第2話 裏切り
目を開けると、私は懐かしい風景の中、筆記用具と教科書類を持ったまま廊下に立ち止まっていた。
中学時代はいつも、移動時間となると友人である美月ちゃんと一緒に移動していたけど、ある時期だけ私は一人で移動をしていた。
その美月ちゃんが隣にいないということは……そっか。そうだよね。
当然その頃を追憶させられるよね。
これまでに見た二人の記憶と同様に、記憶の中の私は、私の意思とは関係なく再び廊下を歩き始めた。
(あれ……?)
そこで違和感に気がついた。
どうして私は記憶が残ったまま……。
金魚と剛義くんは、どうして中学の頃に戻っているのか、夢を見ているのかって混乱してた。
あのカラオケボックスでの出来事や、罪記との会話を忘れさせられたうえで追憶体験をさせられていたのに。
『だって君はもう、入る前から答えを決めていただろう?』
(……そこまでお見通しなんですね。その通りです。だって、過去は変えられないんですから。またあの辛い記憶を見ることになったとしても、そこから目を背けないこと、それが私自身への罰ですから。)
『そうかい。ならば、今回は私も改めて君たちの犯した罪を観させてもらおうかな』
それっきり罪記の声が聞こえてくることは無かった。
罪記の声は当然記憶の中の私には聞こえていないから、何ともないようにその足を進めていく。
けれど、教室の入口が見えた途端に、私の足取りは重くなった。
(そうだよね。やっぱり怖いよね……)
教室のドアの前まで来ても、すぐにはドアを開けられず、小さく息を吐いてからゆっくりと取手に手をかけた。
身体を滑り込ませられる分だけの、必要最低限の隙間だけを開けて、なるべく目立たないように中へ入る。
下を向いて、ただ真っ直ぐに自分の机を目指す。
それでも、どうしても視界に入ってしまうものはある。
自分の席へ近づくにつれて、私の席の周りの女子たちが次々と席を立って離れていく。
私と距離をとるために。
自身が標的となってしまわないようにするために。
彼女たちが恐れるその中心的な人物が、今も楽しそうに窓際で笑い声を上げている高山愛歌だ。
このクラスの子たちだけじゃない。
この学年の女子たち全員が彼女やその仲間である五人に対して逆らうことが出来なかった。
彼女たちはみんな顔立ちが整っていて、スタイルもよく、自信を持っていた。
持ち前の明るさで誰とでもすぐに打ち解けることが出来た。
みんな最初は舞い上がってしまうんだ。あんなキラキラした子から話しかけて貰えたって。仲良くなれたって。
そして、それを次第に誇りのように思い始めて、他の子たちにマウントを取ろうとし始める。
ただ、みんな後になって気づくんだ。彼女の恐ろしさを。
彼女たちは自身の身勝手さや独占欲、支配欲を上手に隠して近づいてくる。
それに騙されて、ある程度の関係性を構築してしまうと、誰と仲が良くて、誰と仲が悪い、誰のことが嫌い……とか、そういう命取りになるような情報を彼女たちに話してしまうんだ。
彼女たちに気に入られようとして、必要のないことまで全部話してしまう子もいる。
ただ、それらの情報を貰ってから初めて、彼女たちはその本性を現す。
ある時、愛歌ちゃんとの話を中断して、もともと仲が良かった子とクラスがわかれてしまったために、隣のクラスへ向かおうとした子がいた。
その子に愛歌ちゃんはこう言った。
「ウチら友達だよね?なのになんでいつもあの子のとこ行くわけ?ウチらのこと嫌いなの?」
その子はあまりにも束縛しすぎじゃないかって、隣のクラスで愚痴をこぼしてしまった。
それが運悪く、彼女の耳に入った。
そうして彼女は標的とされてしまった。
愛歌ちゃんが標的を決めると、いつも彼女の周囲を固めている五人の取り巻きが攻撃を始める。
それも堂々と他の子たちの前で。
別に筆箱を隠したり、教科書を破いたり、はたまた机に落書きをしたりなんていう、漫画やドラマで行われるような大胆なことをする訳ではない。
彼女たちが行うのは、徹底的な無視と執拗な悪口だ。
まるで自分たちの意見に従わないとこうなるぞって見せしめをするみたいに。
無視の輪はじわじわと広がっていき、廊下では誰かとすれ違う度に、こちらだけに聞こえる声で悪口を言ってくる。
それが毎日、学校にいる間ずっと続けられる。
かくいう私もその標的になってしまっているのだけれど。
きっかけとなったのは、私が光弥にとある相談事をしたことだった。
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私はある日の放課後、小学校入学時からずっと同じクラスだったという、付き合いの長さから信頼を寄せていた光弥を教室前のオープンスペースに呼び出した。
放課後にわざわざ話があるから呼び出すって、告白でもするのかって思ってしまうよね。
今更だけど、もっと細心の注意を払っておくんだった。
私が後悔している間にも、二人は会話を始めてしまう。
「最近剛義くんが沢山話しかけてくれて、正直嬉しいんだけど困っててさ……」
相談事というのは、ここ最近のところでやけに声をかけてくれるようになった、同じクラスの藤原剛義くんのことだった。
「あいつも勇気出してんだろうけど、他のところが見えてないもんなぁ」
私は愛歌ちゃんが剛義くんに対して、密かに好意を寄せていることを知っていた。取り巻きの五人が話しているところを聞いてしまったのだ。
「こんな事言うのは恥ずいんだけどさ。私だって剛義くんのこと好きっていうか、気になってるっていうか……だから、いつまでも素っ気ない返事をしてるのも辛くて。嫌われないかなって心配になる……」
「見てれば分かるよ。それでも、前に言ったように、今あいつに近づくのはやめといた方が良い。お前も愛歌が剛義に目をつけてんの知ってんだろ?」
もちろん彼女の恨みを買って、次のターゲットにされてしまうのは怖い。
それなら剛義くんが私のことをどう思っているのか教えて欲しいって聞いたこともあったけど、光弥は教えてくれなかった。
「それはおれじゃなくて、あいつの口からじゃないと。ただ、安心しなよ。剛義もお前が良い奴だってことは分かってっからさ!」
笑顔でそう言ってくれるだけだった。
カシャン!!
