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 十一月十九日、木曜日。

 事件発生まであと八日。


 俺は坂下に声をかけるタイミングを放課後にした。


 教室で下手に声をかけて、また高見に見咎められると面倒だ。

 できるかぎり高見の相手はしたくないので、根津の奮闘に期待するしかない。


 昨日はサボったが今日は自習室で勉強をする。

 さほど集中できるわけではないが、他に時間を潰す方法を知らない。


 志望校の過去問を順番に解いているうちに、完全下校のアナウンスが流れる。


 今さらではあるが、今日も坂下が教室にいるとは限らない。

 蓋を開けてみるとまた高見が待ち構えている、という可能性も十分にある。


 だが昨日は結果的に高見の望みどおりに帰宅した。

 まだ警戒されている可能性は低いだろう。


 坂下については不思議と教室にいるような気がしていた。


 これはなんの根拠もない。

 言うなれば予感のようなものだ。


 居なかったら計画がズレるので、できれば居てほしい。


 そして教室にはたしかに坂下翔子がいた。


 しかも俺の席に座っている。



「なにしてるんだ?」


「ご、ごめんなさい!」



 机の中を覗き込んでいた坂下は、俺が声をかけると椅子をガタガタ言わせて飛び上がった。



「あ、えっと、その、平尾くんが忘れものをしてるのかどうか……気に、なって」


「ならノートが入ってただろ」


「は、はい。でも昨日も入ってました」


「あぁ、そっか。昨日はちょっと悪い夢を見たせいで、早めに帰ったんだ」


「そう、だったんですか……」



 なぜ自分がこんな言い訳めいた説明をしているのか、わからなくなってきた。


 俺と坂下は別に約束をして一緒に下校しているわけではない。

 偶然居合わせたから互いにやむなく下校しているだけだ。


 けれど、もし昨日も坂下が放課後の教室にいたのだとすれば、それには若干の罪悪感を覚えてしまう。



「帰ろう。見回りの先生に見つかるとうるさいからさ」


「は、はい……」



 俺が声をかけると坂下はいそいそとカバンを抱えて駆け寄ってくる。


 校門を出たところですぐに本題へ入っても良かったのだが気になることが一つあった。



「鼻はもう大丈夫?」


「だ、大丈夫です……あのときは、ご迷惑をおかけしました……」



 俺がジロジロと見ていることに気づいたのか、坂下は両手で自分の鼻を覆ってしまう。


 よく考えてみれば、わざわざ現在の坂下に尋ねることはなかった。

 未来で逃避行をしている坂下の鼻が無事だったのだから、それだけで判断できただろう。


 未来での坂下のことを思い出すと、どうしても今目の前にいる同一人物に対して違和感を抱いてしまう。


 その原因は口調にあるのだろう。



「前から気になってたんだけど、なんで敬語? 俺たち、同級生だろ」


「ご、、ごめんなさい」


「いや、怒ってるわけじゃないんだけど」


「く、癖で……でも、平尾くんがそう言うなら、やめます。ううん……やめる、ね」



 早口というわけではないのだが、坂下の口調には慌ただしさを感じる。

 思い浮かぶたくさんの言葉の中からもっとも当たり障りのないものを必死で選んでいるような印象だ。


 雑談はこれくらいでいいだろう。


 さて、そろそろ殺人事件を失くすことにしよう。



「ところで、来週の金曜日ってなにか予定ある?」


「わ、私に……? え、え……?」



 坂下は困惑している様子で、自分の髪の毛に何度も手ぐしをかけはじめた。

 あれが気持ちを落ち着けようとする癖なのだろうか。


 来週の金曜日、つまり十一月二十七日が事件発生予定日だ。

 その日の坂下を自由にさせないことで事件を未然に防ぐ。


 そのためには俺が彼女をどこかに連れ回せばいい。



「学校が終わってから、少し付き合ってもらえるとありがたいんだけど」



 そこまで言ってからふと気づく。


 そういえば坂下を連れ回す口実を考えるのを忘れていた。


 自分のこういう迂闊さだけはどうしても好きになれない。



「あー、えっと、観に行きたい映画があるんだけど、なんていうか、男一人で観に行くのが難しいっていうか、そういうアレで……」



 とっさに口実を絞り出す。

 こういうときの瞬発力がある自分は好きかもしれない。


 実のところ、映画はどんなものでも一人で観に行けるタイプだ。

 恋愛映画だろうとアニメ映画だろうと一人で余裕である。


 しかし、異性と一緒のほうが心理的に見やすい映画もあるはずだ。


 それに映画なら坂下を拘束できる時間も長い。

 事件の発生を防ぐにはもってこいだ。



「まぁ、そういう感じなんだけど」



 坂下の返事が怖くて、つい無駄な言葉を重ねてしまう。


 そういう感じってどういう感じなんだろう。

 言っている自分でもわからない。


 ガラにもなく緊張していた。


 それはきっとこの約束の成否によって、殺人事件を防げるかどうかが変わるからだ。

 ひいては俺自身の生死にも関わってくる。



「うん、一緒に行きたい」



 坂下がそう返事をしてくれたとき、俺は心底ほっとした。

 隠そうとしても隠しきれず安堵の息が漏れる。



「断られなくて良かったよ」



 これで作戦はすでに成功したも同然だ。

 あとは根津が高見の対処をうまくやっていてくれさえすれば、タイムマシンで未来を確認して完結する。


 長かったこの騒動も、今日中には解決できそうだ。



「よしっ!」



 その手応えに思わずガッツポーズをすると、隣にいる坂下は困ったような笑みを浮かべていた。

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