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 俺が物事に優先順位をつけるとすれば、他人よりも自分を優先する。


 今まで高見よりも坂下の立場に傾きかけていたのは、あくまで俺が外側に立っていると思っていたからだ。

 事件の外にいると思っていたからこそ、自由に立ち振る舞うことができた。


 だがそうではないとわかった今、これまでのように気取ってはいられない。


 十一月十八日、水曜日。

 事件発生まで、あと九日。


 俺は昼休みを根津と共に食堂で過ごしていた。

 事態の進捗を聞くためだ。


 俺は自分の能力よりも根津の能力のほうを信頼している。

 いじめを失くすことができるとすれば、それは俺ではなく根津であるはずだ。



「担任だけじゃなくて、他の先生にも相談してみた」



 学食のうどんを箸で一本一本つまみながら、根津は首を横に振る。



「でもダメ。いじめの存在そのものを認めたくないみたい。それに、こっちも具体的な証拠を持ってるわけじゃないから、現場を見ていない人に証明するのは難しくて」


「いじめの具体的な証拠って、たとえばどんなの?」


「なんだろう。バカって書いた紙とか、机の落書きとか?」


「それだって友達同士の悪ふざけ、イタズラだって言い切られたら証拠としては弱いだろ」


「あたしもそう思う。できることなら、坂下さん本人がいじめられているって助けを求めてくれればいいんだけど、現実的じゃないかな?」


「難しいだろうな」



 教師の威光は絶対のものではない。

 仮に坂下が声をあげたとしても、それがきっかけとなっていじめの内容が過激化するかもしれない。

 ずっと見守っていてもらえるわけではないのだから、解決もできないわけで、つくづく大人が頼りにならない話だ。


 それに坂下は鼻血を出した日「逃げたくない」と言っていた。

 そういった価値観からしても教師や保護者に自ら助けを求めるとは考えにくい。


 現状を見るかぎり、根津のような第三者が口を出して解決するのはほぼ不可能なのだろう。

 かといって当事者である坂下に自力で解決しろというのも酷な話だ。


 あるいは、自力で解決しようとして行き着く先がカッターナイフなのかもしれない。


 だがそれでは困る。


 誰よりも俺が困る。



「いまいち目処が立っていないなら、一番手っ取り早い方法でやろう」


「そんなのがあるの?」


「タイムマシンで事件発生現場に乗り込んで、直接犯行を止めるんだよ。殺人事件を防ぐだけならこれ以上に確実な方法はないだろ。単純だ」



 坂下が高見を刺す直前に、凶器となるカッターナイフを取り上げてしまえばいい。

 それで問題はすべてクリアだ。



「でもそれだと根本的な解決にならない」


「物事に根本的な解決なんて望めないもんだよ。学業だってその場しのぎの連続だ。定期テストなんて直前にテスト範囲を丸暗記するだけで、問題や答えの意味なんて誰も考えないだろう」