何かが床に落ちる音を聞いて、私たちはすぐに話すのを止めた。
「私」はさっき剛義くんの記憶をモニター越しに見ていたから、そこに実は剛義くんが来ていたことを知っているけれど、この記憶の中の、当時の私と光弥はそこに剛義くんが居たなんてことは知らない。
そして、この記憶の中にいる剛義くんも当然過去の剛義くんだ。成長した剛義くんが中に入っている訳でもない。だから、剛義くんが勇気を出してそこにとどまっているなんてことも無い。
音の正体を確かめるように廊下へ向かった光弥は「なんだ、ポスターだよ!ちょっと直してくるわ!」と言って、すぐに元の位置に貼り直して戻ってきた。
だから、剛義くんに私の好意が伝わることもない。
同時に、剛義くんは光弥に裏切られたと勘違いしたまま学校を立ち去っていて、以降彼が光弥に対して恨みを抱くことになるきっかけにもなってしまっていた。
でも、私たちの話を聞いてしまっていたのは、剛義くんだけじゃなかった。
私はこの翌日に、最悪な人物に聞かれてしまっていたことを知ることになる。
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光弥と別れ、昇降口を出たところで私はまたあの白い光に包まれ、そして目を開けるともう翌日になっていた。
それが翌日だと分かったのは、今私が女子トイレで
「何ボケっとしてんの?あたしの話聞いてた?」
「え、えっと……」
「だから!昨日の放課後、あんた光弥くんのこと呼び出してなんか話してたよねって。何の話してたの?まさかその、告ったりとかしたわけ……?」
「ち、違うよ!告るわけないって……」
「なら、何話してたのさ」
「な、何って……別にそんな特別なことは……」
私がすぐに答えられないのにも理由があった。
私を見下ろしながら壁際まで追い詰めているこの白亜ちゃんは、愛歌ちゃんの取り巻きのうちの一人なのだ。バレー部所属の高身長美人で、サバサバとした性格が男子からの人気を集めていた。
そんな白亜ちゃんがまさか光弥のことになると、こんなにもしつこくなるなんて思わなかった。
「放課後にわざわざ二人きりになってまで話してたのに、特別な話してないって?特別な話じゃないなら言えるよね?」
「そ、それは……」
それでもまだ言い淀んで顔を背ける私に、白亜ちゃんは顔をずいっと近づけて圧をかけてくる。
「あんたらが幼馴染みたいなもんなのは知ってるけどさ、だからって、そうやって二人だけの秘密みたいな感じだされるのすごく嫌なんだよね。それにあんた、昨日剛義がどうとかも言ってなかった?愛歌が剛義のこと好きなの、あんたも知ってるよね?」
「それ、は……」
私が知ってるってこと、バレてたんだ。
ほんとにこの時はすごく焦ったんだよね。それで頭が真っ白になって、ちゃんとした返事が出来なかった。
そもそも白亜ちゃんがあの時、先生から頼まれた用事でオープンスペースの倉庫に残ってたなんて思わなかった。
それに、白亜ちゃんが光弥に想いを寄せていたことなんて知る由もなかった。
白亜ちゃんは、いつまでも曖昧な返事ばかり続ける私に舌打ちをした。
「チッ、ハッキリしないのもウザっ……もういいわ。あんた覚悟しといてね」
そう言って白亜ちゃんは離れていった。
解放されたのは良かったものの、私はその様子に目を疑った。
教室に入ってすぐ、女子たちのほとんどが私から目を逸らした。
こんなにも早く私を除け者にする準備が進むものかと、改めて愛歌ちゃんの影響力が怖く感じた。
その日から私は、クラスの女子たちや愛歌ちゃんに好意を寄せている男子たちから無視されるようになった。
最初は頑張って私の隣に居続けてくれた美月ちゃんも、圧をかけられたのか一ヶ月経つ頃には、私が話しかけようとすると小さく「ごめんね……」と呟いて離れていってしまうようになった。
そんな絶望的な状況でも、私は最後まで独りにはならなかった。
いや、彼がそうさせないように頑張ってくれていた。
私は彼女たちのターゲットにされてから、授業と授業の間や、昼休みにはずっと教室にいた。とにかく必要な時以外は自分の机から離れないようにしていた。
どこに居ても白い目で見られるのは変わらない。むしろ、教室の外に出れば他のクラスの子たちからすれ違い様に悪口を言われる。
