僕の見た景色
葉泪秋
前編 気になるあの子
私には今、気になっている人がいる。
と言っても恋愛的に好きというわけではない。なんだろう・・知的好奇心というか、単純にその人のことをもっと知りたい。
「ありをりはべり いまそかり・・」
還暦近い
六時間目の国語は睡魔に抗えない、完全に私を寝かしつけにかかっている。
昨日は夜ふかししちゃったし・・本当にピンチだ。克巳先生のうわ言睡眠BGMに拍車がかかっている。
授業終わりのチャイムが鳴り響き、礼とともに放課後の空気が教室内に漂い始めた。
この喧騒の中でもやはり『あの人』は本を読んでいる。
「今回の綾乃、かなりギリギリだったんじゃない?」
家の方向が同じで、中学も入学してから二年連続同じクラスの優花が意地悪な顔で言う。
「いや~、本当に寝そうだった」
「寝不足?」
「最近ずっと寝不足気味でさ」
「なに、勉強?・・って、綾乃が熱心に勉強するわけないか」
グサッと来たが、反論できない。
「ちょっと気になってることがあってさ」
「ついに綾乃も恋愛か~!いいじゃんいいじゃん、教えてよ」
うぐっ。
「違うってば」
そんな事を話しながら、課題の分だけ教科書類をリュックに詰め込んでいた。
置き勉という文化が根づいたのは学生としてありがたいものである。
「座ってくださーい」
存在意義のわからない帰りの会を聞き流して、私は優花とともに帰路についた。
「あ、明日の時間割メモするの忘れてた」
「もうー、綾乃いつも帰りの会聞いてないからでしょー?」
呆れ顔で言われてしまった。
「ごめん、あとでラインで教えて」
「はいよー」
なんだかんだ優花は私に甘い。
私の家の前までやってきた。
「じゃあね、また明日」
「あーい」
家に入り、手を洗い、部屋着に着替えた。
スマホを手に取った私はすぐにベッドへ飛び込んだ。至福のひとときだ。
私の気になっている人の名前は「
しかし、私には彼の生み出す文章が眩しいほどの光を放って見えた。
先月、ひょんなことから私は彼のツイッターアカウントを見つけた。
まぁ、彼以外にも同級生でツイッターをしている人は他にもたくさんいるし、おかしなことではないと思っていた。が、彼のツイートは「その日あったこと・今の気持ち」のような平たいものではなかった。
試しにひとつ、私のお気に入りを。
「僕の見上げた夜空は、輝く桜が満ちていた。星々が微笑む中で舞い散る花々。その美を初めて目の当たりにした僕の心は、夜風に吹かれた小枝の如く揺れ動いていた。夜桜の中に沈みゆく僕の体。春はあっという間に僕の胸を満たし、静かなる魂に触れる。星たちとともに、永遠を紡ぐ。」
このツイートは今年の四月にされたものだ。
きっと夜桜を初めて目にしたのだろう。
その感動を、彼は完璧なまでに文章へ起こしていた。
頭の中で男子中学生をイメージしたら分かってもらえると思うが、彼らは騒がしく愚直だ。
それが良い所だとも言えるのだが。
才能がどうこうはともかく、多少捻くれている部分がなければ、このような素晴らしい文章を書くことはできないのだろう。
実際、彼は他の人と戯れるタイプではない。
いつ見ても読書、読書、読書。
彼の文章力と語彙力、表現力はそれによって培われたものというのは火を見るより明らかだが、それをしっかりと落とし込んで自分の見た景色を的確に文字に起こせている。
何故ここまで詩的な表現を織り交ぜられるのだろうか。
そう、その答えが気になっているのだ。
しかし彼は寡黙で人と話しているところは滅多に見ない。班活動で話を振られた時の返答が関の山だろう。
そんな人に話しかける勇気は私にはない。
だって、二年生はまだ八ヶ月も残ってる。ここで焦ってアクションを起こして、気まずい時間が半年以上流れるなんて耐えられない!!
しかも私って誰とでも仲良く話せるようなキラキラした女子じゃないし・・急に話しかけたら警戒されるに決まってる。
でも、今日は7月2日。今のうちに距離を縮められたら夏休みの間に今まで気になっていたことを全て聞けるかもしれない。
近ごろ社会の授業で教わったハイリスク・ハイリターンとはまさにこのことだ。
まぁ、先生がしてたのは株の話だったけど・・
あーもうとりあえず勉強しよう!!!
「綾乃、最近浮かない顔をしてるな。何かあったのか?」
夕食中に突然父が尋ねてきた。
「あなた、もう少し遠回りに聞いたりできないの?」
母が怪訝そうな顔をして言う。
「私は大丈夫だよ、お母さん」
「そう?」
「ただ気になってることがあるだけだよ」
「そうか、なら良いけど・・何か困ったことがあったらお父さんに言っていいからな」
「うん、ありがとう」
私はお母さんに相談するっつーの、と言いたいところを抑えて言った。
お父さんは察する能力が極端に低いだけでとても優しい。
なので、思春期だからといって傷つけたくないのだ。
「ごちそうさまでした」
夕飯を食べてもお風呂に入っても、藤野明が頭から離れない。
もう、いっそのこと明日話しかけてみようかな・・
いーや、それは早とちりだ。やっぱりやめておこう。
優花に相談してみようかな・・?