「それは平尾がそうってだけだよ。みんなが同じわけじゃない」


「でもきっと多数派だ」


「多数派が必ずしも正しいってわけでもないよ」


「でも大勢が選ぶだけの魅力があるわけだ。とにかくまずはその場をしのぐ。その後のことはまた、次のその場しのぎに任せる。これの繰り返しを問題の解決と言うんだ」


「どうしたの? 昨日も様子がおかしかったけど、今日はなにか焦ってるみたいに見えるけど」



 あ、とそこで根津が声をあげる。

 昨日のことを思い出したのだろう。



「そういえば、昨日のタイムスリップはどうだったの? 月末に行ったんだよね。まだ詳しく教えてもらってないんだけど」


「あー、あれな」



 実は俺がぶっ殺されることになっているんだ、とは打ち明けられない。

 可能性がほぼゼロとはいえ、思い浮かぶ容疑者の中で唯一犯行が可能なのが根津だ。


 根津があんなことをするわけがないとはわかっていても、可能性がゼロにならないかぎり打ち明ける気にはなれなかった。


 そもそも、人に話したい内容でもない。



「少なくとも自宅にはいたよ」



 ウソにはならないことを言ってこの場をしのぐ。



「だから逃避行も月末には終わってるんだと思う」


「つまり二十八日の午前三時から三十日の夜までが逃避行の期間ってこと?」


「多分」



 もしかしたらそれより早くに終わっているのかもしれないが、そんな細かいことはどうでもいい。

 重要なのは逃避行そのものをいかにして起こさないか、という点に尽きる。



「事件を直接防ぐなら二十七日にタイムスリップする必要がある」



 もちろん普通に二十七日が訪れるのを待ってもいいのだが、それまではまだ一週間以上もある。


 自分が殺されるかもしれないという不安を抱えて長々と過ごすのは嫌だ。

 解決はできるだけ早く済ませて、心穏やかに生きていきたい。



「だけどこの方法には大きな問題があるんだ」


「それくらいはわかるよ。まだ、どこで事件が起こったのかはわかってないってことだよね」



 根津の言葉に俺はうなずく。


 未来の俺が持っていたニュースの記事にも犯行現場は書かれていなかった。

 だから事件が発生した正確な時間と場所を知る必要がある。



「今度はそれを未来で聞き出してくるつもりだ」



 今までは事件が発生する要因を取り除こうとしてきた。


 だがそれで成果があげられない以上、事件の発生を直接的に食い止めるほうへと方針を変えるべきだろう。

 それには事件にまつわる情報が必要だ。


 そして未来に起こる予定の事件について調べるなら、事件がすでに起こった後の未来へ行くしかない。



「具体的にはどれくらい先に行くの?」


「あのタイムマシンでは一度体験した時間は繰り返せないという制約がある。そのことから考えると、二十八日はもうほとんど残ってないはずだ」



 最初にタイムスリップした先が二十八日の午前三時だったはずだ。


 そしてその後、もう一度タイムスリップをした。

 そのときに二十八日はほとんど体験している。


 たしか服を買って、風呂に入って、なにかを食べて、そして電車に乗ったはずだ。


 懐中電灯型タイムマシンではすでに体験した未来をもう一度経験することはできない。

 そのため二十八日はもう夜しか残っていないだろう。



「だから二十九日の日中に送ってくれ。そこで俺が坂下から情報を聞き出す」


「わかった。じゃあまた今夜、うちで」


「ああ、頼む」


「じゃあ今日は委員会の用事があるから、先に戻るね」



 空になった器をのせたトレーを手に、根津が席を立つ。


 俺のほうは話をするのに夢中であまり食事が進んでいなかった。

 おにぎりと味噌汁だけの簡単なメニューだが、どちらもすっかり冷めてしまっている。


 あんな未来を体験した後だと、さすがに食欲も萎える。


 だが食堂に長居していても仕方がない。

 さっさと全部食べてしまおう。


 冷めた味噌汁でおにぎりを流し込んでいると俺の対面、つまり先ほどまで根津が座っていた席に誰かがするりと腰を下ろす。

 そして頬杖をついた。



「意外と女の子といるところをよく見かけるね」



 挑発するような笑みで俺を見上げているのは高見琴乃だった。



「男子の友達はいないの?」


「それなりにはいるよ。最近は他のことで忙しくてつるんでいないだけだ。そっちこそ、いつもの取り巻きはいないのか?」


「うん。平尾くんと一緒にいるところなんて、友達に見られたいとは思わないもの。センスを疑われちゃいそう」


