第39話 現物術の修練

 伝声師がただただ水雲の肩を撫でている間、水雲はただひたすらに考えていた。

(父親が神女とそういう仲になったのなら、母上が犠牲になる時はどんな思いでそれを目の当たりにしたんだろう?)

 とはいえ、水雲はどれだけ想像しようとしても、その光景が頭の中に広がることも、父親の感情を理解することもできなかったが。

「水雲。いいか?」

 伝声師が、水雲の肩から手を下ろしていった。

「なんでしょう?」

「君も、いつかは伝声師になる。その日は……そう遠くないうちに訪れるはずだ。それはつまり、君のために茉莉殿下が犠牲になる日も、いつかは来てしまうと言うことだ。たとえ君がどれほど茉莉殿下を犠牲にしたくなくても、宮殿に住む者以上にあの子を家族として認識していても、それは変わらない。犠牲になるときは、必ず訪れる。君の母親のように。でもね、それでも必ず国のために尽くさなくてはならない。我々は伝声師である以上、自らの感情を優先してはいけない。もし優先してしまったら、自らに災いをもたらすだけでなく、国全体にも災いをもたらしてしまうんだ。我々の影響力はそれだけ大きいんだよ。だから、君がいつの日か茉莉殿下を犠牲にして、今私が就いているこの地位に就任するときは、そのことだけを必ず覚えていて欲しい。いいかい?」

「はい。でもそれなら、早く心の準備をしないといけませんね。だって、私がいつか伝声師の地位に就いたら、父上も茉莉もいなくなってしまうから」

「……そうだね。でも、今はまだ二人とも、水雲のそばにいるよ。そうだ。茉莉殿下へあの麺を出す練習をしているんだろう? なるべく早く出せるようにならないとね。水雲はもう瞳妖術を習得したわけだから、今度は幻術とそれを組み合わせる練習をしてみようか」

 昏睡してから数刻も経たないうちに目覚めた雲は、すぐに伝声師の元で、言われた通り瞳妖術と幻術を組み合わせる練習を始めた。幻月観は一日中夜であるせいで、今が一体何時なのか全くわからないが、階段に腰掛けている茉莉が眠そうなところを見ると、もうすでに幻月観の外も夜になっているのだろう。が、伝声師は一切水雲の指導を止めるつもりはなさそうだ。

 修練を始めてから一刻が経ったばかりの頃、水雲はようやく瞳妖術と幻術が体の中で混ざっていく感覚を掴んだ。それは海水と砂が混ざり合うかのようで、一旦混ざると一時だけは互いに不可欠な存在となる。しかし、すぐにそれらは互いに異物と捉えたのか、また元の場所と引いていってしまった。

 その感覚が、やはり一刻もの間続いた頃、じっと水雲裏の修練の様子を見ていたはずの茉莉が座ったまま熟睡していた。かたや水雲は、そんな茉莉の姿を見ながら、ようやく瞳妖術と幻術の両方を同時に操れるようになった。気の重い瞳妖術を元の場所に蓄えたまま、幻術だけを瞳妖術の方へと動かしていくと、同士は面白いほど素直に混ざってくれる。そして、ちょうど全てが混ざり合った頃に、水雲が力を入れると、現物術が発動できるのだ。

 それを完全に理解した瞬間、水雲は手に力を入れながら、大根と豚骨付き肉の麺を想像した。少しすると、彼の手元がじんわりと熱くなっていく。そこには、想像した通りの大根と豚骨付き肉の麺があった。

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