比較的優花の方が私より人と関わるのは上手だ。何かアドバイスをくれるかもしれない。
ただ・・茶化してきそうなんだよな~、あの人。
でも、そんなに深刻な話ってわけでもないから「茶化さずに聞いて」とも言いづらい。
「う~・・」
学習机に突っ伏して唸ると、ドアが開く音がした。
「綾乃・・本当に何かあったの?」
心配そうな表情の母が入ってきた。
「だからぁ・・何もないってば。私だって乙女なんだよ」
「そ、そう・・」
最後の言葉は完全にミスだ。恋をしていると勘違いされるに決まっている。
あーもうどうしよう・・今から何を言っても誤魔化しだと思われるだろうし・・・・
「お母さんは応援してるからね」
母は小さく握りこぶしをつくり、部屋を出ていった。
「違うのに・・・・」
翌日の朝、私は決意した。
優花に相談しよう。
真面目に聞いてもらえるかはひとまず置いといて。何か話してみれば変わるかもしれない。
でも、優花以外に相談が出来る人がいないので消去法だ。
朝の支度が終わり、優花が家のチャイムを鳴らしに来た。
「はーい今行くー」
駆け足で外に出た。
「おはよ」
「今日暑くない?」
優花は腕をこすり合わせながら言った。
それ普通、寒い時にやる仕草でしょ。
「話変わるんだけど・・いい?」
「なに、恋バナ?」
「だから違うって・・・・でも、まぁ、相談したいことがあるっていうか・・」
なんか緊張してきた。
「どんなことー?」
「気になってる人に話しかける方法って・・どんな感じ?」
「やっぱり恋じゃん。それ、恋だよ」
キメ顔で言ってきた。
「まぁ、恋でも良いんだけど・・どうしたら距離を縮められるのかなって」
「そんなの、挨拶するしかないでしょ。まずは『おはよう』からじゃないと会話は始められないって」
そのおはようがどれだけ難しいものなのか分かってほしい。
「おはようの後、どんなこと喋ればいい?」
「うーん、雑談は正直慣れてないと気まずくなっちゃうから難しいよなぁ」
優花は適当な話で場をもたせることが出来るタイプだ。
でも私は話すのが得意なわけでもないし・・相手はあの明くんだし。気まずくなる予感しかしない。
「んで、相手は誰なの? それが分かったらもう少しアドバイスできるかも」
「驚かないでよ?」
「うん」
「明くん」
「えぇっ!?」
ほら、驚くじゃん。
「明って、藤野? どうしてまたそんな意外な人を・・」
「理由は一旦聞かないで。どう話したら良いかな?」
なんとか優花が茶化しモードに入らないようにセーブした。
「それは難問すぎるって・・明が人と喋ってるイメージないよ?」
「気になっちゃったもんはしょうがないでしょ」
「でた、またその台詞」
「好きなんだよこの言葉・・」
気になっちゃったもんはしょうがない。
私は、そこはかとないエモーショナルな雰囲気の中に若いが故の活発さも感じるこの言葉が大好きだ。
「明っていつも本読んでるし、その本について聞いてみたら自然なんじゃない?」
「読んでる時に話しかけるのって邪魔にならないかな・・?」
「気にし過ぎ。人と仲良くなりたいなら、多少図々しいくらいがちょうどいいんだよ」
「そういうものなのかな・・」
「そういうもん!」
雑なまとめだったが、相談したことで話しかけるハードルがかなり下がった。
よし。今日の休み時間、本について聞いてみよう。
三時間目が終わった後の休み時間。チャンスがやってきた。
「綾乃。行くなら今だよ」
優花が次の授業の準備をしながら言ってきた。
「うん、話してみる」
ビビるな、私。
あくまで自然体で、違和感なく。
ガクガクの状態で明くんの席に近づいた私は、勇気を出して話しかけた。
「明くんっていつも休み時間に本読んでるよね? どんな本読んでるの?」
「ん、短編とか推理小説とか、ジャンル関係なく気になったのを読んでる」
「へぇ~! 今読んでるのはどんな本?」
「これは・・好きな小説家さんの新作だから買ったやつ」
「もう半分くらい読んでるんだ」
「面白いからどんどん読んじゃってさ」
「わかる、あっという間に読んじゃうよね」
「佐藤さんも読書好きなの?」
佐藤さん、という呼び方にまだまだ距離感を感じる。
「月2、3冊かな・・めっちゃたくさん読むわけじゃないんだよね」
「そうなんだ、読まないタイプだと思ってた」
「そうなの?」
「なんか・・元気な女子ってあんまり本読まなそうじゃん」
「なにその偏見」
そう言うと彼は静かに笑った。
「あと、私のこと名字で呼ばなくていいからね」
「そう? じゃあ、綾乃さんにする」
「うん」
「次の授業って移動教室じゃなかった? もう行かないと」
そう言って明くんは椅子を下げた。
「あ、私も準備しないと。じゃね」
控えめに手を振り、優花のもとへ逃げてきた。
「結構喋れたじゃん、綾乃!」
「ちょっと、声大きいよ」
「ごめんごめん」
優花お得意の平謝りである。
「なんか・・明くん思ってる以上に女子と喋るの慣れてて・・」
「ね。全然動揺してなかった。この調子で行けるよ綾乃」
「だから別にそういうのじゃないって・・」
「はいはい、理由はまた今度ね?」
「あーもう。とりあえず美術室行かないと!」
普段通り学校を終えた私は、家に帰って早々スマホを確認した。
「えっ、明くん、鍵垢になってる・・・・」
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