「なら別の席に行け。そしてなにか頼んでこい。ここは談話室じゃないぞ」


「話ならすぐに済むから」



 坂下は当たり前のような手付きで、俺の皿に残っていたおにぎりを手に取る。

 そしてまるで自分のもののように食べ始めた。


 仲が良くない相手と顔を合わせてする食事ほど憂鬱なものはない。



「今日はあの子が学校に来てるでしょ?」



 高見の言うあの子、つまり坂下翔子は無事に学校へ来ている。

 ボールがぶつかったという鼻も、大事には至らなかったようだ。



「大きな問題にならなくて良かったな、とでも言えばいいのか」


「勘ぐってるみたいだけど、あれは純粋に事故だったんだよ。あの子がチビでデブでブスで、しかも運動神経まで悪いから顔面レシーブをすることになっちゃっただけ」


「めちゃくちゃ言うんだな」


「事実を並べるのがそんなにいけないこと?」



 たしかに高見と比べれば大抵の女子は背が低いし、モデル体型でもない。

 デブというのは言い過ぎだが、坂下のほうが肉付きは良いのは事実だ。


 だけどそんなの基準をどこに置くかというだけの話でしかない。


 美人だと自慢してくる高見だって世界一の美貌というわけでもない。

 スクリーンや画面の向こうには、もっと綺麗な人がいる。


 だから高見にとっての事実が、他の人にとっても同じになるというわけではないはずだ。


 でもこんなことは言うだけ無駄だろうから、いちいち反論はしない。


 俺がなにを言ったところで高見が感銘を受けて改心するとは思えない。


 なら言葉を尽くすだけ時間と体力の無駄というやつだろう。

 議論をするに値しない相手とは、会話をしないのが一番だ。


 そんな俺の賢明な沈黙を反論できずに黙ったと勘違いしたのか、高見はどこか得意げだった。



「私が前に言ったこと、覚えてるよね」



 坂下をいじめないで、とかいう戯言ならよく覚えている。


 その件で高見はあらためて釘を刺すために来たのだろう。

 案外几帳面だ。



「俺がどうしてそっちの命令に従わないといけないんだ。雇用関係でもあるまいし」


「これは命令じゃなくてお願いだよ」


「どう違うんだか」


「そうだなぁ、じゃあお願いを聞いてくれたらご褒美をあげる。キスでもしてあげようか?」



 こいつは自分のキスをぶら下げれば、男なら誰でも言うことを聞くと思っているらしい。


 以前ならくらっときていた可能性はある。

 だけどここまであからさまに高見の性格を知った後では、魅力も薄れる。


 反論はしても無駄だと思っていたが、さすがにここまでバカにされては黙っていられない。



「単刀直入に言わせてもらうけど、俺は高見のことを美人だとは思わない」


「はぁ?」



 よほど意外だったのか、高見は想定していた以上に大きな声を出した。



「意味がわからない。あ、平尾くんはブス専ってこと?」


「そこまで自分に自信がもてるのはすごいな」



 皮肉抜きでそう思う。


 高見は自分が美人である、という事実を疑わない。

 なにがあればここまで圧倒的な自信が持てるのだろう。


 しかし、ここまで話が通じる気がしない相手というのには初めて出会った。

 せめて異星人であれば良かったのに、同じ地球人らしいところが残念だ。


 しかし言いたいことは言えた。

 モデル体型に魅力を感じる人もいれば、小柄な女性に強く魂を引かれる人間だっている。


 筋肉質が好きとか、身長がどうとか、見た目の好みだけでも人の価値観は千差万別だ。

 ファッションセンスとか、性格といった他の要素も踏まえれば、もっと多様化する。


 とはいえ無駄な問答だ。

 自分が美人だと自信を持って言えることは悪いことじゃないだろうし、そんなところを議論する気はない。



「心配しなくても、今日はあんまり体調が優れないから早く帰るつもりだよ」



 高見にいちいち言われなくても、坂下と会って話すつもりなかった。


 死を疑似体験したばかりなのだ。

 自習をして放課後を過ごせるほど元気ではない。



「そうなんだ。じゃあ普段よりも言動が面白かったのは体調不良のせい?」


「さぁね。自覚はないよ」



 だが自分が月末に死ぬことを知って、普段どおりでいられるはずもない。

 そういう意味では、高見の言うことは少しくらい当たっているのかもしれなかった。

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