第54話 猿島

これは私が30年余り前に聞いた話だ。

当時私は、大学の修士1年生だった。


私が所属していた学部では、夏季に、とある無人島に2泊3日で滞在して、野生の猿の群れの生態を観測するという、修士1年の学生実習があった。

その実習の履修は任意であったのだが、何故か私が入学した年から中止になっていた。


ある夜私は、先輩のAさん、Bさん、Cさんと、大学近くの居酒屋で酒を呑んでいた。

入学したてだった私は、先輩たちが話してくれる、大学生活や教員についての話を興味深く聞いていた。


そのうち、少し酔ったせいもあったのだが、私は件の夏季実習が中止になった経緯について、先輩たちに訊ねてみた。

しかし私がそのことを口にした途端、3人の表情がみるみる強張ったのだ。


酒席に気まずい沈黙が流れ、何か拙いことを訊いてしまったかな――と、私が後悔した時、Aさんが口を開いた。

「そのことだが…」

「おい、止せよ」


CさんがAさんを止めようとするのを、今度はBさんが遮る。

「もう誰かに聞いてもらった方がいいんじゃないかな。僕はこれ以上黙っているのが怖くなってきた」


それにはCさんも同感だったらしく、苦しそうな表情で2人に頷いた。

「このことは君の胸だけにしまっておいてくれ」

そう前置きして、Aさんは語り始めた。


1年前の夏、Aさんたち3人に、Dさんという先輩を加えた4人が、実習場所である無人島に行くことになった。

無人島には大学所有の観察小屋があって、3日分の食料や飲料水も、チャーターした漁船で4人と一緒に運び込まれていた。


漁船は翌々日に迎えに来てくれることになっていたが、それまでは無人島で4人だけの生活を過ごさなければならなかった。

幸い当時の天候は安定していて、雨風に関する不安はなかった。


島での観察実習を始めて、2日目の夜に異変は起こった。

小屋の外が騒がしいので、様子を見に出た4人は言葉を失ってしまった。

小屋の周囲を、無数の猿たちが取り囲んでいたのだ。


猿たちはAさんたちに向かって、歯をむき出しにして威嚇してくる。

怖くなった4人は、急いで小屋の中に逃げ込んだ。


しかし猿たちは、石で窓ガラスを割って、小屋の中に侵入してきたのだ。

結局Aさんたちは、猿に威嚇されながら小屋の外に追いやられ、森の奥へと誘導されて行った。


猿たちに連れて行かれた先は、森の奥にある洞窟だった。

洞窟の周囲にも中にも、無数の猿がひしめいていた。

そして洞窟の奥には、岩でできた台座のようなものがあり、そこに1人の小柄な老人が座していた。


Aさんたちを前に、老人は語った。

自分は40年以上前に、兵役から逃げてこの島にたどり着いた学生だった。

そしてその時、先代からこの島の猿の王の座を引き継いだのだと。


この島では遥か昔から、1人の人間が猿たちの王として君臨してきた。

それは島の猿たちによって受け継がれてきた、破ることができない掟なのだ。


そして今、老人は死を目前に迎えようとしている。

従って、今すぐ次の王が必要なのだと。


「もちろん僕たちは、そんな馬鹿げた話は断ったさ」

Bさんが辛そうな顔で呟いた。


「でも、周囲にいた猿たちが、凶暴な顔になって俺たちを威嚇し始めたんだ。多分言うことを聞かなかったら、全員殺されていたと思う」

Cさんが言葉を繋ぐ。


「Dは本当に嫌な奴だった。自分勝手で。傲慢で。僕たちだけじゃなく、他の学生からも嫌われていたんだ」

Aさんは言った。


「だから僕たちは」

Bさんが消え入りそうな声で続ける。


「Dの奴を縛り付けて、洞窟の中に置いて来たんだ」

Cさんが、血を吐くような声で呟いた。


重苦しい沈黙が、私たちの間に流れた。

私はその雰囲気が苦しくなってきて、3人に問い質した。

「その後、Dさんはどうなったんですか?」

俯いていたAさんが顔を上げ、再び語り始めた。


翌日、Aさんたちを迎えに来た漁船の人に、Dさんが行方不明になったことを告げると、大騒ぎになった。

そして警察や地元の人たちが、大勢で島中の捜索を行ったが、Dさんも洞窟の老人も発見されなかった。


Aさんたちは3人で口裏を合わせ、Dさんが酔っぱらって外に出た切り、小屋に戻らなかったと、警察に嘘をついた。

Dさんが、禁止されていた酒を密かに持ち込んでいたことが、Aさんたちの証言に信憑性を加えたようだ。


結局Dさんは、酔って海に落ちたという結論に落ち着いた。

そして私は、最後にAさんが言った言葉が、今でも忘れられないでいる。


「僕たちも捜索隊と一緒に、山に入ったんだ。その時1匹の猿が、高い木の上から僕たちを見下ろしていた。そしてそいつは、確かにDの眼鏡を掛けていた。その猿が、Dの成れの果てだったのかは分からないが」

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