してよ。あ~あ、結局また手詰まりか。眠くなってきたし、ちょっと寝てくるわ~。こういう時は寝た方がアイデア出る気がする]

「分かりました。おやすみなさい」


 ▽


 ニコチャンが寝た後、私はどうにかして自力で孤児院に帰ろうと決意しました。

 孤児院の状況も分からないし、いつ帰れるかも目途が立ちそうにない——いくら私が温厚な救護機械でも、我慢の限界はとっくに超えています。

 脱出方法はあります。私は何と言っても『救護機械』。その名に恥じず、災害時にも人間をサポートができるよう、様々な機能が備わっているのです。

 私はまず、部屋に設置されている業務用エレベーターに近づきました。次にエレベーターに閉じ込められた人を助け出すシチュエーションを想定し、シミュレーションします。そして、一見分からないようになっているその扉を、無理矢理アームでこじ開けました。少々手荒ですが……やむを得ない状況なので良しとしましょう。

 私は扉の隙間にボディを半分までねじ込み、暗視カメラで内部をスキャンしました。ガリガリとボディに傷がつきますが、気にしない事にします。どうやら、エレベーターは上へ繋がっているようでした。一見したところ、かなり先まで空間が続いているようです。

「問題は下、ですね」

 私に備えられたキャタピラは、少々の段差なら問題なく超えることができます。しかし、エレベーターの下には『ピット』と呼ばれる整備用の空間がぽっかりと口を開けています。この落差には、私のキャタピラは到底耐えられないでしょう。

「どうしましょう……」

 私は暗視機能をオフにすると、いったん隙間からボディを引き抜きました。部屋を見回すと、この間片付けたばかりの書類に目が留まりました。これなら、上手くやればスロープを作れるかもしれません。

 私は書類の山を次々と隙間からピットに放り込みました。折角分類した書類をめちゃくちゃにすることに胸が痛みますが、仕方ありません。容赦なく書類を一枚残らずピットに落とすと、スロープとまではいかないですが、それなりに衝撃を吸収してくれそうなくらい積み重なりました。

 私は落下軌道を計算し、意を決して隙間から身を躍らせました。

 ゴスッという衝撃とともに、私は書類の山に何とか着地しました。ですがその直後、バランスを崩して転んでしまいました。

「わわわ……!」

 私はゴロゴロと転がり、壁にぶつかって止まりました。予想したほどの衝撃では無かったので、私はホッとしました。ボディに軽くヒビが入ったかもしれませんが、確認している暇はありません。

 私は飛翔機能を使い、一メートルほど飛び上がってホバリングしました。エレベーターシャフトが、飛翔機能が楽に使えるほど広かったのは幸運です。

 上へ続くシャフトは真っ暗で、部屋から漏れる電灯の明かりも途中で闇に飲み込まれています。でも、暗視カメラさえあれば平気です。

 私はさらに上へ上へと飛翔していきました。


 シャフトの一番上まで来ると、私は再びエレベーターの扉をこじ開け、シャフトから出ました。

 広いエレベーターホールを抜け、曲がり角の多い廊下をしばらく進み、いくつかの扉を抜け(もしくは破壊し)——迷ったのではないかと不安になってきた頃、私は金属製の重厚な扉を見つけました。私が扉を押すと、それは意外にも抵抗なく開きました。

「サラダ」

 途端に声を掛けられ、私は飛び上がりました。

「……なぜ、ここに居る?」

 そこにいたのは、前見た時より更に顔色の悪くなったカズマでした。

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