何も悪いことをしていないのに、悪いことをしたような気持ちにさせられるから。
幸い昼休みになれば、愛歌ちゃんは取り巻きを連れて他のクラスに遊びに行く時もあったから、少しだけ気を抜く時間があった。
私の周囲から皆が離れていったから、休み時間になれば私の周囲の席はいつも空いていた。
そこに光弥はいつもやってきては、授業の話だったり、部活の話をしたりして、何とか私の心を繋いでくれていた。
うつ伏せで目すら合わせなかったのに、ずっと私に声をかけ続けてくれた。
けれど、それを白亜ちゃんが許すとは思えない。
その予想は当たって、ある時白亜ちゃんと愛歌ちゃんの二人が話に混ざってこようとしたことがあった。
私はこの唯一の救いとも言える時間すら奪われるのかと、とても恐ろしくなった。
私に圧をかけてきた時とは打って変わって、気になる男の子に気に入られようと、ちょっとだけ甘い声で話しかける白亜ちゃんたち。
「お前らイジメっ子はダメ〜!話には混ぜてあげませーん!」
そんな二人に光弥はすかさずそう言ってのけた。誰も正面からそんな事言える子なんて居なかったのに。
あまりの衝撃に私もつい顔を上げた。
光弥は上手だった。
本気でそう言っているんだろうけど、とびっきりの笑顔で言っているもんだから、イジっているようにも聞こえる。
私はもちろん、白亜ちゃんと愛歌ちゃんの二人はもちろん、少し離れたところにいた残りの取り巻き三人や、教室の中にいた他の子たち全員が言葉を失っていた。
そんな光弥の行動が皆に僅かばかりの勇気を与えたのか、男子数人が私に声をかけてくれるようになった。
まぁ、それも長くは続かなかったけれど。
教室の中にいた時は、そうやって光弥が守ってくれていたけど、教室を出ればやはりすぐにでも悪口が聞こえてきた。
自分のクラスの子たちだけじゃなくて、他のクラスの子たちまで、自衛のために私への悪口を積極的に吐いていた。
キモ。
教室から出てくんなって。
クサッ。
チビ。
ブス。
死ねよ―――――
数えだしたらキリが無かった。
私もある程度の悪口なら聞き流せるくらいの精神力は持っている方だった。
それでも、私の心は無敵じゃない。
いくら光弥が励ましてくれて、その日毎に少しずつ心の傷を埋めてくれても、それ以上に傷つけられ続けたら、私の心だって折れてしまう。
そして当然、そんな絶好のタイミングを愛歌ちゃんが逃すはずがなかった。
「ねぇ美々花。お願いがあるんだけどさ〜それ聞いてくれたら、皆で無視するのやめたげるよ。ね、聞いてくれるよね?」
「え……」
「そんなにビビらなくても大丈夫、無茶なこと言わないって。てか、むしろめっちゃ簡単だよ?」
私は彼女の言葉に耳を傾けてしまった。揺らいだ心は止められず、その話に頷いてしまった。
愛歌ちゃんは急に肩を組んできて、とっても悪い笑みを浮かべていた。
私が愛歌ちゃんの囁きに負けてしまったその日以来、私はまた元の平穏を少しずつ取り戻していった。
美月ちゃんともまた話せるようになって、教室を出ても他のクラスの子たちから悪口を言われることもなくなった。
その代わりに、今度は光弥が無視されるようになった。それも女子からだけではなく、男子からも。
彼への悪意は私に向けられたものよりも酷かった。
悪口と無視だけじゃなく、彼は肩やお腹を殴られたりもしていた。
教室の中、自分の席に座る光弥の姿は以前の私を外側から見ているようだった。
そして、私には毎日励ましてくれる彼がいたけれど……。
「いや〜参ったわ。今度はおれ狙いになったみたいで―――」
「ごめん。もう話しかけてこないで。せっかく私、無視されなくなってきてるんだから……」
私は自分の平穏が再び崩壊してしまうことを恐れて、彼を冷たく突き放してしまった。
“簡単なことだよ。もう光弥とは離さないで。だったそれだけ。それだけ守ってくれれば、もう美々花に悪口を言ったり無視したりするのはやめてあげる”
私のせいで、彼は一人でこの悪意と戦うことになってしまった。
自分の心を守るために、彼の心を見捨ててしまった。
ずっと守ってくれていた彼を裏切った。
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